やっぱりラーメンも人気なようです
「さて、まずはこのスープをどうするかだな」
僕の目の前には、タプタと呼ばれた獣を湯でた後の汁が残っている。
寸胴一杯に張られたスープは、香りは確かにあの日本が誇る麺料理の一角、ラーメンの豚骨と同じなのだが⋯⋯
「うわぁ、灰汁を全く取ってないじゃないか──」
まぁ、捨てることが前提であるのならそれも仕方ないものなのかもしれない。いや、普通は捨てるか⋯⋯
濁りきった泡が浮かぶ様は、見ていて余り気持ち良いものではない。
「かーっ、もの好きだねぇ。本当にそれを使うっていうの?」
厨房に案内してくれた魔族の従業員。名前はエアといった女の子は、半信半疑といった風に、両手を組んで僕の様子を見ている。
「ん。あの匂いは少しクセが強い」
食堂と厨房を繋ぐ壁から、ひょっこりと顔を覗かせながらフーシェが呟く。
「きっと、凄いものができますよ!なんてったって、『かれー』は見た目は最悪なのに、味は最高でしたから!」
フーシェの頭一つ上の高さから、同じ様に厨房を覗き込むイスカが得意げな声をあげた。
うーん、なんだかイスカには、また作るものが見た目は最悪なものだと思い込まれているのではないだろうか。
いや、まあカレーももんじゃ焼きも、はたまた納豆だって海外の人から見れば、見た目は悪いものだろう。
それでも、味は見事な物なのだから、料理というものは凄いものだ。
「まずはと⋯⋯」
一人暮らしに慣れているために、料理はソツなくこなせる方だと思う。
ただ、分からないと直ぐにスマホに頼ってしまうのは、現代を生きた者の宿命なのかもしれない。
ちなみに、パーティーの料理はイスカとフーシェの物を食べたことがあるが、フーシェは流石に宿屋で食事を提供しているだけあり、とても美味しい。それに、冒険の経験も豊富であるため、ある物で美味しい物を作るということに長けていた。
対するイスカの料理は家庭的だ。全体的に優しい味付けで、野菜を中心とした手料理の数々は、どこかホッとさせてくれる味わいだ。
聞けば、その料理のレシピは多くが母親から教わったものだというのだから、受け継がれてきた味なのだろう。
対して、僕の方はラーメン屋で仕事をしたことはない。しかし、自分の中でちょっとしたラーメンブームが来たときに、手作りラーメンにハマったことがある。
これならば、地球での食材を使えばなんとかなるかもしれなかった。
ただ、本来であれば野菜や果物を入れるとなればかなりの煮るための時間を要する。
しかし、ここから本格的に仕込むとなれば夜中になってしまう。
とりあえず、魔法袋に入っていた鰹節と椎茸を別の寸胴で出汁をとることにする。
「手伝いますね」
火力調整はイスカがやってくれる。
本来なら、沸騰までに時間がかかるはずの水分量だが、あっという間に湯が湧き上がった。
さて、先程の材料を投入。
十分に出汁が取れたことを確認すると、椎茸と鰹節を湯から取り出す。
もう鍋がないため、ザルで引き上げるしかない。
煮込んだタプタの汁は、灰汁を捨ててしまえば中には濃厚な背脂が浮いた、立派なスープとして完成していた。
さて、出汁とこのスープを合わせていく。
ここまでの手順は、なんとか大丈夫。
本来ならやっておくべきであろう手順をかなりすっ飛ばしているが、ラーメンの香りとしては、異世界なので及第点だと思ってもらおう。
豚のゲンコツを叩くなどの手間をかけなくてもスープが完成されているのは有り難い。
でも、このために旨味は、全てスープに捨て去られているのではないだろうか?
僕は先程食べた、味気のないタプタの肉の味をぼんやりと思い返していた。
「さて、ラーメンのタレを入れるとして⋯⋯」
ラーメン用の器なんて勿論ない。
煮込む途中で、醤油、みりん、酒、砂糖を煮てアルコールを飛ばしたものを、深い皿に均等に入れていく。
「あれ?あんなにこってりしていて脂ばっかりのスープが、今は美味しそうに見えてきました」
確かに。
本来捨てるべきスープで、灰汁で溢れかえっていた寸胴からは想像もできないような白い濃厚なスープが作られているとなると、イスカも目を丸くするしかない。
何回も灰汁を捨てるための過程が、この肉だとほとんどないというのも救いだ。
何時間も煮込んでいたら、翌日の仕込みをするラーメン店になってしまう。
「セラ様は本当に分かってるなぁ」
僕は魔法袋からラーメン用の生麺を取り出しながら呟いた。
カレーもしかり、もしかしたら、女神さまは僕の好みに応じた食材を入れておいてくれたのかもしれない。
「⋯⋯タプタの香りが、信じられないくらい香ばしくて美味しそうな香りになっているなんて」
エアが、きょとんとした顔で厨房で調理する僕達を見て呟いた。
「フーシェ、そっちはどう?」
僕は味の抜けたタプタを、チャーシューにできないかと考えていた。
そこで、僕は手つかずで残っていたタプタの肉をフーシェに託すと、魔法袋から地球の主だった調味料を一式揃えて、フーシェに味付けをお願いしていたのだ。
肉としての旨味は、スープに溶けてしまっているのだが、裏を返せば味もよく吸うのではないか?
そのような肉の特性があると信じて、香ばしい味付けをお願いしていたのだが、そこは厨房に立って経験の長いフーシェだ。
ズラリと並んだ調味料を、一つずつ嘗めてみては色々と思案していたようだが、最後には醤油とゴマ油、万能調味料や中華調味料等を選ぶと、タプタの肉を薄くスライスすると、高火力で一気に炒め始めた。
なるほど、漬けておくのだと時間がかかると踏んで、味をつけてしまおうという作戦か。
一気に、厨房の中で香りが爆発したように賑やかになった。
「これは、先程の肉とは思えませんな」
「うーん、ちょっと人族寄りの香りだから心配もあるけど⋯⋯」
楽しみなような、心配なようなといった表情をリズが浮かべながら、厨房の外から僕達を覗き込んでいる。
「一応、風魔法で煙突から真っ直ぐに空に香りを吹き飛ばしているんだから、美味しくなかったら承知しないわよ」
あぁ、そういえば確かにここは魔族領でしたね⋯⋯。
調理に集中していたが、確かにこの臭いが魔族が好きかと言われればまた別問題だ。
細やかな気配りに感謝しつつも、バリバリの魔族であるリズが嫌そうな顔をしていないのは救いだった。
「あなた達⋯⋯できあがったら、私にも一口もらってもいい?」
従業員のエアが、口の端から小さく涎が垂れているのに気づかずに、僕達に話しかけてきた。
「もちろんいいよ!」
麺はまだまだタップリある。
有限ではあるが、皆でこの夜に腹一杯麺を堪能したってまだまだ材料はありそうだ。
「よし!完成だ!」
濃厚なスープを、醤油ベースのタレが入った器に注いでいく。
独特な獣臭があるかと心配していたが、終始香りは強すぎない豚骨の香りが漂っている。
これなら、嗅覚の鋭いフーシェでも問題はなさそうだ。
茹で上がった麺をあげると、湯切りの器具はないためザルで可能な限り水気を落とす。
「ん。斬新な手順」
確かに、豪快に麺から湯を切るといった手順は、フーシェにとっては物珍しいのだろう。
「できた!!」
麺を各器に注ぎ、フーシェの作ってくれた香ばしいタプタをスライスした肉を乗せる。
最後に油で揚げたネギを添えれば⋯⋯
「ウォール特製、タプタの豚骨ラーメンの完成だ!」
つい、完成させた達成感から声が大きくなってしまった。
自然に、仲間たちからも拍手が沸き起こったので、僕は少し恥ずかしくなってしまう。
少し恥ずかしいけど、いざ実食だ。
「あの、もらっておいてなんだけど、かなりドロドロしてるのね。大丈夫?」
僕はエアにも、ラーメンを余分に一杯作ると渡していた。
彼女は、普段捨てているタプタの汁が、ドロドロの白いスープに変貌したことに驚いているようだ。
「あぁ、灰汁は取ってしまったから、残されたのはタプタの骨から染み出したスープだよ」
ふぅんと、なんとはなく理解したような表情で、エアがラーメンを口へと運ぶ。
──あ、やっぱり啜るという文化はないんだよね。
エアは、クルクルとフォークに巻きつけるように麺を絡めた後、冷ますことなく口に麺を頬張った。
「──!!」
エアの目がみるみる大きく見開かれる。
言葉を選ぼうにも出てこない。
普段知っていた味が、一気に変化してしまったことに理解が追いつかないような表情を浮かべた。
「凄い!!信じられない!」
そのエアの食べっぷりを見た、イスカとフーシェが早く早くとお預けをくらった子犬の様な表情で、耳をピコピコとさせながら僕を見つめてくる。
「ごめん、ごめん!じゃあ、皆食べようか!」
僕の言葉に、イスカとフーシェが、待ってましたとばかりに麺に手を出す。
リズとローガンはスープが気になるのか、そっとスプーンで豚骨ラーメンのスープを口へと運んだ。
「な!これが本当にタプタのスープなの!?肉より遥かに美味しいじゃない!」
リズが驚きの声をあげた。
フーシェはスープの熱さと格闘しながらも、無心で麺を口に運んでいる。
イスカは⋯⋯うん、やっぱり風魔法で麺を適温に冷ましながら、どんどん食べていくところは流石です。
「ふむ、調理方法によって捨てるべき食材がここまで変わる。いやはや、面白いものですな」
スープを味わっていたローガンが、簡単したようにその細い目を見開いた。
みんなの様子を見て、僕も麺を口へと運ぶ。
誰もが啜っていないので躊躇したが、僕の作った料理はラーメンだ。
啜るものなのだから、恥ずかしがることはない。
とはいえ、ラーメン店よろしく大音量で啜るわけにもいかず、控えめに音を立てながら、よくスープが絡んだ麺を口へと運んだ。
──!!
これは、うまい!
見た目の濃厚さとは違い、こってりしすぎることのないスープは麺とよく絡む。ここに、地球の食材から合わせた出汁がうまくマッチし、風味をより豊かにしていた。
味は、正しく思い描いていた豚骨ラーメン。今まで作った中では間違いなく最高傑作だ。
フーシェが味をつけてくれた、タプタの肉に齧り付くと、先程までの味気のなさは何処に行ったのか?
香ばしい味わいと共に、僕にとってはよく馴染んだ調味料が見事な調和を取り、抜けきったと思われていたタプタの肉に、再び活力を与えていた。
揚げたネギも、程よいアクセントとなり良い感じだ。
皆が黙々と口を動かし、どんどん皿の中の麺は少なくなっていく。
ふと見ると、残りわずかになった麺を名残り惜しそうにエアが眺めている。
「どうしたの?」
いきなり、食べるペースを落としたことが気になった僕は聞いてみる。
僕に話しかけられたエアは、残りの麺を見ながら嘆息した。
「この味、絶対私じゃ作れないからね。あと、ちょっとかって思うと悲しくなっちゃって」
苦笑いするエアは、恥ずかしそうに頬を書いた。
青白い肌が、熱を帯びてほんの少しだけ上気している。
その残念そうな顔を見て、僕は少し意地悪く微笑んだ。
「実は、ラーメンという料理には、替え玉というシステムがありまして」
ニヤリと笑いつつ、僕は魔法袋から、新たな麺を取り出した。
『いる!!』
返事が来たのは、眼前のエアからだけではなかった。
眼をキラキラさせた仲間たちが、諸手をあげているのを見て、僕は素直に大笑いしてしまうのだった。