17.お菓子作り対決をする話
「あれ? 子供達が一人も居ないです」
「もう教室に戻ったんじゃねぇか?」
猫の形のクッキーを乗せた天板両手に、体育館に戻ってきた兎舞がキョトンとする。全校集会の為、列を成していた生徒達が、軒並み雲散霧消していた。壁際に佇む教師は残っており、皆、焦燥に駆られた表情で悔しそうに歯噛みしている。何があったのか分からず、兎舞と希威は顔を見合わせた。
兎舞が小学校の体育館でお菓子を持っている理由。それは、妖怪化したチョコチップクッキーに、クッキー対決という意味不明な勝負を挑まれたからだ。家庭科室を借りてのお菓子作り。兎舞は普段、あまり料理をしない為、希威も手伝いつつ、何とか綺麗な形に焼くことに成功した。生徒達の反応を楽しみにしながら体育館に来た兎舞が、驚きの他にほんの少し悲しさを滲ませている。
「クックック、遅かったな。子供達はみーんな、自分自身がクッキーになるほど、このお菓子にしか興味がなくなった」
手足を生やした巨大チョコチップクッキーが高らかに笑う。確かによく見れば、彼の周りに一口サイズのクッキーが大量に居た。床に散らばった通常サイズのチョコチップクッキーに群がっている。希威は教師陣の焦りの意味を理解した。
子供達を人質に取られている所為で、チョコチップクッキーをどうにかしたくともできないのだ。こういった摩訶不思議な事件の解決は希威達の担当。手を出したくとも出せないもどかしさで、悔しがっている教師の代わりに、希威は威圧的な態度でクッキーを睨め付け目的を問う。
「クッキーになる薬でも盛ったんだろ。そんなことしてどうする気だっつーの」
「決まっている。俺様のクッキーにしか魅了されなくなり、クッキーの為に言うことを聞く奴隷にするのだ!」
「ご丁寧にどうも。なら、見過ごすわけにはいかねぇな」
クッキーは人質を手に入れた余裕からか、勝ち誇った声であっさりと計画を吐露した。まだ人間に化けている姿のまま故、希威と兎舞にも勝てると思っているらしい。嘗め腐った態度のチョコチップクッキーに青筋を浮かべ、希威は妖狐の姿に戻る。敵と教師陣の間にどよめきが起こった。
炎を纏って黒焦げにしてやろうと双眸を光らせると、チョコチップクッキーが身体を強張らせる。人質は兎舞に任せようと、彼女の方に視線を向けると、まだ人間に化けたままだった。何やらしょんぼりと肩を落とし、寂しそうにクッキーを見つめている。兎舞が仄淡い焔の如く儚く微笑む。
「そっか。じゃあ、とまが頑張って作ったお菓子は、誰も食べてくれないんだな……」
「そ、そんな庇護欲を擽る顔をしたってなぁ、俺様のクッキーから離れるわけ……」
たじろぎながらも強気な態度を崩さないチョコチップクッキー。しかし、幾つかの一口サイズのクッキー達が、生やした足を懸命に動かして兎舞に駆け寄って行く。足元に群がる一口サイズのクッキー達に視線を向け、希威は良かったなと告げるように兎舞の頭をガシガシと撫でてやった。
「おっ、何人かこっちに来てくれたな」
「とまのお菓子、食べてくれるです?」
不安と期待を入り交ぜた瞳でミニクッキーを見つめる兎舞に、彼等が大きく手を上に挙げて必死にパタパタとアピールする。ぱあっと顔を明るくさせた兎舞は、喜色溢れる顔を嬉しそうに綻ばせ、天板を床に置いてクッキーを一つ差し出す。
「はい、どうぞ!」
薔薇みたいにありったけの笑みを浮かべ、物凄く弾んだ声でミニクッキーを餌付けする兎舞。ミニクッキー達が恐る恐る集まってきて、サクサクと兎舞の自信作を食べ進めて行く。どうやら美味しかったらしく、パタパタと両腕や足を使って主張していた。
上手く伝わった様子の兎舞が、「美味い? 本当? ふへへっ」と、口元を幸せそうに緩ませてお代わりを渡す。可愛い。兎舞をもっと喜ばせたい一心だろう。ミニクッキー達の食べるスピードが早まった。しかも、チョコチップクッキーの周りに居た他の一口サイズのクッキーも、興味津々に兎舞の前に置かれた天板の方に走って来ている。
「くっそぉ、卑怯な手ばかり使いやがって! そんなに美味いなら、俺様に一口よこせ!」
「いいよ。はい、あげる!」
ズカズカと大股で寄ってきたチョコチップクッキーが、満面の笑みを浮かべた兎舞から菓子を乗せた天板を差し出される。お日様のように明るく眩しい兎舞の笑顔で、まるで直に眩しいものを見たみたいに、手の甲を目であろう部位に当てている。目鼻口らしきものが視認できないが、どこからどうやって食べるのだろうか。
ちなみに、生徒達であるミニクッキー達は、もともと人間だったからか口だけ存在している。まぁ、チョコチップクッキーを食べさせる為に変化させたのだから、食べる部分をつけるのは当然なのだろうが。どうして本人にはつけなかったのか。希威は少しだけドキドキしながら、兎舞のクッキーを睨め付ける敵に注目する。
悔しそうに唸っていたチョコチップクッキーは、兎舞お手製の猫型クッキーを自分の身体に押し付けた。刹那、沼に沈むみたいにズブズブと敵の身体にクッキーが吸い込まれていく。真ん中より下に捩じ込んでいる為、もしかすると口なのかもしれない。
希威は興奮で心を踊らせながら、吸収されていくクッキーを熟視する。今まで様々な妖怪や実験を見てきたのに、ちょっとしたことで凄いとはしゃぐ子供に戻った気分だ。兎舞も面食らった表情で赤い瞳を瞬いている。かと思えば、全て飲み込んだ直後、キラキラとした期待に満ち満ちた瞳で、チョコチップクッキーに詰め寄った。
「ねぇねぇ、美味しいです?」
「……こんなの美味いに決まってるだろうが、チクショォォォォォ!」
わくわくしながら器用に覗き込む兎舞の可愛さに負けたか、猫型のクッキーが想像以上に美味しかったのか分からない。ただ、チョコチップクッキーは見事に兎舞との勝負に屈して、生徒達を元に戻してから涙を流して悔しそうに走り去った。兎舞が小さく拳を作ってガッツポーズをしている。
家庭科室を借りてクッキーを作った際、手伝ったものの味見はしていない。そんなに美味しいのであれば、あとで希威も貰おうと思う。元に戻ったことに気付いていない様子の生徒達が、猫型クッキーを求めて天板に群がり、兎舞に幸福感溢れる笑顔を咲かせていた。とても嬉しそうで愛らしい。教師陣も胸を打たれており、我が子を見る親のような微笑ましそうな顔だ。
「帰ったこと水綺に報告しとくか」
「子供達が奴隷にされなくてよかったね、兄さん」
逃したことに変わりない為、希威は携帯で水綺に連絡を入れる。きっと彼女のことだ。既に依頼料をもらっているからと、チョコチップクッキーの逃走経路を割り出し、容赦なく妖怪化から解いてしまうのだろう。別に同情の気持ちはない。
ないのだが、クッキーを通じて愛着が湧いたらしく、走って行った方向を寂しげに見た兎舞に、戦わずに済んで良かったねと破顔されてしまった。これは、あれか? 希威が水綺と白雪を説得して、チョコチップクッキーを見逃すよう頼むべきか? 否、兎舞が知らなければ何の問題もない。希威は心を鬼にして交渉文を削除した。




