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デルタスとの再会

 アトラス一行はピメルサネたちが二日かけて移動した行程を一日で駆けた。馬に乗れない案内役のために、食料を積んで馬車の一部に席をしつらえて同行している。しかし、デルタスはよほど用意周到に各地の領主に触れを回したようで、案内役が調停しなくても、アトラスたちに抗い通行を妨げる領主はなかった。

 ラヌガンは馬でアトラスの傍らを進みながら、彼の横顔を眺めて考えていた。

(気むずかしいお顔をなさっている)

 アトラスはもともと口数が少ない方だが、周りに気づかう配慮があって、命がけの戦場に向かう時にも、冗談を言ったり笑顔を見せたりもする。そのアトラスから笑顔が消え、冗談を口にする事もなくなった。ラヌガンは彼の心情を察して声をかけた。

「デルタス様の事をお考えですか」

「そうだ」

 アトラスの短い問いに、スタラススが言った。

「テウススやピメルサネ様の言うように、笑顔の裏で油断はならぬ方かも知れませぬ」

 アトラスは同意して頷き、そして同時にそれを否定するように首を横に振った。

「しかし、敵でもない」

 そのアトラスが言った敵でもないという出来事が起きた。この地を抜ければレネン国に出るという国境の地、コリロスに入るや否や、アトラス一行は身なり正しい男女の出迎えを受けた。街道の傍らに立った男の傍らにいるのは彼の妻と子ども。そして数人の従者。男は騎馬兵の先頭のアトラスに声をかけた。

「アトラス様でございますな」

 一瞬、アトラスは自虐的に思った。

(片腕も便利で良い)

 左腕を失った馬上の将といえば、ほぼアトラスに間違いないし、アトラスも身分を偽る事は難しい。

「その通りだ。そなたは?」

「このコリロスの地を預かるオルガヌスと申します。傍らに控えますのは我が妻と子どもたち」

「領主とそのご家族が何用だ?」

「寡兵なれど、精鋭二百の兵を集めました。どうか、私とコリロスの地の民共々、アトラス王の元にお加えください」

 オルガヌスの言う事は理解できる。アトラスたちが駆け抜けてきた街道のどの地も田畑は荒れ果て、町や民は貧しかった。戦乱で荒れ果てたばかりではなく、ヴェスター国の版図に組み入れられて、更に重税に喘いでいる。ルージ国に編入された土地には、民に笑顔が戻っては居たが、この地ではそれがない。

 この地で生活する者にとって見れば、戦勝国が勝手に分割して分け合ったが、一方は豊かなのに自分たちは圧政に苦しむというのは理不尽な事だろう。ただ、この分割は既にルージ国とヴェスター国との間で決められた事で、今、その帰属に異を唱える事は出来ない。アトラスはなだめるように言った。

「そなたたちはヴェスター国の領主であり民であろう。レイトス殿のために尽くすことを考えるが良い」

 オルガヌスの妻が、すがる目つきで進み出て言った。

「しかし、デルタス様の使者が仰いました。アトラス様にお尽くしすれば、ルージ国への編入がかなうと」

「デルタス殿が、そんな事を?」

 アトラスの疑問に領主夫婦はそろって頷いた。

(ここでも、デルタス殿の名が……。しかし、分からぬ)

 アトラスはそんな疑問を心の中で呟いていた。もし、デルタスが利を望むなら、レネン国と境を接するこの地を併合しようとするだろうし、この地の民もそれを望むだろう。しかし、デルタスはそれをせず、ルージ国への編入を考えろと勧めたという。

 アトラスは領主一家の求めに応じる事が出来ずに言った。

「その願いは胸にしまうが良い。しかし、そなたたちも知っての通り、ヴェスター国王レイトスは我が叔父である。そなたたちの困窮ぶりは私から伝え、配慮願うよう必ず伝えておこう」

 アトラスはそれだけ言って、馬の腹を軽く蹴って進めと命じた。失望感を露わにする人々を見ずにすむよう、アトラスは後ろを振り返らなかった。ピメルサネが言った大切なものと言う言葉が、アトラスの脳裏に蘇っていた。失ったものと言えば、今、彼が見捨てて去る者たちのの事かも知れない。

 間もなく、レネン国との境に差し掛かる前の最後の休息、ゴダルグの地からアトラスたちに同行してきた案内役がアトラスに進み出て言った。

「案内役としてのお役目もここまで。私もここから帰りとうございます」

「世話になったな。おかげで安全な行軍になった」

 素直な言葉が案内役の胸に響いた。案内役はアトラスとの別れの前にの顔を記憶に留めるように眺めた。数日の同行だったが、アトラスの人柄が案内役心に残っている。彼は突然に、地面に土下座して言った。

「いえ。私が居らずとも、領主たちの様子を見れば、アトラス様を迎え入れた事、よくお分かりでありましょう。先のオルガヌス様ご夫婦の思いは、私の主ストラタスも同じ。いや、ヴェスター国の版図に入ったシュレーブ国の領主領民の願いかと。アトラス様にもその思いを分かっていただきたく……」

 案内役はアトラス一行がその場を立ち去るまで姿勢を崩さなかった。アトラスは馬上から案内人に声をかけた。

「ストラタス殿に伝えよ。ストラタス殿は良い家臣に恵まれておられる。その家臣の言葉、私の心に響いたぞ」

 

 案内役に礼を言って別れたアトラスに、まず気がかりな事があるとすれば、オルエデスの事だった。何度も名前が挙がったデルタスは、アトラスの行く先々で様々な手はずを整えているように見える。しかし、オルエデスの消息について、二千の兵を率いてヴェスター国に向かったと聞かされたのみで、その後の消息がつかめない。もちろん、オルエデスが諍いを起こした実父と養父の調停をしようとしているなど知るよしもなかった。

「オルエデスの奴め、許しておかぬぞ」

 アトラスは忌々しげに呟いていた。重臣ルタゴドスが王レイトスに反旗を翻したとすれば、オルエデスは実父ルタゴドスの加勢をして、王位を簒奪する。アトラスは当然の成り行きのようにそんな光景を思い浮かべていた。

 一行が国境を越えて間もなく、街道沿いの一軒の家から姿を見せて声をかけてきた者が居た。

「アトラス殿、お久しぶりですな」

 言うまでなく、デルタスだった。久しぶりと言うが、冬の女神シミリラが彼女の門を開く前、二人はフローイ国の戦乱の都カイーキで言葉を交わしている。皮肉な感情は避けたが、その口にした言葉は皮肉ともつかぬ意味になった。

「デルタス殿か。出迎えかな」

「まぁ。そのようなものです」

 天真爛漫な笑顔という表現は、今のデルタスの笑顔に良く会う。その笑顔にアトラスは言った。

「いろいろ世話になったようだ」

 ここまで争いもなく無事にこれた事。その裏にデルタスの姿がちらついている。デルタスは皮肉など聞き流すように言った。

「礼なら不用。それより急がなくてはなりませんな。既に戦火は燃え広がりそうです」

 アトラスは気になる人物の事を尋ねた。

「オルエデス殿が通ったと聞いたが」

 アトラスの問いに、デルタスは肩をすくめて笑顔で言った。

「あの方は、ここまで来て引き返し、イドポワの門へ向かわれましたよ」

「そこから王都レニグへ?」

「そのおつもりでしょうな」

 デルタスの笑顔の裏にあるものを探るようにアトラスが尋ねた。

「私は王都レニグでオルエデスと遭遇する事になるということか?」

 イドポワの門を抜ける隘路は大軍の通行を妨害する。オルエデスの行軍は遅れに遅れる。彼が王都レニグに到着するのは、アトラスの到着とさほど変わらぬ頃になるかも知れない。アトラスは、デルタスが反乱が起きているヴェスター国の都で、二人を争わせよう画策としているのかと言う。デルタスは少し首を傾げて答えた。

「そうなるやも知れませんな。しかし、その方が都合が良い。オルエデス殿が実父ルタゴドスに加勢して、レイトス殿が不利になる前に駆けつける事が出来ましょう」

「そのつもりだ。では通らせてもらうぞ」


 この時、大地が揺れた。人々を驚かせたばかりではなく、馬が驚いていななく声が周囲に響き渡った。もし、アトラスや兵士たちが馬から下りていなければ、振り落とされていただろう。兵士たちが馬をなだめ、心を落ち着かせる間をおいてデルタスが言った。

「これもまた大きい。先日はヴェスター国の反乱に怒る神々が大地をゆらしましたが、今日の揺れはそれ以上」

 この辺りは先日も人が立っていられぬほどの地の揺れに見舞われていた。その時は距離を置いて、日常の慣れきった小さな地の揺れの一つと考えていたアトラスたちにも、今は神々の警告のように恐怖感をもって伝わった。

 アトラスは自嘲的な笑みを浮かべて、再び馬に跨って言った。

「私は悪鬼ストカルだからな。行く先々に不幸をばらまいているようなものだ」

 アトラスはそれが別れの挨拶だと言わんばかりに、もはやデルタスと視線を交わす事もなく、右腕を上げ、前方を指し示すようにその腕を前方に向けて倒し、部下の兵に前進を命じた。馬の腹を軽く蹴ったとき、アトラスはもう振り返らなかった。

 フローイ国に蛮族ゲルエナサスが攻め込んで王位を簒奪しようとしたときのこと、ヴェスター国で突然に反乱が持ちあがった事。その影にデルタスの姿がちらついている。


 ただ、オルエデスへの憎しみや、デルタスへの苛立ちを感じる都度、それはアトラス自身の嫌悪感のように跳ね返ってくる。


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