7.〇〇しないと出られない部屋【Ⅲ】
「『水綺が満足しないと出られない部屋』だってさ」
「うぇぇ、またこれかよ。ずっきー、何でとまばっかり閉じ込めるんです!」
何もない真っ白な空間の中央に置かれた寝台で目を覚ました兎舞が、ニッコリと満面の笑みを浮かべた水綺の指差す方向を見て眉を顰める。三度目の来訪になる故、ムスッと頰を膨らませて、事の発端である水綺に詰め寄ってきた。水綺はベッドに座ったまま拗ねている兎舞の頭を撫で、下手に嘘を吐くことなく正直に目的を吐露する。
「みんな、兎舞と一緒に閉じ込められたいからかな」
「何で?」
「だって、此処だったら兎舞に好きなことができるでしょう? それで? どうやって私を満足させてくれるの?」
「そんなのとまが分かるわけないです。ずっきー、教えてよ」
首を傾げてキョトンとする兎舞への欲望を曝け出し、今回の条件を満たす為に動く彼女を見たくて急かした。が、どうすれば満足させられるかなんて分からないと、唇を尖らせて顔を覗き込んでくる兎舞。絶妙な角度で小首を倒していてとてもあざとい。今すぐにでも願望を暴露したくなる可愛さだ。
しかし、水綺の胸懐には別の欲望もある。兎舞が自分のことを考えて色々と悩み、思い浮かんだことを試しているところが見たいのだ。「えぇー、そうねぇ」と言葉を濁しながら、兎舞への愛しさと己の中に渦巻く欲の間で葛藤する。その時、教えてもらえないことに焦れたらしい兎舞が、水綺の首に腕を回して抱きついてきた。そして、耳元に唇を寄せて、甘く囁くような声で告げる。
「ねぇ、教えて。とまでもずっきーを喜ばせられるなら何でもするよ?」
甘い蜜で蝶を誘惑する花みたいな、夜の情事を彷彿とさせるような声に、水綺の背筋をゾクゾクとした電流が駆け巡った。総毛立った身体を疼かされたことや、心拍数を増加させられたのを隠すべく、離れようとした兎舞の背中に手を回して抱き締める。何とか取り繕って平時と変わらない声色で、誰に教わった技なのかを問い詰めた。
「……いつ、そんな色仕掛けを覚えたの?」
「そんなのしてないけど」
「とにかく、可愛いことをしても駄目よ。兎舞が考えてやってみて」
「えぇ、うーん……」
色仕掛けの自覚を持たない兎舞に小さく溜息を吐いた水綺は、彼女の長身痩躯を解放して強引に欲の方に天秤を傾けさせる。教示を得ることに失敗した兎舞が、難しそうに眉間に皺を刻んで両腕を組む。少しの間、頭を悩ませていたが、ふと何か閃いたようで水綺を見た。両手で拳を作って招き猫の手みたいなポーズを取り、微かに色づいた顔を伏目がちに逸らして小さく呟く。
「……にゃあ」
ネットをぶち抜いた豪速球の如き勢いで撃ち抜かれた心臓が、口から飛んでいきそうになるほど凄まじい破壊力に面食らう水綺。一瞬襲ってきた握り潰されたような感覚で歪めた顔を戻し、恥ずかしそうに顔を逸らしたまま固まる兎舞に訊く。
「な、んで猫?」
「だって、よくとまのこと猫扱いしてくるじゃん。でも、これじゃなかったね」
「めちゃくちゃ可愛かったけど、満足感より驚きが勝っちゃったわね」
恥じらいの色に満たされた瞳を彷徨わせて、兎舞が含羞を宿したか細い声で答える。満足させられなかったからか少し落ち込み気味の彼女に、水綺は慈愛溢れる温和な笑みを浮かべて頭を撫でてあげた。眉尻を下げて本心を吐露した水綺の撫で撫でに、兎舞は目を細めて気持ち良さそうにしている。
かと思いきや、またもや何か思いついたらしく、ジッと水綺を見つめて手を伸ばしてきた。それを拒否せず受け入れると、頭の上に乗った彼女の手が、水綺の頭をぎこちなく撫でる。撫で慣れていない動きで髪の毛を乱されながら、水綺は久々の感覚に鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。他人に頭を撫でられるなんて何年ぶりだろうか。
「どう?」
「びっ、くりした」
「ずっきー、びっくりしすぎ! そんなんじゃ、満足なんてさせられないです!」
「ごめんごめん、まさか頭を撫でられるなんて思わなかったから」
悪戯を成功させた子供みたいに双眸を眇めた兎舞だったが、水綺の唖然とした間抜け面を見て不平の気色を頰に漲らせた。不貞腐れた兎舞を見てようやく我に返った水綺は、慌てて愛想のいい笑顔を取り繕い謝罪する。兎舞が頑張ってくれているのに、驚いてばかりで申し訳なく感じた。
「頭を撫でてもらうと満足感でいっぱいになるから、ずっきーも満足してくれるかなと思ったのに……」
「兎舞は頭を撫でられるの好きだものね」
「……うん」
拗ね気味に伏せた視線を横に向けて不平を鳴らした兎舞は、水綺に再び頭を撫でられて膨れっ面をどんどん和らげていく。双眸を閉じて水綺の手のひらを頭でグリグリし、皺を刻んでいた愁眉がゆっくりと開いていった。テクニシャンな水綺の撫で撫でにより、すっかり気持ちを落ち着かされた兎舞が、覚悟を決めた瞳に不安の色を宿して尋ねる。
「あのさ、もしかしてずっきーも、俺の角を触りたかったり……する、です?」
「えっ、どうして?」
「だって、ここの条件ってとま以外の三人で考えたんでしょ?」
もう触られたくないのか角の前で両手を翳して、問い返した水綺に怯えた様子で顔を伏せて答える兎舞。自ら強すぎる甘い電流を絶え間なく流されたい人など居ない。きっと白雪の時みたいに強い刺激を送り続けられ、嫌だと縋ってもやめてもらえないのが怖いのだろう。
あの時の兎舞の恐怖に染まった瞳や、疲弊に支配された力無き身体は、見ていて可哀想なほど酷かった。白雪が反省した挙げ句、土下座までして兎舞の好物を奢ったほどだ。水綺は安心感を醸し出した柔和な笑みを湛えて、大丈夫だと告げるみたく兎舞の両手を握った。
「確かに三人で考えたけど、兎舞が嫌がることはしないってルールを設けたから大丈夫よ。白雪先輩も反省してたし」
「この場所に来んのも嫌なんだけど」
「それは聞けないわねぇ」
三度も閉じ込められている我が身の不幸を託つ兎舞に、意地の悪い微笑みを浮かべて彼女の愚痴を突っぱねる水綺。様々な状況を目論む三人は、今後も兎舞と此処に来る気満々だ。愛しの末っ子が嫌がることをするつもりは毛頭ない。が、過激なもの以外にもまだ、兎舞にやってほしいことは山のようにあるのだ。
兎舞に忌み嫌われない境目をしっかりと見極めておかなければと、水綺は欲望に対して甘すぎる自分に苦笑しながら決心の臍を固める。その時、脈打つ期待と不安を宿した兎舞が、控えめに水綺の服を掴んで軽く引っ張ってきた。ドキドキそわそわと落ち着きなく視線を彷徨わせ、面映ゆそうにポソッと訊いてくる。
「ずっきー、とまのこと好きです?」
「当たり前よ」
「とまもずっきーのこと好きって言ったら嬉しい?」
「嬉しすぎて天にも昇る心地になりそうだわ」
「そっか」
水綺は即答してもらえた喜びで、はにかむように顔を綻ばせた兎舞の、期待に満ちた声色で紡がれた問いに肯いた。兎舞の全身から大切に思っているという感情は伝わっている。しかし、口に出して愛を伝えられた暁には、手の舞足の踏むところを知らず調子ではしゃぐ自信しかない。
それを素直に伝えると、兎舞が満足気な照れ笑いを浮かべる。どうして急にそんなことを訊いてきたのか尋ねようとした瞬間、上機嫌に薄ら笑いを湛える兎舞が水綺にグイッと距離を縮められた。何をされるのか意図を掴めず目を白黒させながら、水綺は口角を引き攣らせて名前を呼ぶ。
「と、兎舞?」
「ずっきー、大好きです!」
途端、美しく咲き誇る薔薇のようにありったけの笑顔で、兎舞が頬に薄色の紅葉を散らせながら擽ったそうに告白する。言われるだろうなと薄々気付いていたはずなのに、いざ投げられた爆弾のとんでもない威力に水綺は凍り付いた。悪戯っぽく揶揄を孕んだ双眸を眇めた兎舞を熟視していると、周囲の光景が自分の家の寝室に戻る。それと同時、全て見ていたらしい白雪と希威に「ずるい!」と突撃され、隣に居た兎舞を巻き込んでベッドに倒された。