25 這い寄る混沌
土曜日、私は龍守神社に来ていた。今日はクリスちゃんにメイクを教えてもらうことになっているんだけど、小学生にメイクを教わる高校生ってどうなんだろう。
神社は広くてどこで待っていればいいかわからず鳥居の前をうろうろしているとクリスちゃんが迎えにきた。
「彩音さーん!」
太陽よりも明るい笑顔で私を呼んだのはクリスちゃんだ。見た目は和風美人って感じだから物静かで清楚なイメージを持っちゃうけど、本人の性格はとても明るくて親しみやすい。年上の男の子の叡人君とあんなに打ち解けているところもすごい。
警戒しなくちゃいけないところでもあるんだけど、私の恋をサポートするということはクリスちゃんは叡人君に気がないと言える。もしくはまだ自分の気持ちに気づいていないか。
「クリスちゃん、今日は呼んでくれてありがとう~」
「いえいえ、来てくれてありがとうございます。それじゃあ私の部屋まで案内しますね」
広い敷地の中をクリスちゃんの後ろを追いながら歩く。
「今日はおばあちゃんがいないから稽古ないんだー。この前はおばあちゃんがいたせいであんまりお話できませんでしたから、よかったです」
小学生だとおばあちゃんとかおじいちゃんのことが好きなイメージがあるけど、この子は違うのかな。厳しそうな人だったから、やっぱり怖いんだね。
「おばあちゃんは何してるの~?」
「町内会に行ってます。何もないですけど。ニシシッ」
いたずらが成功した子どもらしい笑顔で言った。
「何もないのに行くの~?」
「私が町内会のおじいちゃんたちにおばあちゃんを呼ぶために集まりがあることにしといてもらったんだよ。
可愛くてキュートな私が上目遣いで頼めばイチコロ」
この歳で自分の可愛さを理解したうえで武器として扱うなんて、クリスちゃん、恐ろしい子。
「バレたらまずいんじゃない~?」
あの人は怒らせたら絶対に怖い。怒ってなくても怖い。凛とした声と立ち姿、顔に刻まれた深い皺は人生経験の重みがある気がする。
「バレなきゃ犯罪じゃないんですよ?
いい感じに町のおじいちゃんたちが誤魔化してくれますよ。後はお礼に手作りのお菓子でも持っていけば次も協力してくれます。絶対遵守のギアスがあればこんなことしなくてもいいのにな~」
この子は将来絶対美人になって男を手玉に取るんだろうな。この子が同年代だったら私の恋は実る可能性はなかった。
モテすぎて女子に嫌われて男子にだけ好かれる子になりませんように。どうかその天真爛漫さを活かして男女に好かれる人になりますように。
「ちゃんとご褒美も考えているなんてさすがだね」
「彩音さんだって同じことができますよ。
あ、つきました。ここから入ります」
クリスちゃんが扉を開けて玄関に案内する。やっぱり神社なだけあって家の造りは和風だ。でもそれ以外は普通の家っていう感じ。特別豪華だったり広いというわけでもない。
「お邪魔します~」
「そんな畏まらなくてもいいですよ」
扉を開けた音を聞いて別の人物が現れた。
「やあ、また会ったね」
片手を上げて爽やかに挨拶をするイケメンがいた。叡人君と神社に行って少し探検したときに声を掛けてきた人だ。
「お邪魔してます。葉月彩音です」
「俺は龍守清正。よろしく。娘と仲良くしてあげてね。引っ込み思案で友達作るの苦手な子だから」
クリスちゃんが引っ込み思案? そうは見えない。むしろ人と話すのは得意に思える。
それに苗字も気になる。クリスちゃんの苗字って綾辻じゃなかったっけ?
それに龍守清正って隣町をすごく発展させた有名人じゃん。都会に住む実業家だと思っていたけど、まさか私の地元の神社で神主やってるなんて全然知らなかった。
「お父さん、女子会だから」
クリスちゃんは短く言った。いつもの元気な雰囲気ではなく、落ち着いた、いや暗い雰囲気に突然変わった。
「おー、思春期こわー。
俺は自分の部屋で仕事してるから何かあったら呼んでねー」
清正さんは自分の部屋に入った。
「それじゃあ、私の部屋に行きましょう!」
「う、うん」
クリスちゃんはいつもの明るいクリスちゃんだった。
あの雰囲気は相手がお父さんだったからかな? 思春期の女の子って難しいところあるし。そう思ってる私もなんだけど。
◆◆◆
「飲み物持ってくるのでそこに座って待っていてください」
ローテーブルの前を指定され、座布団の上に座る。
クリスちゃんの部屋は普通だった。子供部屋にしては少し広いかなってくらいでシンプルで片付いた部屋だった。ベッドや学習机、本棚など基本的な家具があるだけで味気ない部屋だ。小学生の女の子の部屋ってぬいぐるみとか雑誌とかもっと何かあると思っていたけどこの部屋には見当たらない。
学習机の上には今日使うと思われる化粧品や雑誌がたくさんあった。
あまりじろじろ見るのも失礼だと思って部屋を眺めるのはここでやめた。
「お待たせしましたー」
お盆にオレンジジュースを乗せたクリスちゃんが部屋に入った。
「血眼になって探してもエッチな本とかはないですからねー」
「そんなのは探してないよ~」
「『そんなのは』ってことは他のものは探したんですか?」
失言だった。じろじろ見ていたと思われない程度に回答しておこう。
「意外とシンプルというか物が少ないなーって思ったんだよね~。小学生の女の子の部屋ってもっと人形とか漫画がありそうだから」
「私もそうしたいんですけど、おばあちゃんが厳しくて。
この前見ましたよね? あの鬼クソばばあ」
すごい暴言。清楚でおとなしそうな見た目からはギャップがある。
「少し言い過ぎじゃないかな? 厳しそうな人だけどきっとクリスちゃんのためを思ってるからこそ厳しくなるんじゃないかな?」
「私のことなんて考えてないと思います。大切に扱うとすれば龍守家の存続のためです。だからあんな上辺だけのやつと何か企んでいるんです。私もそれに騙されました」
そう言ったクリスちゃんの顔は子どもとは思えない憎しみと後悔を煮詰めた深く黒い表情をしていた。
その顔に圧倒された私は何も言えなかった。部屋の中の酸素が絞られたように息が詰まる。空気を求めるように、入れ替えるように私は明るい話題を提供した。
「で、でもさ、おばあちゃんはあんまり好きじゃなくてもお父さんは? 見た時びっくりしちゃったよ。隣町の富宇賀町をすごく大きくした人だったじゃん。自慢のお父さんでしょ?」
逆効果だった。
「そんなわけない! あいつは私を騙して大切な人の未来を―」
そこで時間が止まったように感じた。
クリスちゃんは強く否定したあと、出てくる言葉を言わないように口を手で押さえて無理矢理何も言えないようにしていた。
一瞬の膠着、そしてクリスちゃんが大きく息を吐いてようやく時計の針が進んだ心地がした。コップのオレンジジュースを飲み干すと部屋を黙って出て行った。
私はクリスちゃんが触れてほしくない話題に触れてしまった。何も知らないとはいえ、傷つけてしまったことは事実だから謝らないといけない。
謝らなければいけないことはわかっているけど、どう謝ったらいいか全くわからない。あそこまでむき出しの負の感情を目の当たりにしたのは初めて。正直、怖かった。そもそも謝ることは話題を掘り返すことにもなるから、正しい選択じゃないかもしれない。
「ごめんなさい、取り乱しちゃって。それでも1つだけ聞いてほしいお願いがあります。前にもお父さんに会ったことがあるみたいだけど、あいつの外面にだまされちゃだめ。絶対に関わらないでください。絶対に」
部屋に帰ってきたクリスちゃんは私の肩を掴み強制的に目線を合わせ話を進める。真に迫るその言い方に私は何も言わずに頷くことしかできなかった。
「ごめんねー、急に変なこと言っちゃって。さ、せっかくだし恋バナでもしましょう!」
嘘のように明るく元気なクリスちゃんが戻ってきたが、
「さっきのことは忘れてください。なんか肉親を憎む主人公みたいな中二病全開な演技しちゃいましたね。あー恥ずかし恥ずかし。
ところで彩音さんは今、好きな人いるんですか?」
勢いよくまくし立てられて私は謝るタイミングを見失った。いや、謝る勇気がなかっただけだ。
「き、急だね~クリスちゃん。今日はメイクを教えてくれるんじゃないの?」
態度の豹変に面食らいながらも、何とか言葉を返す。
「メイクもオシャレも、目的、すなわち誰のためか、誰に可愛いと思ってもらいたいかを明確にすることでモチベーションも上がるし、上達も早くなるんですよ。
それで好きな人はいるんですか?」
「好きな人っていうか気になる人みたいなのはいるかもな~。べ、別に叡人君とは限らないけどね~」
私の答えを聞いてクリスちゃんは口が真横に伸びニマニマした顔をして無言でいる。からかわれるのも恥ずかしいけど、無言で見られているのもむずがゆくて耐えられない。
「含みのある笑顔で何も言われないと気になるんだけど~。言いたいことがあるなら言いなよ~」
「いやー、私は七森さんのことなんて一言も話してないのに何で七森さんの名前が出てきたんだろうなーって不思議に思っただけです」
た、確かに。クリスちゃんは叡人君の名前は1度も言っていない。私が勝手に白状してしまっただけ。でもこれはクリスちゃんの計算で行われた可能性は?
「これは罠だ!」
「粉バナナ?」
「そんなこと言ってないよ! クリスちゃんの誘導尋問にまんまとひっかけられたよ~」
「彩音さんが勝手にG―BACKしただけですよ」
「くっ、殺せ」
一回り年下のクリスちゃんに嵌められ、好きな人を暴露した思春期乙女の私は恥辱を奥歯で噛みしめながら、最後の覚悟を絞り出した。
「そのセリフが自然に出てくるなんてドM姫騎士の才能がありますね」
「そんな才能いらないよ!」
ていうかドM姫騎士の才能ってなに?
「というわけで、七森さんのどういうところが好きなんですか?」
「どういうわけで?」
「気にしないでください。話が脱線しすぎて収拾がつかない時に司会やラジオのパーソナリティが使う魔法の言葉です」
「こんな状況にしたのはクリスちゃんだよね?」
「というわけで、七森さんのどういうところが好きなんですか?」
何を話してもこの話題に戻すんだね。『というわけで』が万能すぎる。
私は諦めた。
「どういうところって言われると難しいけど、素朴で飾らないところかな~。特に特徴がなさそうだけど、実は写真に対してすごく真剣で、教えるときも優しかったりとかもいい」
「ふふふふふふふ」
こらえようとして必死に口を閉じようとしているけど笑い声が漏れている。実に失礼な笑い方だ。いっそのこと大笑いしてほしいのにバカにされている気がする。
「もう私のことをからかって遊ばないでよ~。もう、この話は終わり~。メイク教えて~。モチベーションは充分だから」
「ごめんなさい。からかっているつもりはないんです。なんかピュアで可愛くて。なんか若返った気分です」
小学生にピュアって言われる高校生て。
「バカにしてるよね⁉ それに若返るも何もクリスちゃんのほうが若いから!
クリスちゃんにもすぐこういう時期が来るからそのときは私が根掘り葉掘り聞いてあげる」
「彩音さんは七森さんとどんなデートがしたいですか?」
この小学生すごいぐいぐいくるな~。このくらいの時期が恋愛に興味を持ち始めたけど、どうしていいかわからなくてもやもやして、色々な人の話を聞きたくなる時だよね。
ただ、クリスちゃんに関しては野次馬根性みたいなもののほうが感じるけど。
「星空が見える場所に2人っきりで愛を語ったり、手をつないだり、キスしたりしたいかな……」
だんだん自分の乙女チックな考え方に照れて声が尻すぼみになっていき顔が下を向いていく。
クリスちゃんがそこを見逃すはずもなく……ってあれ? 何も反応がない。顔を上げると、クリスちゃんはテーブルに突っ伏していた。
「クリスちゃんどうしたの?」
「致死量の青春を浴びたせいで私のライフはもうゼロです」
「しっかりして、ほら、オレンジジュース」
クリスちゃんの手にオレンジジュースを持たせる。
が、飲まなかった。
「最後に、遺言を、聞いてほしい」
突っ伏した顔を横に向けて途切れ途切れに言う。
「何?」
「神社の裏手から海のほうに歩くと岩場が多い、海岸がある。そこにはベンチがあってそこで愛を誓ったカップルは永遠の愛が約束される……可能性があるかもしれないらしい」
なんてあやふやなジンクス。でも、そこなら星も海もあってすごいロマンチックでいい雰囲気になりそう。
部活が終わった後は日が沈んでいて、ちょうどいい時間だ。しかもきれいな景色があるから写真を撮りに行こうという理由をつければ誘いやすい。制服デートもできて一石二鳥。
「クリスちゃん、ありがとう。叡人君を誘って関係を前進させるよ」
コンコン、扉が唐突にノックされる音がした。
クリスちゃんは体を起こした。
「お父さん? 女子会だから入らないで」
「違う。入るわよ」
厳しく冷たい背筋がぞっとする声が扉越しに聞こえた。
クリスちゃんの顔は真っ青。手を口に突っ込んでガクガク震えている。
「町内会があるって聞いたけど何もなかったわ。聞くところによると、あなたが私を呼ぶように仕向けたみたいだけど、どういうこと? そんなに稽古が嫌だったかしら?」
涙目で全力で首を横に振っている。嘘をついたことがバレて相当ビビっている。一瞬でここまで人を怖がらせるなんて普段からどんな態度で接しているのか見てみたい。
「なら、来なさい。ちょっと話があるわ」
早くついて来いと言っている背中を見せてクリスちゃんのおばあちゃんは部屋を出た。
「あちゃー、もうバレちゃったよ。町内会のおじいちゃんたち口軽いなー」
いや、あのおばあちゃんに問い詰められたら嘘を突き通せないと思うからしょうがないよ。
「おばあちゃんのお説教はすぐ……には終わらないかもしれないけど、戻ってくるまでメイクの練習して待っててください。やり方はユーチューブ見てください。道具は好きなだけ使っていいですよ」
「うん、わかった。ありがとう」
ユーチューブ見てできるならここに来る意味はないのでは?と思ったけど道具を貸してもらえるのはありがたい。私はそんなに多くの種類は持ってないし、色々試せるからありがたい。
「それと」
クリスちゃんはドアノブを掴んで言った。
「さっきも言ったことだけど、お父さんには絶対に関わらないようにね」
「うん」
私の肯定を聞いてクリスちゃんも部屋を出た。
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