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嬉しくも緊張する味。


 早紀さんと一緒に帰り始めて二週間後。俺と早紀さんは授業外でも頻繁に会うようになり、一緒に昼食を摂ったりしていた。被っている授業の無い日でも、待ち合わせて一緒に帰ったりするのは、とても楽しい時間だと感じる。


「せーんぱいっ」

「あ、早紀さん。今日は授業終わるの早かったですね」

「そうなんですよ~、課題終わった人から帰れるって感じだったので」


 駅までの道を並んで歩く。この時間もまた楽しいものだ。


「なんか授業ばっかりで疲れちゃいますね~」

「大学生っていうのはそういうものですよ。真面目に講義に出て単位取らないと、卒業出来なくなりますからね」

「でも友達とかは結構遊びに行ったりしてるんですよね~、私も息抜きしたいんですよ~」


 確かに俺もここ最近は勉強で忙しく、夜は父の店で働くという激務が毎日続いていた。土日も休む時間などは無く、朝早くからバーテンダーに必要な技術や知識を学んでいたのだ。

 とは言え息抜きも大事だという事は、父から何度も聞かされている。たまには遊んでこいと言われても、なんだか試されている気がして遠慮していたが、結局そんな深い意図など無く、単純な親切心からの言葉なのだろう。俺は早紀さんを映画に誘ってみることにした。


「じゃあ映画でも見に行きます?」

「映画ですか?」

「はい、息抜きも大事ですからね」


 その一言に彼女の瞳はキラキラと輝き、嬉しさを隠しきれていない様子で答える。


「そうですよね! 見に行きましょう! 私丁度見たかった映画があって――」


 映画の約束を取り付けるなんて、これは間違いなく恋人を作るいいチャンスだ。この機会を逃したらと思うと、俺は冷静さを欠きそうになる。


「良いですね。良かったら二週間後の祝日に行くのはどうですか?」

「はい、是非!」


 こうして人生初のデートの約束を取り付けたは良いものの、恋愛経験が一切無い俺はどうすべきか迷い、誰かに相談する事にした。もちろんその相手と言うのは――。


「……あ、もしもし? 栗原、今すぐ駅前のカフェに来てくれるか? 急いで相談する事があって」


 電話をかけてから十分後、大きなリュックを背負った栗原がカフェに現れ、彼が飲み物を頼んですぐに相談の内容を話していた。表面上は冷静さを保っているように演じ続けているが、内心はとても混乱しており、心臓も大きく飛び跳ねている。緊張のせいで注文したコーヒーの味はよく分からないままで、砂糖とミルクを入れても大して変わらなかった。


「それで用事は何だ? わざわざ四限の後に呼び出すって、なんかあったか?」

「いやさ……同じ授業で仲良くなった子とデート行くことになったんだ」


 黙ったまま表情一つ変えない彼は、注文したカフェオレを一口飲んでからもスマホを弄り始めていた。


「ちょっとは聞いてくれよ……」

「いつかそういう事聞かされるって思ったよ。はあ、なんで俺には出来ねえのかねぇ」


 大きく溜息をついた彼はひどく疲れた様子を見せている。


「それで何だ? ただの惚気話か?」

「えっと……映画見に行くんだけど、せっかくならご飯も食べたいって思ってさ」

「どこの店に行くのかって相談か」


 俺は自分の注文したコーヒーを口にし、彼女がどんな食べ物を好むのかを思い出す。


「好き嫌いなかったし、カジュアルにイタリアンとかいいと思うんだけど、どう思う?」

「良いんじゃないか? 気取ってもないし無難だよ」

「じゃあどの店がいいと思う?」

「俺そんなに店知らないからなあ。うーん、そうだなあ」


 自分が今まで行った中で一番美味しいと思えるイタリアンレストランと言えば、市内から電車で三駅ほど行ったところにある、閑静な中産階級の住宅街というべき地域で、ひっそりと営業している所だ。値段も決して高いわけではなく、出てくる料理はイタリア人の店主が作る本格的なものだった。窯焼きで作るピッツァや前菜はとても美味しく、デザートまで食べられる落ち着いた雰囲気の店だったのである。


「ファミレスとかでいいんじゃねえの?」

「俺の初恋をぶち壊すつもりでいるな……。俺に彼女が出来たら、後々紹介出来るかも知れないんだぞ? 適当でいいのか?」


 その一言を聞いた栗原は目の色を変え、スマホを使って市内のイタリア料理店を調べ始めた。評価の高い店をいくつも見せてくるのだが、どれもイマイチな感じがしてならない。


「ランチだったらこの店が良さそうだけどな。値段も安いし」

「うん、悪くはないけど……せっかくなら美味しい所で食べたいな」

「柚希はコダワリが強いねえ、どこも美味しいってレビューがあるんだぞ?」

「いや、味は変わる。例えばこの店はピッツァを中心に出してるけど、釜では焼いてない。それに画像の羊肉も余分な脂肪がついたままだし、これだと独特の臭みが残ったままだよ」

「はぁ、厳しいねえ。じゃあ柚希の知ってる店でいいんじゃねえか?」


 その通り。わざわざ栗原の意見を聞くよりも、どこが美味しいかという情報は自分の中にあるのだから、値段と店の位置を考えて決めればよかったはずだ。しかし、俺は今回初めてのデートを計画するわけで……誰かが俺の背中を押してくれなければ、自信はつかないままだ。


「予約しといたほうがいいのか……? どう思う?」

「予約が確実だろうな。待たされずに済むし」

「うん……自分の舌を信じよう」


 人生で初めてのデートだ。約束の日は二週間後でも、明日行くような緊張感があった。


 帰宅してすぐ、俺はスーツに着替えて身だしなみを整える。いつもより少し遅れて店に入った俺を見て、父は特に叱ることもなく事情を尋ねてきていた。


「今日はちょっと遅めだな。何かあったのか?」

「ああ、ちょっと友達に相談事を」

「そうか、どんな相談だ?」


 父にはあまり話したくない内容だが、ここで誤魔化しても仕方がない。俺は正直に話していた。


「今度の祝日に友達と映画見に行くことになって、昼ご飯をどこで食べるか決めてたんだよ」

「へえ、友達ねえ」


 店内の床を拭こうとモップを手にした所で、父はライムを絞るのを止めて、こう言う。


「その友達って、女の子だろ」


 どうしてバレてしまったのか納得がいかない。俺は何も言うことができず、そのまま湿ったモップを絞り、床を拭いていた。


「図星だろ?」

「……はあ、その通りだよ。同じ授業で仲良くなった子で、映画見て食事することにしたんだ」

「柚希ももう子供じゃないんだな。ちゃんと大学生らしくなって一安心だ」


 妙に恥ずかしく、俺は黙々と床を拭き続ける。


「別に……まだ友達だって」

「ああ、最初は友達から始めるもんさ。いやぁ、なんか祝いたい気分だなぁ」

「いいから放っといてくれよ! ほら、オープン準備しないと!」


 ふっと笑った父はストローと紙ナプキンを補充している。店内の床を拭き終わった俺はモップを直し、ダスターで大理石のカウンターを拭き始める。オープン時刻と同時に店の扉は開かれ、俺は入ってきた客の方を向いて笑顔を作り、落ち着いた声で出迎えた。


「いらっしゃいませ」

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