戻る時は突然のようです
「──っ!」
肌寒い夜空の元、波波と湛えられた湯に足先をつけると、ビリっとした感覚がつま先から脳天まで駆け上がった。
「──く、ふうっ──」
ゆっくりと腰をおろしていくと、熱は身体を駆け上り、肩まで湯につけると自然と吐息が漏れた。
「ユズキが一番色っぽい声をあげるってどういうことよ」
もうもうと立ち昇る湯気の元、私に近づいてきたリズが呆れたような声をあげる。
──なんて、身体なの。
私は近づいてきたリズの裸体を目の当たりにして絶句する。
確かに、初めての襲撃の時は命を狙われていたこともあり、リズの肢体を凝視することもなかった。
ただ、今その身体を目の当たりにすると、すらっとした四肢とキュッとしたくびれ。一番仲間内でも主張の強い胸元は、巨乳とはいかないまでも、全てが整った抜群のプロポーションだ。
実はちょっと見せつけるようにしているつもりなのだろう。
わざとらしく彼女は、胸元で腕を組み、その上に質量ある胸を強調するように乗せると私に迫ってくる。
そんな、彼女の全身を見て思わず出た言葉は──
「う、羨ましい──」
私の言葉に、リズの顔が赤みを増す。
まさか、羨ましがられるとは思っていなかったのだろう。
私自身、口走ってしまった言葉に顔が真っ赤になってしまう。
「ち、違うの!なんていうか⋯⋯、男だったら風呂に入った時に筋肉がついている人を逞しい、同じ男として格好いい!って感覚なんだけど、そう、今の私だと──リズのプロポーションが正直羨ましいって思っちゃう」
私は、そう言うとペタペタと、リズよりは一回り主張の少ない胸を触ってみる。
うーん、折角の女の子の身体だ!
凄い!
って感覚がまるでない。
気持ち的にはそう、もし男の姿だったら大胸筋に筋肉ついてきたかな?
と触っている感覚だ。
「もしかして、ユズキさんは胸が大きい方がいいんですか?」
湯の熱気からか、顔を赤くしたイスカが私のすぐ横で顔を近づけてくる。
「ち、違うよ!──わ、私はイスカの身体はとっても綺麗だって思うよ」
リズのような主張はないが、やっぱりイスカの肢体はスラッとしており整っている。エルフの血が入っているためか、一見細身だが靭やかな筋肉は彫像のように美しい。
──やば、この身体だと女性同士って感覚なのに、イスカを彼女と思ったら、なんかちょっと変な気持ちになってしまうような。
「──なんか、私の性癖が歪んでしまいそうで怖い」
思わず焦りと共に口に出してしまった。
「ん。といいつつ今のユズキは美人だから羨ましい」
「ほんとですよ!女性になって更に美人ってどういうことですか!」
ザブザブと湯をかき分けてやってきたのはフーシェとセラ様だ。
フーシェは実年齢より幼く見えるが、二人が揃って来るとまるで仲の良い姉妹のようだ。
「そ、そう──?」
そう言って私は水面に写る自分の顔を覗いてみる。
青い髪に空のように青い瞳。その色はリズと比べるとやや明るい。
私の見た目は、完全に『劇場』で出会った『譲渡士』のセライの姿とそっくりだ。
「多分、この姿が他人だったなら、美人って思うかもしれないけど、自分の身体として見ると、そんなナルシストみたいなことは言えないよ」
私はそう言うと、恥ずかしさを隠すように湯に鼻の頭まで沈み込む。
「ま、まぁ。男性に戻すタイミングを逃したのは私の責任ですしね⋯⋯。多分、暫くしたら戻ると思いますが──」
うーん、その確約のなさが少し怖い。
かといって、『略奪者』の状態で固定されても厳しいものがある。
しかし、折角の風呂だ。楽しまなければ損だ。
プハッと湯船から鼻を出すと、私は精一杯爽やかな夜の冷気を吸い込んだ。
「気持ちいい〜」
目一杯手足を伸ばして見る夜空には満天の星空が広がっている。
星が集まった光の帯は天の川に似ている気がした。
「皆、今日はありがとう──」
ポツリとリズが言葉を漏らした。
その言葉に皆が一斉にリズを見る。
魔王だろうが、レベルがいくら高かろうが生き物はいつか死ぬ。
今日だってセラ様がいなかったら、リズは今ここにいることはできなかった。
生きててくれていることだけで、ただ嬉しい。
私は、ギュッとリズを後ろから抱きしめる。
「もうっ──やるなら、男の時にしてほしかったわ」
わざと残念がっているリズを、私はもう一度強く抱きしめた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「お待ちしておりましたぞ。お嬢様方」
私達がテントまで戻ってくると、テント内はここが魔大陸の危険な山奥ということを忘れさせてしまうまでに仕上がっていた。
「ローガン、張り切りすぎでしょ」
私は、いつからリゾート施設に迷い込んだのかと、錯覚するほどに整えられたテント内を見て驚愕した。
いや、驚愕ではない。
だって──こんな。
「こんなの『魔法袋』に入ってなかったでしょ?」
私が出したのは、テントだけだったはず。
それが、何故人数分のベッドや床にはカーペットのような敷物、そして化粧台まで完備されているのか。
上に吊らされている照明も、見たことがないようなお洒落なランタンが下がっていた。
「セラ様〜」
私はジト目でセラ様を見つめる。
風呂上がり、さっぱりとしたはずのセラ様の額に冷や汗が浮かんだ。
「じ、実は、この世界に一生分くらい降り立つならと思って、色々私の『魔法袋』に詰め込んできちゃいました」
駄目だこの女神さま、完全に地球の文化と流行に毒されてしまっている。
「セラ様から『魔法袋』を預かりまして、その中身の驚きたるや!ついぞ張り切ってしまいましたぞ」
鼻息荒く答えるローガン。
セラ様のためにと頑張ったのだろうけど、完全にやっていることは、孫を甘やかすおじいさんといったところだ。
「ローガンさん、凄い!」
「ん。このコンセプトを『星屑亭』に入れたら、新しい客層が来そうな予感」
「悪くないセンスね」
「ここ、本当にウォールの外ですよね?」
私からの冷ややかな視線にたじろぐセラ様を他所に、女性陣は感嘆の声をあげる。
勿論、このお洒落空間を目の当たりにできることは、ローガンのセンスを手放しで褒め称えたい。
だけど、えぇ、そうですよ。
サラリーマンばかりやってた私にとって、夕方5時のテレビ特集で流れるようなお洒落空間は縁もゆかりもございませんでしたとも。
「ふむ──ユズキ様は少しお気にめされませんでしたかな?」
少し心配げな様子のローガンを見て、私は少し慌てた。
そう、彼は悪気があってやったわけでは決してないのだ。
「い、いや!とっても素敵だよ!ありがとうローガン!」
これでは、私だけが楽しんでいないのは野暮になってしまう。
私の言葉を聞いたローガンは、ホッとしたように胸をなでおろした。
「セラ様、まさか他にも色々入れてきてるんじゃないでしょうね?」
私がセラ様の耳元に耳打ちすると、セラ様は、両人差し指をいじいじとしながら視線を反らしてしまった。
うん、絶対セラ様にはお財布は握らせないことにしよう。
この後も、またとんでもない物を出してきそうで怖いのだけど、今は楽しむしかない。
「よーし!今日はとことん飲むか!」
ちょっと、ヤケになった感じで言い放ったつもりだったが、ローガンを含めて皆から歓声が上がる。
怒涛のような1日だったが、皆が無事生き残ってくれたことが私は何より嬉しかった。
「ユズキさん──本当にまた会えて良かった」
フーシェやエアが早速酒の準備にとりかかる中、イスカが私の横に寄ってくる。
その声は少し震えているようだ。
「ごめんね、先にイスカの元に行かなかったこと。怒ってる?」
その言葉に、イスカは静かに首を横に振った。
「いいえ。離れ離れになった時、ユズキさんならまず魔族のリズさん達を助けに行くって分かってましたから」
私を見つめてくる瞳は真剣だ。
それだけ私のことを信頼してくれるのだろうけど、私が先にリズ達を助けに行った事実は否定することができない。
そのことが、どれだけイスカを不安にさせているのかと思うと心が傷んだ。
「あのさ──イスカ」
私は少しそわそわしながら、酒樽を転がしている皆をチラと見た後、イスカの耳元にそっと耳打ちした。
「エラリアに戻ったら。──ぼ、ボクと結婚してほしい」
身体が女性になっているため、僕と言いたかったのに、心と身体が合致せずに、思ったよりも上ずった声になってしまった。
きっと、タイミングや雰囲気。
そういったものは、理想のタイミングではなかったかもしれない。
ただ、再会を喜んでくれるイスカの顔を見ると、彼女の側にずっといたいという気持ちは抑えきれなくなっていた。
言葉を聞いたイスカの耳が、不意打ちをくらったかのようにピンッ!と高く跳ねるように上がり、次の瞬間。
まるで紅葉したかのように紅く染まってしまった。
パクパクと数度口を開け締めした後、イスカは口元を覆う。その目には大粒の涙が湧き上がった。
「わ、私で良ければ喜んで──」
イスカはそう言うと、胸に飛び込んできた。
「あ、あれ?」
嬉しさを全身で現すように飛び込んできたフーシェを受け止めた自分の身体が、先程より視線が高くなっていることに気付いた。
「ん?」
自分の胸元を見ると、あったはずの膨らみが消えていた。
『マスター、おめでとうございます』
『マスター、良かったな』
脳内に、二人のセライの声が響き渡った。
「も、戻った!?」
イスカも僕の変化に気づいて、真っ赤にした目を丸くした。
「ん。いつの間にかユズキが戻ってる」
酒樽から酒を注いでいたフーシェが、僕とイスカの様子に気付くとピタリと動きを止めて凝視してきた。
その声に、リズ達が一斉に僕達の方に向き直る。
騒がしい宴会になりそうだ。
そう思いつつ、僕は耳まで真っ赤にしているイスカをもう一度強く抱きしめた。
いつもお読み頂きありがとうございます!
次回は3月6日(日)までの更新を予定しています!