2.初めて出会った頃の話【Ⅱ】
「てめぇ、兎舞に何しやがった!」
「落ち着いて、眠らせただけだから。私が解かないと二度と目覚めないけど」
「なっ」
「この子を起こしてほしければ、私の話を聞いてくれない?」
水綺は殺意を漲らせて炎を纏う希威に説明し、深い眠りに落ちた兎舞を人質に交渉を始めた。補佐役かと思っていたが、結界の代わりに周囲に浮かぶ炎を見るに、希威もそれなりに戦えるらしい。
この中で役立たずなん俺だけやんと、白雪は不貞腐れる。すると、鋭い視線を突き刺して睨んでいた希威から、怒りと殺気が消えた。怒髪天を衝かれた頭でも不利な状況だと理解したらしい。
「……——分かった。ただ、誓って何もしないと約束するから、兎舞を返してくれ。信用できなければ、俺を縛ってくれていい」
「まぁ、この子がうちらのそばに居ったら集中できひんやろな」
「そうね、返すわ」
落ち着きを取り戻した希威が、悲痛な表情で縋るように懇願するように、水綺の腕に囚われた兎舞の返却を要求する。依存を疑うほどの必死な訴えに、本当に大切な仲間なのだと察した白雪と水綺は、気持ち良さそうに熟睡中の兎舞を希威に返却することにした。希威が警戒心を強めつつ水綺のそばに行き、赤子を扱うみたく丁寧に兎舞を横抱きで受け取る。
手元に戻ってきた兎舞の端正な寝顔を見下ろし、寄せて脱力した身体から伝わる彼女の体温を感じ、ようやくホッと安堵の息を吐いて座り込んだ希威。はあぁぁぁぁと深く溜息を吐いて肩の力を抜き、安心しきった顔で眠る兎舞の頬に手を添える。そして、水綺が横抱きしていた時より頰を緩めた兎舞の、ところどころにある傷を癒やし始めた。
「で、話って何だ?」
「私と契約を交わしてほしいの。ここに来たのは、二人を勧誘する為なのよ」
兎舞を淡い緑色の光で包みながら本題に入った希威に、水綺は目的を告げた後、何でも屋について説明をする。何でも屋の仕事は至って簡単。警察の介入が難しい事件の解決、犯罪組織や怪しい研究所の破壊などだ。事務作業と依頼解決を全て二人でこなしている現状、白雪も兎舞と希威には是非とも何でも屋の一員になってほしいと思う。
「どうかしら? 私と契約してくれる?」
「……兎舞が眠らされてる以上、拒否権はねぇんだろ?」
愛想の良い笑みを浮かべて手を差し伸べた水綺は、普段通りの優しい雰囲気を醸し出しているのだが、眠り続ける兎舞の影響で希威の警戒心を解けていない。既に彼女の回復を完全に終えているようで、兎舞は本当にただ眠っているだけみたいに見える。少し寒いのか希威に擦り寄り丸くなっていた。
「そんなことはない……とは、言い切れないわね」
困ったように顔を綻ばせて、自分の頬を人差し指で掻く水綺。白雪も契約を交わす前に体験したことなのだが、彼女は諦め悪く目的の為なら手段を選ばない。しかも、兎舞との一騎打ちにより、物欲を更に刺激されている。二人を逃そうとするわけがない。
穏やかな表情の水綺から何かされると勘繰った希威が、兎舞を守るようにギュッと抱き締めて身体を硬くする。初めから水綺と白雪に敵意などないのだが、希威は一触即発の空気を纏いながら戦闘体勢に入っている。森閑とした雰囲気に包まれた山の中、水綺と白雪はどうしようかと互いに顔を見合わせた。
「んんぅ、兄さん……とまの牛タン、返せよぉ……」
刹那、希威の腹部に顔を埋めて丸まっていた兎舞が、ゴロンと仰向けに寝返りを打って空に手を伸ばし、ふにゃふにゃとした声色で拗ね気味に寝言を溢す。不意に静寂を破った間抜けな寝言に、希威がキョトンとして何度か瞬きをし、肩透かしを喰ったような顔で緊迫感を和らげた。
「俺が究極の選択を迫られてる時に、呑気に変な夢を見てんじゃねぇ。つーか、催眠状態でも寝言とか言えるのかよ」
「まぁ、基本的に寝てるだけだからね」
「どんな夢を見とるんやろな」
天に伸ばされた手に黒猫のぬいぐるみを持たせ、希威は呆れながら少し乱れた兎舞の髪を優しく撫でる。気を削がれた希威から殺気が消えたのを見計らい、水綺と白雪も二人に近付き兎舞の寝顔を眺めた。お気に入りのぬいぐるみと希威の手により、不満気だった顔をへにゃりと緩めて眠っている。
枕ほどある大きめの人形をギュッと抱き締め、再び横向きになって丸くなった兎舞の可愛さに、水綺と白雪は思わず頰を緩めてしまう。温和な視線を送りながら、クゥクゥと眠る兎舞を見ていると、希威が水綺の方に自分と兎舞の右の手の甲を突き出した。
「……契約するんだろ? さっさと紋をつけてくれ。俺はこれから牛タンを用意して、急いで焼かなきゃいけねぇんだ」
「もしかして、夢の中の希威くんが食べたから? そんなんで牛タンを買うって、この子を甘やかしすぎちゃう?」
「仕方ねぇだろ。兎舞と一緒に居れば居るほど、甘やかしたくなっちまうんだ」
成立した契約にぱあっと子どもみたいに顔を輝かせた水綺が、差し出された希威と兎舞の手の甲にそれぞれ契約の印をつける中。夢の話なのに彼女に詫びようとする希威が、理解できないと眉根を寄せた白雪に惚気る。紋をつけられても熟睡している兎舞の髪を梳き、愛情を乗せた双眸を柔和に眇めていて、物凄く二人の周りに広がる空気が甘い。
「引いてるみたいだが、あんたらもすぐこうなるぜ。俺が予言する。兎舞とこれから過ごすからには、二人もすぐに甘くなるさ」
確かにぬいぐるみを胸に抱いて猫みたいに丸くなる姿も、少年みたくあどけない整った美しさを持つ寝顔もかわいい。が、あまりのデレデレっぷりに顔を引き攣らせていた白雪に、やけに得意気で勝ち誇った希威が悪戯っぽく口を吊り上げる。白雪は何を馬鹿なと冷ややかな瞳で呆れていたが、希威の言う通り数日で兎舞を甘やかすことになった。