ランチタイムに来るな。集中できない。
午前の日差しに多少まどろみかけていると、出入口のほうからみすずさんがやってきた。
花柄のセットアップにフェイクファーのコートを合わせた姿は今日も可愛い。
彼女は私を見てにこにこと手を振った。
「おはよう、待った?」
「大丈夫、ちょうどよかったから」
みすずさんは丁寧にコートをたたんで椅子にかけ、向かい側に座る。
体格の良い先輩に続いてなので、なんだか視界の圧迫感が全然違う。
「いきなり呼び出してごめんね」
「ううん、今日の話はなに?」
笑顔だが、どこかぎこちない感じがする。
普段二人で話すこともない私に呼び出されているのだから、早く終わらせたいのが当たり前だろう。
私がノート探しをしているのを知るのは、役員数名に限られている。
役員以外の部員にはまだ大事にしないほうがノートを探しやすいだろうという部長の判断だ。
先程の副部長は知っている人間なので特に気兼ねしなくてもよかったが――
彼女は、私がノート探しをしている事を知らないようだ。
「あのさ、昨日私、人探ししてたの覚えてる?」
「うん、色んな人に聞いてたよね」
「打ち上げに来てた人なんだけど……みすずさん打ち上げに参加してたよね」
「うん、いたよ?」
「改めて聞くのも申し訳ないけど……黒髪でさ、こう……ショートカットのお姉さん、いたの知らないかな? 黒いⅤネック着てて、結構華奢で社会人っぽい感じの」
「えっと……」
彼女は口を覆って考え込む。
指先のネイルが淡いピンクのグラデーションだ。隙が無く可愛らしい。
「その人に何かあったの?」
「あ、いや……その人のこと、ちょっと探しててさ」
みすずさんは綺麗に伸びた睫毛をぱちぱちと上下させ、茶色い瞳でじっと私を覗き込む。
「どうして? 困りごと? 何か……忘れ物とか?」
質問で返されるとは思わず、私はつい言葉に詰まる。
「ちょっと、会って確認したいことがあってさ」
「…………もしかしてノートを盗んだのがその人なの?」
「えっ」
話がいきなり飛んで鼓動が跳ねる。
ぎょっとしたのを誤魔化すように、私は慌てて笑顔を作り、手をぶんぶんと横に振る。
「いや、そういうんじゃないの」
「じゃあなんで探してるの?」
彼女が心配しているのか、探られているのかわからない。私はパニックになりそうだ。
「ちょっと、私がこの人に用事あるんだけど、連絡先も名前も聞きそびれちゃったからさ……誰かの友達とか、知り合いじゃないかなって。はは」
「なーんだ、そっか」
にっこりと笑う彼女に安心する。安心したところで彼女は言葉を継いだ。
「でも、どうして私だけにきくの?」
「あ、いや色んな人に聞くつもりなんだけどね」
ノート探しもついでにしているから、とは言えず、私は言葉を選ぶ。
「みすずさん友達多いから、あてずっぽうに聞きまわるよりみすずさんに聞くのが一番かなって」
言い終えたところで、にっこりと愛想笑いを作る。
上手く笑えた自信はないが、なかなかいい言い訳が出たと自画自賛する。
「そっかあ……」
彼女はつぶやき、髪をいじって少し考えるそぶりを見せる。
「うーん……覚えてるような、覚えてないような」
あいまいだった。
根気よく待ってみるのだが、彼女はそのままじっと黙り込んでしまう。
沈黙が続くあいだじりじりと刺される思いがしてきた。
「む、無理に思い出さなくていいよ?」
耐え切れず口にした私に、みすずさんはさぞ申し訳なさそうに眉を下げる。
「ごめんね。思い出したら教えるから」
「よろしく。……あ、あともう一つなんだけど」
「まだあるの?」
「『アトラス』とか『シトラス』みたいな単語で思い出すものってない?」
きょとんとした後、彼女は可愛らしく小首を傾げる。
「アランジアロンゾみたいね、なんだか」
「そうだね……」
こちらは正直期待してなかったので落胆は小さかった。
メモ帳を取り出すまでもないと判断したところで、みすずさんは思い出したように話題を変えた。
「そういえば、佑白くんは?」
「ああ、あいつならバイトだよ」
答えながら私はしまった、と思う。
女子への質問ならあいつに対応させればよかった。
あいつなら口だろうが何だろうが勝手に女子は開いてくるのに。
女子と二人にしちゃまずい、と思ってばかりいたせいで、彼の特技の有用性には頭が働かなかった。
「佐紅さん」
曖昧な態度だったみすずさんが急に身を乗り出して声を潜める。
「何?」
思い出したのかと、私も身を乗り出して真剣になる。
彼女は爛々とした目でこちらを上目づかいで言った。
「佐紅さんって佑白くんの彼女なの?」
思わずズッコけそうになりつつ、私は首を横に振る。
「まさか。あんな男」
「だっていつも一緒じゃない。怪しい」
「友達としては仲がいいけどね。恋愛感情なんてないない」
「でもでも」
みすずさんは食い下がる。
「佐紅さんがそうでも、佑白くんにはあるかもしれないわよ」
「目の前でゲロ吐いたこともあるし、普通惚れないでしょ」
「ゲ、……」
ゲロと言った瞬間、波が引くように彼女の瞳の色が侮蔑へと変わる。
その表情に若干傷ついたがしょうがない。
あの男とスキャンダルされるよりゲロ女扱いのほうがマシだ。
「じゃあ、また思い出したら連絡するね。友達にも聞いてみるね」
「ありがとう、助かるよ。……ああ、みすずさん!」
もう荷物を持って去ろうとする彼女をちょっと呼び止める。
「ごめん、一つだけ。昨日なんだけど、誰もノート使った人居なかったよね?」
「うん、そう思うけど」
呼び止められ多少困惑気味に、彼女は口にする。
「佐紅さんが言うまでノートなんて気にしてなかったから、間違ってるかもしれないけれど」
「あの時いた人……副部長とランラン以外に、人は来た?」
彼女は首を振る。
「来なかったと思うよ。でも私、DVD見てたから気付かなかっただけかも」
「そっか、呼び止めてごめんね。ありがとう!」
彼女は不思議そうな顔をしながらも、荷物を抱えて去って行った。
後ろ十分遠くなったあと、私は深いため息をついて椅子にずるずると沈み込んだ。
「疲れた……」
---
気分を変えよう。
大学を出て散歩がてら喫茶麝香堂に行くと、佑白とマスターが忙しく店を回していた。
接客の控えめな笑みで迎えた佑白は、私と目が合うと一瞬で愛想が吹き飛んで真顔になる。
「いらっしゃいませ」
「カツサンドと珈琲ね」
「はいはい」
忙しそうに二つ返事する佑白を横目に、私はカウンター席の隅に座った。
ステンドグラスで出来た色とりどりのランプが飾られたロマンチックなカウンターだ。
この喫茶店はお昼時、名物のカツサンドが飛ぶように売れる。テイクアウトも人気だ。
マスターもカウンターと奥のキッチンを行ったり来たり忙しそうだ。
佑白もあちこち休む間もなく動き回っているのだが、慣れた袴さばきの所作は凛としていて見応えがある。
「お待たせいたしました。ご注文のカツサンドでございます」
よく通る声も落ち着いた穏やかな響きをしていて、目が回る忙しさのはずなのに、店の静かな空気を乱すことはない。
襷がけした書生姿が映えるのはもちろん、彼の仕事ぶりが優秀だからこそ、なのだろう。
私はカツサンドを待ちながら、スマートフォンでアトラスとシトラスを検索する。
ゲームメーカーや地図帳以外、できれば近辺の店や企業が出ないか。
あれこれと検索条件を弄ってみる。
ヨガスクールにストールのブランド、ボードゲーム――
「シトラス」「アトラス」単独ではかなりの検索結果がヒットするものの、「アトラス・シトラス」というものは見つからない。
いっそ「シトラス」か「アトラス」の名が付くものに、片端から連絡を取ってみたりしようか。
思いつめたところで我にかえる。
そもそも名前も顔も分からない状態では、闇雲に聞き込みすらできない。
「どうすればいいのよ……」
呻きながら水を飲んだとき、私の脳裏に懐かしい記憶がよぎる。
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