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30グラムは多すぎる

作者: cahier

 1

「三寸の舌に五尺の身を亡す」とは言うが、実際に身を滅ぼした人を見たことがない。なんて言っていられたのもすでに長い歴史の波の中、今では言葉は時間という軸から解放され、電子計算機群の巨大な雲海にただよい、衆目に晒され続けている。三寸の舌で身を滅ぼした例は枚挙にいとまがない。


 シェアオフィスやどりぎは、千葉県くぬぎ市の中央部に位置するくぬぎ駅から徒歩10分、創業10年を数える。このあたりでは一番古いシェアオフィスで、コロナ禍のテレワーク需要で繁盛したが、人類が疫病と共生する術を身につけていくにつれ、館内は閑散とするようになった。その受付のアルバイトは、顧客との雑談や事務作業、掃除が主な仕事であり、とりわけ仕事がない日はとにもかくにも暇なのである。


「思うんだが、早番が二人体制なのに意味は存在するんだろうか。」


 ある8月の昼下がり、喫煙所でのマナーは守りましょう!というポスターを作っていた僕に話しかけたのは、同じ大学生アルバイトの足立健太郎である。足立は、都内の大学の文学部で平安文学を学んでいるらしい。それにしては日焼けしてガタイがよく、足立が大学で何を学んでいるかを当てられる人間は、100人に1人もいるかどうかではなかろうか。このシェアオフィスの受付のバイトを始めたのは、楽そうだったから。確かにその通りではあるが、もっと活動的な人間に見える足立から聞いたこの理由は新鮮だった。僕はそういった心持ちは嫌いではなかったし、歳も近いこともあってよく雑談をする仲になった。


「一人でいたら昼飯を外に食べに行けないじゃないか。それは困るよ。」


 適当に返事をしてポスターのデザインを考える。このご時世には珍しく、手巻きタバコを吸う客がいるようで、喫煙所によくタバコ葉がこぼしたままで放置されているのが問題になっているのだ。題字は赤にした方がいいだろうか。


「暇なんだ、何か面白い話はないものか。」


 夏休み、他の主婦のパートさんたちは子どもたちと過ごすと言って長い夏休みをとっている。代わりに僕と足立は連日シフトインし、お互いのエピソードトークのネタなんぞとうのとっくにに尽きている。


「あれば退屈はしないだろうけどね、君に話すことは全て話したよ。大体、昨日も同じことを言っていただろう。たった一日で面白い話なんぞふって湧いてくる物じゃないよ。」


「まあそう言うな新谷。お前はポスターを作ってるからいいだろうが、俺はただ座っているだけだ。これで給料をもらえるのが嬉しいような申し訳ないような気持ちを抱えてあと三時間待機なんだぞ。気の利いたことの一つや二つ話してもらう権利がある。」


 新谷というのは僕の苗字だ。名を義彦という。足立とは違う都内の大学に通う僕だが、専門は日本中世史で、何かと足立とは話が合うのだ。休日に二人でどこかへなんてことはまだないが、同い年の足立は気安く話せる数少ない相手でもある。しかしそれにしても、僕がポスターを作っているのは僕が奪い取った仕事だからではない。足立は機械に弱いので、パソコンでデザインするなら自然と僕の仕事になる。適材適所の結果に僕が負うべき義務などない。


「暇なら掃除でもしてきてくれ。もうちょっとで僕の方も完成するよ。」


 これが完成したらまた暇になってしまう。そう思った時、客席から大きな声が聞こえてきた。


「30グラムは多すぎる!5分後のに乗るからそこを動くな。」


 電話に向かって早口で捲し立てていた客は40歳くらいの男だった。お世辞にも良いとは言えない薄いスーツに身を包み、開いていたノートパソコンをロッカーに入れ、足早に退館手続きをしてオフィスを出ていく。名前こそ覚えていないが、彼もまた今我々を悩ます喫煙所を利用する一人だった気がする。


「なんだい、あれは。」


 足立が口をポカンと開けて男の背中を見送る。


「いくら迷惑でもお客様に対して”あれ”はないよ。」


 曲がりなりにも接客業なんだ。しかもこの受付は存外声がよく通る。今日の利用客は20人程度、先ほどの大声に驚いていた他の利用客も、何事もなかったかのようにパソコンに向かっている。足立は頭だけこちらに向け、抗議の念がこもった表情を浮かべて言う。


「それは今本質的な問題ではないだろう。その”お客様”の言った言葉、聞いていたか?」


「聞いていたさ、仕事で何かトラブルが起きて、思わず激昂したけれどここがシェアオフィスであることを思い出し、周りの迷惑にならないように外で電話をしに行ってくださったお客様だ。そのまま大声で電話し続けるような迷惑な客に比べたらまさに神様だね。」


「俺は行動じゃなく言葉が気になったんだよ、新谷。」


 足立はとびきりの笑顔でこちらを見る。面白そうなものが見つかったという表情で。


 2

「いいか、岡本はこう言ったんだ。『30グラムは多すぎる!5分後のに乗るからそこを動くな。』だ。なあ新谷、岡本はどういう電話をかけていたんだろうか、30グラムが多すぎるなんてことあるか?」


 足立がこちらを見ている。あの男岡本というのか、知らなかった。うん、ポスターも完成してしまった。あとは印刷して貼るだけだ。それに足立にこう言われると、というよりか謎が提示されると放って置けないのが僕の悪い癖だ。いつかは慎まねばなるまい。とは言え今は、いいだろう、受けて立ってやろうじゃないか。


「まず。」


 右手の人差し指を足立の顔の前で立てる。


「思いつくのは料理の話だね。大さじが一杯何グラムか知っているかい?」


「さあ、気にしたことなかったな。俺の料理はいつも感覚だから。」


 まあ僕も製菓以外でいちいち調味料を計ったりはしないが。


「15グラムだよ。大さじ二杯の塩と砂糖を間違えたら、そりゃあ多すぎるってことになるだろうね。」


 とは言えその可能性は低い。大の大人が塩と砂糖を間違えた人間に電話口で怒鳴りつけるようなシチュエーションは想像ができない。足立も不承知というように腕を組んで考えている。こいつはいつもそうなのだ。自分で議論をふっかけておいて、本人は話を聞きたがる。


「30グラムで多いものか・・・次に考えられるのは毒の類だね。」


 足立は魚のように口をポカンと開けた。その表情がおかしくて思わず笑うと、足立はムッとしたようにこちらを睨む。


「随分と物騒な話だ。岡本が誰かを殺そうとしていると?」


「まあ落ち着けよ、薬や毒なら用量が数ミリグラムってのもおかしな話じゃない。たとえばトリカブトに含まれるアコニチンは大体5ミリグラムぐらいが致死量だったと思う。30グラムと言ったら6000倍だ。多すぎるね。」


 足立は少し考えた素振りをみせた後、頭を横に振った。


「いや、だとしても多すぎるってのは悪いことじゃないはずだ。いや倫理道徳的には毒を盛るのは悪いことだが、相手を殺したいと思っているなら毒の量が多くたって困りはしないさ。」


 僕も本気で言ったわけじゃない。


「じゃあ助けたかったんだ。致死量に届かない程度の毒を盛って相手を痛めつけたいくらいの気持ちの場合、3グラムは多すぎるってことになる。それに毒の種類だって何かは分かりやしない。」


 岡本はそれにも頷かない。


「流石に無理があるだろう。第一、量だけの問題なら岡本がわざわざ出向かなくたって調整できる。」


 なるほど確かにその通りだ。これは本気で考えなければ足立を納得させられるような答えは出ないだろう。せっかくの暇つぶしだ。どうせなら足立を納得させてやりたいという感情が、僕の脳細胞を動かし始める。


「やっぱり謎解きは基本の確認からだね。岡本さんだっけ?何をしてる人なのさ。」


 足立は頭をかきながら申し訳なさそうな顔をする。


「確か岡本大輔とか言ったな。いや俺も入会の時に担当しただけであんまり覚えてはないんだが…。貿易商をしているとか何とか。家庭菜園が趣味らしい。ちょっと待て、調べる。ヒアリング内容もメモしていたはずだ。」


 そう言うと受付のデスクトップパソコンで顧客管理システムを立ち上げた。果たしてこれは個人情報の私的利用になるんだろうか。などと考えていると、足立が「あったぞ。」と声を上げた。お目当てのページが見つかったらしい。


「やっぱりそうだ。岡本大輔、45歳独身。美術品の貿易商で、よく海外に行くので休会などする可能性ありと書いてある。」


「なるほど、じゃあ問題文に戻ろう。」


 そう言って手元のメモ用紙に『30グラムは多すぎる!5分後のに乗るからそこを動くな。』と書く。そして基本情報をその周りに書いていく。貿易商、独身、家庭菜園、海外。


「30グラムは多すぎるというところだけれど、たとえば、何かをを10グラムしか使わないところ30グラム用意してしまったのであれば、20グラム分けるか捨てればいい話だ。それができないということは、岡本が指し示している物質が気体などの分けるのが困難な物質なのか、岡本がもともと30グラム未満しか用意していなくて、今になって急に30グラムを要求された場合かの二通りだね。」


「なるほど、続けてくれ。」


「しかし岡本は今から電話相手のところに行こうとしているようだ。『そこを動くな』と言っているからね。つまり、彼が現場に到着しさえすれば事態は何らかの収拾がつくということだ。いくら何でも水上置換の実験装置を持ち歩いているような人間はいないだろうし、追加分を急いで持っていこうとしていると考えた方が自然だね。」


 足立はじっと考えている。そして頭を横に振った。


「だが今日の岡本は鞄を持っていなかった。パソコンはロッカーにしまっているからだろうな。常に追加分の何らかの商品をポケットに入れる人間はいないだろう。」


 痛いところをつかれたと思った。確かに物質が何であれ、商品の在庫を鞄にも入れずに持ち歩く人間はそういない。だとすれば…。


「だとすればだ。電話の相手はその30グラムの物質を捨てることができないんだ。捨てるのが惜しい物なのか、捨ててはいけない化学物質なのかだよ。」


 いや、それはおかしい。だったら分けて持っておけばいいのだ。わざわざ岡本が現場に向かう必要はない。


「…暇つぶしで始めたはずが結構難しい謎だねこれは。ひとまずそれは置いておこう。『5分後のに乗るからそこを動くな。』という文章に注目してみようか。」


 足立が頷く。


「まず、5分後のにと言っていることから、タクシーなどではなく定期的に運行されている交通機関に乗るつもりだったんだろう。」


「そうだな、だがここから駅までは5分以上かかる。電車でもないとするとバスしかない。」


 足立はそう言うとパソコンでバスの時刻表を調べ始めた。だが、すぐにガッカリした様子で首をひねる。


「岡本が出て行ってから5分程度で出発する路線バスはないな…。」


「空港バスはどうだい?」


 くぬぎ市は成田国際空港と同じ千葉県で、かつ人口がそこそこ多いということもあってか空港への直通バスが出ている。このシェアオフィスやどりぎから歩いて3分程度の場所に発着場があったはずだ。足立がそれがあったか!と叫んで検索をかける。


「あったぞ、1時間に一本、同じ感覚で出ているみたいだ。時間的にもちょうど合うな。」


 岡本は空港に向かった。30グラムの何かを受け取るために。


「整理しよう。電話相手は今空港にいて、30グラムでは多すぎるものを持っている。それはとても貴重なものだ。捨てることができず、そして機内に持ち込むことができないもの。だが10グラムなら機内に持ち込めて30グラムでは持ち込めないと言ったようなものは思いつかない。」


 足立の眉間に皺がよる。僕もきっと同じような表情をしているんだろう。僕と足立はお互いに黙って考える。客席のざ喚きと聞き慣れた館内BGMが妙に耳に残った。数十秒の時が流れた後、足立が重々しく口を開いた。


「新谷、俺が思うにこれは、何か危険な話じゃないか?」


 足立の小声の確認に、僕はゆっくり頷いた。


「グラム単位で取引され、捨てるに惜しいほど価値が高く、そして機内に持ち込めないもの。つまりはバレるとまずいもの。僕は麻薬ぐらいしか覚えがないね。」


 先程までの館内のざわめきが、その瞬間止まったように思えた。


「いや、だがそれはおかしい。その推理には穴があるぞ。」


 そんな空気を打ち消すように、足立が幾分か青白くなった顔を近づけてきて反論を開始した。


「一般論としてだ、日本は麻薬を密輸されることはあっても密輸することはないんじゃないか。海外から仕入れてそれを海外に売るとしてもだ、リスクが大きすぎるだろうしそれで金になるとは思えない。」


 もっともな意見だ。だが足立は自分で言ったことを忘れている。海外から仕入れていたのでは無いとすれば?残る可能性は一つしかない。


「作っていたんだろうね、自分で。」


「なぜそんなことがわかる?」


「家庭菜園が趣味だったらしいから。」


 足立はハッとした表情で言葉に詰まる。


「大体趣味が家庭菜園っていうのはおかしな話なんだ。岡本は独身なんだろう?そしてよく海外に行く仕事をしている。家を長期間空ける人間がする趣味じゃない。ということは岡本の他に植物の世話をする人間がいたか、海外に行っていないかだ。ひょっとしたら組織的な計画なのかもしれないね。いつもは岡本が運んでいたのに今回は別の人間が行くことになった。そしてそいつは空港を通過するには危険なほど多くの量を運ぼうとしたんだ。岡本は露見することを恐れてすぐに空港に向かった…。まあ、量が少なければバレないというのはただの憶測だけどね。」


 自分で言っておきながら、あまりに突拍子も無い推論だと思う。


「つまり、岡本と電話相手は麻薬密売、生産に関わっており、日本国内から海外に栽培した麻薬を密輸している。今回は電話相手がミスをした。普段よりも多い30グラムの麻薬を運び出そうとしたんだ。リスクが高すぎることを恐れた岡本は、多すぎる分を回収するため急いで空港に向かった。…僕の推論だ。」


 足立は顎に手を当てて俯いている。これまでの話の矛盾点を見つけようとしているように。いくら暇つぶしだからといって、客を犯罪者と決めつけるように言い放ったのはやはりまずかっただろうか。そんなことをぼんやり思いながら、足立の考えがまとまるのを待った。


「30グラムは多すぎる、5分後のに乗るからそこを動くな。」


 呟くように足立が言った。


「…真実がどうかはわからないが、確かに筋は通っている。流石だ新谷。推定と想像の産物だが、今の俺はお前のいうことに納得できたよ。ありがとう、いい暇つぶしになった。」


 気がつけばそろそろ遅番との交代の時間だ。足立は満足したと言った表情で日報を書き始めた。我々の想像で客を告発することなどできないし、きっと真実はもっと陳腐で平和的なものなのだろう。理屈と膏薬はどこにでも付く、いや柄のない所に柄をすげると言ったところだろうか。僕も、足立も、岡本が麻薬密輸組織の一員だとは本気では信じていない。だがもし…。


「ここで吸うのは勘弁してもらいたいものだね。」


 喫煙所でのマナーは守りましょうというポスターを印刷しながらつぶやく。あの落ちていたたばこ葉は、末端価格でいくらなんだろうか。



 翌日、「成田空港で大麻30グラムを押収」というネットニュースを見た僕たちは顔を見合わせた。灰吹きから蛇が出た。そんなことを思った。

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