11日目。収穫はなにもない。
※しばらく主人公がつらいシーンが続きますが、ちゃんと立ち直ります!
落ち込んでいても朝は来る。
アトラス・シトラスと出会って11日目が訪れた。
一晩落ち込んだところで立ち直った私は、アトラス・シトラスは保留にしてノート探しに全力を尽くそうと決めた。
午前の講義を済ませ、私は急いで部室に向かう。
一部の部員から犯人扱いの白い目で見られたからって、部室を避けるのは自分が犯人だと言っているようなものだ。
そう覚悟を決めて向かったが、幸いにも部室には漫画を読んでいる男子数名しかいなかった。
彼らは普通に「お疲れー」といい、再び漫画に没頭する。
助かった。
私はまずコタツに潜りこむ。
そして二度目の持出事件が起きた曜日、午前に講義がない部員を洗い出そうとした。
――が、部室に置きっぱなしにしてあったシラバスを開いて数分、あまりに気の遠くなる作業だと気づく。
高校までのように時間割がきっちり揃っているならともかく、学部、学年、個人ごとに履修科目がバラバラな大学生数十人分の午前の予定を探すなんてとても無理だ。
この中に確実に犯人がいるならば意味もあるが、講義をサボった学生が犯人の可能性だってある。
個別の聞き込みは年長者である役員の先輩方がやってくれている。
意気込みだけあっても、今の私にできることは少ない。
コタツに突っ伏し私は心の中でうなり、自分に何ができるか考えてみる。
ノートが消えた理由を考えてみるのはどうか。
ノートをこっそり手に入れないといけない人――個人情報を盗みたい人。ノートを持ち出す姿を見られてはいけない人。
ノートが無くなることで一番得をする人――サークルを潰したい部外者。ノートがない事で誰かを困らせたい人。副部長を困らせたい人。
どれもこれも、漠然とした想像の域を出ない。
「ねえ佑白、どう思う?」
たずねてみるが返事はない。
顔を上げてようやく、隣に誰もいないことを思い出す。
部屋にいた他の男子たちは聞こえてないのか無視してくれたのか、無反応で漫画を読み続けていた。
(……佑白)
蛍光灯の光の陰になった眼鏡の奥、強い拒絶を見せる眼差しを思い出す。
あそこまで感情を露骨に出した佑白を見るのは初めてだった。
優しく穏やかな物腰でも彼は『男』で、私は彼が淫乱に貪る『女』であって。
安全圏から彼を傍観しているように錯覚していたけれど、傍観も何もあったもんじゃない、彼は私を『女』として見ていたのだ。
――正直、すこしだけ怖い。
だけど怖いと同時、これまでずっと隣で感情を押し殺させ続けてきた事への罪悪感も湧いていた。
あんな乱れた目の色をする程に、佑白は私を想ってくれていたのだ。
感情の宿った佑白の眼差しに、私はかつての自分を重ねてしまう。
クラスメイトにずっと焦がれながら、友達以上になれるはずもなかった高校時代――あの時の私と彼女以上の親密な距離で接しながら、佑白はそれ以上の進展を堪えて、耐え続けてくれていた。
その反動が淫奔な女子扱いになっていたのかもしれないと思う。
たとえそうだったとしても、彼の罪深さは変わらないけれど。
頑なにアトラス・シトラスと私を会わせようとしないのは、佑白のただの嫉妬なのだろうか。
私が仮に佑白と同じ立場なら、確かに会わせるのは辛い。
でも、それだけなのか。
悶々と続く思考を遮るように、部室に近づく甲高いしゃべり声が耳に入ってきた。
「マジで! うそ、マジでー」
「やっぱりそーなんじゃん」
何を盛り上がっているのだろうと思ったが、耳を澄まさずとも内容はすぐにわかった。
「自分で言ってたもん、私女が好きだけどって。いや、ほんとにさー。佑白くんを振る口実かなーと思ってたら、違ったみたいでさ」
頭が意識する前に、胸を思い切り貫かれたような衝撃がした。
「ああ、だから佑白くんと一緒にいるのに、別に普通にしてるんだ」
「あの二人、セフレだと思ってたけど」
「あー、私もそう思ってた」
全身に、音のならない非常警報が鳴り響いている。
私の脳はそれまで考えていた一切を放棄した。
体が震える。何も考えられない。このまま熱が上がって、蒸発してしまえればいいのに。
女子グループは部室に入るなり、私に気づいて一瞬、時を止める。
すぐに空気を無視するように私から見事に視線を逸らして、お喋りを続けながら部室の椅子に陣取った。
漫画を読んでいた男子が「うるせえよ」と軽口を叩く。
「ごめーん」
答えながら、女子の一人がロングヘアを揺らす。
彼女たちの眼差しは、無意識を装いつつ、頑なに私と視線を合わせようとしない。
名指ししなければ無罪と言わんばかりに、「とある佑白と親しい女の話題」を続ける。
「佑白くんも迷惑してるんじゃない? そんな子が近くにいるから彼女できても長続きしないんじゃない?」
「でも今日は一緒じゃないよね」
彼女たちは私に背を向けて言葉を飛ばす。
過敏になった私の背中はひとつひとつを受け止め、まるでアルマジロの背中になった気分だった。
私はトイレに行く風を『自分自身に』装って、金縛りを解くように立ち上がる。
呼吸から指先、一挙一動まで逐一縫いとめられるような感覚だった。
逃げるようにサークル棟を抜けだすと、向かいからマカロン色をした女の子たちがやってくるのが見えた。
みすずだ、と気づいた瞬間体がこわばる。
連れの女の子とあれこれ話していたみすずは私に気づき、通りすがる際ににこりと微笑んだ。
「お疲れさまぁ」
「……おつかれ、さま、」
ぎこちなく返事を返すことしかできない。
――彼女も。もしかして。
サークル棟を出ると外は溢れそうな数の大学生が往来していた。
色とりどりな彼らの姿は別世界の人間のように感じられた。
私は合間を縫うように歩き、人気の少ない古い学部棟のトイレを目指す。
古いタイルとコンクリートで作られたトイレの個室に逃げこみ、見下ろした先にあるつるりとした便器を見た途端、緊張が逆流となってせりあがってきた。
慟哭がすべて吐瀉物に成り果てたように、私は全てが空になるまで嘔吐した。
吐き出し切ったところでぐったりと便器に座っていると、遠くのほうでチャイムが鳴る。
前の講義が終わった合図だ。
講義が始まる。
行かないと。
私は個室から出て手と口をすすぎ、再び往来へと戻ろうとした。
眩しい冬晴れの空の下、軽やかに笑う学生たち。
皆がちらちらと私を見ているような気がした。笑われているような気がした。
光景に一瞬、黒髪と黒いプリーツスカートの群れがとオーバーラップする。
私は往来の中にシアンの姿を見つけた。
きらびやかな女の子たちと一緒だ。
長い足を露出して、きれいに整えた髪をなびかせたお似合いの友達たち。便器と仲良くしていた私とは違う、別の世界の人間。
佑白もいない。サークルではこれから一層噂が広まるだろう。
私が同性愛者だと知ったら。最後の砦のシアンもいつ私から離れていくか知れない。
私はしばらく扉の内側でうずくまった。
生きる事を否定するように、酸素が喉の奥まで入ってきてくれない。
扉たった一枚隔てたところには堂々と胸を張って生きる学生たちがいる。
私は膝から崩れ落ち、頬を冷たい床へと密着させる。
床は、とても気持ち良かった。
ここまでお読みいただき感謝です。
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もうすぐ終わります。




