パンがなければカレーを食べればいいようです
「ふむふむ、そうしたらユズキさんの世界には魔法もスキルといったものはないのですか?」
僕の隣を先ほどから一緒に歩く、イスカという名前のエルフの少女は耳をピコピコとさせながら僕の話を聞き入っている。
今なら僕は、イスカのご機嫌を知るためのバロメーターは耳の動きだと断定できる。
それほどまでにイスカの耳は彼女の感情を表しているようだった。
「そうだねぇ。そういった物は本やおとぎ話に出てくるだけだから、だけど、小さい頃はこう信じていたんだよ。頑張れば手から火が出るんじゃないかって」
僕が思わず熱弁すると、イスカは眼をパチパチと瞬かせるとクスッと笑う。
「あんなに強かったのに、生活レベルの魔法も使えないなんて本当に不思議です。ほら、私だってこうすれば」
イスカは左手を宙に差出し、パチンと指を鳴らす。
ボッ
小さな音を立ててライター程の火が人差し指に灯る。
「凄い!それに、詠唱とかもないなんてイスカは天才だったりするのかな!?」
前世ではありえない現象を目にしてテンションがあがる。
しかし、そんな僕のテンションを見てイスカはますますおかしくなったのか、ついには腹を押さえて笑い始めた。
あれ?凄い恥ずかしい事を言ったのではないか。イスカのリアクションを見て、僕は急に耳まで赤くなってしまったように感じた。
「⋯⋯もう!こんな生活魔法に詠唱なんて使いませんよ。5歳の子供ならまだしも、8歳にでもなればみんな無詠唱でこれくらいできますから」
「えーと、それはつまり僕が5歳の子ども以下ということかな?」
やってしまった感満載だが、イスカは楽しそうにコクコクと頷いている。
先ほどまでの警戒感はどこへ行ったのやら。
まぁ、緊張がほぐれたならいいかな。
「そういえば、さっきより僕のことを警戒しなくなってくれたことは嬉しいけど、イスカは僕が人間であることは大丈夫なのかな?」
僕達は、先ほどのベイルベアーの襲撃場所から30分程歩いて移動していた。イスカ曰く、近くの町まで2時間はかかるそうだ。
ベイルベアーの死骸から、討伐証明に2つの牙を取った方が良いとイスカに言われ、僕のポーチにはベイルベアーの牙が収まっている。どうやら、この牙が武器の素材として重宝するらしい。
死骸から牙だけを取り除く作業は正直思い出したくない。獣の臭さとワイルドベアーの唾液の臭いは近寄り難いものだった。
このポーチの中が臭くならないことを願うばかりだよ。
さて、奴隷商人達の死体は町の衛兵に伝えれば対応をしてくれるとのことだった。
スコップも持っていない僕達は、彼らの馬車に積み込まれていた毛布を遺体にかけるだけで、その場を離れてきていた。
僕の言葉にイスカの耳は少し下がる。
「えぇ、人間は嫌いです。私みたいなエルフクォーターを凄く下に見ていて、野蛮で、非道で⋯⋯、そして私を奴隷として売ろうとしました」
やはり、奴隷としてイスカは捕まっていたのだ。
前世の世界との価値観の違いに頭を殴られたような衝撃を受ける。
「でも!ユズキさんの言っていることは本当だと思います!だったら、私の知っているこの世界の人間とは違う。そう、私が唯一好きだったお父さんと同じように優しい人間かなって思えると少し嬉しいです!」
僕のことを信頼してくれるのは有り難いのだけど、初対面で、イスカにとっては異世界から来たなど、突拍子もないことをペラペラ喋る僕のことを不審に思わないのだろうか?
「これで、僕が言っていたことがもし全部嘘だったらどうする?」
少し意地悪な聞き方かな?そう思って反応を見るが、イスカはキョトンとした顔で僕を見上げる。
身長は155cmくらいだろう。イスカから見ればどうしても僕の顔を見るためには見上げなければならない。翡翠色の大きな瞳は周囲の新緑に萌える草木の色を閉じ込めたように綺麗だ。
首をかしげ、イスカはニコッと笑う。
「あんなに嘘がペラペラとつけるのなら、絶対に危ない人じゃないですか」
グサリとくるものがあるね。
「でも、確信はしているんですよ。私はその人が良い人か悪い人か、なんとなく分かる能力があるのです。今お話しててユズキさんからは、なんとなく優しい雰囲気が出ているというか⋯⋯そう安心できるんです。初めて会った時は動転してたものですみません」
シュンとしたようにイスカは視線を落とす。
コロコロと変わる表情が、本来の彼女の姿なのだろう。
見ていて飽きないなぁ。僕自身、可愛い女の子と話せることは全く悪い気がしない。
「創造神、セラ様から直々に転生を許され、それにお会いしたことがあるなんて!私も一目だけでも拝見したかったです!」
うん、僕が死んだことは一応事故で通したよ。
女神さま自身が「クシャミで死なせてしまってすみませんでした」と土下座して待っていたなんて伝えた日には、この世界の宗教観を崩壊させかねないもんね。
女神セラ様、僕は貴女の尊厳を守れる男ですから!
「あ、あぁ。確かにとても素敵なお姿だったよ」
クシャミの件が印象が強すぎて、手放しで褒め称えることには少し抵抗がある。それに、僕のこの謎のステータスについても聞いておきたいことがあった。
まだ見ぬ女神像をイメージしているのか、イスカはうっとりと眼を細めていた。
うん、イメージを壊さないってやっぱり大事だよね。
「そういえば、イスカのお父さんは人間なの?」
女神さまの話で思わず忘れかけていた。しかし、ハーフではなくクォーターとは?
「はい、私はお母さんがハーフエルフ、お父さんが人間のエルフクォーター。普通の人間より少し長生きだけど、純粋なエルフのように何百年も生きれないし、魔法も少し人間種よりも得意な程度です。魔導を極めた人間の方がよっぽど魔法を使えると思います」
そう自分のことを評するイスカの姿は、少し自嘲めいていた。
聞いてはいけないことだったのかもしれない。
そんな僕の態度を察したのか、イスカは説明を続ける。
全部喋ってしまいたいのだろうか。
「お父さんは冒険者をやっていたのですが、私が10歳の時に亡くなりました。お母さんは3年前に、流行り病で⋯⋯ 。もともと、エルフのクォーターは人間からも、エルフからも劣等品扱いをされやすいので、お父さんとお母さんは町から少し離れた所に家を建てて過ごしていたのです」
フゥ、と息を整えてイスカは続ける。
「それが、先日町が隣国ドーラスの襲撃にあってなくなりました。私の家は離れていたので、直接被害はなかったのですが、そのあとドーラスの兵が私の家にやってきて、私を奴隷商に引き渡したのです。そこから移送される途中、そこでユズキさんが私を助けてくれたんですよ」
町が滅びたことを語るイスカの表情は暗いものであったが、最後には言葉に力が戻っていることに気づき、僕は少しホッとする。
「だから、ユズキさんには本当にお礼を言いたいです!」
──!
思いがけず僕の右手は温かく柔らかい感触に包み込まれた。
見れば、イスカが僕の右手をその小さな両手で握っていた。
女の子に手を握られるのなんて、えーといつぶり?
林間学校のキャンプファイヤーで、強制的にペアを組んで踊らされるという女子にとっては苦痛でしかないイベントに参加した時以来かな?
確か相手の女の子は⋯⋯
『友好度が1上がりました。対象、イスカに対してレベルを1譲渡できるようになりました』
全く、このタイミングですか。
もう、この声にはセラ様AIと名付けよう。
おかげで、キャンプファイヤーのお相手の子はすっかり思い出せなくなってしまっていた。
まぁつまり、無理して思い出さない方が良いレベルの思い出だったに違いない。虚しいかな、僕はそう結論づけた。
クルルルッ
可愛らしい音を立てて、僕の手を握るイスカのお腹が鳴った。
バッ!とイスカは僕の手を握っていた手を引っ込めて咄嗟にお腹を抑える。耳は根本まで真っ赤で、隠れたいのかピッタリと髪にくっついている。
「お腹空いたね」
そういえば、この世界に来て何も食べていない。
イスカのお腹の音で気付かされたが、僕自身相当な空腹だった。
恥ずかしがるイスカを横目に、僕はポーチの中を探ってみる。
なになに、米、玉ねぎ、人参、ジャガイモ、肉類、調味料、カレールゥ。
ん!?
なんか最後にピンポイントの調味料があったぞ!?
というか、中には食材が溢れているのに脳裏に浮かんできたのは、見事なまでにカレーの材料。
僕はそんなにカレーを食べたかったのか?
でも、ここまで具体的に浮かんできてカレーを食べないという選択肢はない。
時間はかかるが仕方ない、そして女神さま素晴らしい物を入れてくれてありがとうございます。
頭にハテナをつけるイスカを見ると、僕はにっこりと微笑んでみせた。
「それにしても便利ですね。セラ様から頂いた魔法のポーチは」
今僕とイスカは近くを流れる川辺に降りると、小石が敷き詰められた川原で料理の準備を始めていた。
テーブルまで出てくるのだから、まさに底なしのマジックポーチ。
僕は洗った米を飯盒に入れると、イスカに火を起こすことをお願いしていた。
イスカは、初めに真っ白な米を見て見たことのない食材だと驚いていたが、米を炊く要領を伝えると理解したのか、あっという間に焚き火ができるように木材を組み上げると、飯盒を2つ吊るし魔法によって火を起こした。
本当は米を水につけておきたかったが、あまり遅くなると町につく時には夜になってしまう。
イスカは風魔法も使えるのか、適度に焚き火に風を送りながら器用に僕の目の前に広がる地球の食材を覗き込んでくる。
イスカ曰く、風魔法も使えるが攻撃に使えるようなレベルには達していないとのことだった。
玉ねぎ、人参、ジャガイモを手際よく包丁で切ると、鶏肉をチョイス。
いや、さっきの熊を思い出すと、なんか少し豚や牛に行こうという気持ちが薄れてしまっていた。
イスカにもう1つ作ってもらっていた焚き火に鍋をかけると、油を敷き、充分に加熱された所で鶏肉を入れる。パチパチと皮が弾ける音を楽しみつつ、塩を一つまみ。正直お腹が空いているとこれだけでも美味しそうだ。
「ユズキさん、もう、これで良いんじゃないですか」
隣には口元から涎が垂れようとするのを、必死に耐えているイスカが立っている。
「このままで食べたい気持ちは僕にも分かる。でも、これがもっと美味しくなるから、一緒に我慢しよう。女神さまから、食材は頂いたんだけど無限ではないみたいだしね」
そう言い聞かせながら、僕は鍋に野菜を投下していく。一通り火が通ったら水を張る。
灰汁をすくったら中の野菜を煮込むまで、しばし休憩タイムだ。おっと、ポーチに入っていたことに気づいたリンゴを半分すり下ろして、鍋に入れておくことにしよう。
タイミングが悪いと怒る人もいるかもしれない。でもいい、忘れてたんだから。
外でカレーを食べる、これだけで正義だ。
カレーのルゥは、まだストックはあるようだったが油断していたらすぐになくなってしまうだろう。
「はい」
僕はすり下ろしていなかった半分のリンゴを2つに切り分けると、イスカに手渡す。
僕もお腹が空いたので、半分頂くことにしよう。
「ありがとうございます。わぁ、いい香り。ミムルの実に似ている気がします」
少し大きく切り分けた方のリンゴを手にし、イスカの眼が輝く。
シャクッ
瑞々しい果実に齧りつけば、果汁が溢れ口いっぱいに甘味とほのかな酸味が広がりを見せる。
「うまいっ!」「美味しいっ!」
思わず同時に叫んでしまい、思わず僕とイスカは顔を見合わせると笑いあった。
さて、野菜も柔らかくなった頃合いだろう。
僕は鍋を確認する。うん、良さそうだ。
そこにカレールゥを投下する。
すぐさま、スパイスの効いた香りが鍋いっぱいに漂い、その香りで僕はどの調味料を入れてみようかと空想する。
そんな僕と対照的な顔をしたのはイスカだ。
想定の範囲だけどね。
固形のルゥを鍋に放り込む所までは興味津々だったイスカだが、ルゥが溶け出し鍋の水を茶色に変えていくさまに、顔を引きつらせ、挙げ句トロミがつきだした時には、思わず後ずさっていた。
「何ですかそれ?あの、非常に申し訳ないのですが、それは⋯⋯」
「さーて、これからさらに美味しくなるように魔法をかけるよー!」
言わせない、言わせてなるものか。
僕はイスカの興味を引くために大声を出す。食べ慣れてる者達にとってもイスカの言葉に続く単語は禁句ワードだ。
手際よくポーチから調味料を探し出すと、次々に僕は鍋に入れていく。
あまり辛くない方がいいよね。
蜂蜜を入れてまろやかになることを試みる。
「⋯⋯それ、美味しいのですか?」
後ずさったイスカだが、漂う香りには抗いがたいのか、鍋を直接見ようとはしないが寄ってくる。
「もちろん!」
そこだけは僕も胸を張って言えるのだった。