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既読:どうしようすごい好みのお姉さんに出会っちゃった

はじめまして。少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです。

 たった一杯のカクテルで悪酔いするほど気が滅入っているのは、昼間の何気ないゼミでの会話が原因だった。


『そろそろ佐紅、彼氏つくんないの?』


 ――誰だって触れたくない地雷はある。

 私の場合、その範囲が普通の学生なら当たり前の話題の中にあるというだけで。


「佐紅ちゃん、これよろしく」


 隣からまわってきた注文メモを片手に、私は声を張り上げる。


「はい、他に注文ある人ー!」

「「ないでーーーーす」」


 確認を終えると、私はピッチャーのお冷を独断で追加し、スタンバイする店員に注文メモを渡した。

 悪酔いしている人がいないか。

 無理に酒を勧めていないか。

 全体の雰囲気を見ながら席を回って皿を片付けていると、不意にくらりと酔いが回り、膝が座っている人の背中に当たった。

 ふわっと柔らかい感触は女の子だ。


「ごめんなさい」

「いえ、大丈夫よ」


 ぶつかられた人は、私を見上げて柔らかく笑う。綺麗な大人の女性だった。

 華奢な体にぴったりフィットする黒いタートルネックを着た彼女は、磨き上げた大理石のような、近寄りがたいほど黒々とした綺麗な目をしている。

 見つめたまま硬直する私に、彼女は人懐っこく首をかしげる。


「どうしたの?」

「あ……な、なんでもないです」


 私は慌てて首を振って彼女から離れる。

 再び席を巡回しつつ、彼女が何者かを思い出そうとした。思い出せないということは外部の参加者だろう。映像製作サークルの打ち上げは学生以外も多く参加するので、他大学の学生もいれば社会人もいる。


 せわしなく空いた皿を片付ける振りをしながら、私の意識は彼女に縫い付けられたままだった。女の人特有の、ふわっとした体温と匂いの余韻がくっついたまま離れない。普段ならすぐに気持ちを切り替えるようにしているのに。これも酒のせいだ。


「先輩、先輩」


 呼びかけに気付いて振り返ると、後輩女子が申し訳なさそうこちらを見ていた。


「私、そろそろ門限なので……帰りたいんですが」

「じゃあ送るよ。ちょっと酔い冷ましたいから」


 ありがとうございます、と後輩は控えめに笑う。気遣いに安心する表情だった。

 私は床を踏みしめるように真っ直ぐ歩く努力をし、後輩と共に店員の威勢の良い声を浴びながら居酒屋を出た。

 

 頬に、冷やっこい夜風が吹きつける。酒で火照った体には刺激的だ。


「寒いですねえ」


 後ろで後輩がつぶやく。


「早いね。文化祭やってる間にもう冬だ」


 小さな歩幅の彼女の歩幅に合わせて歩きながら、徒歩十五分ほどの駅まで当たり障りのないお喋りをする。カイロを貼ったように熱っぽかった胃と頬が、夜風に否応なしに冷まされていく。


「先輩すみません、寒いのにわざわざ」

「いいよ。女の子一人で帰るんだから当然。男どもに任せてても動かないしね」

「でも先輩だって女の子じゃないですか」


 揺れる飴玉みたいなイヤリングが、ゆるくパーマをかけた髪の隙間で揺れている。なんて可愛らしい、砂糖菓子のような女子大生。私はざっくばらんさを装って笑う。


「いやいや、私は大丈夫だよ。慣れてるしさ、ほら、女扱いあんまりされないし。可愛い子は一人で帰っちゃだめ」

「それは持ち上げすぎですよ。先輩酔いすぎてるんじゃないですかぁ」

「酔ってる! でもシラフでも同じこと、言ってる!!」


 冗談のように言い合ってると、ふっと後輩が面白がるような声を潜める。


「――そういえば先輩」

「ん?」

「付き合ってる人とかいるんですか?」


 ふわふわと緩んでいた気持ちが一気に現実に戻る。

 風が吹き込む襟元を押さえながら、私はおどけた苦笑いを絞り出す。


「全然。いるわけないじゃん」

「えー。先輩優しいし、絶対モテそうなのに」

「はは」


 ちゃんと笑えているだろうか、恐れながら私は彼女の背中を叩く。


「そういう対象として、なかなか見てもらえないってやつかなー」


 追及されたくないまま大股で歩を進め、私は押し出すように後輩を見送った。

 何度も頭を下げる彼女を好ましく思いながら、逃げるように踵を返す。まだ終電までは早い時間、学生が多く往来している道をよろよろと進んだ。


 力が入らないのは酒のせいだけじゃない。

 アスファルトに沈んでいくように足が重い。生きる力全てが削がれている、そんな心地だった。


『先輩、付き合ってる人とかいるんですか?』


 今日はこういう話題ばかりなのか。溜息を吐きだすと同時、苦い記憶と共に吐き気までこみあげてきた。


「うう……」


 さすがに往来で吐く訳にはいかないと、私は口を押さえて電信柱に寄りかかる。

 すると突然背中をぽんと叩かれる。

 振り返ると、先程の黒々とした瞳の女が微笑んでいた。


「先輩も大変ね」


 先ほどの後輩の声音をまねて、彼女は笑う。溶けたチョコレートのように甘い声だった。


「もしかして、ついてきてくれていたんですか?」

「酔い覚まししたくって、ね。ふらついてたけど、大丈夫?」

「は、はい」


 続けて二度三度、ぽんぽんと背中を柔らかく叩かれる。妙に肌の距離が近い人だ。


「そうかそうか。さ、戻りましょうか」


 言いながら、彼女は躊躇いなく私の手を取る。

 冷たい指先にうろたえる暇もなく、彼女は繋いだ手を引いて進んでいく。もしかしたら覚えていないところで仲良くなっていた人なのだろうか。外部からもエキストラを募る映像サークルの性質上、関わった全員を覚えているのは不可能だ。


「あの、すみません。今までにどこかで、お会いしたことありましたっけ?」


 グロスを塗った唇が悪戯に笑った。


「今日がはじめましてよ」

「そ、そうなんですか?」

「あなたが気に入ったの」


 彼女は甘く微笑んで、私の手をぎゅっと握り返す。夜風と後輩との会話で冷えていた心身に、再びほかほかと火照りが戻ってきたようだ。


 飲み会の場はいよいよぐだぐだになっていた。

 適当に掘りごたつの隅に座り、私はウーロンハイを、彼女は焼酎のお湯割りを注文する。


「強いですね、焼酎って」

「ダイエットしてるのよ」


 華奢な鎖骨はとてもダイエットが必要には見えない。彼女は目の前に置かれた焼き鳥を引き寄せると、私の皿に手際よくばらす。慣れた大人の手つきだった。ネイルを塗っていない短い爪なのが余計、意味深で色っぽい。


「正直、私よりも細くないですか? ダイエットなんて……」

「そんなことないわよ」


 いきなり、彼女は私の手を取り自分の腹に伸ばしてきた。


「ほら、結構おなか凄いんだから」


 柔らかな感触をつままされ、一気に顔が火照る。テーブルのおかげで手元は隠れているものの、人前でこんなことをする恥ずかしさでいたたまれない。誤魔化すようにウーロンハイを飲み干す。彼女の黒々とした瞳が、じっと私を捉えていた。


「あなたの作品観たけど、すごくよかったわ」


 思いがけない言葉に焼き鳥を取りこぼしそうになった。

 私が発表したのは10分ほどのショートフィルムで、一人の美少女を片思いの男がずっと目で追っていく内容の無声映画だ。

 映像にレトロな色調の加工を施して古風な片恋を表現したつもりだったが、評判は散々で。


「ストーカーっぽい」

「ストーリーすらない」

「美少女は超カワイイ。紹介して」


 そんな感じで唯一美少女の魅力だけは絶賛されたが、それは映ってくれたヒロイン役が恐ろしくフォトジェニックだったからなので、私の実力ではない。


「声をかけようにもかけられない。遠い存在の女の子を、恋心がばれない距離からずっと見つめているしかない――」

「わ、わかっていただけますか!?」


 狙いをそのまま言い当てられ、興奮するままに前のめりになる。私は映像にかけたイメージと思いを、酒で膨張した興奮のままに語った。長々と口にしたところで、黙って聞いてくれていた彼女に気づき、私ははっと我に返る。


「ごめんなさい、一人でまくし立ててしまって」


 オタクの悪い癖だ。誤魔化すように酒を呑むと、ウーロンハイはいつの間にか新しいグラスになっていた。


「注文しておいたわ」


 彼女はグラスに口づけて目元で笑む。美味しいお酒になっているならいいのだけれど。と、いたたまれない気持ちの底で思う。


「ところで、」


 表情から冗談の気配を抜き、彼女は磨き上げた大理石の瞳で私を見つめた。


「そういう恋の経験があるの?」

「え」


 黒々と、まっすぐ奥まで貫かれてしまいそうな彼女の視線を中心にして、世界が緩慢に右回りに回る。飲み込まれてしまう前に視線をそらして深呼吸した。もう既に遅いのか、目を閉じてもくらくらする。彼女の手が私の膝に乗る。胸が高揚した。


「あ、ありますけど……」


 こんな気持ちいつ振りだろう。酒の勢いの夢だとしたら、どうかさっさと忘れたい。それくらい甘い感覚だった。

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