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動乱の大地

 アトラスたちが聖都シリャードを陥落させ、そこに駐屯した蛮族の軍と腐敗した最高神官ロゲル・スゲラたちを除いてから、既に秋と冬の二つの季節を重ねていた。

 勝者は敗戦国シュレーブを四つに分割して併合した。この併合でアトランティス大陸の南で接するグラト国とラルト国は、奇妙な国境になった。ラルト国の領地が岬のようにグラト国の中に伸びる形だった。

 もともと国境を巡って仲の悪い二カ国にとって、この国境線は荒々しい思惑を生んだ。グラト国にとっては自国に深く突き刺さった目障りなくさびを取り除きたいと考える。

 ラルト国王シミナスにとって、この楔の先端に兵員と物資を集め、ウィルレス、べリスナの地を経て北のルードン河まで攻め上れば、グラト国が戦勝によって得た領土の半分を囲い込む事が出来る。そして、そうやって囲い込んだ領地は、グラト国の圧政に反感を感じてもいる。新たな支配者に服属するだろう。


挿絵(By みてみん)


 もともと国境地帯で小競り合いの多い両国だったが、国境のウィルレスの地の旧領主がラルト国に内通する密約が交わされて、戦の気運が一気に盛り上がった。新たな戦火が燃え上がったのは聖都シリャードの解放から間もなくの事である。

 

 グラト国も戦で広大な領土を得たとは言え、多くの兵士も失った。有能な将も数多く失い、軍は戦うために再編成の必要もある。占領地の新たな統治には多くの役人を派遣し無ければならない。そして小規模な反乱には、その拡大前に軍も派遣して鎮圧しなければならないという勝利者故の混乱を抱えていた。

 ラルト軍の攻撃は、そんなグラト国の虚を突く形になった。優勢に戦を進めつつ、グラト国が先の戦によって得たウィルレス、ベリスナ、ヴォロルの三つの領地からグラト軍を駆逐した。ラルト国に包囲される形になった、オルナス、マイス、ホウラル、ナルギリの四つの領地の旧領主たちはグラト国に叛旗を掲げて、グラト国から派遣された役人を殺害し、その小規模な部隊とも戦って勝利した後、ラルト国に下った。


 ラルト国王シミナスが喜んだのも束の間。アトランティス本土の東のルージ島が沈んだのと時を同じくして、ラルト国の東岸も大きな被害を受けたばかりか、ラルト国の大地が東から削られ海に沈んで行く災厄を避ける事が出来ない。何より大きな問題は、国王シミナス自身が都から遠く離れて軍を指揮していて、災厄に対処しきれなかった事だろう。

 戦の形勢は逆転し、兵を整えたグラト国が、奪われた領地の奪還へと動き出した。後方との補給を断たれたラルト軍兵士は飢え、王シミナスは無理な戦をいくつか重ねたが、その三千の兵はほぼ壊滅した。王シミナスは都へと帰る道も閉ざされて、残された二百ばかりの兵と共にルードン河を渡って聖都シリャードに入った。

 領地を取り戻したグラト国王トロニスは、反乱を起こした領主たちを見せしめのために一族もろとも処刑して、民はその残酷さに震え上がると同時に、グラト国への嫌悪感を募らせた。反乱を起こす余地もなかったシュレーブ国の旧領地においては、戦の労役に狩り出される男が数知れず、労役と過酷な収奪から逃れてルードン河を渡ってルージ国へ逃げようとす民も後を絶たない。グラト国の役人がそんな民を捕らえて見せしめに殺した死体が河原にいくつも並び、川を泳いで渡ろうとして、冬の冷たい水の中で力尽きた者たちの溺死体が下流の町にいくつも流れ着いてもいる。

 今やアトラスが夢に描く、アトランティスの平和など国家の欲望の前に吹き飛んでいた。


挿絵(By みてみん)


 そんなグラト国から、ルージ国のパトローサに使者が遣わされてきた。王が不在の間、国の政務を委ねられているのはライトラスで、私心のない政務は周囲からの尊敬を集め、アトラスの信頼も厚い。

 王宮の広間で重臣たちに出迎えられたゲルト国の使者が言った。

「アトラス王に、我が王トロニスより、お伝えいたしたき議がございます」

「我らが王は、不在であります。用件は、不肖、このライトラスがうけたまわり、王にお伝えいたしましょう」

「王が不在とは、何処に行かれているでしょう?」

 そう尋ねる使者の目が小ずるくきらりと光った。聞かずともアトラスがルージ軍主力を伴ってヴェスター国へ出向いた事など知れ渡っているだろう。使者はその後の詳細を聞き出そうとしているに違いない。ライトラスが無難に答えた。

「ご存じの通り、我らが王はヴェスター国王レイトス様の甥御。身内の同士、顔を合わせるのに我ら家臣がとやかく申すまでも無き事」

「では、いつお戻りになられるのでしょうや」

 使者の問いにうがった見方をすれば、再びアトラスが兵を率いて戻って、ルージ国の守りが強化される時期を尋ねているようにも思える。

使者の問いにわざわざ大臣が答える必要もないと言わんばかりに、ライトラスの息子のジグリラスが進み出て言った。

「いつお戻りになるか。それは王がお決めになる事。我らは存じ上げませぬ。ましてや、他国の使者が知る必要も無き事」

「では、やむを得ませぬ。ライトラス殿に我が王トロニスからの伝言を託しましょう」

「なんなりと」

「ルージ国が我が国の民を奪い続けている件について、我が国として看過できませぬ。我がグラト国の領地の民をグラト国へ戻していただきたい」

 ライトラスは、そもそもの原因がグラト国の過酷な圧政にあると反論した。

「それは我が国の素知らぬ事です。我が国に自ら来る者たちを拒むなど出来る話ではありますまい。ましてや我が国を頼ってきた民に、元の地獄へ戻れとは言えぬ話しです」

「しかし、その為に、わがグラト国が荒れ果ててかまわないとでも? 耕す者も居なくなって畑は収穫どころか、荒れ果てておるのですぞ」

「それは貴国の都合でありましょう。民が我が国に来なくとも、貴国は戦のための労役に民を徴用し、畑を耕す者は女と子どもばかりと聞き及んでおります」

「では、我が国としては、国境に兵を配置し、民の逃亡を防ぐしかありませぬな」

 グラト国王トロニスの意図が知れた。ルージ国との国境に兵を配置するが、文句は言うなと言う事だろう。もちろん国境沿いに大勢の兵を配置されるというのは、ルージ国にとって攻め込まれる危険も高まる。

 現在のアトランティスは、かつては互いに信頼できる同盟国であった関係も、一触即発の危険な関係に変わりつつあった。


 使者が帰途につき、宮殿の広間の喧噪が収まりかけた頃。エリュティアの居室では、侍女頭ハリエラナが侍女たちにてきぱきと命じていた。

「ピルティア。貴女はエリュティア様に温かいお飲み物を運んで頂戴。キョウルネ。貴女は温かいお召し物を用意なさい」

 体調を崩している王妃エリュティアが、一日に一度、庭園の東屋で草木を眺めて過ごす。ふさぎがちになる気分をほぐすのには好ましいが、肌寒い風が吹き交う場所だった。今日はいつもより風が冷たい。エリュティアが体を冷やさないよう配慮が必要だった。

 ハリエラナは次の指示を与える侍女の姿を求めて、ふとユリスラナに目を止めて言った。

「ユリスラナ、体は大丈夫なの」

 快活で働き者だと認めているユリスラナの動きが鈍く、時折呼吸も乱れている。声をかけられたユリスラナは作り笑いを浮かべた。

「大丈夫です。ちょっと寝不足なのかも」

「最近、体調が悪そうに見えるわ。エリュティア様のためにも、貴女は健康に気をつけなくては」

 ハリエラナの言葉は事実だった。快活で笑顔を絶やす事がなかったユリスラナが口数が少なく表情も重い事がある。そして、体格の良い体に見合った食欲を示していた彼女の食欲も減っているようだ。何より、彼女はエリュティアの側に仕え続けてエリュティアを知り尽くしている。侍女たちがエリュティアを支えて行くためには欠かせない人材だった。

 ハリエラナがユリスラナに命じた。

「では、貴女はいつも通りに」

 エリュティアの側に付き添って、話し相手を務めながら身の回りの世話をしなさいと言う事である。ユリスラナは黙って頷いて命令を受け入れた。飲み物と衣類を持った侍女に続いてユリスラナは毛布を抱えて庭園へと向かった。


 庭園から女性の怒りを含んだ声が響いていてきて、侍女たちは顔を見合わせて首を傾げた。

「命がけで来た者たちを帰せとは理不尽な」

 エリュティアの声だが、彼女が怒りを見せるのは珍しい。続いて大臣ライトラスの声がした。

「左様でございます」

 ライトラスが使者の謁見について、エリュティアに報告に出向いていたのだった。言葉を交わす二人にとって、グラト国から逃げてきたという避難民は、元は同じシュレーブ国の者たちだった。王女だったエリュティアと大臣として政務を預かっていたライトラスが保護すべきだと考える民である。

「では、至急。その顛末を王にお伝えして」

「承りました」

 一礼して東屋を立ち去ろうとするライトラスをエリュティアは呼び止めた。

「待って」

 立ち止まって振り返ったライトラスに、エリュティアは胸元に指先を当てて言葉を継いだ。

「私はこのパトローサで、グラト国から逃げ出して来る民を保護していると伝えて」

 グラト国の使者の用件を伝えると同時に、エリュティア自身が民を守るという意志をアトラスに伝えよと言う事である。エリュティアが心に迷いがある都度、胸元に当てる指先の下には、アトラスが彼女に捧げた月の女神のリカケル・テスと呼ばれる真珠があることは家臣の者たちにも知れ渡っていた。ライトラスは静かに微笑んで深々と一礼して命令を受けた。

 東屋を立ち去りながら、ライトラスは幼い頃のエリュティアの記憶を辿っていた。彼が幼さの残るエリュティアを眺めたのは、アトランティス全土を巻き込んだ大戦が始まる二年前、ジソー王の不興を買って王宮を去り、隠遁する頃だった。記憶を辿れば、今から五年以上前。彼女は無垢で理知的ではあっても、世間知らずの少女というイメージがある。

 五年の時を経た今、リュティアは彼も思いがけないほど変貌を遂げ、大人たちの操り人形だった少女は自分の意志で生きていた。

 彼は満足げに呟いた。

「ずいぶん成長なされた。このお姿を見る事が出来たのも、アトラス様のおかげか」


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