神と人と
出陣の日はアトラスの言葉通り、その日から三日目になった。元ルージ軍歩兵の数は増えて千二百になった。先の戦でマリドラスの配下として戦って生き残った騎馬部隊を再編成した兵が八十、ギリシャ人歩兵五百余り。彼等は宮殿の敷地の広場の一角に整列した。
広場に集合した兵士たちを眺め、出陣を見送るライトラスたちは口には出さなかったが不安げな表情を浮かべていた。先にグラト軍と戦うために、ラクナルに率いられてリマルダの地へ出陣したルージ軍の半分にも満たない。
アトラスはこの僅かな兵で、いまやアトランティスの三分の一の広大な国土を持つグラト本国へ攻め込もうとしている。しかし、アトラスと共に戦う兵士たちの目に迷いや恐れはなかった。
アトラスは馬上、兵士たちより少し高い位置から彼等の姿を頼もしげに眺めて叫んだ。
「今この時、矢は放たれる。槍は投げられて敵の心臓を貫く。我らはその硬き鏃、鋭き槍の穂先だ」
アトラスはそこで言葉を句切り整列した兵士の中でルージ兵一人一人の顔を眺めるように視線を注いで言った。
「私と故郷を同じくする者よ。覚えていよう。我が精兵三千は、数千の兵で固く守られたフローイ国を攻略した」
その言葉の通り、彼等はアトラスと共に戦い、フローイ国の多くの都市を占拠していたし、リーミルの知略がなければフローイ国全土を占領していたかも知れない。彼等はアトラスと共にそんな戦果を上げたという誇りを込めて喚声を上げた。
アトラスはクセノフォン率いるギリシャ人部隊に視線を転じて言った。
「誇り高いギリシャの血を引く者たちよ。そなたたちは自ら自由と尊厳を勝ち得た。しかし今、それも侵されようとしている。身近らと家族の尊厳を守るため私と供に戦え」
そんな呼びかけに、ギリシャ兵たちは抜いた剣の切っ先を空に向けて掲げて、アトラスに対する忠誠を示した。アトラスは右腕を上げてギリシャ兵たちに答え、その視線をギリシャ人部隊の横にいたエキュネウスとその部下に向けたる
「そして、我が友エキュネウス。私は誰よりそなたと配下の兵士の勇敢さを知っている。今、共に戦える事を心強く思う」
エキュネウスたちは、抜いた剣を盾と打ち鳴らして応じた。
アトラスの呼びかけに兵士たちの士気が高まる中、大神官長ゴルロースが尋ねた
「王よ。どの神に祈りを捧げるおつもりでしょう。真理の女神、戦の女神、運命の神の三柱の神々がよろしいかと」
アトラスは少し迷った後、しかし、決断してきっぱりと言った。
「いや。我らの出陣に当たって、神々への祈りは無用に」
アトラスの言葉に大神官長が、怒りの混じった不快感を露わにした。
「王は神々のご威光をないがしろにされるおつもりか?」
アトランティスの中原、アトランティスでも最も高貴とされたシュレーブ国生まれの大神官長ゴルロースにとって、アトラスは大地から東に離れた辺境の島の田舎者。そして先の大戦ではこのシュレーブ国を戦火に晒し、その都パトローサを焼いた後、王ジソーを死に追いやった男。
何より大神官としての彼に受け入れがたいのは、アトラスが神帝の御前で神々を謗る暴言を吐き、アトランティス全土戦火に包む大戦の口火を切った事だろうか。
出陣を前に、不快感を滲ませる大神官長と、どう答えるべきか迷いを見せるアトラスが黙って向き合った。
クセノフォンが何かを察するように叫んだ。
「我らが王よ。我らギリシャの者どもへの配慮ならご無用に」
アトラスがこれから戦いに挑むギリシャ兵たちに、アトランティスの神々を強要することを避けようと配慮しているのではないかと考えたのである。
しかし、アトラスは首を横に振り、クセノフォンたちに届くほど声を張り上げて言った。その声は広場に集う者たちに届いた。
「いや。違うのだ。戦が始まって三年間。この大地では、兵士や民、女や子ども、多くの者たちが死んだ。あの死んだ者たちには神々のご慈悲がなかったのだろうか? いや、亡くなった者たちは、それぞれが懸命に生き、人として命を全うしたのではないか」
彼は記憶をたどりながら思いを綴った。
「戦が終わったのも束の間、再び戦が始まった。これが神の差配だと? いや、人が己の欲望と憎しみによるもの」
アトラスのたどる記憶は、最近の哀しい体験に至った。
「再び始まった戦で、私は戦の師とも考えたマリドラスと兄弟とも感じていたラヌガンの二人、そして多くの兵士を失った。ここに集う皆も同じだろう。家族や親友を亡くした。彼等の命を奪う事が神々の仕業だと?」
アトラスは兵士たちに注いでいた視線を天に向けた。
「しかし、私は神を信じている。人は人として生き、神々はそれを見守ってくださるのだと」
神々は人の運命に介入する存在ではなく、一人一人の生き方を見守る存在だという。アトラスは思いつめた瞳を大神官長に向けた。
「大神官長ゴルロースよ。私は間違っているのだろうか」
彼の言葉にゴルロースは否定も反論も支持をする事も出来ず、迷った末に言葉を吐き出した。
「それならば、運命の神の差配に任せ、お好きになさるが良い」
アトラスはその言葉を受け入れるように頷いて言った。
「私は、人として懸命に生き、人々の誇りを神々に見ていただきたいのだ」




