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次なる戦場

 ラヌガンが笑顔を浮かべて言った。

「叔父上。大勝利です」

 しかし、マリドラスは慎重な表情を崩さなかった。

「まだクスニルスが残っている。パトローサを脅かす者が残っている以上、まだ我らの勝利ではない」

「なるほど。しかし徴募兵が二千だけらともかく、正規兵が千」

 未だ敵とは大きな戦力差がある。目の前の戦は数が上回る大軍とはいえ、士気が低い徴募兵たちが中心だった。しかし次の戦いは訓練された敵の正規兵だけでねルージ軍を上回る。マリドラスは先のタッドルススの戦ぶりを語った。

「彼らの戦いぶりを見た。グラト軍は正規兵の損耗を恐れて、徴募兵を前面に追いやる戦いだ。敵の前衛は退却する事も知らず、後ろから追われて前進する。我らは騎馬兵。そこにつけ込む事も出来よう」

「面白い戦になりそうです」

 この時、冥界のエトンの皮肉な笑い声のように地が揺れた。


 マリドラスは兵士たちと降伏した徴募兵に休息と食事を与えたあと、負傷兵や遺体を馬に乗せ、降伏した徴募兵に世話を任せてパトローサへ移送するように命じた。

 ラヌガンが不思議そうに尋ねた

「叔父上、彼らを伴わなくてよろしいので」

 戦いが終わって、敵の徴募兵が二千人以上寝返った。その兵士たちも加われば、次の戦いもかなり有利になると考えたのである。しかし、マリドラスの考えは違った。

「我らの武器は、愛馬の足の速さぞ」

 もともとアトランティスで騎馬の部隊は、三年半前、アトラスの兄ロユラスが兵に馬の速度を加えることを思いついてフローイ国攻略の要となった。ルージ軍兵士たちは各地を転戦して馬と共に戦う事を学んだ。

 騎馬兵として積んできた経験から言えば、降伏した徴募兵を味方に組み込めば、戦に不慣れな徴募兵に幾人もの指揮官を割かねばならず、何より機動力が武器となる騎馬兵の力が大きく削がれる。

 降伏した徴募兵たちのエリュティアに対する忠誠は疑うべくもない。しかし彼らを戦わせるなら、彼らの中から戦う意志と能力を持った者を募り、その者たちに指揮官を与えて戦闘の訓練を積んでからだ。故郷に戻る事が出来ない彼らは、戦が終わるまでパトローサで過ごすのが良い。次の戦は心許せる精兵たちで戦う。それがマリドラスの判断だった。


 マリドラスは残った兵士を整列させて言った。

「周りを見よ。ルージ島を出て以来、共に戦い、共に過ごした仲間だ。しかし、今、友に別れを告げる時かも知れぬ」

 彼は別れという言葉に敏感に反応した兵士たちに正直な見込みを語った。

「今日は皆の奮戦のおかげでタッドルススを討ち取ったが、次はそう上手くは行くまい。クスニルス率いる正規兵だけでも千を超えるという。それに加えて徴募兵が二千を越える」

 口には出さなくとも兵士たちもおおよその状況は聞き知っている。しかし兵士たちは指揮官の口から語られる不利な状況に改めて息を飲んだ。マリドラスはそんな兵の表情を見回して決意を語った。

「しかし、私は撤退はできぬ。命を賭してもパトローサを守るための時間稼ぎをすると約束した」

 マリドラスは大きくため息をついて改めて兵士たちに語りかけた。

「百人でよい。誰か私と供に戦う者は居ないか。戦の女神パトロエに恥じぬ戦をして見せよう」

 次は全滅も覚悟の血みどろの戦になる。そう言って眺め回した兵士の中に、マリドラスの視線を避けようとする者は居なかった。皆マリドラスの視線を受け止め、彼の言葉と向き合った。

 一人の兵士が叫ぶように言った。

「マリドラス様。静寂の混沌ヒュリシアンに行った子どもに、自慢できる戦をさせて下せえ」

 ルージ島の沈没とともに死んだ家族に静寂の混沌ヒュリシアンで再会したいという。別の兵士も笑顔で叫んだ。

「そうだ。俺も可愛い妻に自慢しなきゃならねぇ」

「マリドラス様についていけば、面白い戦が出来そうだ」

 そんな声が次々に上がってルージ軍の士気は衰えなかった。マリドラスは満足そうな笑顔で兵士たちの顔を眺めてた。そのどの顔も名前まで知っている親しい者たちで、中にはその妻や子の名を知っている者もいる。年配の者もいるが、まだ二十歳そこそこの幼さが抜けきらない者も居た。マリドラスは笑顔の裏でこの者たちを死に追いやる罪悪感と感じていた。

 そんな指揮官の心理を察したかのように一人の兵士が叫んだ。

「我らが何のために生きているとお考えで?」

 これから向かう戦場で死も辞さぬと言う。マリドラスはそんな兵士たちに力強く言い聞かせた。

「死を考えるな。敵将を討ち果たす事のみ考えよ。目的を果たせば戦の女神パトロエの賞賛は我らの物だ」


 物見が戻ってクスニルスの部隊の存在を知らせた。同様に敵も物見を発していてルージ軍の接近を知らせて居るのだろう。敵は前進を止め、辿り着いたルードン河の河原に留まっているという。

 その報告を聞きながら、マリドラスはふと傍らのラヌガンを眺めた。この甥も家族と愛する許嫁を失っている。ラヌガンはその哀しみを見せず、兵たちと運命を共有しているように微笑んで尋ねた。

「クスニルスは何を考えているのでしょう」

「タッドルススの部隊と同様、水を補給するつもりだろう。そして、タッドルススの部隊の壊滅を知った頃だ。情報を整理したくもなる」

「前進を始めるのは?」

「我らが動かねば明日。ルードン河の河原に沿ってパトローサを目指すつもりだろうよ」

「では夜を待ちますか?」

「いや。今から行けば陽が高い内に出会える。こちらから出向こう。有利な体勢で戦うのが良い」

 マリドラスは時間稼ぎの為にここに留まるのではなく、夜を待って少数の兵で夜襲をかけるのでも無く、真理の女神ルミリアに象徴される太陽の下で敵と戦うという。


 その言葉の通り、マリドラスは陽が中天に差し掛かる前、彼は兵を率いて出発した。敵味方が遭遇したのは、まだ日暮れに間ある頃だった。雲一つ無い晴れ上がった空の下で、太陽が敵と味方を照らし出していた。

 ルードン河の川辺から土手まで、半ゲリア(約四百メートル)ほどの幅の広い河原が、東西に長く広がっている。グラト軍はそんな河原でルージ軍を迎え撃つ体勢を取っていた。ルージ軍が物見を出しているのと同じく、グラト軍も物見を発して状況を探っている。彼らがルージ軍の接近に気づいているのも当然だろう。

 マリドラスは人の背丈の二倍ほどの高さの土手の上からグラト軍の陣の全景を眺めた。

「ほぉ。ずいぶん自信があるようだ」

 マリドラスがそう言ったのは、クスニルスがルードン河を背にして戦列を整えていた事である。背後はルードン河。前方から攻撃をかければ、クスニルスに逃げ場はない。ラヌガンがその言葉に頷きながらも言った。

「しかし、我らの動きを封じたつもりでしょう」

 グラト軍が川辺を背にしていると言う事は、ルージ軍が馬による機動力を生かして、グラト軍の戦列の側面から後ろに回り込んで、クスニルスを討ち取る事も出来ないと言う事だ。

 クスニルスの立場では背後の不安を感じずに前面のルージ軍を数で押しつぶせばいい。それも前面の二千の徴募兵がルージ軍をすり潰す。残ったルージ軍を正規兵で片付ければいいという算段か。クスニルスはその陣形でルージ軍騎馬兵の動きを封じているのかも知れない


 そんな敵味方の腹の探り合いの中、ルージ軍騎馬隊は土手沿いに三列縦隊に並んだかと思うと、一斉に川辺のグラト軍へと向きを変え、ゆっくりと土手を河原まで降りた。更に少し前進させて敵味方の戦列の距離を縮めた。ルージ軍からグラト軍を眺めれば、一千の正規兵をクスニルスを守るように厚く並べ、その前方に二千の徴募兵が戦列を組んで戦の開始を待っていた。

 数で言えばグラト軍がルージ軍を圧倒している。その余裕もあるのだろう。グラト軍はルージ軍の攻撃開始を待って反撃に転じるつもりだろう。

 

 マリドラスはこちらこそグラト軍の攻撃を受け止めると言わんばかりに部隊を停止させた。彼は傍らにいたラヌガンに言った。

「さて、戦の前の挨拶をしてこよう」

「分かりました」

 兵はその位置に留めたまま、二人は馬を軽く駆けさせて、張り上げた声がグラト軍の前衛に届く距離まで馬を進めた。挨拶の相手は敵の前衛に配置されている徴募兵たちだった。

「シュレーブ国の民だった者たちよ。聞き及んでいなければ教えてやろう。タッドルススの元にいた徴募兵たちはエリュティア様に下ったぞ。今は命を長らえてエリュティア様の庇護の元にいる」

 マリドラスの言葉に続けてラヌガンも叫んだ。

「お前たちはどうする。戦って骸に成りはてるか。生きてエリュティア様の庇護を受けるか、今すぐ決めるがいい」

 マリドラスが続けて叫んだ。

「故郷の妻や子ども、老いた両親の事も考えよ。そなたたちの死を望むのは、後ろにこそこそと隠れているクスニルスだけであろう」

 前衛にいる徴募兵たちが顔を合わせて動揺する様子が見て取れる。この時、グラト軍の陣に、戦いの開始を告げる角笛が鳴り響いた。これ以上二人に叫び続けられれば徴募兵たちの士気が落ち、混乱もする事を危惧したに違いない。


 戦いの開始を知った二人は笑いながらルージ軍の戦列へと馬を走らせた。ただ、ラヌガンは戦列の右端に、マリドラスはその左端に。

 マリドラスの心の中で先ほどの兵士の言葉が心の中で蘇っていた。

「何のために生きていると……」

 ルードン河河畔の激闘が始まった。

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