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アトラスの差配

 アトラスは戦の中で、欲で行動する者は数多く見てきた。しかし、他人に国と民をくれてやろうと画策する欲のない者に出会うのは初めてだった。いや欲がないというのも違う。自分の存在価値を世に問いたいという欲だろうか。そう考えれば、デルタスが言うとおり、アトラスの兄ロユラスもそうだったのかも知れない。

 昨夜の事はデルタスが言ったとおり、夢かぼろし。デルタスの話を拒否する気持ちがそんな心情にさせている。デルタスの話しが事実なら、アトラスはフローイ国ではフェミナや幼い王殺し、ヴェスター国ではレイトスやレイケ殺しに関わっている事にもなる。


 人々はデルタスが明日のこの場でと称した広間に戻ってきた。しかし、その思惑は人それぞれに違う。アトラスはこの国の事はこの国の人々に任せ、葬儀に列席した後、帰国するつもりでいた。重臣たちの思惑も一つではない、アトラスに王位を禅譲することを望む者も居たが、ほとんどの重臣たちにとって利用したいのは、アトラスの恐ろしげで民を畏怖させる武名だった。誇り高い重臣たちは辺境の島国生まれのアトラスの統治能力など信用はしていない。


 ただ、この日の会議は、過去からうち続く地の揺れでかき乱された。思惑が入り乱れる広間の中に、慌ただしく使者が飛び込んできた。報告すべき王レイトスは居らず、誰に報告すべきか迷った使者は、重臣たちを見回して大声を上げて緊急事態を告げた。

「ソシラスの地より、三カ所の村が海に沈んだとの事でございます。そして、ダッドスの地も海に沈み、領主コサミル殿、行方不明。」

 今まで都から遠く離れた沿岸部が、住民たちと共に海に呑まれたという知らせは幾たびか受けていた。しかし、今回の知らせは都レニグから東へ一日の距離にある村や町が海に沈んだという。破滅はレニグのすぐ側まで迫っていた。

 思いもかけない知らせに、広間に集う重臣たちは混乱した。

「何と言う事だすぐに、役人を派遣して状況を調べさせねば」

 重臣の一人がそう言い、他の数人が相づちを打つように言った。

「なるほど。その通りだ」

 アトラスが広間に姿を見せたのは、広間がそんな混乱を極める時だった。アトラスは他国の政務に口出しも出来ず、その混乱ぶりを眉を顰めた。更に別の使者が来て告げた。今度は北部の沿岸が海に沈んだという知らせだった。

 重臣の一人が嘆くように叫んだ。

「何と言う事だ。しかし、何かをするにしても、まずは先に東の様子を調べ対策を講じるのが肝要」

 全てを一度に進めようとすれば混乱も起きる。順序よくというのがその重臣の言い分だった。この重臣たちは王レイトスの元では有能な命令の実行者だったろう。ただ、命令をそのまま実行した経験しかない官吏には想像力が欠けている。

 アトラスはアトランティス全土を舞台に戦い、様々な混乱の中で学んでいた。報告の使者を出す余裕も無いほど危機的な出来事もある。先に届いた知らせが、先に起きた出来事だとは限らない。そして、順番に片付けていけばいいと言う問題ばかりでもない。

 更に混乱が収まる間もなく、三人目の使者が現れて告げた

「避難民たちがレニグに押しかけて、食料を求めております」

 北や東から海に沈んでいる事を知った民は、安全と王の庇護を求めてレニグにやってくるのも当然だった。


 決断すべき王は居らず、右往左往する重臣たちを眺めていたデルタスは、決断を促すようにアトラスに頷いてみせた。

 この混乱とそれを収束させる事が出来なければ、避難民は元よりこの都の民まで、混乱に陥って収拾がつかなくなる。この場に居合わせたアトラスは見て見ぬ振りをして立ち去る事は出来ない。

 アトラスは言った。

「この都に近衛部隊は何名いるのか知る者は?」

 気迫のこもった声が重臣たちの腹に響いた。一人の武人が進み出てアトラスの前に進み出て片膝をついて臣下の礼をとった。

「この王宮で護衛の任につくメノトルと申します。今、我が配下に三百の護衛の兵。オルエデスと共に戻った兵士のうち元気な者が三百五十名ばかり、被災地に救援に赴いて帰還したロイテルの兵が五十ほど。我らが掌握しているのが合わせて七百でございます」

 アトラスは重臣たちを安堵させるよう、ゆっくり自信を持って言った。

「それだけ居れば充分だ。兵士たちには都の郊外に天幕と毛布を運び、避難民を受け入れる準備をせよ。役人どもは食料庫を開けて食料を運べ」

 避難民が無秩序に都になだれ込めば混乱し、保護の目処も立たなくなる。郊外に避難民たちの仮の宿泊所を作り、食料も与えるという判断は正しいだろう。しかし、別の心配も残っている。

 重臣の一人が言った。

「しかし、未だ反乱を起こした領主とその兵がおりますぞ」

 反乱の首謀者は死んだが、それに荷担した者たちが残っている以上、再び反乱の火の手が起きる事にも備えなくてはならないというのである。

 アトラスは頷いて言った。

「確かに、反乱とその後の混乱を収めるのも急務であろう」

「では、いかがしたら良いので?」

「反乱は全てルタゴドスが起こした事。その領地は没収し、その一族は助命するが、身分は平民に落とす。反乱に荷担した者たちはルタゴドスの口車に騙されただけの事。罪は許すと言う事ではどうか」

 重臣たちは顔を見合わせてうなづき合った。確かにその条件なら、反乱を起こした者たちも受け入れるだろう。ただ、反乱を起こした者たちがそれを信じればと言う条件がつく。アトラスは重臣たちの疑問を悟ったように言葉を続けた。

「その約定。このルージ国のアトラスが真理の女神ルミリアと契約のルードスに誓って保証しよう。全領主に伝えよ。この国の治安を乱す者は、この私が責任を持って厳罰に処す」

 アトラスは黙ったままの重臣たちを見回して言葉を続けた。

「そして、役人たちは、ヴェスター国全土の民に、反乱の中で王と王母、オルエデスが死去した事。既に反乱は鎮圧された事を布告せよ。その布告と同時に、王と王母の葬儀を執り行う。ご遺体を王家の墓に運ぶ葬列には私が部下を率いて同行する。それを見た民はこの国に守護者が居る事を知って安堵するだろう」

 アトラスはここまで言って、もう一度、重臣たちを眺めた。ただ、重臣たちはアトラスを眺めるのみで言葉を返す者が居ない。アトラスは念を押すように尋ねた。

「いかがか?」

 アトラスの名前だけを利用しようとしていた重臣たちは、アトラスの決断力とその判断と命令の正しさに舌を巻いた。彼は辺境の若造ではなかった。

(さすがは、今は亡きレイトス様のお血筋)

 そんな思いが重臣たちに広がっていた。戦場における勇猛さは父リダルに、国の統治においては叔父レイトスに勝るとも劣らない。


 デルタスが微笑みながら声を上げて重臣たちを煽った。

「アトラス王を讃えよ。我らが偉大なる王アトラス」

 カグオロスがデルタスの意図を察するように、繰り返し叫んだ。

「我らが偉大なる王アトラス。我らが偉大なる王アトラス。我らが偉大なる王アトラス」

 その言葉に釣られるように他の重臣たちも叫び始めた。

「我らが偉大なる王アトラス」

 重臣たちの声は広間に響き渡り、王宮の外にまで漏れ聞こえそうな勢いだった。


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