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前哨戦

 マリドラス率いるルージ軍騎馬隊がパトローサを発って一日半。彼らはパトローサと聖都シリャードを結ぶ街道上を、東へと進み続けていた。

 ルードン河を渡ったという敵は、街道を迷わず西のパトローサへと進軍してくると言う。このまま進めば、日が中天を過ぎる頃に敵味方が遭遇するというのが、現段階でのマリドラスたちの見立てだった。

 その部隊の先頭で、ラヌガンがマリドラスに語りかけた。

「クスニルスの居場所が分かればいいのですが」

「運命のニクススにお任せするしかあるまいよ」

 敵の兵力は少なく見積もっても、今のマリドラスの手元にする兵力の四倍は超える。しかし、クスニルス一人を殺せば敵部隊は瓦解するだろう。一方、そんな好機が都合良く訪れる事もあるまいと冷静に考えてもいる。

 マリドラスは注意深く地形を眺めて馬を進めながら、ふと呟くように言った。

「さて、まずはこの辺りか」

 マリドラスはそう言って馬を止めた。パトローサから東へ、十八ゲリア(約15km)ばかり離れた場所だった。北に森林地帯がある事を除けば、視界は開けて広大な麦畑が広がっている。

 彼は百の兵を残して、道を塞ぐ頑丈で長い防護柵を作るように命じて、自分自身の覚悟を決めるように言った。

「これが最後の防御柵となる。パトローサを守る我らの最後の戦場だ」

 マリドラスが指さす点を結べば半ゲリア(400m)ほどの南北に長い柵になるはずだった。彼は柵作りの兵士たちに柵ができ次第、前方の本隊に合流するように命じて前進を続けた。


 前進の途中にあった集落の長には、民とともにパトローサに避難するよう命じ、その前に井戸に拳大の石をいくつも投げ込んで埋めさせた。民が戻って石を取り除けば元通り井戸として使えるが、これからやって来る敵はこの井戸から水を得る事は出来ないだろう。

 マリドラスは最後の柵と称した場所から、更に十ゲリア(約8km)ばかり、前進して馬を止めた。

「ここが、我ら最後から二番目の戦場」

 彼はそう言って、柵作りを命じた百の兵を残して、馬を駆けさせてさらに兵を前進させた。そうやって、物見から得た敵の位置から推理した、敵と遭遇する予想地点までの間の街道上に4つの防護柵を作らせた。

 最後の柵作りを命じた後、彼はこの柵作りが最後だと言った。

「ここが第一の陣。まずはここで敵と一戦しよう」

 マリドラスの言葉にラヌガンは天を見上げて首を傾げた。未だ太陽は天高く、日没までには時間がある。敵が来るまで時間はたっぷりあるはずだった。

 この時、先行させていた物見が情報を携えて戻った。敵の数は三千五百から四千。掲げる旗に王旗はなく、王の血縁者の存在は確認できない。敵の数は予想よりやや多いが、もとより勝利ではなく敵を足止めする事が目的だから、さほど重要な問題ではなかった。ただ彼らを喜ばせたのは、敵の進行速度が遅いと言う事だった。

「叔父上。ここに留まるより、進んで、日没を待って敵に夜襲をかけてはいかがですか」

 少数の味方で敵の大軍に挑むために常識的な提案をするラヌガンにマリドラスは別の事を言った。

「いや。まずは敵将に挨拶するとしよう。挨拶も時間稼ぎになる」

 マリドラスは4つめの防護柵を作る兵士百人を残して、ここに留まって後方の兵士たちが来るのを待って合流するよう命じた。マリドラスとラヌガンは四百人ばかりに減った部隊を伴って東へと進んで行った。

 

 放った物見がもたらした情報で敵と出会う場所は想定できる。マリドラスは間もなく敵の先頭と出会うだろうと判断した場所に馬を止めた。

 マリドラスは手際よく兵の指示して、前後四人で横に長く並んで、敵の行く手を遮るように隊形に変化させた。

 彼の想定通り、やがて敵の四千五百の兵が二列縦隊で紐のような長い隊列でやって来た。先頭にいた者がルージ軍に気づいて驚く様子を見せた。前方を偵察する物見も出していないか、ルージ軍騎馬隊の進撃があまりに早く、ここで遭遇する事は予測していなかったのかどちらかだろう。

 敵は慌てて行軍を停止させ、ルージ軍に呼応するように戦闘隊形を取ろうとした。その様子を眺めたマリドラスがラヌガンに言った。

「やはり、練兵が不充分」

 ラヌガンはマリドラスの命令を誘うように彼の表情を眺めた。敵が隊列を変化させる混乱状態に付け込んで、四百の兵で攻撃を加えようという事である。しかし、今は戦うつもりのないマリドラスの表情に、ラヌガンは目の前の状況を、肌に感じる時と共に眺めた。先頭の指揮官らしい男の命令に、兵は混乱している。

 勘の良いラヌガンは気づいた。一見、体勢は戦の準備を整えたルージ軍有利に見えるが、四百ばかりの騎馬兵で目の前の敵に突入しても、いずれ進路を阻まれ突入は勢いを失う。勢いを失って敵の中に孤立すれば、そのまま全滅するだろう。なにより、騎馬隊と言っても後世の部隊と違い、馬に乗ったまま戦うには、彼らの剣は短かく、馬上で剣を振るっても敵を傷つける事は難しい。移動にのみ馬を利用する。そういう戦い方をする兵士たちだった


 マリドラスはラヌガンに笑顔を見せて頷いて見せた。予定通り敵将に挨拶しようと言う事である。ラヌガンも頷いてマリドラスと並んで、攻撃の陣形を整えている敵に声が届く距離まで馬を進めた。

 マリドラスは言った。

「クスニルス殿は居られるか。それとも臆病故に我が前に姿は現せぬか」

 叔父の言葉に、ラヌガンも敵を徴発する言葉を叫んだ。

聖都シリャード攻めの折も、クスニルス殿は臆病故に戦に出ず、本国に取り残されたと聞いて居るぞ。その臆病者が我らに戦を挑むとは、戦の女神パトロエも面白い冗談に笑い転げているだろうよ」

 敵に煽られて兵の士気が下がるのを危惧したのだろう。敵の指揮官らしき男が進み出て名乗った。

「タッドルススと申す。そなたような者の相手にクスニルス様は不用。戦の女神パトロエがお笑いになると言うなら、そのような小勢で、我らの大軍を相手にしようという愚かなそなたたちの方であろう」

 そんな言葉を聞きながらも、マリドラスとラヌガンは注意深く敵兵を眺めていた。敵兵の列に乱れがあり、熟練した兵士から感じられる規律がない。弓を手にした兵も居ない。戦場で矢を放つにも訓練が必要だが、そんな訓練を受けた者も居ないと言う事である。

 

 敵の指揮官の言葉に、ラヌガンは笑いながら馬を進めた。彼はタッドルススが剣を抜いて駆け寄れば剣を交える事になる距離まで接近し、いきなり剣を抜いて切っ先をタッドルススに向けた。若いが幾多の血生臭い戦場を駆け抜けてきたラヌガンの視線は、剣の切っ先より鋭くタッドルススの心を貫き、タッドルススは思わずその視線を避けた。

 

「一騎打ちを所望。しかし、この臆病な指揮官では相手にならぬ。誰か私の相手をする者は居ないか」

 ラヌガンはそう言って、敵の戦列に沿ってゆっくりと愛馬を移動させつつ、剣の切っ先の居並ぶ敵兵に向けた。

「お前はどうだ、私と戦うつもりはないか?」

 そう呼びかける兵士が視線を逸らす都度、切っ先の向きを変えて同じ事を尋ねた。やがてラヌガンは諦めたように、大きくため息をつき、もう一度、指揮官タッドルススの近くに戻って言った。

「おおっ。私の思い違いであった。グラト軍は腰抜けばかり。私に戦いを挑む勇者は一人もいないということか?」

 彼はタッドルススから敵兵に視線を移し、言い聞かせるように叫んだ。

「知っておるか? 臆病で戦のしかたも知らぬ、このような将に率いられた兵は、戦場にむくろを晒すだけ。戦の女神パトロエさえ、その哀れさに嘆くであろうよ」

 ラヌガンは大声で笑って、愛馬の腹を軽く蹴ってマリドラスの傍らへと戻った。甥が戻るのを受けてマリドラスが怒鳴るように言った。

「戦を始めるつもりがあるならさっさとかかって来られよ。それとも足が震えて前に進む事も出来ぬのか?」

 マリドラスの背後にいたルージ軍兵士たちも、一斉に敵をあざ笑い、その声と姿は敵の目に焼き付けられた。マリドラスはさっさとかかって来いと言ったが、敵は街道上に長く伸びた行軍隊形を戦闘の隊形に組み替える途中で、多くの敵の兵士は今でも街道上を前進しているところだろう。


時も過ぎ、空を見上げればマリドラスたちの目の前夕日が赤い。日没は間近である。充分に時間は稼げた。敵の戦闘隊形も充実しつつある、この状況で真正面から戦うなどまっぴらだった。

 マリドラスは敵に別れの挨拶代わりの言葉を放った。

「どうやら怯えて戦う気も起こらぬか。タッドルススの配下の者どもよ。我がルージ軍の噂は聞いていよう。我らルージ軍は闇の中から沸いて出てそなたたちの喉笛を食いちぎって血をすする。幸い、今夜は月のない闇夜。命が惜しくなければ、我らに挑みかかって無駄な屍をさらすがいい。それが今夜か、明日か、明後日か、残された僅かな時を大事に過ごせ」

 彼らは馬首を飜して敵を徴発する笑い声を残して味方の兵を連れてその場去った。


 マリドラスは敵の姿が見えなくなる距離を置いて馬を止め、振り返って言った。

「ラヌガンよ。よく見たか」

「はい。動きを見れば、敵兵の練度と士気は低い」

「しかし、噂では故郷の家族を人質に取られている兵士たちだ。家族に累が及ぶのを恐れて逃げ出したり命令に反する者も少なかろう」

「哀れな事です。それでも、数が多いのはやっかいです。何か手を打たねば。今夜……」

 ラヌガンはそんな言葉で、もう一度、全軍で敵陣に夜襲をかけるべきではないかと言った。夜襲をかけ、敵の混乱に付け込んで敵将を討ち取るという、しかし、マリドラスは首を横に振ってその提案を拒絶した。別の算段があるという。


 敵の状況を探っていた物見が戻って告げた。日没には未だ時間があるが、敵は部隊を停止させて夜営の準備に入ったという。思いもかけず早くルージ軍と遭遇し、ルージ軍の夜襲を警戒して守りを固めたと言う事である。これで敵は明日の朝まで移動する事はないだろう。時間稼ぎが出来たと言うだけでもルージ軍にとって大きな戦果となった。


 物見の報告待っていたマリドラスはラヌガン命じた。

「ラヌガンよ、百の兵を任せる。夜の闇に紛れて敵の野営地に接近し、喚声を上げ、火矢を放って敵を眠らせるな。しかし、戦いは避けて、明け方の前には第二の柵まで下がって休め。私は第一の柵で、明日の朝、敵と一戦交えて退却し、第二の柵にいるそなたたちと合流する」

「承知しました。賑やかにやりましょう」

 



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