デルタスの影、再び
アトラスがルタゴドスを討ち取った頃、デルタスはレネン軍千の兵を率いて国境を越えた。彼は背後に続く兵の士気を鼓舞するように叫んだ。
「よいか。我らは我らは志を同じゅうするルージ国のアトラス殿と手を携え、不義の輩を討ち。レイトス殿をお助けする。忠義の神のご加護あらん事を」
それがデルタが兵を動かすために掲げた名分だった。ただ、彼が手を携えると言ったアトラスの騎馬兵は、馬ならではの機動力もあり、距離は開くばかりだった。しかし、デルタスはそんな事を気にかける素振りもない。本来なら都レニグまで二、三日で移動できる距離を、敵の奇襲に対応するために慎重に兵を進めると称して、街道上をゆるゆると兵を進めていた。
明くる日、日が中天に差し掛かる前、物見に出した兵が戻って告げた。
「ラッディード村の先の荒れ地に、戦闘の跡と思われる場所がございました。街道脇に草を踏み荒らした跡があり、三十体ほどの兵の死体がありました。その死体の一つは貴族らしい衣服を身につけておりましたが、頭部が見つからず人物は確認できませなんだ」
「ルタゴドスが死んだかどうかは不明か」
知りたい事を知る事が出来なかった残念さを滲ませるデルタスに、物見の兵は首を傾げて言った。
「更に不思議なのは、今少し前方に進みますと、甲冑や武具がそこかしこに放置されていたこと。甲冑の数だけでもおそらく千を超える数。それを身につけていたはずの兵の姿はなく、何やら不思議な光景でありました」
そんな報告に指揮官ヴィネアス首を傾げて言った。
「どういう事でしょう?」
甲冑を着た死体が戦場に転がっているのは当然だったし、戦の後、兵士の死体から武具をはぎ取って売る近隣の者たちがいれば、武具のない兵の死体だけが転がっているという光景をみることもある。はぎ取った武具を食料に変えれば、数十日は食うに困らないほどの価値がある。持ち主を亡くした甲冑や剣や盾があちこちに転がっているというのは想像しがたい光景だった。
デルタスがその不思議な状況を読み解いて見せた。
「首のない死体はルタゴドスであろう。アトラス殿はルタゴドスを誅殺し、残りの兵を捕虜にしたということ」
「では、アトラス殿が捕虜を武装解除したと? それなら武具は一カ所に集められておりましょう」
「捕虜の立場で考えれば、解放されたと言っても、反乱軍に加わっていたと分かれば、後々罪も問われよう。解放された者たちは、反乱軍の兵士だった事を隠すために武具を捨て去ったのだろうよ」
「数百、ひょっとすれば、千を超える捕虜を、反乱の最中、生かして解放したので?」
「そういうお方だ」
「そのアトラス殿は何処へ」
「今頃はレニグに到着し、反乱軍の包囲を解いてレイトス殿の歓待を受けているやも知れぬな」
部隊の先頭でそんな会話を勧める中、街道の前方からフードで厚く顔を隠した男がやって来た。デルタスの軍の先頭に掲げられたレネン国の紋章に気づいた男は、駆け寄ってきて叫んだ。
「デルタス様、デルタス様はおわしますや」
その男の顔立ちを眺めたデルタスは親しげに声をかけた。
「おおっ。デビロクスか。首尾はどうか」
デビロクスはデルタスの元に駆け寄ると、深々と頭を垂れて、成し遂げた事に満足する笑顔で言った。
「おかげさまをもちまして、家族の恨み晴らしました」
「礼を言うのは、私の方がかも知れぬ。わたしとて、そなたのおかげで家族を殺された恨みを晴らす事が出来たというもの」
「しかし、」
「どうしたのだ? 気がかりな事でも?」
「デルタスの兵士と包囲軍の兵士が争う騒動の中、王母レイケ様が、オルエデスの手にかかって……」
デルタスはその続きをデビロクスに言わせず、彼自身で言った。
「アトラス殿は血の繋がる家族を皆失ったか。さぞかし嘆いておられるだろう。しかし、それとて、今の私と同じ」
ルージ島がアトラスの母や妹と共に海に沈んだというのは確からしい。その上で、レイトスとレイケを失えば、アトラスは血縁関係のある親族全てを失った事になる。デルタスはしばらく沈黙していたが、改めて気づいたように言った。
「では、これを持って行くが良い。そして、どこかで静かに暮らせ」
差し出された拳大の革袋が感じさせる重みに、デビロクスはその中身を察した。アトランティス人たちが貨幣のように利用する銀の粒が入っている。そしてその革袋の大きさは彼が一生贅沢に暮らせるほどの価値がある。しかし、デビロクスは首を横に降って言った。
「いや。受け取れませぬ。受け取れば、我が復讐と奴に殺された家族への思いは偽物だったと言う事に」
報酬のための暗殺ではないという。デルタスは微笑んで言った。
「では、こう考えるが良い。私、レネン国王デルタスはそなたのおかげて、弟の復讐を成し遂げた。これは私からそなたへの謝礼である。」
デビロクスはやや考え、恭しく受け取って一礼すると、足早に立ち去っていった。
「良いのですか?」
デビロクスの後ろ姿を鋭い目つきで眺めるヴィネアスが言った。ここでデビロクスを殺して、暗殺者との関係を闇に葬るのがよいのではないかというのである。デビロクスを生かしておけば、彼の口からヴェスター国王レイトスの殺害にデルタスが関わっている事が知られてしまうかも知れない。
「いや。良いのだ。この先は運命の神の差配の元に委ねよう……。いや。しかし、困った。オルエデスがどうなったか聞きそびれたぞ」
物思いにふけっているうちに、大事な事を忘れていたという。ヴィネアスが振り返ってみたが、もはやデビロクスの姿はなかった。しかし、デルタスは気にかける事もなく呟くように言った。
「しかし、まぁ、これもまた、悪鬼の差配のままに」
悪鬼というのは、アトラスの異名でもある。この時、デルタスが神話上の人物の名を言ったのか、アトラスの事を言ったのか、彼の表情を窺うヴィネアスには分からなかった。
デルタス一行は順調にアトラス一行の後を追った。
「しかし、恐ろしいお人でありますな。戦闘があった事など感じさせぬとは」
アトラスが率いる兵はせいぜい五百。反乱軍は二千人を越えるだろう。しかし、まるで戦がアトラスを恐れて逃げ去るように、戦の気配を感じさせずに目標に向かって進んでいるようにも見えた。
デルタスは冗談のように言った。
「どうだ。アトランティスの支配をお任せできるお人だとは思わぬか?」
「アトラス殿が……、でしょうか?」
不思議そうなヴィネアスに、デルタスはクスリと笑って頷いた。
都レニグに到着すると、片付けきれないように兵士の遺体が転がっていた。アトラス率いるルージ軍兵士が身につける甲冑ではない。デビロクスが語った、反乱軍とオルエデス率いる兵士が争った跡だろうが、それすら過去の出来事のように戦いの気配は途絶えた静かな死体だった。
間もなく、デルタス一行の目の前に、宮殿が見えてきた。




