デルタスの告白
地の揺れがやや収まり、広間に集う者たちに僅かな平穏が戻るのを待って、デルタスが重臣たちを見回して言った。
「そなたたちの思い、当然の事なれど、突然の求めにアトラス様もお考えになる時が必要であろう。ここは一つ、アトラス殿のお返事は、明日のこの場に日延べするというのではいかがか」
デルタスがそう言った時、地が揺れた。大地の揺れが、大きく、小さく、幾度も続いていたが、その一つだった。
重臣たちはその揺れが神の啓示であるかのように頷いて、デルタスに異論を述べる者は居なかった。
アトラスも黙ったまま散会に応じた。誰より早く広間から去って行くアトラスの後ろ姿を、デルタスは静かに見守っていた。カグオロスの視線を感じたデルタスは、僅かに微笑んで、問題はないと伝えた。早急に事を進めようとすれば失敗する。今はアトラスに考える間を与える事だと。
日が落ちかけて、侍女たちが部屋のランプに火を灯して回る刻限になった。アトラスは宴会を拒否して彼自身が望んで、提供された部屋で護衛のアドナと二人で食事を取った。宮殿の広間から静かな音曲が流れてきたが、デルタスを招いて宴会をしているのだろうか。
残された肉親も失って失意の内にいるアトラスにはその静かな曲調すら耳障りだった。アトラスも一人静かに物思いにふけりたい事がある。ただし、王という立場でその機会に恵まれる事は少ない。しかし、アトラスは過去にこの王宮で静かに過ごせる絶好の場所を知っていた。
アドナが首を傾げて言った。
「どこに行くのだ?」
月も中天に差し掛かろうとする夜更けに、出歩く理由が分からないという。一人の時間を過ごすつもりだったが、任務に忠実であるが故に彼女は聞き入れるまい。アトラスは一人になろうという考えを少し改めた。口数が少ない彼女の事、彼女を伴っても邪魔にはなるまい。そして、記憶を辿って彼女に関わりのある思い出話をするのも良い。
静かに歩き続けるアトラスの背後にアドナも黙って付き従った。アトラスはふと月を見上げて言った。
「そなたがゴルススを通じてサレノスの娘だとするなら、私にとってもサレノスは教師の枠を越えて、父のような存在かもしれない」
月明かりに照らされたアドナの表情は、まだサレノスを父と呼ぶには恐れ多いという戸惑いが感じられた。ただ、亡くなったサレノスへの敬愛を感じ取る事も出来る。
「しかし、私はそなたと違い、サレノスを嫌い反発もした」
「サレノス様を、なぜ嫌ったのだ?」
その理由はいくつもあった。アトラスはその中で一番根源的な理由を挙げた。
「そなたも知っていよう。私にはロユラスという兄が居た」
「それは知っている」
月明かりに照らされた景色を眺めれば、夜更けの庭園。数年前、アトラスがサレノスと過ごした場所だった。アトラスはあの日と同じ岩に腰掛け、アドナにその隣の岩に腰掛けるよう勧めた。宮殿の中の人々は寝静まったようで庭園には、冬の風が吹き渡っているだけだった。
アトラスは言った。
「私は父がロユラスだけを愛していると信じていた。サレノスはその父と意を同じく、私ではなくロユラスを支持する立場だったと思っていたからな。そのサレノスが私の戦のお目付役だ。反発するのも当然だろう」
「でも、サレノス様はアトラス様に忠実だった」
「その通り。父も私を息子として愛してくれていた」
「でも、不思議だ。どうして兄を差し置いて、弟が王になるのだ?」
「それが父の意志だった。そして、サレノスが私に父の意志を継げと言ったのが、この庭園だった」
「ここで?」
アトラスに問うアドナに、別の方向から声が響いて答えた。
「その通り。この庭園でしたね。あの時と同じく、月が冴え美しい」
振り返ってみれば、突然に木の陰から人影が現れた。アトラスはちらりとアドナを眺めた。嗅覚鋭い猟犬のように、微妙な危険までかぎつけるアドナは警戒心を感じさせていない。響いた声はそれほど穏やかだった。
そして、アトラスも彼が現れるのを予想していたかのように静かに呼びかけた。
「デルタス殿」
「何か?」
デルタスの短い問いに、アトラスは首を傾げて言った。
「私にはデルタス殿というお人が分からぬ」
「分からぬとは?」
「フローイ国では、フェミナ殿の亡き後のフローイ国を私に治めよと言った。この国でも同じ事を言う。有り体に言う。私はそなたが何か画策しているように思える。しかし、その意図がまるでつかめぬ。しかし、言うておく。私は運命なら自分で選ぶ。誰かが画策した未来なら、その者が神の使者であろうと抗うぞ」
「さすがはアトラス殿、出会えて良かった。私が見込んだとおりのお人だ。そして、兄君のロユラス殿にもお会いしたかった」
「ロユラスに?」
「気の合う友人になれたかと」
そう言いながらデルタスはアトラスと向かい合うよう花壇の礎石に腰を下ろした。アドナは黙ったまま二人の顔を見比べるように眺めていた。
アトラスが記憶を辿った。
「兄は自由人だ。それ故、誰にも束縛されずアトランティス各地を検分し、王などという面倒な地位は要らぬと言った。そんな男と?」
「ロユラス殿が気さくな姿でアトランティス全土を回って検分したというなら、私はシュレーブ国の都にいながら、シュレーブ国内や他国の情勢を検分し続けていましたよ」
「その検分とは?」
「私はシュレーブ国への留学で、王宮生活も長く、国内の領主たちとも懇意に話す機会も多かった。自然に領主たちの性格や家族構成に加えて領地の内情も熟知するようになりました」
「なるほど」
アトラスは短く言った。デルタスが誰よりシュレーブ国の内情に詳しい理由が知れた。そして、デルタスは言葉を継いで、そればかりではないと言った。
「二年に一度のアトランティス議会の折には、ジソー殿は見聞を広めよと称して、私を聖都に同行させてくださいました。そこでは各国の王に紹介され、親しく言葉を交わす関係にもなりました。もちろん各国の王の家族の方々の事も知り、言葉の端々から微妙な家族関係の事まで察しました。家臣の者たちとも交わり、それぞれの国の出来事について交わす話から、他国の内情を察しました」
煌びやかな王侯貴族の生活だろうが、その記憶を語るデルタスの表情が暗い。彼は言葉を続けた。
「ただ、私がもっとも嫌だったのは、母国から来た父と面会する事。国を守るために私を捨てた男です。シュレーブ国王ジソー殿の優越感に満ちた笑顔。父の媚びるような笑顔が卑屈が屈辱的で、眺めているのも嫌でした」
偉大な父の姿を背負って悩み続けていたアトラスと正反対だった。ただ、父の姿に悩むという点でアトラスはデルタスと同じ思いを持っていた。そして、父を通じて見つめる自分自身の姿も同じ。デルタスは言葉を続けた。
「ただ、私もその父の姿と同じ。私は私に接する王侯貴族が私をどう考えているのかは気づいていました。留学などとは、まやかし。弱小国が強国に膝を屈し慈悲を求める人質に過ぎない。だからこそ、他人が私に向ける笑顔の裏には侮蔑と哄笑があり、私が返す笑顔も卑怯者の卑屈な笑顔」
「デルタス殿はお父上の姿を自分自身の姿と重ねて考えておられるのか」
アトラスの問いにデルタスは答えず、肩をすくめただけで突然に話題を変えた。
「アトラス殿は、初対面の折りに、私がここで何を語ったか覚えておいでで?」
「デルタス殿は王位継承者とも思えぬ奇妙な事を言われた」
「左様です。アトラス様の配下に加えていただきたいとお願いしました」
「自ら他人の下につこうという。それもまた卑屈な人生のたまものだと仰りたいのか」
「いいえ、違います。私はあの時、初めて自分の運命を自分で切り開けると考えました」
「人の下につく事が自分の運命を切り開くと事だと言われるのか?」
アトラスの問いに、デルタスは再び話題を変えてしみじみと言った。
「亡くなったとは言え、兄君のロユラス様は本当に幸福な方だった」
「亡くなった者に何の幸福が?」
ロユラスの思いは、アトラスよりデルタスの方が理解できるかも知れない。デルタスはロユラスの人生を自分と重ねて語った。
「偉大な父君の息子でありながらその才覚が発揮できない境遇におられた。しかし、アトラス様と手を携える事で、ロユラス殿は王を失ったルージ国を敗戦から救い、フローイ国を陥落させ、その後の勝利を呼び込まれた。静寂の混沌で自らの人生を全うした事に微笑んでおられるでしょう」
「確かに。私が勝利を手にしたのはロユラスのおかげだ」
「世の中に埋もれて朽ちるだけだった人生に、その生きる価値が出来たと言う事。さすれば、今の私も同じ。ロユラス殿がアトラス殿に偉大な勝利をもたらしたように、私はアトラス殿にこのアトランティス全土を差し上げる事が出来る」
その言葉の意外さにアトラスは大きく目を見開いた。デルタスは自分の手でアトラスをアトランティスの支配者にすると言う。その言葉が本心かどうか語らぬまま、デルタスは静かに立ち上がり、アトラスに背を向けて夜空を見上げた。
「ああっ。今宵も月が美しい」
伝えるべき事を伝えて心が晴れたと言う事だろうか。アトラスは彼を問い詰めないまま闇の中に姿を消すデルタスに言った。
「もう行くのか」
「今宵の事など、夢か幻にしておくのがよいでしょう」
互いに、あまりに心の底に隠しておくべき事まで露わにした。いまはその大事な思いを再び心に封じておくのが良い
闇の中に姿を消したデルタスにアドナが率直な感想を口にした。
「不思議な人だ」
「デルタス殿にとって、この世界などまやかし」
アトラスの言葉にアドナは即座に反論した。
「それは駄目だ。そんな事をすればゴルススさまも幻になってしまう」
彼女はただ一人愛する男性と出会った運命を失いたくないという。
アトラスは彼に提供された寝室へと足を運んだ。アドナが腕を伸ばせば届くほどの距離を保ってついてきた。彼女の意図は分かる。アトラスが寝室に入って温和しく閉じこもるまで監視するつもりだ。忠実な護衛として、アトラスが部屋の外をふらふらうろつかれては困るという事だろう。
この時のアドナは、アトラスに興味深い決断をさせた。
(明日。パトローサへ帰ろう)
このヴェスター国を預かるというというのは、何やらデルタスに仕組まれた運命のような気がする。アドナがゴルススへの愛を貫こうと、自ら運命に一途なように、アトラスも自分自身の運命に忠実に生きたいと思った。そして、その運命を共にしたい妻の名を小さく呟いた。
「エリュティア……」
今は心の乱れを押さえる時の癖で、左胸に右手の指先をそっと添えた。エリュティアから与えられたお守りが肌の上で温かい。




