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1話

どうしてこうなってしまったのかしら。


今にも途切れそうな意識の中で、リルディアは理由を考える。


貴族として生まれてきた身でありながら、それに相応しい努力が足りなかったから。

大罪を犯したから。


ひょっとしたら、運が悪かったのかもしれないけれど、自身の生が終わってしまう理由になったものを、そんな不確かな理由で片付けてしまいたくなかった。


上手く動いてくれない頭で考えても、浮かんでくる答えは少ない。


「…っ、私自身が、至らなかったから」


結局のところはそういうことなのだろう。

教師も、学友も、家族ですら、リルディアのことを庇ってはくれなかった。


だから、私はここにいる。


肩から腹にかけて、ぱっくりと開いた傷口からは生温い血液が、止まる気配もなく流れ出ている。

どう楽観的に捉えようとしても、明らかな致命傷だった。


両手で傷口を塞ぐように上から抑えるが、手から伝わる、濡れた熱さを思うと効果はきっとない。

逃げようと、立ち上がろうとしても、足にまるで力が入らなかった。

開いた腹はこんなにも熱いのに、足に温度を感じられない。


逃げられないのなら、せめて。


これからリルディアの命を奪うであろう男に

呪詛の一つでも吐いてやろうと思い、俯いていた顔を上げた。


「は…………」


そこには、先程リルディアが突き飛ばした少年が、真っ赤な瞳を大きく見開いてリルディアを見ていた。



リルディアは、あの少年とあの家から一緒に逃げ出して、けれど追手はすぐに二人のもとへと迫ってきた。


二人でひたすらに走って、けれど、もう逃げ切ることは不可能だと悟ったリルディアは、彼だけでも、この頭のおかしい人さらいから逃げ延びてくれたらと思ったのだ。


走る足を止めて立ち止まり、少年のことを追手とは別方向へと突き飛ばした。


けれど、目の前に広がるのはリルディアの腹を裂いたものと同じ刃物が、少年の腹を残酷なまでに深々と突き刺している光景だった。


「…あ、っ」


慌てて手を伸ばそうとするが、指先まで凍ってしまったかのように動かない。


瞼を持ち上げているのすら辛くなって、ついに意識が途切れる。


最後にリルディアが見たものは、鮮烈なまでに意識に残る、少年の赤い瞳だった。







──────────────────




「っ…………?」


思いがけず襲ってきた光の強さに思わず目が眩んだ。


これは、一体どういうことだろうか。

リルディアはつい先刻まで暗くて深い、不気味な夜の森の中にいたはずだ。


それなのに、時間が朝方、もしくは昼間にまで戻っている。


「これは…?!」


もしかしたら、あの怪我を負いながら朝を迎えたのかと思い、焦って自身の腹へと手をのばしたが、そこには何の傷跡も痛みもなかった。


「……お嬢さん、先程からどうされたので?」


「っあなた……!」


思わず声が震えてしまったのは、仕方のないことだったろう。


そこにいたのは、リルディアを騙し、人攫いの奴隷商人へと売り渡そうとした男だったのだ。


「先程から気分が優れない御様子でしたもので。

気になってしまい声をかけた次第です。

どうやら随分と高貴な御人だとお見受け致しました」


体が踵を返し、逃亡を図ろうとしたところで、私はこの状況の異常さに気付いた。


この男の台詞に、この場所に、リルディアは覚えがあったからだ。


「……あなた、失礼ですけど、私と何処かでお会いしたことがありましたか」


「いえいえ!貴方様の様な高貴な身分の方と、私のようなものがお会いする機会など御座いません。

残念ながら人違いではないかと」


「…そうですか」


確証はないけれど、これはもしかしたら。


(私、過去に戻ってきている?)


有り得ない話ではあるが、リルディアが死んでいないこと、時間がおかしいこと、この状況に覚えがあることを合わせて考えるのならば、現時点ではそう解釈するのが自然だろう。


(それなら…)


今はきっと、リルディアが死んだ時から一週間程前まで遡っている。


私は一週間前の丁度、この時、目の前の一見親切そうな男に着いていき、彼らの家で暫く厄介になる約束をしたのだ。


そうして金がないとリルディアに切に訴える夫婦とその子どものことを思い、服も、装飾品も、髪も全て売って金に変えるようにと渡してやった。


あの時は気付けなかったけれど、リルディアに声をかけた時点で、彼はきっと、少女を金銭に変えることしか考えてはいなかっただろう。


今一度男の顔をよく見てみれば、彼の隠しきれない欲望が浮かんで見えてくるようだ。


「ええ、ですのでお嬢さん。

お困りでしたら、私共の家にいらっしゃいませんか?

妻と子供と私と、3人で暮らす小さな家ですが。

困っている貴方様の力になりたいのです」


「………」


この誘いに乗れば、リルディアはきっと、もう一度死ぬことになる。


男の家に行ってからの一週間。


リルディアは確かに彼とその妻から親切に扱われたのだろう。

彼らとの生活水準の違いから苦しむ場面もあったが、よくしてくれていることは察することができた。


けれどそれは、リルディアの買い手が見つかるまでに商品を保管するという意味合いしか無かっただろう。


この場で強引にでも逃げることが、私の身を守る上での最適な行動だ。


けれど、男の家にはあの赤い瞳をもった白い髪の少年がいる。


今ここで逃げ出せば、リルディアは助かるかもしれない。

家を追い出されただなんてこと、正直に言う必要はないのだ。

家の者が近くで待っていると言えば、この男だって強引な手には出られないはずである。


だが、そうしたらあの少年は助からない。


果たしてそれで、本当にいいのだろうか。


(いいわけないわ…)


死ぬことは怖い。

時間を遡ろうと、リルディアにとってはついさっき起こった出来事だ。


信じていた人に裏切られた悲しみも、追いかけられた時に感じていた恐怖も、死んでしまう程の傷の痛みだって、鮮明に思い描ける。


(だけど、両親に見捨てられて、よりにもよって奴隷商人に売り渡されそうになって、最終的に殺されてしまうなんて、そんな悲しくて許せないことってないわ)


リルディアが死んだあの日の夜。


男とその妻は客人を招き酒を飲み、深く酔っていた。

そして、客人が来ていたことを知らなかったリルディアは知らない声が聞こえて、気になって扉の外から会話を聞いてしまったのだ。


そこで耳にしたのは、貴族の娘であるリルディアと魔法が使える息子をまとめて高値で買い取ってくれる話がついた、というものだった。

どうやらその客人も奴隷商人のようなものだったのだろう。


話を聞いて恐ろしくなったリルディアは、彼らの息子と一緒に逃げ出した。


殆ど口も利かない子だったから、彼の名前も知らなかったけれど、そんなことは関係なかった。

リルディアの手を拒まず、無抵抗の少年の手をひいて、街へと繋がる森へと駆け出した。


結果は、酒に浸かり見境のなくなった奴隷商の男に二人揃って殺されるという惨いものだったが。


リルディアがこの男についていかなければ、あの少年は一人で抵抗も出来ず、実の親によって売られてしまうことになるのではないか。


「そうね。貴方とご家族が構わないのであれば、是非お邪魔させてくださいな」


竦む心を奥へと押しやって、にっこりと、社交の場でも通じることは実証済みの笑みでリルディアは男に応じる。


リルディアが死んで、そうして今この時に戻されたというのであれば。


(一人で逃げ出すなんてこと、しないわ。

今度こそあの子と二人で、生きてあの家から逃げ延びるの)



……………



男に連れられて家に着いてすぐ、前回と同じように、着ていた服も装飾品も差し出すように言われた。

代わりの服も用意するからと。

家が汚いから、その服では汚れてしまうとの言葉は事実ではあるのだろうけど、それらの品が行き着く先はきっと商人の下だろう。


前回のリルディアはお金がないという夫婦の話を聞いていたので、自分から売っていいと言い出した。

その上で暫く置いてもらえるのだからと髪まで自ら切って差し出したのだ。


今となっては彼らの思惑を知っているので、髪の一筋すら与えたくはないが、途中で髪をむしり取られるよりはマシだろうと今回も家に着いてすぐに切って差し出した。


(彼らに身ぐるみ剥がされる形になるのは不服ではあるけれど、その方がいいわよね)


人を攫ったり、実の息子である少年を、よりにもよって奴隷商人に売り払うような人達なのだ。

下手に逆らうよりも、表面だけでも協力的である方がリルディアにとってもきっといい。


「ねえ、君」


「ふあっ!?」


リルディアは与えられた小さな部屋でこれからのことを考えていた。

そして背後から、ずっと考えていた少年その人に声をかけられた。


(彼から話しかけられるなんて)


以前は話しかけても反応がなく、リルディアは少年の声すらまともに聞いたことがなかった。


彼が話すのは、この家の夫婦に何かを言いつけられたときだけだったから。


「君の名前を教えてほしいな」


「…わ、私の名前かしら。

私はリルディア・フォン・シャルナディーク。

今日から暫く、こちらの家でお世話になることになりました。貴方は?」


「うん?」


「貴方の名前を、私も知りたいわ」


急に現れて話しかけられて、随分混乱してしまったが、この展開はリルディアにとっても丁度いい。


一緒に死んで、これから一緒に生きようとしている相手の名前すら分からないなんて笑い話にもならないだろう。


「ああ、俺の名前。

………………たしか、ミオ、だったかな」


「随分とたっぷり時間をかけたけど…。

まさかとは思うけれど、自分の名前を思い出すのに時間がかかったなんてことは」


「あれ、よく分かったね。

名前なんて随分長い間呼ばれていないし、俺自身興味もないから忘れかけてたみたい」


リルディアの言葉を遮り、恐ろしくて悲しいことを当たり前のことのような口ぶりで話すミオに、リルディアは頭の中が一瞬真っ白になった。


「……それなら、私が呼ぶわ」


「うん?」


「リルディア・フォン・シャルナディークが、貴方の名前を呼ぶわ。

この私が呼ぶのだから、貴方が自分の名前を忘れそうになるなんてことは、この先二度と有り得ないの」


ミオはきょとんとした顔をしてリルディアの顔をまじまじと見た。


「そうなんだ?君の方は、自分の名前が好きそうだね」


どこかズレたことを口にしながら、にこりと綺麗な顔で笑うのだからリルディアは何とも言えない心持ちになる。


「ええ、それは勿論、名に恥じないように、自分を好きでいられるように、生きようとしていますもの。

…いえ、この話はいいのです。

今は、貴方の名前の話をしているのだから」


「うん?」


「ですから、ええ、その……。さっき言ったでしょう」


「いろいろ言っていたね」


けろりとした顔でいうミオ。

これはきっと、婉曲な表現で伝えようとしても意味がないだろうとリルディアは腹を決めた。


「……貴方の名前は素敵ですね、と、そう言ったのです、私は…」


顔に熱が集まっているのが自分でも分かる。

思わず顔を俯けた。


「変だよね、君」


顔を上げて見たミオの顔は、その場にそぐわぬ程のいい笑顔だった。


リルディアの気持ちが届いている気配は全くとしてない。


「〜〜〜〜〜!ミオ!!!」


「あはは」


不満を訴えようと大きく声を立てるが軽くいなされてばかり。


(先行きが不安です!とっても!!)


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