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荼毘の炎と避けられぬ運命

 二日が経過した。アトラスは未だヴェスター国の王位を預かるとは明言を避けているが、重臣たちはアトラスの提案を王の命令として実行している。

 郊外に駐屯していたラヌガンたちは、その微妙な変化を感じ取って首を傾げていた。アトラスと別れて駐屯を始めて三日目に、アトラスがアドナと共に郊外の駐屯地に姿を見せた。

 天幕にアトラスを招き入れたラヌガンたちは、この三日間の顛末に頷いて納得した。

「なるほどそう言う事ですか」

 頷くレクナルスの横からスタラススが尋ねた。

「それで、いつ求めを受け入れられるのですか」

 求めを受け入れて、一時であろうと王位を預かるのが当然という口調だった。

「迷っている」

 眉を顰め地面を眺めるアトラスに、ラヌガンが慎重な面持ちで、遠くパトローサで戦傷を癒している供を代弁した。

「我らが王よ。申し入れをお受けなさいませ。たぶん、テウススならそう申します」

「デルタス殿と同じ事を言う」

「いえ。テウススの考えは違います。我らが王なら、困窮する民の事をお考えになれるはず。この国の民は統率する者を必要としております」

 この場でもヴェスター国王位に就く事を勧める者たちに、アトラスは反論したくともその余地もなく、困った表情をするしかない。そんなアトラスを見かねたようにアドナが言った。

「迷っているなら、エリュティア様に相談してみると良い」

 ラヌガンたちは顔を見合わせて苦笑いした。確かにアドナが言うとおりだった。エリュティアに相談すれば、民の事を考えろと助言するだろう。ただアトラスには眉を顰めて答えなかった。

 ラヌガンたちは真顔になった。アトラスの気持ちが分かる。アトランティスでは政務は男性が取り仕切るものという意識が強い。しかし、アトラスの母リネは盛んに政務に口を出し、ルージ国の王の館は他国の者たちから女の舘と密かに哄笑されていた。あの愚は避けたい。

 そして、アトラスはエリュティアが自分を導く者と考えながら、世俗から隔離して全ての政務と責任は自分で背負うつもりで居た。彼女に悪鬼ストカルの汚名を着せてはならない。

 

 黙ったまま天幕を去ろうとするアトラスを、兵士の一団が待ち受けていた。一人の兵士が進み出て、アトラスに呼びかけた。

「我らが王、アトラス様。おたずねしたいことがございます」

 アトラスは足を止めて兵士に向き直った

「何か?」

「我らの故郷ルージ島が海に沈んだというのはまことでありましょうや」

 アトラスが、ルージ島がそこに住む人々と共に海に沈んだという知らせに接して数十日になる。アトランティス本土での戦いを終えて帰国の途についたものの、目指す故郷が見つからず戻ってきた者たちがいる。そんな者たちから、ルージ島が海に沈んだという知らせは、ルージ軍兵士たちの間に広がって受け入れられていると思いこもうとした。アトラスは兵士たちに向き合って故郷と家族を失った事を伝えていない

 アトラスは新たな決意を込めたように兵士たちに向き合って語りかけた。

「私は帰郷の船旅の後、故郷を見つけられずに帰ってきた者たちの言葉を信じている。そして、故郷からの連絡も途絶えている。そなたが言う事、確かだろう」


 王の言葉に、若い兵は膝を地面に屈し、顔を両手で覆ってすすり泣き始めた。まさかと思う出来事で、噂が信じられず、故郷の家族が生きている望みを持っていた。しかし、今、王から告げられて、ようやく愛する人たちとの別れを、現実として受け入れたと言う事か。

 見回せばラヌガンとスタラススもうつむいて考え込むように黙っていた。二人も口には出さないが故郷と共に家族を失った哀しみを背負っていた。

 アトラスは駐屯地の隅々まで届くほど声を張り上げた。

「良く聞け。我が忠勇なる者たちよ。父や母を失い、妻や子を失った者も居よう。私とて母と妹、何より多くの民を失った。しかし、その者たちの思いを哀しみと共に捕らえて心に閉じ込めてはならぬ。今宵の荼毘の火の粉と共に、哀しみを解き放て。我らの愛する者たちは静寂の混沌ヒュリシアンの一部として、いつしか我らが来る時を待っている。我らは誇りと共に生き、やがて人としての誇りを持って静寂の混沌ヒュリシアンへ旅立とう」

 

 宮殿の守りについていたヴェスター国の近衛兵の大半は、都の郊外の避難民の受け入れと、近隣の村々の被災者の救援に出向いた。アトラスは配下の兵に命じて、広場に人の背丈ほどの祭壇を三つ組みあげさせた。神官たちは王レイトスと、王母レイケ、王妃ユマニをくるんでいた白布を新らしいものに換え、神殿から広場に運んできて祭壇に乗せた。冬の女神シミリラ加護を求めるよう、シミリラデラが一株づつ添えられて、小さな紫色の花が風に揺れていた。

 神官たちが死者を神々の元へ送る言葉を詠唱する中、アトラスの心の中で疑問が膨れあがっていた。

(神々は、どうして我々にこのような運命を課せられるのか。何故、我々を救っては下さらぬのか)

 やがて陽が落ち、暗がりの中、祭壇に火がかけられた。祭壇の遺体の魂は、荼毘の炎が舞上げる火の粉とともに天に昇る。空を見上げれば、混沌の裂けヒュリシアル・レクスが明るい光の帯に見える。この世界はあの光の中から生まれたという。死者の魂はその生まれた場所に戻るのである。

 ヴェスター国の儀礼では、魂の抜け殻としての遺骨は壺に収められて王家の墓所に埋葬される。その手続きは重臣たちの手で粛々と進められ、重臣たちの連絡役になったカグオロスからアトラスへ、事細かく報告されている。

 重臣たちがアトラスに異論を唱えた事と言えば、オルエデスの遺体の埋葬だけだった。王と王母を殺害したオルエデスの遺体の扱いだけだった。王と王母を手にかけたばかりか、反乱を起こしたルタゴドスの実子ともなれば、王家の者として埋葬する事ははばかられるという。

 アトラスは自分の意見を撤回して、重臣たちの判断を支持した。オルエデスの遺体は、戦で死んだ多くの兵士と共に葬られ、その墓標はなかった。

(いずれ、私もどこかの戦場に死体を晒すかも知れぬ身)

 アトラスは密かにそう考えていた。


 明くる日の夜明け、未だ煙がくすぶる祭壇から、神官たちが遺骨を拾い上げて、摘んだばかりの花を敷き詰めた籠に入れていた。この後、遺骨は巫女の手で洗い清められ壺に収められて封じられる。その壺を王家の墓所に運んで、歴代の王家の者たちの遺骨と並べて安置する。その安置の日は荼毘の日から数えて十日後、葬儀の知らせを受けた各地の領主が都に参集する。



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