既読:ちょ、まっ、聞いて、キ、キキキキk
二次会を終えて各自バラバラに帰る時間、ひたひたに酔った私は彼女に手を引かれるままダイニングバーに連れていかれた。
簡単な間仕切りに隠された席で呑みながら、好きな映画の話からサークルの話まで、彼女に求められるまま唇から滑り落とすように口にした。
普段なら絶対言えないようなことまで口に出て。
それでも彼女は引かずに聞いてくれた。
会話が一段落したと感じたとき、不意に彼女との距離に気づく。
「あの」
「何?」
「近く、ないですか」
肌同士で体温を感じてしまいそうな距離で、彼女は私の顔を見つめていた。
ほの暗い照明のなかでは、余計に心も、体も、距離がぐっと近くなったように感じる。
彼女の頬が柔らかく染まる。甘いいい匂いがする。
「いい匂いがするの?」
グロスの乗った唇が、すぼまって私に尋ねてくる。口に出ていたらしい。
「あ、す、すみません。なんか、よっちゃってるみたい……で」
離れようとすると、彼女はテーブルの下で手を取って私を引き寄せた。
耳元に息がかかる。私は息をつめた。
「ねえ、あなたの撮った作品の話だけれど」
「……はい」
「あの主人公は、きっとあなたね?」
彼女の唇が、一番触れられるのが怖い核心に口づけた。
心臓がばくばくと脈打ち始め、逃げられないボックス席を呪う。
誤魔化そうにももはや作り笑顔も出ないくらい、彼女と空気に飲まれていた。
どうにでもなれと腹をくくり、私は頷いた。
「そうです」
「女の子が、好きなの」
「……はい」
「ふふ。やっぱりね」
彼女は否定せず、ただにっこりと笑う。信じられない思いで私は尋ねる。
「引かないんですか……?」
言いながら思い出したくない記憶が生々しく記憶がフラッシュバックする。夕焼けに染まったセーラー服と髪をなびかせる彼女が、見る間に笑顔を困惑へと変える瞬間が――
「まさか」
膝の上で手を握り合う。彼女は少し身を乗り出した。セーター越しに胸が押し付けられるのを、私はまるで遠い世界のことのように感じていた。頭が惚けている。これは夢じゃないのか。酔っぱらって、自分に都合のいい妄想を見ているのではないか。
「あたし、あなたとなら構わないわ」
私の唇に指をあてながら、彼女は私だけを見つめて囁いた。興奮と一緒に酔いが回る――
気が付けば記憶は、一旦そこで途切れた。
---
次に目を覚ました時、私は知らない天井を見上げていた。
殺風景なワンルームのカーペットに、私は横向きに丸まって転がっていた。顔を動かそうと思っても、ガリバーよろしく縫いとめられたように全身が重く動かない。
「……そうなの。うん……でね……うん、うん」
彼女の声が聞こえる。
声はちっとも酔っているようには聞こえない。お酒強いんだな、と思いながら瞼が落ちるのを止められない。
子守唄代わりにまどろみながら彼女の声を堪能する。電話の相手は家族だろうか、さっきまでのチョコレートのような甘さはなく、ざっくばらんな話し方をしているようだ。
私の耳が酩酊しているのか、内容はよく聞き取れない。
アトラスと、だとか、シトラスとだとか言っているのだけはわかる。
何なんだろう?
ぼんやり思いながら、そういえば結局彼女が何者なのか、まるで聞けていなかったことに気づく。
もっと彼女からいろんな話を聞きたい。
彼女を知りたい。
起き上がろうとしたけれど体に力は入らず、寝返りを打って仰向けになるのが精一杯だった。
煌々とした蛍光灯が瞼越しにまぶしい。
意識がぐるぐると、緩慢な螺旋を描いて落ちていくようだ。
気持ち悪い。
吐き気はしないがとにかく気持ち悪かった。
瞼を照らす光が遮られ、不意に視界が暗転する。
何かが覆いかぶさったと思った瞬間――唇が何かに触れた。
湿り気を帯びた柔らかな感触、吐息。
私は口づけられていた。
相手の唇も、こわごわと震えているのが判る。
今にも弾けそうな、緊張感しかないキスだった。
---
気が付けば自分の一人暮らしのアパートで、玄関に入ったまま大の字に倒れて寝ていた。
頭は痛いし、起き上がれば体は重たい。
「うう、最悪……」
全身がゲロになったような気だるさを押してヒールを脱ぎ捨て、私は鏡に映った自分を見る。
髪はぼさぼさ、化粧はすっかり落ちた午前様の哀れな女子大生の顔があった。
――この様をあの人に見せてしまったのか。
「最っ悪」
シャワーを浴びる準備をしながら、私は昨夜の記憶の断片を拾い集める。
黒髪の優しい美女、甘い唇、自分を受け入れてくれた、初めての包容力――
「アトラスと……シトラスと……」
熱に浮かされるままに口にして、私は熱いシャワーに身体をゆだねた。
「うーーーーーーーーーーーーーーーーーー吐きそう」
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