既読:ねえ佑白!今バイト中!? バイト中だよね? 当分そこから動かないよね!?
「佐紅今日やばくない? 大丈夫? すごくぼーっとしてたみたいだけど、生理?」
「――いや、生理は全然関係ないんだけど」
講義後、席で落ち込む私を気遣う友人・シアンに、私はうつむいて苦笑いで誤魔化す。
それから講義のあいだじゅう、私のコンディションは最悪だった。
朝からテンションだけで乗り切っていた元気も座学に入ってしまえば失速してしまい、児童虐待の実話を読み上げる教授の話に舟を漕ぐわ、暗記した内容がまるで思い出せず単位がかかった小テストで失敗するわで散々だった。
「そんなに具合悪くなるなら、病院行ったほうがよくない? あたし行きつけの婦人科紹介するし」
「……そうだね、ありがとう。一応教えて」
「アドレスおくるねー」
言いながらさっそく彼女はスマホで送信してくれる。
私の不調は結局PMSということにされたらしい。
深く追及してこない彼女の性格に感謝しつつ、私は彼女の色素の薄いロングヘアがさらさらと肩からこぼれるのを見た。
「あれ、ホムペみつかんない」
シアンはしなやかな指で髪をかき上げ、伏目がちに手元の画面を見つめている。
長いまつ毛が影を作り、目元が印象的な陰影を描く。
彼女の一挙一動に、教室を出て行く男女の視線が集中しているのが良く分かる。
色白の長い手足と見事なブラウンの髪。
伏し目になればミステリアスさが薫りたち、ぱっと上を向けば大きな瞳に呼吸を忘れる。
私がいつも学部でつるむシアンは着ている黒いワンピースもあいまって、某鉄道漫画のヒロインのような瀟洒な容姿をしていた。
「でも生理ならそんなスカート履いたらだめじゃん。寒いでしょ」
メーテルもかくやの容姿で、シアンはざっくばらんに私の太ももをぺしん、と叩く。
彼女に見とれていたギャラリーが目を剥くのが判る。
勿論、一緒にいる私にも視線が注がれる。(ああ、この人今日……)というような。辛い。
「あのさ、声。声」
「は? 声がどーしたの」
「……なんでもない」
「とにかくお腹すいたよね。早くあったかいもん食べに行こう。そうだ、うどんだ!」
場所を移動するのは願ったり叶ったりなので、私は早足でシアンを連れて学外へ出た。
「ひゃー、寒いね」
身を縮めるシアンの長髪が、風に吹かれ艶やかな帯となって流れる。
癖毛の私にとって、彼女のすとんと降りた長髪は憧れだった。
――私の映像作品に登場した「絶賛されたヒロイン」は彼女のことだ。
去年――一年生の五月、容姿に惹かれて彼女にオファーしたのが縁で、今では普段から一緒に行動するまで仲良くなっている。
強い風に負けまいと声を張り上げながら私はシアンに尋ねた。
「うどんって言ってたけど、どこかオススメのお店とかあるの?」
「あるよ! ちょっと離れてるから地下鉄使ってこ! 定期あるからいーよね?」
シアンは元気だ。
地下鉄に乗ると、使い慣れた一駅先で彼女は降りた。
この駅だともしかしたら――内心ひやひやしながら改札まで出ると、案の定ばったり佑白と出くわた。
「あ」
思わず露骨に眉を寄せてしまう。
シアンの腕を取り逃げるように脇を通り抜けようとすると、佑白にこちらの肩をがっつりと捕えられた。
「えっと、い、急いでますので」
「……なにそれ」
佑白は静かに不機嫌だ。
「佐紅、知り合い?」
透き通った目で無邪気に興味を示すシアン。
二日酔いがぶり返しそうになるのを堪えながら、逃げられない現状に私は腹をくくった。
「サークルでよくつるむ男友達だよ。……佑白。斎灯佑白」
佑白はむっつりとした一瞥を「私にだけ」向けると、シアンには柔らかい態度で会釈した。
「初めまして」
私には絶対しない表情だ。シアンは形の良い歯を見せ愛嬌良く笑う。
「あたし支倉シアン。よかったら、斎灯くんも一緒にうどん屋行かない? あたしらこれから食いに行くところだったんだー」
「俺も一緒にいいの?」
「もちろんもちろん! ね、いいでしょ佐紅」
人懐っこく尋ねられて今更嫌と言えない。
「もちろんだよ」
私はシアンの言葉に流されるまま頷き、連れ立ってうどん屋へと向かった。
どうかシアンには佑白の『魔力』が通じませんように。祈るしかない。
着いたのは路地の隙間にあるような、縦に長い小さなうどん屋だった。
さっそくテーブル席に着き、シアンはカウンターの店主に向かって指を折り「うどん3つ!」と注文した。
「ちょ、シアン早いって! えっと、私はキツネうどんで……佑白は?」
佑白は暫く考えていたが、
「じゃあ……素うどんで」
と答えた。
「慣れてるんだね、シアン。常連?」
「ううん、こないだテレビでやってて美味しそうだったからさー来てみたかったの」
「な、なるほど……」
「あたし、ちょっとトイレ行ってくるー」
シアンが立ったところで、佑白が身を乗り出して声を潜めた。
私も前のめりに顔を寄せる。
「佐紅。なに、さっきの態度」
「なに」
「俺に会わせたくなかった、みたいな顔して」
「そりゃ合わせたくないよ」
「どうして」
抑えた声は明らかに不満げだ。
「もしかしてシアンちゃん、佐紅の彼女だとか?」
「ンな関係じゃないよ。あのさ、会わせたくない理由――佑白は自分の胸に手を当てて考えてみてよね!」
「……」
私の言葉を受け、神妙な顔をした佑白は言葉通り胸に手を当てる。
しばらくそうしたところで、心外だという顔をしてみせた。
「俺に何か落ち度でもあったっけ」
「落ち度でも、じゃないよ! 目につく女という女、片っ端から食いまくる癖に!」
「食うなんて」
胸に手を当てたまま、大真面目な顔をして佑白は続ける。
「相手が勝手に惚れて、勝手に誘惑してくるだけだよ。強いて言うなら、付き合う気のない俺に欲情した女の落ち度」
「よ、欲情した、って……」
「間違ってないでしょ?」
ブロウフレームの奥、凪いだ眼差しが、さも当然なことを言っているかのように訴える。
「まあ、シアンちゃんが欲求不満じゃないのを祈るばかりだよね。貴重な佐紅の友達が減っちゃうのも可哀相だし」
ぐ、と痛いところを出されて言葉に詰まる。
実際私は友達が少ない。高校時代のトラウマのせいもあり、新しく友達を作ることが非常に苦手だ。
ざっくばらんなシアンや、秘密を知る佑白は気兼ねなく付き合えるけれど――恋バナトークをしたり合コンに誘い合ったりするような、普通の女の子グループに入るのがものすごく怖い。
だからこそ、やっとできた友達であるこの二人を鉢合わせはしたくなかったのだ。
恐ろしい吸引力で女を引き付ける男と、美貌の女友達を。
「なに、浴場がどうしたの? スーパー銭湯?」
シアンがトイレから戻ってきた。
「あ、うん、大きな風呂っていいよねーって話してたの」
適当にごまかしていると、見計らったかのようにすぐうどんが配膳された。
ちくわやネギが大胆に載っている、いかにもおいしそうな琥珀色の汁のうどんだ。
「いっただきまーす!」
長い髪をシュシュでまとめ、シアンはおいしそうな息継ぎをしてうどんを食べる。
素直に感情が顔に出るタイプなだけあって、幸せな時のシアンは実に可愛く笑う。
その様子にほっこりしながら私も太麺をすする。
こりこりとコシがあって美味しい。出しも醤油がよく効いていて、すっきりとした味わいだった。テレビで放送するだけの事はある味だ。
三分の一ほど夢中で食べたところでふと、佑白が困惑した顔をしているのに気付いた。
「どうしたの?」
「あ、いや……」
侑は汁を飲んでは首をかしげる。
「なんか、初めて食べる味だから」
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