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アトラス暗殺

 同じ頃、聖都シリャードでは、グラト国王トロニスと彼の次男ルタゴドスが甲冑に身を固めて、聖都シリャードの城壁を睨んでいた。護衛の兵士と共に聖都シリャードの周囲を回ったが、攻める隙を見つける事が出来ない。

 王トロニスは苦々しげに呟いた。

「やはり、力攻めか、兵糧攻めか」

 彼はグラト軍を率いてルージ軍と共に聖都シリャードを囲んだ事がある。地の揺れで城壁が崩れ、アトラス率いるルージ軍が攻め込んで一夜で落として終わりを告げた。しかし、その折りに崩れた城壁は、聖都シリャードの中を巡る水路の取水口の辺りで、人々が元の生活を取り戻すために真っ先に補修される場所である。当然、今はそこも補修され、聖都シリャードの城壁の頑丈さを誇るように、その後にうち続く地の揺れでも崩れる箇所はない。力任せに攻めれば被害ばかり大きくなる事は経験済みだった。

「先ほどは、リマルダの領主から、詰問の使者が参りました」

 ルタゴドスの口調から、ろくに相手もせず使者を追い返した様子がうかがえた。王トロニスは気にかける様子もなく言った

「さっさと出て行けと言うのであろう」

「この辺りはルージ国内。我が軍はルージ国に踏み込んでいます。国力が弱っているとは言え、敵に回すのは避けるべきかと」

 次男ルタゴドスの言葉に、トロニスは武人らしい笑みを浮かべて彼を眺めた。ルタゴドスが言うのは、ルージ国と戦う日も来るが、有利に戦を進めるなら、今は戦うべき時ではないという事である。

 今、トロニスは後継者を決めるべき立場にいる。彼には二人の息子二人の娘がいた。王位を継がせるとすれば二人の息子の内どちらかだが、次男ルタゴドスの方が評価が高い。ラルト国との戦でも、長子のクスニルスは政務を任せると称して本国に残し、次男のルタゴドスを同行させている。長子のクスニルスはそんな父親に不満を抱いている。

 王トロニスは長子の不満を意に解する様子もなく、聖都シリャードの城壁を見上げて言った。

「まずは、立てこもったシミナスに、帰る場所はないと知らせてからだ」

 ラルト軍のシミナス王が戦をしている内に、彼が治める国土の半分近くが海に沈んでいた。国は半分になった上に、残された民は何もしてくれない王に怨嗟の声が満ちている。国は沈み続けて王を迎える領地も民も居ないと言う事である。

 その中、リマルダの地の領主から新たな使者がきた。

「うるさい奴らだ」

 ルタゴドスはルージ国内から退去しろという再三の要請かと考えたがそうではなかった。ルージ国王アトラスの訪問を告げる正式な外交の使者だった。

 王トロニスはやって来た使者に短く問うた。

「では、我が盟友アトラス殿は、いつお越しになる?」

「できるだけ早くとの事でございます」

「久々に会う友に、もてなしの準備もある。兵はいかほどお連れになるつもりかな」

 数千の兵を率いてルージ国の領土に踏み入れている彼と対等に話しをするために、アトラスもそれなりの数の兵を率いてくると考えている。その兵の数を笑顔を浮かべながら尋ねたのである。

 使者は首を傾げて答えた。

「いえ、兵などと。アトラス王は供のお方を三名、ともなっているだけで」

 使者はトロニスとルタゴドスに一礼すると足早に去った。その後ろ姿を見送りながら、ルタゴドスはため息をついて言った。

「兵も伴わず、供の者だけとは、相変わらず大胆なお人です」

「だからこそ、本心が読みにくい」


 王トロニスが眉をひそめてそう言ってから間もなく、アトラスか馬に乗り、三人の供を連れただけの姿で現れた。王トロニスは、ルージ国の領土に軍を率いて踏み荒らしている事には触れないまま機嫌の良い笑顔で声をかけた。

「アトラス殿、お久しい。お元気そうで何より」

「アトラス殿と再び会えた事、光栄の至りです」

 ルタゴドスの笑顔に、アトラスも馬を下りて笑顔で言葉を返した。

「いや。トロニス殿こそ、お元気で何より。ルタゴドス殿もな」

 王トロニスは人の良い笑顔を崩さず尋ねた。

「ところで、今日は何用で参られた?」

 聞かずとも、ルージ国の領土からのグラト軍の退去の要求に違いないと考えていたトロニスとルタゴドスに、アトラスは意外に事を言った。

「私はシミナス殿の使者にシミナス殿が兵を率いて聖都シリャードから退去し、次のアトランティス議会の場で再びお会いしようと伝えた。しかし、貴軍の包囲の様子を見れば、その使者殿はシミナス殿の元に戻れず、私の意志をシミナス殿に伝えていないかも知れぬ」

「では、どうされるおつもりで」

「このまま聖都シリャードの中に出向いて、シミナス殿と直接話してこよう」

「話しとは、我が国とラルト国との講和の事か?」

 王トロニスの問いにアトラスは頷いて言った。

「しかし、三つ、条件がある」

「何かな?」

「グラト軍が聖都シリャードの包囲を解いて、兵をルードン河の対岸の貴国の領地に戻す事」

「残りの条件とは?」

「今ひとつは、グラト国とラルト国はこの場で剣を収める事。三つめには次のアランティス議会で兵を伴わずに参集する。各国の問題は議会で取りはからおう」

 アトラスが言う新たな秩序の元で各国が共存しようという事である。しかしルタゴドスは首を傾げた。

「シミナス殿がその条件を飲むと?」

「私が出向いて説得する。まずは、聖都シリャードを包囲する貴軍の兵は我がルージ国の地から遠ざけていただこう」

 温厚な物言いを続けているアトラスだったか、この時にはグラト軍が踏み込んでいるのはルージ国の地だと断言し、グラト兵の撤退を求めた。その表情に今まで隠していた不快感が滲んでいて、他国が許可も得ず踏み込んできた事を黙認する気はないと言わんばかりだった。

「元より、聖都シリャード解放の折、レイトス殿やデルタス殿、フローイ国の使者殿と交わした約定。私は約定を違えぬ。」

 王トロニスは笑顔のままアトラスに賛同すると言い、アトラスは続けて要求した。

「では、包囲を解き、兵はルードン河の川辺に。私は聖都シリャードに入り、包囲が解かれた事を確認して、シミナス殿とここに戻る。ルミリア神殿の神官を伴ってくる故、ここに祭壇をしつらえ不戦の約定を交わそう」

 アトラスは言うべき事は伝え終わったと言わんばかりに再び馬に乗り、供を連れて去って行った。

 残されたルタゴドスは父王の表情を窺うように尋ねた。

「良いのですか」

「シミナスは国を失ったも同然の男。その男が生きていたとしても危険はない。しかし、ルージ国が小国に落ちぶれたとは言え、喧嘩を売るのは危険すぎる。ヴェスター国のレイトス王はアトラスの叔父。戦となればルージ国につく。そうすれば我らも苦戦する」

 王トロニスは未だレイトスが死んだことを知らなかった。古来、アトランティスは大国が大地に覇を唱えようと小国を踏みにじり併合する歴史を重ねてきた。聖都シリャードにおける仮初かりそめの平和が続くと信じる者などよほどの愚か者だった。

 トロニスは生来強欲な男ではないが、一国の王として、国を富ませ、兵を養ってアトランティスに覇を唱える事が出来ればと言う野望も持っている。

 彼は即座に撤退の命令を発し、命令を受けた兵士たちはルードン河の船着き場へと移動を始めた。

 その命令の伝達と、移動する兵士たちで慌ただしい中、ルードン河上流から一艘の小舟が使者を乗せてきた

「クスニルス様からの伝言を持って参りました」

「クスニルスから……、何用だ?」

 都に残して大臣たちと共に政務をこなすように命じてある。無難な統治で戦場まで知らせてくる緊急事態など無いはずだった。

 スクナ板の包みを解き、その内容を読んだトロニスの顔色が変わった。

「父上。いかがされたので?」

 そう問うルタゴドスに、トロニスはスクナ板を渡した。受け取って、兄からもたらされた知らせを読んだ彼の表情も険しく変わった。

「いかがいたします? アトラス殿は今聖都シリャードの中に」

「アトラスには伏せておけ。我らも未だ預かり知らぬ事とせよ」

「しかし、今から不戦の約定を交わす手はずです」

「不戦の約定は、我が国とラルト国の間で交わすもの。アトラスはその立会人に過ぎぬ」

 王トロニスが言うのは神々の前で交わす約定はルージ国との戦いを妨げる事はないという。王トロニスは険しい表情と低い声で厳命した。

「約定の場に付き添う護衛は、特に腕利きの者を揃えておけ」

 王トロニスの言葉に、ルタゴドスはその意を察して頷いた。約定を交わす折り、アトラスの油断を突いて暗殺するという事である。

 

 数名の神官が下僕を伴ってやって来て、王トロニスにアトラスからの伝言も伝えた。陽が落ちる前に儀式の場に出向くという。アトラスのシミナス説得は功を奏しているらしい。下僕たちがテーブルを組み上げて大きな白布で被った。巫女が神殿の井戸で汲んできた水を辺りの地面に振りまいて清めた。神官たちは祭壇の中央に真理の女神ルミリア、その左右に審判のジメスと契約のルードスの小さな神像が並べて準備が終わった。

 既に、ルタゴドスに任せて兵をルードン河の河畔へ移した王トロニスは、三名の護衛の兵を伴っただけでそんな光景を眺めていた。

 影が長くなりかける頃、北の城門が開いてアトラスがシミナスを伴って姿を見せた、それぞれ儀礼に則って、三名の護衛を伴っているだけである。アトラスが頷いて見せて、神官が天を仰ぎ見て儀式の始まりの呪文の詠唱を始めた。

 神官の後方に当事者となるトロニスとシミナスが左右に並んでいたが、憎み合う視線を合わせようとしない。アトラスはその二人を見守るように立会人として後ろに位置し、更にアトラスの背後にスタラススとレクナルスの近習と護衛のアドナが控えていた。

 神官たちの最初の呪文の詠唱か終わり、神々が神像を通じて儀式を眺める準備が整った。神官が背後にいたトロニスとシミナスに頷いて見せると、二人の王は腰の剣を外して祭壇に捧げた。

 神官たちは今度は祭壇の神像に向かって、今後この二振りの剣が交わらぬと言う、神々への宣言の祈りを捧げ始めた。


 呪文の詠唱が続く中、アトラスの背後にいたアドナが、静かに斜め前に進み出た。アトラスは理解した。トロニスの横、アトラスの斜め前にトロニスの護衛が三人いる。その護衛が時折鋭い視線をアトラスに向ける。そんな殺気を放つ護衛とアトラスを遮る位置だった。そして、そのアドナの目の前にトロニスが居た。

 背後から眺めるトロニスは、時折護衛の兵の方に顔を向けていた。その都度、護衛は命令が下されるのかとピクリと反応する様子を見せていたが、結局、護衛は動かぬまま、神官の祈りの時は終わった。

 アトラスは笑顔を浮かべて二人の王の手を握りあわさせると、自らの両手で上下から包むようにして言った。

「いや、めでたい。これで両国の和解も成立した。次はアトランティス議会の再会を待つのみ」

 二人の王はその言葉に頷きながらも視線を交わそうとはしなかった。

「では、お互いに帰国の準備が忙しかろう。酒を酌み交わすのはアトランティス議会の折にしよう」

 アトラスは馬に跨りながらそう言った。王シミナスは不機嫌な表情ながらも、聖都シリャードの中へ姿を消した。移動の準備が整う数日後には兵をまとめて聖都シリャードを去るだろう。王トロニスは三名の護衛を連れてルードン河の川辺に足を向けた。

 途中、百名ばかりの兵を草むらに伏せていたルタゴドスが姿を見せたため、トロニスは首を横に振って暗殺は未遂のまま終わったと伝えた。彼は呟くようにルタゴドスに語った。

「アトラスには、奴隷上がりの女戦士が付き添っていると聞いていたが、あの女だったのか。護衛にアトラスを斬れと命じる前に、私が斬られそうな殺気だった」

 しかし、暗殺が未遂に終わったとは言え、トロニスの目に戦争の決意は飜していないという意志が溢れていた。



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