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反逆児の孤独

 葬儀が始まるのでの十日間、アトラスはヴェスター国各地から届く破滅の知らせの対処に慌ただしく過ごした。地の揺れは大きく小さく続いていて、今のアトラスたちは、この地の揺れを破滅と結びつけて考えていた。小さな揺れは遠くの破滅。大きな揺れは身近に迫った破滅の揺れだった。神官たちの祈りも空しく、破滅は留まる事を知らない。


 この都に七百は居たはずのヴェスター軍兵士は、五十人、百人と被災地へと派遣されて、既に都にいたヴェスター軍は空に近い。今や都の警備はアトラス指揮下のルージ軍が担っていた。

 デルタスは指揮下の兵の大半をレネン国へと帰して、彼自身は葬儀に列席するためだけに留まっていると言わんばかりに、今は十名ほどの護衛だけを伴っている。

 まるで、軍を留めているアトラスが、ヴェスター国の唯一無二の王だと言わんばかりだった。


 荼毘の日から十日が過ぎた。葬儀に参列するために各地から領主たちが都に姿を見せている。ただ、アトラスは気づかないが、王宮の者たちは、宮殿に参集した領主の顔ぶれが減っている事に気づいて、密かに驚愕している。先の反乱に加わった数名の領主に加え、海に沈んだ領地と共に行方不明の領主たちも多いのである。


 葬儀の列は、早朝に神殿から出立すれば、日が中天に差し掛かる前に墓所に着く。そんな距離だった。三人の神官が葬列の先導を務め、その後ろに、まるで生きている者を運ぶかのように、骨壺を乗せた輿こしが三つ続く。

 その後、王に仕え続けた重臣たちが続き、最後尾にアトラスがデルタスと並んで五十ばかりのルージ軍兵士が護衛につくという葬列になると考えていた。ただ、輿が担ぎ手に運ばれ始めたのに、重臣たちが動く気配がない

 アトラスに付き添っていたカグオロスが言った。

「アトラス様。兵を連れて輿こしの後に」

 言葉の意味が十分に理解できないと首を傾げるアトラスに、カグオロスは説得の言葉を継いだ。

「レイトス様のお血筋を引くのはアトラス様だけでございます。どうか重臣たちの先頭に立ってお導き下さいませ」

 戸惑うアトラスにデルタスが言った。

「今は亡くなられた方々の冥福を祈る事が、何より大事。葬儀は粛々と進める事です」

 彼はそんな表現で、アトラスにカグオロスの言葉を受け入れろと言う。アトラスは心密かに、ヴェスター国への介入を最小限にしたいと考えている。アトラスは眉をひそめながらも後悔した。彼はこの国の事はこの国の人々に任せると称して、葬列に加わる事を伝えては居たが、それ以上、口を差し挟んでいない。

(やむを得ぬ)

 彼は密かにそう決意して葬列に加わった。葬列は先頭を行く三人の神官が、故人の威徳と神々の威光を讃える言葉を冬の冷たい空気を切り裂くように叫んでいた。アトラスは感情を抑えたまま、じっと前を見つめて歩いた。街道の両脇には都の民が並んで葬列を見送っていた。街道が都の郊外に差し掛かった辺り、その民の中に異様な風体の者が四人居た。罪人が着るような質素な衣服で、葬列に跪いて頭を垂れ、長剣を頭より高く捧げ持つ姿勢を崩さない。


 アトラスが傍らにいたカグオロスに尋ねた。

「彼らは何者だ?」

「反乱に加わった領主どもでございます」

 カグオロスの返答にアトラスは厳しく問いただすように言った。

「私は罪人として扱えとは申しておらぬ」

「彼ら自ら、王の裁きを受けたいと申しているのです」

 もしも罪が許されぬなら、捧げた剣で首を刎ねてくれと求めているという。カグオロスの説明にアトラスは四人の前で足を止めて語りかけた。

「顔を上げるがいい。使者を遣わしてそなたたちに伝えたとおり。反乱の罪はルタゴドスが背負った。そなたたちの忠誠が真なら、この葬列に加わり、レイトス殿一族を偲ぶがいい」

 アトラスの言葉に四人の領主は一斉に地に触れ伏して言った。

「ああっ。アトラス様。我らが王よ。寛大なお心に感謝いたします」

 四人はうれし涙さえ浮かべるような笑顔で立ち上がったかと思うと、アトラスの兵士たちの、後ろに続く重臣の列の後尾へと駆けていった。


 葬列を見送るのは、好意的な声や視線ばかりではない。片腕の武将という特徴で、街道に立ち並ぶ民にもアトラスの存在が知れた。あからさまにアトラスに届く侮蔑の声もある。

 一人の男がアトラスを指さして叫んだ。

「あれが悪鬼ストカルだ」

 続いて別の男が叫んだ。

悪鬼ストカルが災厄を連れて来やがった」

 恐怖を露わにする表情が数え切れなかったし、子どもは父にすがりついて怯え、更に幼い乳飲み子は母が怯える雰囲気を察して泣き始めた。

 人々の感覚では、王を頼ってここへ来たが、頼るべき王ばかりかその一族が死んでいたという失望感に加え、アトラスが姿を見せるのと前後して反乱が起きて王一族が死に、ヴェスター国の大地が大きく揺れ、大地が海に没するという信じられない災厄も、民の感覚では、アトラスが災厄を連れてきたと感じるのだろう。葬列に加わるアトラスを眺めれば、邪悪な冥界のエトンの手先として、この地に姿を見せたように考えるに違いない。


 ただ、アトラスはそんな民に気づかぬ風を装いつつ、心の中で密かに驚いていた。

 街道に並んで葬列を見送ろうとする人々は、身分の違いこそあれ、喪に服す白い衣装を身につけている。しかしそんな人々に混じって汚れて着古した衣類を身につけている者も多い。被災地から流れてきた民だと想像がつく。その避難民の数が、都の民より遙かに多いのである。

 アトラスは各地からの使者からの知らせで、災厄の状況を推測していたが、避難民の数はアトラスの想像を遙かに超えていた。その数から悲惨な状況がどれ程広範囲で起きているのが肌で感じる事が出来る。


 そして、そんな避難民の数から想像を膨らませれば、このレニグの人々の数は数倍に膨れあがって居るだろう。数々の戦で兵士に与える食料に悩んだアトラスはこの避難民たちにもその経験を当てはめて考えていた。

 都にある豊富な食料もこのままではいつか尽きる。その前に避難民たちを故郷に帰してやらねばならない。しかし、大地が海に沈む恐怖から逃れてきた者たちは容易に帰るまいし、何より彼らの故郷が既に海に沈んでいる事も考えられる。

(新たな土地を探さねば)

 その思いが、アトラスがこのヴェスター国の民の命まで背負うきっかけになった。


 葬列を見送る人の列は王墓のかなり手前で途切れた。民に敬愛される王の一族だったが、今はうち続く地の揺れの不安が人々の心をかき乱して、家に閉じこもっていたいという者たちも多いのだろう。

 この時、足下をふらつかせるほどの地の揺れが、物思いにふける彼を我に返らせた。しかし、そんな不安もいつものこと。有能な重臣たちはその混乱を手際よく収めて、葬列を滞りなく進めていた。

 王一族の遺骨を安置する墓所に到着した。アトラスはヴェスター風の葬儀に参列するのは初めてだったが、葬儀を締めくくる儀式は、荼毘に比べれば驚くほど単純だった。

 街道沿いの森の一部を切り開いた場所に神殿と見間違う建物があった。葬列を先導した神官たちが、その門の前に立ち止まった。彼らは空を見上げて亡くなった者の遺徳を偲ぶ言葉を詠唱し始めた。アトラスは整列させた兵の前に立って、神官が見上げた者を見定めるように空を見上げて考えていた。

(先ほどの地の揺れは、神の何かのお告げか)

 そして、彼は壮烈を見送っていた人々を思い出して小さく呟いた。

「神々は私に何を望んでおられるのか」

 そんな呟きが聞こえていたのかどうか、気が付けばデルタスが傍らにいた。そして神官の詠唱を邪魔しないようアトラスの耳元で囁くように言った。

「亡くなられたレイトス様たちがアトラス様に何を望んでいるのかお考えになっては?」

 デルタスは人が人に何を望むのか考えろと言う。アトラスは少し考えて言った。

「デルタス殿。貴国の食料を避難民に分け与えてやってはもらえまいか。そして避難民たちが貴国を通って南へ移動する許可を」

「承知しました。至急、準備を整えましょう」

 港のあった沿岸部は海に沈んで、多くの船も失われた。海路で避難民を安全に移送する事は出来ない。イドポワの門がある隘路は山崩れで塞がれた。住む場所を失ったヴェスター国の民を養うためには、レネン国を通ってシュレーブ国の分割で手に入れた領地に移送しなければならないだろう。

 アトラスたちがそんな会話をしている間に、神官たちの詠唱が終わった。墓所の扉が開かれ、遺骨の入った壺が三つ、建物に運び込まれて安置された。神官たちは死者の魂を受け入れる神々への感謝の言葉を詠唱し始めた。

 アトラスはデルタスとの会話を続けていた。

「あの領主たちが新たな民を受け入れるだろうか」

 旧シュレーブ国の領地で、今はヴェスター国の支配下に入った土地の領主たちへの不安だった。デルタスは答えた。

「畑は荒れ果て、男手も不足しております。新たな住民を拒否する事はありますまい。なにより、今や旧シュレーブ国の領主たちはアトラス殿に信服しております」

「よしてくれ。そなたの企みには荷担せぬ」

 そんな言葉と共に吐き出した白い息が、言葉と共に空気に融けて消えた。アトラスの目の前で墓所の扉は再び閉じられ、神官たちの詠唱も終わり、全ての儀式は終りを迎えた。


「私が神々に対する反逆者だと?」

 アトラスは自嘲的にそう思った。彼は聖都シリャード最高神官ロゲルスゲラたちからそう呼ばれた。ただ、アトラスが神々への反逆者と呼ばれるには、大地が海に没するという災厄の前に、彼はあまりに非力だった。今の彼に出来るのは目の前で困窮する人々に手を差し伸べる事だけ。

 彼は沈黙の内に、いまはその主を失った宮殿への道を辿った。帰途はアトラスが一行を先導するかのように、神官や重臣たちはアトラスについて歩いた。そんな状況を眺めながら、顔を見合わせるラヌガンたちは満足げに顔を見合わせていた。いつの間にか彼らの傍らにデルタスが居て微笑んでラヌガンたちを満足させる結論を言った。

「いかがです? アトラス様は戦わずしてこの国を手に入れたようなもの」

 アトラスはちらりと振り返った眺めたところ、ラヌガン、スタラスス、レクナルス、アトラスの側に仕える三人はデルタスに信服するかのようにその言葉を聞いていた。アドナだけは彼らと距離を置くように、デルタスに眉を顰めていた。

 アトラスは都へは足を踏み入れず、郊外のルージ軍の駐屯地で足を止め、この国との間に距離を置く姿勢を示した。デルタスがアトラスの意図を察したようにカグオロスに目配せし、カグオロスも分かったと頷いて、アトラスの後に続いていた神官や重臣を都の中へと混乱無く導いた。今はこの王を刺激せず、現状を受け入れてもらう事が得策だと考えたようだった。


 アトラスの元へパトローサから急使が着いたのは、この夜の事である。アトランティスの南の二カ国が争い、アトラスに調停を求めているという。やっかいなことにその二カ国の戦闘は、ルージ国の領土まで侵しつつあるという。

 パトローサにはシグリラスたち政務に長けた者がいる。しかし、国家間の争いに巻き込まれているとなれば、アトラスが直接に命令を出さねばならない事もあるだろう。

 アトラスはルージ軍の幕舎でラヌガンたち配下の者に嘆いて見せた。

「私はなんと非力なのだ」

 ヴェスター国の大地が沈む事態にアトラスは抗う術がない。後は災厄を逃れてきた者たちを新たな地に導くということをヴェスター国での最後の役割と決めていたが、帰国を急ぐとなればそれも出来なくなるという。

 幕舎の中に一人、他国の王が居ると言う事に違和感を感じさせないデルタスが申し出た。

「では、そのお役目は私に任せていただけませぬか。領主たちの中には私が懇意にしている者たちも多い」

 デルタスの問う通りだろう。パトローサからここまで来る途中、各地の領主はデルタスに言い含められてアトラスに恭順の意を現そうとした。そのデルタスなら、元シュレーブ国の領主たちに避難民の受け入れを納得させる事も出来るだろう。それはデルタスの企みの中にますます足を踏み入れる事にもなりかねない。しかし、アトラスには多くの避難民を救うための他の算段がない。

 アトラスは苦渋の決断を下した。

「ではお願いしよう」

 アトラスは配下の者に視線を移して命じた

「ラヌガン、スタラスス、レクナルスよ。我らは明日パトローサに戻るぞ。その準備を整えよ」

 アトラスの命令にスタラススがパトローサで静養している親友の事を言った。

「テウススにもこの地の出来事を伝えてやらねばならぬ」

 笑顔を浮かべているところを見れば、ヴェスター国がアトラスの統治下に入った事を語っているのが分かる。

「あの男も、この場に立ち会えなかった事を悔しがるだろう」

 ラヌガンの言葉にレクナルスも答えた。

「いや、テウススもこの地の出来事を聞けば、元気を取り戻して迎えに来るやも知れぬ」

 アトランティスの人々の間に、「噂は人を呼ぶ」という言葉がある。誰かの噂をしていれば、それを密かに聞きつけた精霊がその噂の人物に関わる事件を起こすという意味だった。

 この時には、パトローサで静養しているテウススから届いたスクナ板だったろうか。使者が携えてきたスクナ板の包みを解いて通信文を読んだアトラスは冷たく凍りついた表情で言った。

「パトローサで、アレスケイアが死んだ……」

 アトラスの呟きにアドナがパトローサの宮殿に居た年老いた馬を思いだして首を傾げて確認した。

「アレスケイアとは王の馬?」

「そうだ」

 短く答えたスタラススに、レクナルスは尋ねた。

「パトローサから、わざわざ馬が死んだと知らせてきたのか?」

 ラヌガンが言った。

「アレスケイアとはそう言う馬なのだ」

 一言で説明しにくい。幼い頃からアトラスと共に過ごしたテウススやラヌガンたちは、アトラスが親しい近習にさえ相談できない悩みを秘めている事に気づいていた。アトラスがその悩みをはき出せるのが、愛馬アレスケイアとの遠乗りの時。アトラスの相談相手は物言わぬ愛馬だけだった。しかし、そのアレスケイアは近習たちさえ癒せぬアトラスの心の闇をどれ程解きほぐしていただろう。アトラスはそんな友を失ったと言う事である。


 そして、テウススがわざわざその死を知らせてきたのは、この出来事で王が心を乱す事を理解していたからだろう。この地でそれを知れば、パトローサに戻る頃には、アトラスも少しは心の落ち着きを取り戻しているだろう。パトローサには大きな混乱が待っていた。


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