29.異空間を調査する話【Ⅳ】
何度も謝罪してくれた三人に頭をたくさん撫でられ、仕方なく許してあげた後。兎舞は皆を引き連れて五の部屋のドアを開いた。「五の部屋には一体何が待ち構えてるんだ」という緊張感と少しの期待を宿しつつ、部屋の中を覗く。
しかし、五の部屋は中央から壁際まで大きな泉に埋め尽くされており、それ以外、特に興味を惹くものは何も用意されていなかった。一体何をすればいいんだと他の三人と顔を見合わせた刹那、泉から伸びてきた光の縄が希威の腰に巻き付く。そのまま、希威を軽々と空中に持ち上げ、泉の中へと放り投げた。
「う、おおっ!? ああああーーッ!」
「兄さん!」
「希威先輩が泉に引き摺り込まれたわ!」
咄嗟に手を伸ばしたもののギリギリ届かず、希威が悲鳴と共に水飛沫を上げて泉へと落ちる。慌てて泉の方に駆けていく水綺の背を追い掛け、兎舞は鏡みたいに綺麗で透明な水面を覗き込む。白雪は戦慄きながら兎舞の右腕にくっついていた。
と、ブクブクと水面に気泡が浮かんだかと思えば、リプレイの如く激しい水飛沫を上げて登場する希威。意外と浅いのか肩まで水から出ている。一見すると怪我もなさそうで、兎舞は胸を撫で下ろした。水綺が愁眉を開いて希威に声をかける。
「あっ、出てきましたね。大丈夫ですか、希威先輩?」
「えっ、もう一人出てきたで」
「うわっ、三人目です。気持ち悪っ」
しかし、希威の返答よりも先に、白雪の泡を食った声の通り、二人目の希威が登場した。更に、もう一人の希威まで泉から顔を出したことで、兎舞は思わず身体を軽く引いて本音を溢す。兎舞とお揃いの浴衣に身を包んだ見慣れた顔立ちの男達。うっかり苦虫を噛み潰したような顔をしても仕方がないと思う。どれが本物か分からない。
「酷いぞ、兎舞!」
「兎舞、俺が本物だ。信じてくれ!」
「黙れ偽物。俺が本物だ」
すると、兎舞大好きなところまで模倣されているらしく、本物を含めた三人の希威から非難の声と共に迫られる。一人に縋るような瞳で両手で右手を包み込まれ、もう一人に後ろから抱き締められて擦り寄られた。三人目は兎舞の横に居るものの、特に接触してこないで他の二人を引き剥がそうとしている。
全員、見た目だけでなく声も匂いも同じだ。近付いただけでは本物と偽物の区別をつけられない。しかも、煩わしさまで同様の為、兎舞との記憶も共有されているはずだ。即ち、四人だけしか知らない情報を、偽物にも答えられてしまう可能性がある。兎舞は面倒臭い展開に溜息を吐いて三人を振り払った。
「三人同時に喋んなです、もっとキモい」
「本物の希威くんを当てれば良えんかな」
「見分けがつきませんね」
白雪と水綺も本物が分からないらしい。二人とも眉間に皺を刻んで難しい顔をしている。兎舞に冷たく振り払われた三人の希威は、自分を本物だと主張して喧嘩を始めていた。兎舞に〇〇をしてもらっただとか、兎舞と〇〇をしたことがあるだとか、何故か喧嘩の内容が自慢になっている。
「分かった。本物だったら、とまの指示に従えです」
もう一度、溜息を吐き、喧嘩に割って入った兎舞は、三人の希威に案を出した。自分が本物だと信じて疑わない希威から肯きを得て、何を支持するか少しだけ思案する。横一列に並んでもらったうち、一番左の希威の前に手を出して「お手」と言ってみた。
偽物扱いされたくない一心からか、真剣な表情で手のひらを重ねられる。笑いそうになるのを顔を伏せて堪え、真ん中の希威に「おすわり」を告げた。一瞬だけ嫌そうに顔を歪めたものの、きちんと従ってくれたことに吹いて、笑いを堪えきれなくなる。
「フッ、おもろ」
「真面目にやれ!」
「俺達で遊ぶな!」
「兎舞ぁ!」
涙を浮かべて笑い声を響かせる兎舞に、涙目や不満気な顔で詰め寄る三人の希威。残念ながらツボに入ってしまったらしく、全然、笑いを止められない。合間で必死に息を吸い込みながら、目尻から水滴を溢して爆笑を続ける。
口々に不平を鳴らしていた三人の希威は、次第に勢いをなくして兎舞に見惚れていた。涙目で少し頰を色づかせ、気息奄々に笑う兎舞の笑顔が可愛らしくて、釘付けになっているなど知る由もない。止まらない笑い声を何とか収めて、指で目尻の涙を拭ってから、希威を見る。
「分かった、分かった。じゃあ、今から質問するから正直に答えろよ?」
花が綻ぶようなふんわりとした笑みで、コテンと首を傾げられた希威達が息を呑む。兎舞は笑い疲れて掠れた声で希威の名を呼び、どうして驚いているか分からず目を瞬く。が、「まぁ、いいか」とすぐに切り替え、三人の希威達に慈愛に満ちた相好を崩した。
「兄さんはとまに嘘を吐かないって信じてるからな」
信じていると顔にはっきり書いており、眇めた双眸に愛おしさを帯びているのに、仄淡い炎の如く儚気な微笑に面食らう希威。ヒュッという息を吸い込む音が聞こえた。兎舞のことを本当に好いてくれているなら、偽物の希威達は本物だと証明しないだろう。兎舞は微かに緊張した面持ちで問いかける。
「本物の兄さんは手を挙げるです」
「はい」
挙手したのは真ん中の希威だけ。残る左右の希威達は、挙げてしまうのを防ぐ為か、直立不動だ。兎舞は胸から溢れ出る歓喜に口元を弛まされ、思わずふにゃりと気の抜けた笑みを湛えてしまう。満足感を滲ませた顔を綻ばせて、愛情深い甘い瞳を細めた。
「ありがとです、兄さん」
「嬉しそうな兎舞かわいい!」
「ありがたき幸せ」
「見破られたけど悔いはない」
本物の希威が喜色満面に兎舞に飛びつく中、瞼を閉じて腕を組み染み染みと肯く偽物。達観している偽物達にも微笑みかけると、「うっ」と苦し気に呻いて雲散霧消する。偽物達が消えた代わりに挽肉が出てきた。水綺により回収された肉のパックに、兎舞はジトッとした半顔を突き刺す。
「ねぇ。なんか、とま達にハンバーグを作らせようとしてない?」
「確かに揃った材料を使えば作れるな」
スーパーに売っているのをよく見る挽肉を見つめ、異空間の存在理由がよく分からなくなる白雪と兎舞。まさかハンバーグを作らせる為だけに、こんな手の込んだ部屋や謎解きを用意したのだろうか。
水綺と白雪が肉のパックから顔を上げ視線を合わせる中、希威だけ兎舞にくっついたまま上機嫌ですりすりしている。兎舞が嬉しかったのと同じぐらい希威も嬉しかったらしい。何だか面映くなって兎舞は口実を考えて離そうと試みる。
「それより兄さん、抱き着くなです。とまも濡れる」
「何故か濡れてないから問題ないぜ!」
「えっ、あれ? マジだ」
首筋に顔を埋めて匂いを嗅いでいた希威の言葉にキョトンとした兎舞は、肩口に額を擦り付けている彼の背中に腕を回して浴衣に手を滑らせる。確かに、泉の中に引き摺り込まれたのに全くもって濡れていなかった。壁も床も真っ白なこの空間は、本当に不思議なことばかりだ。




