22.妖怪化したトーストと戦う話
「食器の上?」
目を覚ますと大きな皿の上に居た。殴っても割れない食器の上に立ち、辺りを見渡した希威の視界に兎舞と白雪が映る。薄氷を踏むような思いで移動し、スヤスヤと気持ちよさそうに眠る二人を起こした。寝惚け眼の兎舞に本気で皿を割ってほしいと頼んでみたものの、寝起きだからかそういう素材なのかヒビすら入らない。
「無駄だよ、君達は僕の世界に囚われている。条件を満たさなければ出られない」
四枚切りを二枚重ねたみたいな太さの巨大な食パンが、余裕綽々の笑みを咲かせて何もないところから現れた。またもや、妖怪化した食べ物が敵らしい。しかも、今回は顔付きである。が、動いて喋ることにも、表情豊かなことにも、驚かなくなってしまった。希威は面倒臭さを顕にした顔で、苛立ちを刺激する笑顔の食パンに話しかける。
「やっぱり、さっき急激に眠くなったのは、お前の技だったのか」
「ねぇねぇ、食パンが喋って動いてることにはツッコまなくていいの?」
「だって今更やし」
「人間は全員閉じ込めて、一生、食パンしか食べられない生活にしてやるんだ。君たちは被験者だよ」
希威と食パンの駆け引き中、顔を寄せ合って声を潜めた兎舞と白雪が、動く食べ物問題について話している。二人の話題の中心となっている食パンは、左右から伸びた両腕を広げて、恍惚とした表情で理想の世界について語っていた。スッと双眸を眇めて三人を指差す食パンに、希威はダメ元で此処から出る方法を聞いてみる。
「出る条件は?」
「飛んでくるトーストのうち、苺ジャムを塗ってあるトーストを食べれば、この空間から出られる。ただし、苺ジャムを塗っていないトーストを食べた暁には、二度と此処からでられなくなる」
「ああ、そうかい。けど、お前を倒せばそんなまどろっこしいことをしなくても出られるだろ!」
素直に条件を吐いた食パンを好戦的な瞳で睨み、希威は真っ黒焦げにしてやろうと手から炎を出した。近距離専門の兎舞と違って、希威の炎は遠距離の敵にも届く。巨大食パンから余裕の色をなくす為、炎を操って攻撃しようと試みる。が、前に手を突き出した食パンが機先を制した。「無駄だ。この空間の僕は何でもできる」と宣った刹那、両手足が光を帯びる。
「うおっ!?」
「へあっ!?」
突然、滑った希威は兎舞を巻き込んで転んだ。自分に押し倒されて「何すんです、兄さん!」と怒る兎舞に、「悪い、何かで滑った」と謝罪を述べながら立ち上がろうとする。が、手の平と足の裏に何かあるのか、氷の上にでも居るみたいに滑って力が入らない。
何度も滑っては兎舞の身体に顔を埋める羽目になった。柔軟剤の良い匂いは悪くないが、戦闘中故、非常に困る。転ぶたびに希威に抱き締められて抜け出せない兎舞と、ギャグ漫画のように滑りまくっている希威を見て、食パンが得意満面な表情で口元に弧を描く。
「君の両手足にマーガリンを貼り付けたんだ。もう立つこともできないだろう?」
「くっそ、マジでぜんっぜん立てねぇ」
踏ん張ろうとしても支えとなる両手足が使い物にならない。兎舞の上に乗っかったまま、手の平に目を向けてみると、確かに正方形のマーガリンがあった。取ろうと引っ張っても、身体の一部みたいになっているらしく、痛いだけで取れる気配など微塵もない。
瞬間、「兄さん、何回落ちてくんです! 痛いから動かないで!」と、不平を鳴らした兎舞にギュッと抱き締められてしまった。今までにない近距離から漂う良い香りが、鼻腔を通って脳髄を直接叩いてくる。何だかクラクラしてきた思考を必死に理性で繋ぎ止める。
「兎舞ちゃんと希威くんは頼りにならへんなぁ。一人でやるしかないか」
「シロさん一人なんて絶対に無理じゃん! もうちょっとで抜け出せるから待って!」
「お前、こんなところでやらかすなよ!?」
そんな二人の側に屈んだ白雪のやれやれといった表情に、兎舞と希威は泡を食った声で慌てながら離れようと藻掻いた。白雪は死神としての力を持っていて非常に頼りになるのだが、大切な場面でやらかす回数が四人の中で一番多いのである。二人とも動けない状況でポンコツを発揮されたら、脱出するチャンスを完全に失ってしまうだろう。
「誰がポンコツや!」
「いや、そこまでは言ってないです」
ぷんすか怒る白雪に兎舞が半眼で否定した。そんなコントみたいな喧嘩をする三人を、肩透かしを食ったように見ている食パン。かと思えば、ニヤリと口角を吊り上げる。不貞腐れる白雪に勝ち誇った顔を浮かべて、兎舞と希威に向けて右手を前へと突き出した。
「他にもこんなことだってできるよ」
「おわあぁぁっ!?」
「パンの耳、でっけぇ!?」
「ふふっ、これであの二人はしばらく動けない。では、始めようか」
上から降ってきた巨大なパンの耳に降られ、兎舞と希威の身体に重石として乗り掛かる。細長い棒状のブロックが隙間を埋め、複雑に絡み合っていて動けない。それを見て不敵な声で好戦的に挑発するトーストに気圧され、白雪が途端に余裕の色をなくし、希威と兎舞の方に縋るような眼差しを向けた。
「ちょっ、待って。いざ一人でやるってなったら、めっちゃ緊張してきたんやけど。き、希威くんか兎舞ちゃん、こっち来てぇ!」
「パンの耳がベッタベタで動けないです」
「俺に至ってはマーガリンで立てもしねぇ。頑張れ、白雪」
「緊張を膨らませること言わんといて!」
まるで緊迫感を感じさせない声色で、動けないことを主張する兎舞と希威に、白雪が涙目で泣き言を漏らす。そんなことを言われても、上に乗った兎舞が動けないと動けないし、そもそも足の裏に力を入れられない。
希威は兎舞と一緒に、「がんばれー」と無気力な声で弱気な白雪を応援する。と、どこからともなく『もしもーし、聞こえるかしら? 水綺だけど』という緊張感のない声が部屋全体に響いた。希威にくっついたままの兎舞が、キョロキョロと辺りを見渡して首を傾げる。
「ずっきーの声?」
「なっ、僕の無敵の空間にどうやってアクセスを!?」
『ちょっと時間はかかったけど、空間の主導権を乗っ取りました。苺ジャムを塗ったトーストを渡すから、さっさと食べて出てきて下さい。あっ、ちなみにこっちで寝てる三人の身体は、私が守ってるのでご安心を』
目を剥くトーストを無視した水綺の声に、ようやく出られると肩の力を抜く希威。一人だけ回避したうえ、敵から主導権を奪い取るなんて、流石、頼りになる超能力者である。初めて会った頃、本気で命を狙われていなかったことに、心底安堵した。しかし、敵にも聞かれてしまっている為、トーストが左右から生えた手を前に突き出す。
「ぐっ、させるか! ぎゃうっ!?」
「パンの耳が全部あっちに行ったです」
「水綺が助けてくれたのかもな」
が、希威と兎舞の動きを止めていたパンの耳が、全部、トーストの方へと飛んで行った。敵の食パンが大量のパンの耳に押し潰される。希威の足の裏にくっついていたマーガリンも、食パンに貼り付いていた。潰された蛙みたいな声と共に姿を消した食パンに、兎舞がキョトンとして目を瞬く。希威は何となく水綺のお陰だと察した。
「希威くん、兎舞ちゃん。このトースト、めっちゃ美味しいで」
「もう食ってる!?」
「とまも食べよっと」
目をキラキラと輝かせた白雪に目を剥いた希威の横で、兎舞までもぐもぐと食べ始める。何の警戒心もなく、得体の知れないトーストを食べる二人は、顔を綻ばせて舌鼓を打っていた。水綺が仲間である三人に危険なものを食べさせることはないだろう。そう信じて希威もトーストを食べることにする。苺ジャムを乗せた食パンは物凄く美味しい。うっかり夢中で食べ進めているうちに、水綺と逸れる前の場所に戻って来ていた。




