王権の譲渡
密談には、ひそひそ話が部屋の隅まで届く小さな部屋が良い。十数名の重臣たちが宮殿のそんな部屋に籠もっていた。彼らの話題は王と王母の葬儀の事である。本来は粛々と進めるべき儀礼の予定が進まない。葬儀を取り仕切る者が見あたらなかった。本来なら喪主を務めるべき王子オルエデスは、王と王母殺しの反逆者として死んだ。
こういう場合、重臣の一人が取り仕切るべきかも知れないが、幾人もの重臣の頂点に立って国王の葬儀を執り行いうなれば、重臣たちの間の力関係が崩れる。
また、反乱を起こした者たちもその首謀者ルタゴドスの死で計画が潰えた事をして包囲を解いて逃げ去ったが、王レイトスが死んだとなれば、再び反乱の火の手が上がるかも知れない。
そして、未だ王の死を知らぬ民も、その事実を知れば混乱するだろう。その混乱を起こす前に事を収めて元の秩序を取り戻したいが、その支柱となる王と王子を失っていた。重臣たち自身の混乱も重なって、何事も決める事が出来ないまま時間が過ぎていった。
部屋の端に控えていたカグオロスが部屋の中央に進み出て言った。
「若輩なれど、私に一つ、妙案がございます」
彼を侮っていた重臣たちの皮肉な視線を浴びながら、彼は言葉を続けた。
「ちょうど、都にアトラス様がその軍を率いて駐屯しておられます。アトラス様は他国の王とはいえ、この中の誰より、今は亡きレイトス様にお血筋が近く、葬儀を取り仕切るのに適任かと」
「何が言いたいのだ」
一人の重臣の問いに、カグオロスは明確に言い切った。
「今は、このヴェスター国をアトラス様に託してはいかが」
「しかし、アトラス様はルージ国のお方だぞ」
別の重臣が怒りを込めて言うのは、アトラスをこの国の支配者と認めると言う事は、ルージ国に吸収合併されてヴェスター国は消滅するということである。
カグオロスは首を横に振って言った。
「皆様は今の状況をよくお考えでしょうや。ルタゴドスの反乱に加わった領主も一人や二人ではない。この主を失った朝儀で、皆様の意見がまとまらぬのと同様、この国の行く末は何も決まりませぬ。そして我らが無駄に時間を潰す内にも、このヴェスター国の東側では、大地が海に沈むという信じがたい災厄が起き、民は救いを求めております」
「そなたは正気か。我らはこの国を支える者。忠誠を忘れ、この国を売り渡す所存か?」
「忠誠とは何ぞや。亡き王の意志を継ぐ事ではありませぬか。レイトス様ならまずは民の困窮をお考えになるでしょう。そして自分と同じ血筋の者にこの国の民が従うようにともお考えになるのでは?」
「しかし、アトラス様を王に選んだ時に、このヴェスター国は消滅する。亡くなったレイトス様がそんな事をお望みだろうか」
一人の重臣の疑問に、他の重臣たちも賛同した。
「そうだ。その通り」
狭い密室に反対意見があふれかえったが、同時に国を率いる者の必要性は感じているだろう。
(交渉は、まずは大きくふっかけるが良い)
カグオロスはデルタスの言葉を思い起こした。ルージ国王アトラスをこの国の王に就けるという提案を一歩譲れば、いまは反対している重臣たちも、自分たちの意見が通った事に満足して、次の提案は受け入れる。
カグオロスは、その次の提案をした。
「それでは、一時、アトラス殿に預かっていただき、その後、我らの手で新たな王を擁立するというのでは」
「我らが次のヴェスター国王を擁立した後、アトラス殿が国を返す保証はあるのか」
「いま、この王宮にはレネン国のデルタス様も居られます。デルタス様に約定の証人になっていただくというのではいかが」
カグオロスの次の提案に重臣たちは頷いた。
「なるほど。ここはアトラス様とデルタス様を互いに牽制させるのが得策」
「左様です。デルタス様の心底も知れませぬ。ひょっとしたら、王が亡くなった混乱につけ込んでヴェスター国をかすめ取るつもりやも。ここはアトラス様を頼って、我らが新たなヴェスター国王を擁立した暁には国を返していただく」
「しかし、アトラス様が国を返さぬ時は?」
「ルージ国の統治がヴェスター国にまで及べば、アトランティスの勢力の均衡も崩れ、ルージ国がアトランティスの覇権を唱えるのも必定。他国、特にデルタス様はそんな事は望みますまい。それゆえ、デルタス様とアトラス様、レネン国とルージ国を牽制させておくのです」
「しかし、それほどうまく行くものか。あのお二人が何を考えているやら」
「それでは、この場にお二人をお呼びして、ご意向を尋ねてみてはいかがです」
カグオロスの言葉に反論できる者は居なかった。彼は他の重臣たちの表情をぐるりと見回して言った。
「ただし、一つ確認しておかねばなりません。アトラス様に一時この国を委ねるという事、皆様、賛同なさるのですね。」
アトラスの事の次第を相談する時に異論を差し挟む者が居ては拙い。しかし、重臣たちがカグオロスの言葉に頷いた。彼に託したデルタスの企みは成功したのも同然だった。
アトラスはフローイ国への遠征で、彼は幼い王とその母を守りきれなかった。そしてこのヴェスター国では、レイトス王とその一族を守りきれなかったばかりか、アトラスは自分に繋がる血筋を失った。彼はレイトスたちの葬儀を見届けて失意の内にエリュティアが待つパトローサへ帰るつもりでいた。
話を聞きたい事があるという用件で、この国の重臣たちがいる広間に招かれた時、彼は葬儀の日程や儀式の手順に関わる相談だろうと考えていた。
アトラスとデルタスが広間に招かれた。葬儀の相談だろうと考えていたアトラスは広間に漂う雰囲気の違和感に立ち止まった。重臣たちが王を迎えるように両側に並んで立ち、正面にはレイトスが座っていた王座が見える。
「さぁ、」
デルタスが短い言葉でアトラスに部屋の奥へ進めと促したが、デルタス自身はアトラスと距離を置くように立ち止まった。アトラスはそのまま不思議な心持ちで左右に立ち並ぶ重臣たちの列の間を王座へと歩んだ。むろん王座に座る気はなく、その前で足を止め、振り返って尋ねた。
「それで、私に何用か?」
その言葉をきっかけに、重臣たちは一斉に床に片膝をついて頭を垂れ、握った右の拳を左胸に当てた。臣下が自分の王に取る姿勢だった。
「アトラス王にお願いがございます」
重臣たちがいっせいにそう言った後、アトラスに最も近い位置にいた男がアトラスの前に進み出て頭を垂れて言った。
「ご存じの通り、我が国は王と王に連なる者を失い、反乱で乱れた国を立て直す支柱になる者がおりませぬ。更には我が国の東では信じられぬ事に大地が海に呑まれるという災厄が起き、助けを認める民も無数。ここはアトラス様の慈悲にすがり、我らが次の王を擁立するまでの間、このヴェスター国を支えてくださるわけには行きますまいか」
続く言葉に重臣たちは更に深く頭を垂れて唱和した。
「どうぞお願い申し上げます」
この時、先頭の重臣はちらりとデルタスを眺めた。ルージ国が強大になりすぎるのを危惧した彼が、何か異論を唱えるはずだと考えていたのである。
しかし、デルタスは笑顔を浮かべて拍手した。
「それは良い考えだ。隣国が落ち着けば、わがレネン国もまた安泰というもの。我が国も出来るだけアトラス殿とヴェスター国にご助力させていただこう」
重臣たちが予想した発言とは違った。そして重臣たちが権力者の支配欲という観点で眺めていたアトラスの返答も、彼らにとって期待はずれだった。
「せっかくの申し出なれど、私には荷が重すぎる。申し出を受け入れるわけにはゆかぬ」
突然の意外な申し出に、アトラスの本音が滲んだ。この三年、多くの者たちの死の上に今のアトラスが居る。そして彼の人としての能力をあざ笑うかのように彼の故郷は、大切な人々と共に海に沈んだ。
周囲を気づかって隠していても、自分自身の無力感は心の中に降り積もって居た。シュレーブ国の分割で得た新たな支配地の安寧を考えるだけで今のアトラスは重荷に感じていた。その上にヴェスター国まで背負うのは避けたい。思い起こせば、彼が幼い王を失ったフローイ国に背を向けたのも、同じ思いだったろう。
デルタスがその言葉を予測していたように、アトラスを説得するように語りかけた。
「では、アトラス殿。こう考えてはいかがです? 次の春、我らは聖都に集い、アトランティスの国々を統べる神帝を選ぶ約定。その席上で、我がレネン国はアトラス殿を神帝に推挙いたします。アトラス殿が蛮族の手からこのアトランティスを解放した業績に鑑みれば、異を唱える国などありますまい。春にはアトランティス全土を統率する神帝となられるお方として、いま、このヴェスター国の民を捨てるような真似は出来ますまい」
デルタスはアトラスにアトランティスの国々を統率する立場で物事を考えろと要求している。アトラスはそんなデルタスを人の良い笑顔の裏に隠された意図を探るように眺めた。
この時、人々は大地が揺れる音を聞いた。テーブルの水差しが揺れて床に落ちて割れた。重臣たちは床に尻餅をついて悲鳴を上げ、アトラスも立っている事が出来ず片膝を床について体を支えねばならなかった。アトラスが経験したどの揺れより大きい。
ある者にはアトラスに国を委ねた事への神々の警告であり、別の者にはアトラスがその申し出に戸惑っている事への警告に思えた。そして、アトラス自身はデルタスへの得体の知れない不信感を募らせている。




