33.敵にめちゃくちゃ愛でられる話
「ん、ぅ……」
兎舞が意識を浮上させると、複数の人間達に取り囲まれていた。パチパチと何度か瞬きをして眠気を振り払うが、身体に全く力を込められず気怠さが眠気を助長させる。加えて、腕を頭上で固定されており、二本揃って投げ出した足も鎖で縛られていた。今すぐ逃げることは叶わなさそうだ。わざと捕まって拠点の場所を水綺に伝えるいつもの作戦故、自ら逃げる必要はないのだが。
「起きたか、鬼」
「悪いが、寝ている間に拘束させてもらったぞ」
「流石のお前も、妖怪用の頑丈な鎖で手足を封じられれば、何もできまい」
「そもそも、弛緩剤も盛っているから、いつもの鬼特有の怪力を出せないだろう?」
下品な笑みを浮かべて情欲を孕んだ眼差しを刺してくる人間達が次々と口を開く。脱力した身体を壁に預けないと座ってもいられないのは、弛緩剤の影響らしい。三人目の男が勝ち誇った顔で言った通り、普段なら妖怪用の頑丈な手錠も破壊できるのに、指一本動かすことすらできない。
「さて、前置きは終わりにして、本題に入らせてもらおうか」
「早速だが、お前を捕まえた暁に、やろうと思っていたことを、たっぷりさせてもらうぞ。やれ」
何をされるのかと身構えていた兎舞は、優しく丁寧に頭を撫でられて面食らう。髪を引っ張られるわけでも毟り取られるわけでもなく、ただただ気持ち良い力加減で撫でられていた。頭を撫でられるのが好き故、目を細めてしまいそうになる。それを何とか堪えた兎舞は動揺を隠した半眼で見上げ、頭の上で手を動かす男に問い掛けた。
「何でとまの頭を撫でてるんです?」
「撫でたいからに決まってるだろう」
頭を撫でるのを中断した男が、当たり前のように得意満面な顔で告げる。あまりにも凛然とした硬い顔で返されて、兎舞は不安と困惑の中に落とされてた。なかなか這い上がれないほど深く沈み、色濃い当惑の波に溺れてしまうほど混乱している。「……とま達って敵同士だよね?」と、当然のことを確認してしまうくらいだ。
「当然だ」
「えっ、何? とまがおかしいの?」
キョトンとした顔であっけらかんと同意された兎舞は、驚きと戸惑いに満ちた瞳で訝しげな一瞥を投げかける。胡乱な視線を気にも留めず各々で行動する人間のうち、一人の男がホールのショートケーキを持って兎舞の前に屈んだ。すでに切り分けられているケーキの一つにフォークを入れ、一口大にして兎舞の口元に持ってくる。
「ほら、鬼。ケーキだぞ、あーん」
「食わねぇよ。なんか入ってんだろ」
「店で買ったケーキなんだから入ってるわけないだろ。俺が毒見すればいいのか?」
敵同士故、警戒心の色を強めて、ふいっと顔を横に逸らしたのだが、面倒臭そうに悲しそうに嘆息され、兎舞は意味不明すぎて反応に困った。鬼を早く何とかしなければ、警察から依頼を受けた何でも屋に壊滅させられる。だというのに、妙に優しくされるし可愛がられるしで、ずっと周章狼狽させられて精神的に疲弊してきた。
「おら、食ったぞ。お前も食え」
「あむ……」
「どうだ、美味いだろ?」
「おいしいです!」
胸を張って鼻を高くする男のケーキを渋々と食べると、あまりの美味しさに目を大きく見開く羽目になった。思わず無邪気に顔を綻ばせた兎舞はキラキラした瞳で見上げ、息の弾みに喜びを昂らせてケーキを持つ敵に感想を告げる。口の中に残る甘い風味で気付いていない兎舞に、面食らって硬直していた人間が顔を明るくした。
「そ、そうかそうか。よし、もっと食え」
「おい、どっちのぬいぐるみがいい?」
すると、それぞれ大きな黒猫のぬいぐるみと白兎のぬいぐるみを抱えた女性二人が、そわそわと落ち着きのない様子で兎舞に選択を迫る。手触りの良さそうなほとんどクッション枠のぬいぐるみに、ほんの少し触ってみたい衝動に駆られつつも、兎舞は敢えてジトッとした半眼を向けてツッコむ。
「とまのこと、子供だと思ってるです?」
「もふもふだぞ? 触ってみろ」
頭上で拘束された兎舞の手がぬいぐるみの手と握手させられた。黒猫のぬいぐるみの手はずっと撫で回したくなるほど柔らかくて滑らかな生地だ。逆に白兎のぬいぐるみはギュッと抱きしめたくなるほどふわふわでもこもこした生地だった。両方好きだ。
順番に触った兎舞は離れていくことに後ろ髪を引かれ、呆れていたのに手触りに心を掴まれてしまって照れる。仄かに頰が色づいた顔をふいっと横に逸らし、伏目がちの赤い瞳を面映さで彷徨わせた。そして、意を決して女性達を上目遣いで見つめ、はにかむような甘えるような顔で首を傾げる。
「…………どっちも欲しいです」
「うぐっ」
「ぐあっ」
「あえっ? 何?」
両手で隠した顔で天を仰ぎ見て、勢いよく膝から崩れ落ちて動かない二人に、ビクッと肩を揺らして息を呑む兎舞。突然、理由も分からず、大袈裟なリアクションで倒れられるというのは、なかなかに怖いものだ。床に身体を伏せたまま全く身動ぎしないのも、よりいっそう恐怖心を煽った。
戸惑い気味に心配気味に見つめていると、よろよろと立ち上がった二人がフラフラと近付き、それぞれのぬいぐるみを兎舞の隣に座らせる。かと思いきや、両手で心臓部を押さえて呻き声と共に苦しみ出した。すると、意味不明な行動を繰り返されて、若干、怯えていた兎舞の口に、オムライスを乗せたスプーンが突っ込まれる。
「あの二人は気にするな。それより、これも食べろ」
「んぐっ」
「このパスタも食べてくれ」
「んむっ」
「高級な肉をステーキにしてみたぞ」
「んんっ」
なんとなく何も入っていないと感じて、兎舞は次々と口元に届く食べ物を食べた。もぐもぐと口を動かして嚥下した後、妖怪の味覚でも変な味や匂いを感じず、複雑な表情でジトッとした目をステーキに向ける。動けない鬼に毒を盛る絶好の機会なのに、どういうわけか身体に何の変化もない。
「……本当に何も盛ってないじゃん」
「最初からそう言ってるだろ。ほら、まだまだあるぞ」
予想通り毒なんて一切入っていない食事に呆れる兎舞に、ステーキを持った人間がもう一口分を差し出してくる。ジュージューと鉄板プレートの上で美味しそうな音を立てていて、食欲を刺激された兎舞は大人しく口を開いた。そんな二人の間に割り込んだ別の人間が、「寒くないか? 味噌汁も飲め」なんて、温かそうな味噌汁を出す。動けない兎舞の口元に寄せられたお椀に口をつけ、コクっと味噌汁を一口飲んでみた。
身体の中にじんわりと広がる温かさが安心感を芽生えさせる。それにより、敵地だということも忘れて油断した兎舞は、ほんの少し頰を色づかせ、フッと柔らかく双眸を眇め、「……あったかいです」と本音を呟いた。大輪の花が咲き綻ぶような完全に気の抜けたふにゃりとした微笑に空気が固まる。もっと味噌汁を飲みたくて用意した男を見上げ、首を傾けて小さく口を開けた。
「今から最高の蟹鍋を作ってやるから待ってろよ!」
「俺はアッツアツの超美味い肉まんだ!」
「人気店のおでん取り寄せてくる!」
「えっ、なに」
可愛らしいおねだりにより復活した男が、味噌汁を投げ捨てて外に駆け出す。次いで、周りに居た組員達も、嫉妬と羨望を宿した瞳にやる気を漲らせ、各々が用意せる物を叫びながら走って行った。ただ味噌汁が欲しがっただけなのに、何故かそれ以外を用意される流れになっている。兎舞は自分の所為だと気付いていない為、展開に着いて行けず困惑気味に背中を見送った。
「兎舞って本当に無自覚魔性だね」
「あっ、ずっきー」
助けに来てくれたであろう水綺が兎舞の頭を撫で、困ったように眉を垂れ下げて微笑む。横に屈み込んだ水綺に気付いて見上げた兎舞の拘束具を楽々と壊し、弛緩剤で動けない身体を軽々と横抱きして立ち上がる。何だか今にも罪のない食べ物を蹴り飛ばしそうな勢いで怒気を放っていた。
「一応、聞くけど、何もされてない?」
「なんか美味しいものをいっぱい食べさせてくれたです。あと、ぬいぐるみも貰った」
「やっぱり、兎舞を囮にするのは今後控えるべきかしら」とボソッと呟いた水綺に萎縮しつつ、兎舞はここであったことを説明する。一通り何をどうやって食べさせられたか説明させられた後、水綺の「よかったわね。だけど、私達の方が兎舞を満たすことができると思うわよ」という言葉と共に、興奮気味の白雪と希威が騒々しさ全開で拠点に降ってきた。
「兎舞ちゃん、うちらの方が兎舞ちゃんの好物をいっぱい集めてるで!」
「さっさと帰ってパーティーと行こうぜ」
「マジで!? パーティーするです!」
徐々に弛緩剤から解放され始めている身を乗り出す兎舞。先程の人間達は誰しも喜ぶ定番の食べ物ばかりだったが、兎舞のことをよく知る彼等なら本当に好物ばかり揃えてくれているだろう。兎舞はわくわくと心を踊らせながら先を走る希威と白雪の背中を指差し、「ずっきー、早く行こう!」と超能力で置き手紙を書いていた水綺に告げた。




