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ベーシックなイメージ通りの味。


 ベースとなるお酒に他のお酒、ジュースなどの副材料を組み合わせて作るカクテル。ただ混ぜ合わせるだけではなく、同じカクテルであっても作り方や分量によって味が大きく変わる不思議な飲み物は、人々を虜にさせる魅力を持っていると考えている。


「ステアはまだまだだな。シェイクは形になって来たが、バースプーンを持つ手に力が入りすぎてる。作る側がリラックスしないと、お客さんも緊張するだろ?」


 指摘された俺は動きを止め、軽いため息をついた。バースプーンやマドラーを使って混ぜる技法である『ステア』の練習をしていたのだが、自分の技術が未熟なのは誰よりも理解してた。どうしても肩に力が入ってしまい、バースプーンの位置がズレていってしまうのである。


「父さんの持ってるコツを教えてよ」

「コツは先週教えた事が全部だよ。バースプーンはミキシンググラスに押し当てれば背が勝手に回るんだから、後は力を抜ければ良い。強いて言えば手首の位置を固定した状態で回せるようになれば良いんだけど、今はとにかく力を抜くことだ」


 スーツ姿の男がレモンを半分に切ってジューサーに押し当てている。この男はバーテンダーをしており、俺の父親でもある。名を小酒 勇(こざか いさむ)と言う。


「じゃあ今日は基本のカクテルを作ってもらおうか。ジンフィズを」


 即座にシェーカーとタンブラーを用意した俺は、メジャーカップを使って分量を測りながら材料を入れていく。


 ジンフィズはカクテルブックに載っているレシピの場合、ジンを30mlから45ml、レモンジュースを15ml、シュガーシロップを2tspとなっている。今回はジンを30ml入れ、後はレシピ通りにシェーカーへと注ぎ入れた。


 ここでグラスを冷やしていなかったことに気がつく。せっかくよく冷えたお酒であっても、ぬるいグラスのままだと美味しいとは感じられない。この冷やす工程を『チルド』と言う。


 タンブラーに氷を入れ、バースプーンで回していくとすぐにグラスが曇っていく。アイストングで氷を押さえて溶けた水を捨てたところで、シェーカーの中に氷を入れていき、いわゆる二段振りでシェイクを始めた。ステンレスのシェイカーと氷がぶつかる心地よい音が店内に響き渡り、十五秒ほど続けた後にタンブラーへと注ぐ。そこに炭酸水を適量満たしていけば完成だ。飾りのレモンスライスを入れたところで、しばらく黙ったままだった父が味を確かめた。


「炭酸水入れすぎ、味が薄まりすぎてる。味の無いもので満たすんだから気をつけないと」

「入れすぎたか……」

「それとグラスを冷やすのも出来れば初めにした方が良い。まあ全体の流れは掴めてるな。悪くはないが、合格はあげられないな」

「……分かった、また練習するよ」


 特に残念がる様子も見せない俺に驚いたのか、父はタンブラーに残っているお酒を全てシンクに流し、軽く笑って言った。


「自信が無かったのか? なんで悔しそうにしない?」

「いや、直すべき点は分かったし、次はそこを気をつければ良いと思うから」

「……冷静だな。よし、もう一度チャンスをやっても良い。ホワイト・レディを作ってみろ」


 再び合格のチャンスを与えられた俺は、シェーカーとカクテルグラスを用意した。今度こそグラスを先に冷やす。カクテルグラスにクラッシュアイスを入れてカウンターへ置き、シェーカーを用意した。


 ホワイト・レディのレシピはジン30ml、コアントロー15ml、レモンジュース15mlである。これらの材料をシェイクして仕上げるホワイト・レディというカクテルは、ショートカクテルの中では最も基本と言われるものだ。氷を入れず、短時間で飲むショートカクテルに対し、氷が入っていてある程度長い時間冷えた状態で楽しめるものをロングカクテルと呼ぶ。


 材料をシェーカーに入れた所で、グラスがタイミング良く白く曇った。クラッシュアイスを捨て、再び氷を入れてシェイクを始めた俺は、中の材料がよく混ざった後の味をイメージした。しっかりシェイクが出来ていないとアルコールのキツさばかりが目立ち、長くシェイクし過ぎると水っぽく、味が薄いと感じてしまう。


 白く濁った液体をグラスに注いだ所で、俺はシェーカーを水ですすぎ、元あった位置へと戻した。父は何も言わずにグラスを手に取る。氷の粒が浮かんだホワイト・レディを一口飲んでしばらくすると、俺の方へ向いて口を開いた。


「良い味のバランスだ。それに決して水っぽくないし、しっかりシェイク出来てる。作る速度も悪くない……うん、これなら合格だ」


 父の口から『合格』という言葉が出た瞬間、俺はほっと胸を撫で下ろした。今まで味のイメージを掴めと言われてもその意味が分からず、技術的な面だけを気にしていたが、ここに来てその言葉を理解したのだ。得も言われぬ達成感がじんわりと疲れを癒してくれる。


柚希(ゆずき)も中々腕を上げたな、でもこれで終わりじゃない。今日やっとスタートラインに立てたようなもんだからな」

「ああ、分かってる。もっと頑張るよ」


 柚希(ゆずき)とは俺の名前だ。

 小酒 柚希(こざか ゆずき)、二〇歳。今年大学へ入学した俺は、元々進学にはあまり興味がなく、父のようにバーテンダーになって働きたいと考えていた。しかし父は経営学の知識はあるに越したことは無いと言い、バーテンダーになって店をやりたいのなら、まず四年制大学を出る事だと条件を付けたのだった。


「よし、柚希の合格祝いだ。ほら」


 そう言い、渋い色をした茶革製の大きなバッグを俺に手渡す。父はニヤニヤと笑みを浮かべながら絞ったレモンジュースを瓶に入れていた。


「カウンターに広げてみろ」


 言われるままベルトのバックルを緩めてバッグを広げると、真新しいシェーカーにメジャーカップ、バースプーン、ミキシンググラスなどのバー用品が綺麗に収められている。バーテンダーとして必要な道具は一通り揃っているのだ。


「父さん、これは……」

「合格祝いだ、貰っとけ」

「本当に貰っていいの?」

「お前も将来バー経営したいって言ってただろ? 脱サラしてバー始める人が多い中、若い内からこうして経験を積んでおくのは良いことだよ。それもプロを目指すんならな」

「父さん……!」


 俺は父親に感謝の言葉を述べる。


「ありがとう、俺頑張るよ」


 息子の喜んでいる姿を見た父はまな板を水で洗った後、大きな塊の透明な板氷をアイスピックで割っていた。パキパキと勝手に割れていくようにしていくつものキューブアイスが出来上がり、それを氷を貯めておく用のシンクに入れていく。


 そんな父はバーテンダーとして仕事をして既に三三年が経っていた。元々は東京の有名なバーで二年間修行し、大阪のホテルで四年、香港のホテルで三年働いた後、自分の店をこの街で出してからは、その評判は瞬く間に人々の間に広がっていき、今ではバーを三店舗、レストランは七店舗も経営していたのだった。


「さあ、もうすぐオープンだからな。カウンターを拭いてくれ」

「分かった」


 清潔なダスターで念入りに大理石のカウンターを拭いていると、店の扉は開かれた。客の方を向いて笑顔を作り、落ち着いた声色で応える。


「いらっしゃいませ」

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