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オルエデスの死

 王宮とは言え、建物の構造はアトランティスの一般の家屋と同じで、部屋は外と分厚いカーテンで仕切られているだけだが、案内された部屋は出入り口に頑丈な扉がついていた。普段は盗まれては困る宝物を保管する部屋に、今はオルエデスが閉じこめられている。入り口にいた二人の衛兵が、部屋の中から聞こえる罵詈雑言に顔をしかめていた。

 カグオロスは戸口を守る衛兵に、兵舎に戻るように命じた。これから部屋の中で交わされる会話を兵士に聞かれたくはない。

 デルタスはそのカグオロスが先に部屋に入ろうとするのも留めて言った。

「いや。私とオルエデス殿だけで話をしたい」

 デルタスの護衛の兵二人は戸口に留まり、カグオロスもその護衛と並んで待機した。戸口にいれば、中の会話が漏れ聞こえる。デルタスはカグオロスがそんな位置に留まる事を気にかけることもなく鍵を開けて、一人の護衛と共に室内に踏み込み、部屋の中から扉を閉じた。

 理もなく部屋に踏み込んできた人物に気づいたオルエデスの声が、カグオロスにも響いてきた。

「おおっ、デルタス殿。良いところへ来た。私の身の潔白を証明するのはそなたしか居らぬ」

「オルエデス殿の潔白とは?」

 首をかしげて問うデルタスに、オルエデスがデルタスの責任を問うような調子で言った。

「そなたがレニグで反乱が起きると知らせてくれたではないか。だから私は反乱を収めるべくここまで来たのだ。」

「反乱の予兆があるというのは確かにお伝えした。しかし、オルエデス殿がレイトス殿とルタゴドスのどちらに荷担するかは、私のあずかり知らぬ事。ましてや、そなたがレイトス殿を殺すのを見た者が居るとか」

「違う。違うのだ。私ではない」

「ではレイケ様はいかがか? 重臣たちの見ている前で切り捨てたとか」

「違う、違う。それもレイケ様が私が振っている剣の間合いに飛び込んで来たからのこと」

「オルエデス殿。もはや王殺し、王母殺しの罪から逃れる事は出来ませぬぞ」

「私はどうなるのだ」

「古来。王に対する反逆は、広場にて八つ裂きとか。オルエデス殿の処刑はアトラス殿の指揮で行われる事になるでしょう」

「アトラスだと? 他国の王ではないか。私はこの国の世継ぎだぞ」

「しかし、王殺し、王母殺しとあっては、世継ぎの資格などありますまい。そして、アトラス殿は血縁関係から言えば、レイトス殿の甥であり、レイケ様の孫。暗殺者の処刑の指揮を執る資格は充分すぎるほど」

 その言葉の意味を察する間をおいて、オルエデスの口調は哀願に変わった。

「デルタス殿。力を貸してくれ。このままアトラスの手にかかるなど我慢できぬ」

 オルエデスの言葉に、デルタスは穏やかな口調で応じた。

「今の私に出来る事はこのぐらい」

「こんなもので、どうせよというのだ」

「他人の手にかかるより、自ら死ねば、名誉も守られましょう」

 部屋の中から漏れ聞こえたデルタスの言葉は、オルエデスに自死を促していた。とすれば、デルタスがオルエデスに渡したのは短剣か何かだろうと推測がつく。

 続いた沈黙の中に、カグオロスは部屋の中の光景を想像した。王殺しの罪を受け入れていないオルエデスは自死をためらっている。その光景が具体的に思い浮かんだ。

 オルエデスは震える手で短剣を受け取ると、それをじっと眺め鞘から剣を抜いた。暖炉の炎に照らされてその切っ先が輝いた。オルエデスはその切っ先を自らの喉に向けた。しかし、力を込める事が出来ずぶるぶる震えるだけだった

「オルエデス殿。覚悟を決めなされ。人が来る」

 デルタスが自死を促す言葉に、何かが床に投げ捨てられる音がした。

「嫌じゃ。死にとうない」

 そのオルエデスの言葉で、彼がデルタスから受け取った短剣を投げ出して自死を拒否した光景が思い浮かぶ。物音を聞き逃すまいと耳を澄ませれば、長剣を鞘から抜く音が聞こえた。この時、廊下の向こうから慌ただしい足音と共に怒鳴り声が響いた。

「デルタス殿。オルエデスは」

 駆けつけたのはアトラスだった。神殿の外の騒がしさでデルタスの到着を知り、更にデルタスがオルエデスのいる部屋にいると聞きつけたのだろう。

 アトラスが開けた扉から、カグオロスにも部屋の中が見えた。デルタスの護衛が長剣の切っ先をオルエデスに向けた瞬間だった。手練れの護衛だったのだろうが突然の侵入者に驚いて、剣の切っ先がオルエデスの急所から逸れた。オルエデスは血の泡を吹きながらも僅かな命を保っていて、部屋に侵入してきた男の姿を眺めた。

 彼は残された命の中で、憎しみを込めて言った。

「アトラスめ。私をあざ笑いに来おったか。お前さえ居らねば、父上の歓心も、今少し、私に向いたものを」

 そのオルエデスの声は擦れていたが、駆け寄ったアトラスの耳に届いた。アトラスはしばらく憎しみも忘れて、オルエデスを眺めていた。オルエデスの言葉はアトラス自身が心に刻んで封印した彼自身の記憶を思い起こして考えた。

(ひょっとして、いつか自分もこの男のように死ぬのかも)

 アトラスはそんな思いに迷いつつ、デルタスにこの光景の説明を求めた。

「これはどうした事だ?」

「オルエデス殿が隠し持った短剣で私を刺そうとしたため、護衛が切り捨てました」

 そう断言されるとアトラスには反論する言葉はなかった。仮に反論されても言いくるめる理由はいくらでもあった。

 そして、デルタスはなによりカグオロスという人物を確認しておきたい。そのカグオロスは何も見なかったように部屋の外に控えていて、中の様子を聞き知っているはずだが、デルタスの言葉に異論は述べなかった。

(やはり、この男は役に立つ)

 デルタスがそう考えた時、カグオロスはオルエデスの遺体を眺めて、アトラスの指示を求めた。

「いかがいたしましょう?」

 カグオロスの言葉にアトラスは言った

「国を挙げての葬儀など難しかろう。しかし、デルタス殿の息子として埋葬してやるのはいかがか」

「ご指図の通り、取り計らうよう他の者にも伝えましょう」

 カグオロスは恭しく頷いてそう言った。違和感はなかった。しかし、よく見れば奇妙な光景だった。アトラスは他国の王。ヴェスター国の重臣たる彼が、国が独自で決めるべき事をアトラスの判断に委ねようとしている。

 デルタスは判断した。

(この男は信用できる)

 密かにデルタスの企みに荷担し、しかも、ヴェスター国に忠実な者。カグオロスはデルタスが求める条件を備えていた。


 オルエデスの死で、アトラスはここには用は無くなった。彼は自分自身と重ねてオルエデスの死の意味を味わうように、肩を落として部屋に背を向けた。

「今しばらく。亡くなった方の側にいさせてくれ」

 カグオルスとデルタスは、神殿に戻るというアトラスが部屋を出て行くのを静かに見送った。アトラスの姿が見えなくなるのを待って、デルタスはカグオロスに語りかけた。

「しばらく話が出来ぬか。そなたにとっても大事な話だ」

 この時、何かを誘い、そして警告するように地が揺れた。ただ、それも都レニグ周辺では日常の事になった。レニグの都では反乱の終結と結びつけて、神々の祝福だと喜ぶ者たちが騒ぎ、神殿では神官がもっともらしく、忠義のヴィランがルタゴドスに下した鉄槌の凱歌を挙げているのだと説いた。

 しかし、都の人々は敬愛する王とその母の死を知らず、この国の東側で起きている破滅的な災厄が自分たちに降りかかってくるとにも気づいていなかった。

 ただ、その予兆が起きた。繰り返し続く地の揺れが、今までより大きく人々の足下を揺らしている。しかし、本当の災厄の到来を前に、その揺れも人々への警告にはならなかった。



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