エリュティア、新たな決意
新たな知らせをもたらしたのは、聖都に立て籠もったというラルト国シミナス王からの使者だった。
王宮の広間に通された使者は、シミナス王に率いられたラルト軍が戦に負けて聖都に逃げ込んだ事には触れず、周囲の重臣たちをゆっくりと見回してから、王座についたアトラスと向き合った。
「我が王シミナス様は、アトランティスに比類無き勇者のアトラス様と親交を交え、同盟を結びたいとの意向にございます。つきましてはお近づきの印に我が国に伝わる宝剣の一振りを献上いたしたく参りました」
アトラスを遮るように、重臣ライトラスが使者に語りかけた。
「使者殿。同盟を結ぶと言うが、ラルト国は既にその領土の大半が海に沈んだというが」
そういう情報は全てリマルダから知らせてきていた。領主リシアスは幼くとも、そのリシアスを支える者たちは、先代のガルラナス以来の忠実で有能な者たちだった。他国に対する情報収集に抜かりがない。
使者は不安を吹き飛ばすように大げさに笑いながら言った。
「大半が沈むとは、何と大げさな。グラト国の馬鹿な噂に惑わされなさったか」
使者の言葉は事実を隠している。しかし、ライトラスはそれには言及せず、別の言い方をした。
「しかし、シミナス様は聖都に籠もって、残った国土を掌握しておられません」
もはや、シミナスが治める国ではないという。
使者は心中を見抜かれて最後の条件を提示した。
「では、宝剣ではなく、我が国をアトラス様に差し上げるというのではいかが」
意外な言葉に、アトラスはその意味を図りかねて首を傾げた。
「国を頂けるというのは、どういうことか」
アトラスの疑問にも、ライトラスが口添えをした。
「我らが王に、残されたラルト国の領土を差し出す代わりに、その安堵を求めているのです」
アトランティスの歴史の中で珍しい事ではない。小国の王が大国に領地を差し出す代わりにその土地の支配権を安堵されるというのは良くある事だった。シミナスはラルト国の国土を差し出して、ルージ国の庇護の元で領土と王の命を長らえるという意図である。
アトラスは使者の言葉の意味を正しく理解して、短く言った。
「わかりやすく言えば、我らがゲルト国との戦に巻き込まれるとことか」
アトラスの言葉にルージ軍の兵権を預けたマリドラスが言った
「目の前の獲物を我らにかっさらわれるわけですからな。トロニス様も面白くはありますまい。そして、グラト国が我らルージ国を侮る様子を見れば、戦も考えておく必要があるかと」
アトラスは戦という言葉から目を背けるように、思い出話でもするように言った。
「使者殿。私は聖都を腐れ神官どもから解放した折、次のアトランティス議会に国々が集い、新たな秩序を取り戻すと約定を交わした」
「では、平和裏にアトランティス議会に集う国々に、我がラルト国も含まれるというのでいす?」
アトラスは頷いて言った。
「その通り。しかし、シミナス殿にはラルト軍の兵士たちを聖都から退去させてもらわねばならぬ」
「しかし、申し上げにくい事ながら、アトラス殿はルージ軍を率いて聖都に攻め込んだ経験もお持ちのはずでは」
使者の指摘の通り、アトラス率いるルージ軍は、聖都を包囲し攻め込んだことがある。聖都解放後には、治安維持と称して、各国の軍が駐留するのも黙認していた。アトラスはその言い訳もしなければならない。
「我が軍は聖都解放によって、一つの時代を締めくくった。今は次の時代を迎えねばならない。次の時代の幕開けが、ラルト軍の退去となる。シミナス殿にそうお伝え願おう」
アトラスはそれが結論だというように王座から立ち上がって使者に背を向けて広間を去り、使者はそんなアトラスに頷いて見送り、自らも王宮から去り、シミナス王の元へ帰って行った。
アトラスは心の迷いを収めるように、王宮の庭園にいるエリュティアの下へ足を運んだ。エリュティアと過ごす時間は心が安らぐ。エリュティアも笑顔で夫の訪問を受け入れた。
アトラスは妻に隠し事はないというように語り始めた。
「シミナス殿の使者が来た」
語り始めるアトラスに、エリュティアの表情が作り笑顔に変わっていった。今のエリュティアは、アトラスと出会った頃の何も知らない幼子ではなかった。この数年の間に涙と共に幾多の経験を積んでいた。
エリュティアは思った。
(シミナス殿とラルト国兵士に帰る場所があるの?)
(戦争をしている国々が、聖都に仲良く集う?)
(王を失った国が、簡単に次の王を決める事が?)
夫を信用したいと思うほど、アトラスの言葉に次々に疑問が湧く。思いを巡らすエリュティアは一つの考えに思い至った。
(この方は、私との約束に拘りすぎている)
各国が聖都に集い次の秩序を打ち立てるというアトラスの構想は既に破綻しているように思えた。アトラスの言葉と共にエリュティアへの愛も伝わってくる。しかし、彼が目先の愛と約束に囚われて、大きなものを見失っているのでは無いかと考えたのである。夫アトラスはエリュティアの理解と包容力の中に逃げ込んでいるのかも知れない。
(私は、この方と共に生きる)
エリュティアが改めてそう決心たのは、自分がアトラスの現実逃避の場所になるのは避けなくてはならないということだった。同じ方向を向いて、歩みを止めず進み続けねばならない。今のエリュティアに、何をどうすればいいと提案する能力はないが、アトラスと支え合う存在になろうと思った。
アトラスが自分ばかりが話しをしている事に気づいたように黙りこくった。彼はエリュティアの返事を窺うように、まじまじとエリュティアの顔を眺めた
エリュティアは新しい決意を固めるように言った。
「次は、この私が何をすればいいか、聞かせてくださいませんか?」
アトラスが思いもしなかったエリュティアの言葉に黙りこくった。その生じた沈黙を破ったのは、庭園に駆け込んできたスタラススとレクナルスだった。
二人はアトラスの前まで駆けてくると、レクナルスが抱えていたスクナ板を差し出して、口を揃えて言った。
「リマルダの領主リシアス様より、火急の知らせでございます」
「まぁ、小さな領主リシアスから」
エリュティアは笑顔を浮かべた。しかし、包みを解いてスクナ板の内容を眺めたアトラスの顔色が変わった。アトラスはスタラススたちに命じた。
「すぐに、重臣たちを広間に集めよ」
アトラスの突然の表情と言葉の変化に戸惑うエリュティアに、アトラスは短く教えた。
「グラト国が我が国に攻め入った」
広間に集められた重臣たちも既に事態を承知しているように緊張感が満ちていた。アトラスはスクナ板に記載されていた内容を重臣たちに伝えた。
「グラト軍はルードン河を渡り、我が領地で聖都に立てこもったラルト軍を包囲しているとの事だ。」
聖都とは、アトランティスの国々を神の名の下に統率する宗教都市で、独立した都市国家だった。そこでは神の名の下に、アトランティスの国々は公平で平等。神殿に詣でる自由は保障されている。
そしてその各国は、聖都の中では争ってはならないという約定がある。だから、戦が不利と見たラルト国王シミナスは、敗残兵を連れて聖都に籠もった。ラルト国が聖都に踏み込む事を咎める事は出来ない。
しかし、聖都を一歩出れば、そこはリマルダの地で、幼い領主リシアスが母親や家臣に支えられて領主を務めている。グラト軍はそんなルージ国の土地に踏み込んで戦をしようとしている。
領主リシアスとしては、踏み込んできた乱暴者たちを叩き出さねばならぬ所だが、下手をすればグラト軍と戦火を交える事にもなる。リシアスはその対処を求めてアトラスに使いをよこしたのだった。
「有能な家臣に支えられていても、リシアスでは荷が重かろう。私が出向く」
アトラスの決意に、兵権を預かるマリドラスが尋ねた。
「では、兵はいかほど連れて行かれるのですか」
「いや。戦をしに行くわけではない。私と供が数人いれば充分」
マリドラスが重い口を挟んだ。
「我らが王よ。このパトローサにも近いルードン河対岸に、グラト軍が兵を集めている気配がございます。」
「戦になると言うのか。グラト国と?」
重臣ジグリラスが頷いて言った。
「マリドラス殿の話しも、あり得る事かと存じます。最近のグラト国の我が国への傲慢な態度……」
アトラスは全てを言わせずに言った。
「グラト国のトロニス殿の人柄はよく知っている。盟友を裏切る方ではない」
ジグリラスはアトラスに納得しかねるというように言った。
「しかし、その方がどうして我らの喉笛をつくような事をするのでしょう」
「トロニス殿にも事情があろう。だからこそ、私が出向いて仲裁しようというのだ」
アトラスは頑固に次のアトランティス議会の元の新たな秩序に拘り続けている。




