6話
ミオと夜の森へ行ったあの日から、リルディアはあの家に閉じ込められていた。
それまでしていたミオの手伝いを許されず、部屋の中にいてほしいとお手洗いの時にしか部屋から出ることが出来ない状況に追いやられたのだ。
最初は夜に抜け出したことがばれたのかと思ったが、彼らの反応とミオからの話を聞くとどうやら違うらしい。
(思い返してみれば、前回と状況は同じなのかもしれないわ)
あの時のリルディアはミオの手伝いをしていなかったのですることもなく、部屋の中に引き篭もっているか周辺を散歩しているかのどちらかだった。
けれどリルディアが死んだ前日に、獣が出て危ないから暫く出歩かないようにと男から言い聞かせられた記憶がある。
(私とミオを商人に売り渡す手配が済んだから、閉じ込めているのかしら)
現状は結論から言って最悪だった。
彼らがリルディアが逃げることを警戒しているのは間違いなく、この状況で逃げることは容易ではない。
だけど一つだけ、彼らが確実に油断するであろう時がある。
前回と同じように物事が進んでいくとしたら、明日の夜に奴隷商人をこの家に招き、酒を飲むのだ。
前回のリルディアはその時に、酒に酔った彼らがリルディアとミオを売り渡す話をしているのを聞いて逃げ出した。
だからその時を狙えば、もしかしたら男達に気づかれずにこの家から出ることが出来るかもしれない。
「………」
「難しい顔をしているね」
「ひゃっ、み、ミオ」
いつの間に隣に来ていたのだろうか。
ミオがリルディアの顔を覗き込んでいた。
「どうかした?」
にこりと笑うミオの顔と、その後ろの窓の外を見て、もう夕方になっていることに気付く。
「び、びっくりしただけです。
ミオ、お仕事手伝えなくてごめんなさい。疲れましたか?」
「退屈ではあったけど、疲れてはいないよ。
君の方は順調だった?」
「私は特にすることもなかったので、順調も何もないです」
考えなくてはいけないことは山のようにあったので暇とは無縁だったが、表向きは部屋でずっと座っていただけだった。
「そっか。そろそろ出る為に何か思いついたんじゃないかと思ったけど、まだ何にもないんだね」
一瞬時間が止まったような感覚に陥って、それからミオの方を二度見した。
「君が言い出すまで黙ってるつもりだったんだけど、あまりにも先が見えないからさ。
ここから出るんでしょ。俺も一緒に考えてあげるよ」
「え」
「俺、分かりやすかったと思うんだけどな。
君、いつまで経っても気づかないんだから。
それとも分かっていてそれなの」
ミオがリルディアの隣に腰を下ろす。
内緒話をするような距離で、彼は続けた。
「一緒に死んだ仲じゃないか。
忘れていたとしたら、相当な間抜けだと思わない?」
にこりと笑うミオ。
「わっ!」
分かっていたんですか、そう声にしようとした言葉がミオの手で塞がれる。
「大声を出しちゃ駄目だよ。
あのさ、俺、隠していたつもりなんてないよ。
前と今とで態度だって変えていたし、それに君、俺が魔法使いだって知ってたでしょ。
あんな有り得ないこと起こったら、普通は俺が何かしたかを疑うんじゃないかな」
確かに、ミオが魔法使いだということは知っていた。
リルディアが殺されたあの日の夜、魔法使いのミオと高貴な身分のリルディア。
二人合わせて売れば高値で買い取るという話を、リルディアは聞いたからだ。
そうじゃなくても、ミオの白い髪を見た時から薄々気づいてはいたが。
魔法使いという存在は、生まれた時は透明な髪色と瞳を持って生まれ、徐々に色がついていく。
だから、髪や瞳の色素が薄いと魔法使いだと疑われるのだ。
「〜〜っ」
リルディアはぱしぱしと音をたてて、自身の口を塞ぐミオの手を叩いた。
「もう騒がない?」
その問いに頷く。
「み、ミオ」
「はい」
「、っ、あの」
言いたいことは山程あるのに、言葉が出てこない。
だってミオにリルディアと同じ記憶があるとしたら、彼はこれから自分が実の親に何をされるのかを知っていることになる。
「あのさ、俺が魔法使いだって、君は知ってるでしょ」
「それは、知っています。貴方の口から聞いた訳ではありませんが」
「もしかして疑ってたの?だからこんなにまどろっこしいことになってるんだ。
俺は魔法使いだよ。これでいい?」
「いえ、いいえ。疑っては、いません。
貴方が魔法使いだということは最初から見当がついていましたし、貴方の父親の話も聞きましたから」
リルディアは首を横に振った。
「……どういうこと?
君がこんなに手遅れになるまで逃げ出さなかったのは、俺の親のことを悪く言いたくなかった、とかいう理由で合ってる?」
「それは、はい。
貴方と一緒に逃げる為には、理由を話さなくてはいけなかったでしょう。
貴方に真実を隠して私と一緒に来てもらえるように説得する方法が、今になっても見つからないんです」
ミオは目を見開いてリルディアの顔を見た。
暫くの間二人の間に沈黙が流れる。
「呆れた…。真実ってなんだよ、ぼかす必要なんてないだろ。
あいつらは君と俺を奴隷にしようとしてる、だから逃げようって、そう言えばいいじゃないか。
魔法使いだって、もう最初から分かってたんだろ」
「今は言えますよ。もう知っているんだったら、私だって言えました」
「……分かった。全く分からないけど、分かったよ。
君、一般教養がないんだ?」
「あります」
大声を出せたなら、声を張り上げていたことだろう。
一体何を言い出すのだこの人は。
「自慢ではありませんが、学校に通っていた時は成績だってよかったと思いますし、小さい頃は家庭教師にも来て頂いていました」
にっこり、と笑みが引き攣っている自覚はあったがリルディアは笑った。
「それじゃあ君、その教師に魔法使いのこと何も学ばなかったんじゃない?」
「我が国の貴族で魔法使いについての一般知識すらない者などおりません。
私も先生に教わる以外のところでだって、沢山の本を読んで理解を深めていたつもりです」
「じゃあどうして、俺が傷つくなんて馬鹿なこと気にしてたの」
「……貴方が傷つくかもしれないって思うことと、魔法使いだっていうことは、何の関係があるの」
「魔法使いが、親に売り払われた程度で傷付く心があると思っている時点でおかしいだろ」
久し振りに向けられた冷ややかな視線にリルディアはたじろいだ。
前回は目が会う度に今のような目で見られていたが、再会してからはこんな目を向けられることはなくなっていた。
「おかしくない、おかしくないわ。
貴方は魔法使いだけど、ミオだもの。
他の人に聞いた話や、本で読んだ知識なんて今は必要ないわ。
目の前にいる、貴方の話をしているのだから」
真正面から睨みつけられて、怯まないわけじゃない。
けれど、ミオは魔法使いだから心がないとでも言いたいようだった。
それだけは、睨まれたって、暴力をふるわれたって、リルディアは否定しなくてはいけなかった。
「へえ、俺の話をしてるんだ。
それじゃあ、君の目から俺はどう見えた?
あれに捨てられて、泣いちゃうとでも思ったんだ?」
「貴方の心が、私には見えないわ。
泣いてしまうくらい傷付くかもしれないし、何とも思わないかもしれない。
でも、分からないからこそ、心配するんじゃない」
「………どういうこと」
ミオは目を細めた。
心底理解出来ないといった表情だったが、こういう時のミオはリルディアの言うことを理解しようと努力してくれていると、リルディアは勝手に解釈していた。
「私は、ミオのことをまだ全然知らないわ。
だから、貴方は両親に売られるなんて言えるわけがないの。
それを言っても傷付かなかったかもしれない、でも、傷付ける可能性も私の中ではあったの。
だったら、言えるはずがないじゃない」
「……君って、本当に馬鹿だよね」
リルディアから視線を外してミオが呟く。
それは彼に意識を向けていなかったら聞き逃してしまったかもしれない程に小さな声だった。
「否定したいところですけど、貴方に両親について伝えずにここから連れ出す方法は一週間かけても見つからなかったですし、ここは甘んじて受けましょう」
「偉そうだなあ。
君がさっさと言ってれば、もうこんなところにいなかったかもしれないのにね」
ミオの口元にいつもの笑顔が戻る。
こんな絶望的な状況だけれど、リルディアは何だか嬉しかった。
「それはお互い様です。
ミオだって、早く言ってくれればよかったんだもの」
「そうかもね」
「そうなのです。
…ミオ、まだきっと、間に合います。
私と一緒に、逃げてくれますか?」
そう言ってリルディアはミオに手を差し出す。
どうか手を取ってほしいと願いながら。
「俺でよければ、付き合うよ」
ミオは笑みを浮かべて、リルディアの手を取った。