入り乱れる思惑 デルタスとオルエデス
「オルエデス殿も、我が願いを聞き届け、進路を転じてくださった」
デルタスの言葉に、傍らにいた指揮官ヴィネアスは笑った。デルタスの希望を聞き入れたと言うが、二日前、そのオルエデスは、レネン国の通行を阻むデルタスに捨て台詞を残して、この国境を去った。オルエデスは本国で反乱が起きそうだと聞いて、兵を率いて駆けつけたが、ここで国境を封鎖するデルタスと会った。通行を求めるオルエデスに、デルタスは隣国の反乱に中立を保つと称して許さなかった。
苛立つオルエデスが率いてきた二千の兵士で押し通ろうとしたが、デルタスはそれを阻む兵士を集結させていた。
そして、デルタスはオルエデスに語り聞かせるように言った。
「ここで無駄な戦で時間と兵を潰す余裕はあるまい。既に反乱は始まっている。私にも火の粉が降りかかってくるやも知れず、レイトス殿とルタゴドス殿、どちらにつくか考えあぐねているところ」
オルエデスが怯えるほど驚く様子が見て取れた。今まで格下に見ていたレネン国から戦も辞さぬと言われた事。はやくせねば反乱も終わってしまう事。何よりここでデルタスと敵対すれば、彼は反乱で混乱するヴェスター国に武力で介入するだろう。オルエデスは忌々(いまいま)しげにデルタスを睨んで去ったのである。
方向を転じて、ここからずっと東にあるイドポワの門と呼ばれる隘路を通ってヴェスター国に戻るつもりだろう。
ヴィネアスは顎髭を撫でながら尋ねた。
「しかし、アトラス様は来るでしょうか」
「来る。あのご気性だ。そして、ルージ島は沈んでお母上と妹御を亡くされているという。ヴェスター国のレイトス殿とレイケ様は、残された唯一の肉親だ。見捨てる事は無かろうよ」
「アトラス様が居られるパトローサからここまでは、オルエデス殿が治めていた土地です。その中を長く通らねばなりません。それでも?」
「その道は、開いてある」
「怖いお方だ」
人の心の隙に忍び込み、その心を思いのままに操る。ヴィネアスが感心するように言った一言に、半ば恐怖感が籠もっていた。デルタスはヴィネアスの顔を眺めて、その言葉が自分に投げかけられた事に気づいて自嘲的な笑みを浮かべた。
「言うな。哀しい性だ」
この時、地が揺れ始めて二人は会話を途切れさせた。
「これは大きい」
デルタスもヴィネアスも立っている事も出来ず、地に片膝をつき両手持ちに付けて体を支えた。ヴィネアスが率いる兵士も立っている事が出来る者は居らず、尻餅をついたり、神の怒りにひれ伏す者も居た。地の揺れに枯れているはずの人々が恐怖を感じるほどの揺れだった。しかし、間もなくその恐怖も薄れ、人々は不安を隠す笑みを取り戻した。ただ、この町の人々は、今の大地の揺れがヴェスター国の北東部を広く海に沈めた事に気づく者は居なかった。
同じ頃、ヴェスター国王レイトスの養子であり、そのレイトスに反乱を起こしたルタゴドスを実父に持つオルエデスは、間もなくイドポワの門に到着しようとしている。彼らも巨大な地の揺れの恐怖を味わった。その地の揺れも収まってみると、オルエデスは恐怖に腰を抜かしたように地に座り込んでいた。
兵の前で臆病な姿を晒してしまった。オルエデスはその地の揺れさえデルタスの責任であるかのように怒鳴った。
「デルタスの奴め。この私を愚弄しおって」
記憶を辿れば苛立つだけの記憶だった。ラマカリナの地からルージ国の版図となったオスアナの地へ兵を動かすきっかけは、レネン国のデルタスからの使者だった。ラマカリナの地とオスアナの地は、元は同じシュレーブ国の領土。その境に防御拠点はなく、オスアナは先の戦で兵を消耗させている。千の兵で攻め込めば占拠も容易だというのが、使者が伝えた内容だった。ただし、決して攻め込めとは勧めない。しかし、オルエデスには魅力のある提案だった。
もし、計画が成功し、オスアナの地を手に入れれば、アトラスに一泡吹かせてやる事が出来る。それがオルエデスの行動原理の一つだった。
ヴェスター国王レイトスに養子として迎えられ、世継ぎとなる事を見込まれつつ、アトラスの存在はレイトスと同じ血を引く者として、オルエデスの劣等感を刺激する。そればかりか、先の戦では余人が信じられない戦果を上げ続けるアトラスに対して、焦るオルエデスは養父レイトスを失望させる失態を重ねた。
頑丈な城壁に守られた聖都攻めでも、無理な攻撃で兵を失ったオルエデスに対して、アトラスは一夜にして聖都を陥落させるという戦果を上げた。それすら、オルエデスにとって大きな被害を出した自分の横から、アトラスが勝利を盗んでいったかのような腹立たしさがあった。
二つ目の行動原理は、彼の自己顕示欲と言えるかも知れない。実父がヴェスター国の有力貴族で、彼は幼い頃から誰からもうらやまれる境遇で育った。しかし、それは周囲の嫉妬も生む。王の養子として幸福の絶頂にあったオルエデスも、配下の者たちや民の密かな侮蔑の視線を感じていた。そんな劣等感の裏返しで、自分を見下す者たちを見返したいという自己顕示欲が彼の行動を支配している。
その彼を驚かせたのは、実父ルタゴドスが反乱を起こす気配があり、養父レイトスと剣を交える事態となりそうだという、デルタスからの知らせだった。
対立するどちらに付くか、迷うオルエデスの心の隙につけ込むように三人目の使者が来た。使者は言った。
「調停し、戦火を収め、お二人の父と民を救うのはオルエデス様をおいて他に居られましょうや」と。
そして、オルエデスが悩む姿に、彼の功名心を煽る言葉を吐いた。
「戦火を収める事が出来れば、オルエデス様は救国の王子として配下の者たちや民から褒め称えられる事でしょう」
オルエデスは決断した。即座に国に戻って養父と実父の調停をすると。
そんな記憶を深く辿る間もなく、オルエデスと彼が率いる兵はイドポワの門にたどり着いた。その入り口に立ったオルエデスはその名の意味を察した。
はるか昔、大地を治めたという冥界の神は、仲の悪い弟の海の神との争いに負けて地の底深くに去って冥界の神となった。その冥界の神が大地を去るときに怒りを込めて山を割いたという。人の背の高さほどの幅の割れ目の底がヴェスター国へと続いている。大部隊の移動を妨げる地形だが、レネン国の通行を認められなかった以上、山岳地帯を抜けてヴェスター国に戻るのはこの隘路以外にはない。
彼は自分自身を鼓舞するように、怒りを込めていった。
「まずは故郷に戻る。しかし、デルタスとアトラスめ。今に見ておれよ!」
オルエデスがその名を口にした頃、アトラスは国境を越えてラマカリナの東ゴダルグの地に入っていた。




