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ラヌガンとマリドラスの戦い

 その夜、敵はルージ軍の夜襲を警戒して、宿営地の周りを簡単な柵で囲い、その中でかがり火を赤々と宿営地の周囲にいくつも炊き上げていた。その明るさは天空の星々の灯りさえかき消すほどだった。ラヌガンたちはその灯りを目指して行けば良く、月のない闇も目的地に迷う事はなかった。

 そんな明るさに慣れた敵の目には、ラヌガンたちの姿は闇にとけ込んで見え無いだろう。馬は主人を信頼して手綱を引かれるまま静かに歩んだ。

 彼らは敵の宿営地の南へと回り込んだ。かがり火に宿営地の中の様子が浮かび上がって見える。

「そろそろか」

 ラヌガンがそう言ったのは、宿営地に敵兵の影が減ったらである。敵の兵士たちの多くが天幕に入って眠りにつき始めたと言う事である。

「火を」

 短い命令と共に、兵士の足下に集めた柴に火がついた。敵のかがり火に比べれば小さな火だが、敵に大混乱を引き起こす。百の兵が一斉に焚き火の炎を矢に移した。

「矢を放てっ」

 命令と共に百の火矢が流れ星のように敵の宿営地に降り注ぎ、その回数は五度に及んだ。矢を放ち終わった兵たちは、抜いた剣で盾を打ち鳴らしながら喚声を上げた。静かだった宿営地が、天幕から飛び出した敵兵で賑やかになった。燃え上がる天幕も一つや二つではなかった。しかし、寝静まっていた敵の大半は、火矢が放たれた方向を見ておらず、ラヌガンたちが何処にいるのか分からないまま、燃え上がった天幕の火を叩き消す者や、何処にいるのか分からないルージ軍の姿を求めて右往左往する者立ちの姿が炎に照らされていた。


 ラヌガンは自らの存在を誇示するように、更に三度、兵士に火矢を放たさせた。これで敵は火矢の飛んできた方向とルージ軍の居る位置を理解しただろう。

「さて、ずらかろう」

 馬で移動する彼らに、敵が追いつく事は出来ない。敵がやってきても、この場所はもぬけの空だ。

 ラヌガンは敵の視界の外の暗闇を移動して、今度は東側から喚声を上げ、火矢を放って敵の天幕や食糧や武具を積んだ荷車を炎上させた。そして、その次は北側から。南、東、北と敵陣をぐるりと回るように見せかけて、次は再び南から。そうやって、彼らは夜の闇が大地を包む間、場所を変えて火矢を放ち、喚声を上げて敵を翻弄し続けた。

 

 ラヌガンは明け方と共に、兵を一人も失う事もなく、マリドラスがいる第一の陣に立ち寄った。彼らはここを通り過ぎて後方の第二の陣で休憩を取る。その前に、前夜の戦況をマリドラスに伝えておかねばならない。

 ラヌガンは功績を誇る事もなく、淡々と敵の王子クスニルスの存在が確認できなかった事などを伝えた。

 仮は報告を締めくくるように言った。

「敵が夜明けと共に混乱を収めて出立しても、この辺りに姿を見せるのは、陽が中天に差し掛かる前かと」

「用意は出来ている」

「ではお気を付けて」

 そう言って報告を終えて、再び馬に跨って去っていくラヌガンたちに、マリドラスは言葉をかけた。

「ああっ。そなたたちはゆっくり休むがいい。これからもっと忙しくなる」

 作り上げた四つの防御拠点を後退しながら、敵に損害を与え、士気を削ってゆく。しかし、それが出来るのも三つ目の防御拠点まで。最後の防御拠点まで下がればルージ軍に後はなく、死ぬまで敵と戦うだけ。


 後方で柵作りを命じていた兵士たちは、柵作りの命令を果たし終えて前進し、マリドラスの指揮下に戻って彼の指揮下の兵は七百ばかりになった。既に兵たちには夜明けと共に食事をするように命じてあり、食事も終えた兵士は出立の準備も整えていた。

 マリドラスは陽が昇っていく東の方向を仰ぎ見た。第二の陣に後退したラヌガンが、敵がこの四つ目の防御拠点に到着するのは、陽が中天に差し掛かる前かと予測した。

 敵も物見を放ってこちらの様子を探っているに違いなく、敵もこの場所にルージ軍が居る事は知っているだろう。ルージ軍が小勢だと知った敵は、ルージ軍がこの防御拠点に籠もってグラト軍を迎え撃つつもりだと考えるに違いない。

「それならば、こちらから出向こう」

 それがマリドラスの判断だった。

 

 彼は大平原の中を東西に延びる街道から半ゲリア(約四百メートル)の距離を置いて東へと兵を進めた。敵はその街道を西のパトローサに向かってやって来る。この距離なら街道を西に来る敵の姿を見逃す事はないだろう

 彼が考えたとおり、間もなく敵の先頭が見えた。

「見よ。蛇が見えたぞ」

 マリドラスの冗談に兵が笑った。敵はこんなところでルージ軍と遭遇するとは予想もせず、二列縦隊の行軍隊形のまま街道上をやって来た。この隊列の尾は見えないが、2ゲリア(約1.6km)には及ぶ長い蛇である。

 敵もルージ軍の存在に気づいたはずだが、長い隊列の全ての行動を把握できる指揮官も居ないようで、停止も戦闘隊形への移行もせず、前進をづけていた。


 マリドラスは抜いた剣で街道上の敵を指して命じた

「あの蛇の頭と胴を貫いて駆けよ」

 馬を駆けさせれば、敵が備える間もなく無くたどり着く距離であり、敵兵が二列に並んだ長い蛇の胴を真横から襲えば、敵はマリドラスたちの勢いを防ぐ事も出来ないまま、馬蹄で蹂躙される。


 グラト軍という長い蛇の頭部はルージ軍騎馬隊に踏みにじられた。マリドラスは馬の走る勢いはそのままに、進路を転じて再び蛇の胴を食いちぎるように駆けた。彼はその間にも注意深くグラト軍の隊列を眺めていた。先頭には王旗は無く敵の王子クスニルスの存在は確認できない。

(ここまでか)

 マリドラスはそう考えた。一方的に敵を蹂躙してはいるが、いずれは馬も疲れ切る。討ち取るべきクスニルスが居なければ、ここで戦い続ける意味はない。彼は戦闘を長引かせることなく、身を翻すように防御拠点に駆け戻った。


 第一の防御拠点に戻って、敵の進路を妨害する長い柵の向こうを眺めれば、いくつもの杭を打ち、杭に縄が張り巡らしてある。正面から攻撃しようとする敵は、そんな障害物に足を取られ前進に苦労する。

 味方には弓を持つ兵士も多く、前進して障害物に阻まれる敵は矢を浴びて倒れる事になる。敵の指揮官が利口なら、その結果を悟って正面から攻める事を避けて、柵のないルージ軍の側面に回り込んで攻撃をかけようとするだろう。移動するグラト軍は長く伸び、その行く先へ導く先頭に、敵の指揮官がいるに違いない。味方は陣を空にしてでも全力でその先頭を叩いて敵の指揮官を討ち果たすというのがマリドラスの想定した戦術だった。


 そのグラト軍がルージ軍の目の前に姿を見せた。長い行軍隊形を戦闘隊形に組み替えてきた。左右の幅が半ゲリア(約四百メートル)と、その隊列の端は左右の視界を越えるほどの幅がある。地面よりやや高く、馬上から見る敵陣はそんな幅に並んだ兵士が八列か九列にも並ぶ厚みがある。そんな敵の戦列を突破して後方にいる指揮官を襲うのは無理に違いない。ルージ軍にとって、敵の出方を眺め、敵が隊形を変化させて、正面から移動するを待つしかない。

「右か、左か」

 そう呟くマリドラスの前で、彼が目を疑う光景が生じた。敵は姿を見せた隊形のまま前進を始めたのである。まるで目の前にあるルージ軍が施設した障害物など目に入らぬようだった。

 しかし、ルージ軍が設営した障害物は、確実に前進する敵の足を止めた。マリドラスは兵に命じた。

「矢をつがえ。放て」

 的を外しようのない距離で、七百の矢が敵に放たれた。敵の前面にいた者は一人で十数本の矢を受けて、悲鳴を上げる間もなく地に倒れた。

 しかし、敵は杭に張ったロープを斬り、柵を倒し乗り越えて前進を続けてきた。その間にも敵は矢を浴びて悲鳴を上げる者が絶えなかった。敵の指揮官は兵の命など意に介さず、兵の数でルージ軍を押しつぶそうとしているようだった。

 迫ってくる敵の表情まで見える距離に迫ってくると、その必死な形相の中に、老人や少年と言っていい年齢の者が混じっているのが判別できた。矢を浴びせている敵が、敵ではなく自分と同じ人間だという罪悪感がある。


 前進する敵兵の一番後方で、味方であるはずの兵の背後から剣を振って脅して前進させている者たちの姿が見えた。グラト軍は未熟な徴募兵たちを剣や槍で脅して死地に追い込んでいるのだった。

 マリドラスは怒りと共に呟くように言った

「何という男だ」

 敵の指揮官の事である。戦に犠牲はつきものとはいえ、味方の兵の命を平然と使い捨てにする冷酷さに、同じ武人として驚きと怒りを感じざるを得ない。既に幾度か矢を放ち敵に損害を与えた。このままでは、敵は障害物と味方の死体を乗り越えて、直接剣を交わす事になる。

 マリドラスはこの防御拠点を捨てる決断をして味方の兵に命じた。

「乗馬。後方の陣に退くぞ」

 ルージ軍に被害はなく、グラト軍に一方的な被害を与えた。しかし、勝利と呼ぶには平和な民を虐殺したかのような後味の悪さを感じる戦だった。

 昨夜、ほとんど眠る事も出来ず、戦でも大きな痛手を負った敵は、マリドラスが捨てた防御拠点で休息を取り、兵を失った指揮官に兵を与え、指揮官を失った兵を新たな指揮官の下に組み入れて再編成しなければ、次の戦いはおぼつくまい。とすれば、次にマリドラスたちが戦うのは明日だ。


 マリドラスたちルージ軍本隊が後方の陣に着いたのは、陽も西に傾きかける頃。ラヌガンが居て休息を取っていた。再び彼の出番だった。昨夜と同様に敵の疲労と士気を挫きながら最後の陣で決戦を挑む。

 ラヌガンは自分の役割を良く理解していてマリドラスが到着する頃には既に出発の準備を整えていた。

「首尾はいかがでしたか?」

 ラヌガンの問いにマリドラスは眉を顰めて語った。

「ひどいものだ。あれでは戦の女神パトロエもお怒りになる」

 大軍相手の戦で命を投げ出す覚悟を決めているが、投げ出す命も武人の誇りに見合う戦の代償であって欲しいと考えている。しかし、おのれを安全に位置に置いて、兵の命をすり減らすだけの敵の将が相手では不満が募る。

 マリドラスが怒りや不満と共に吐き出した言葉に、ラヌガンが馬に乗りながら答えた。

「しかし、今はパトローサを守る事のみ考えねば。では、私は今夜も」

「ああっ。頼んだぞ。あのタッドルススの奴を気持ちよく眠らせてはならん」

「そして、出来ればクスニルスの居場所も探って参ります」

 ラヌガンはそう言い残して、昨日と同じように百の兵を率いて東へと馬を走らせていった。


 しかし、その夜半、そのラヌガンは役目も果たせないまま、急遽帰還したかと思うと、意外な客を連れて戻った。


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