デルタスの影
街道が封鎖された事を知ったトステルとオルガスの判断は、世間に慣れた者らしく、迷い無く単純で素早い。
オルガスが言った。彼は激戦をくぐってきた元兵士として、オルガスはトステルの大胆さを秘めた決断を信用している。
「トステル殿。いかがされる? 我らはパトローサに戻るまでは雇われた身。トステル殿の判断に従おう」
「ピメルサネ様を無事にパトローサに連れ帰らねば。今はそれだけだ。いましばらくここに留まり、様子を窺って脱出するとしよう」
トステルの言葉にオルガスも納得して頷いた。彼らは旅の商人とその警護の者という立場に、役人を始め周囲の者たち不審な点はもたれないよう注意を払っている。帰途を塞がれた今は、じっと目だたず、宿に身を潜めているのが良いだろう。一階は酒場を兼ねた食堂。二階が宿泊の為の大部屋という構造のありきたりな宿で、金さえ払えば食べ物に不自由する事もないだろう。
出入り口からそっと眺めた往来は、人々の行き来も絶え、賑やかだった物売りの声も静まりかえっていた。都の人々は内乱の勃発に気づいているだろう。他に逃げる場所もなく家を守って身を潜めている。静まりかえった都に、今は兵士たちの怒号だけが響いていた。
そんな宿に、兵士の一団が現れた。
「我らはルタゴドス殿の兵である。不審な者は隠れては居らぬだろうな」
怒鳴るように言った兵の指揮官は、不審者を捜し求めるように食堂を見回した。食堂の入り口近くのテーブルにいたトステルと視線が合った。こういう場合、身を隠したり、視線を逸らしたりするより、積極的に話しかけるのが良いというのがトステルの持論だった。
「私どもはゴダルグの地で布を商う商人でございます。新たにヴェスター国の支配を受け、都で商売が出来ぬかと荷車に商品を積んで持参した次第でございます。途上、野盗なども出没して物騒故に護衛をともなって居ります。見ての通り、この宿は小さく、宿泊客は私ら一行だけでございます。不審者がいれば我らが気づくはず」
兵の指揮官はトステルの言葉を信用する事も無く、部下の兵士に階段を顎でしゃくって示し、二階を調べてこいと命じた。
間もなく、オルガスたち護衛の陽気な笑い声が響いてきたかと思うと、二階の探索に上がった兵士たちがこそこそと背後を振り返りながら降りてきた。彼らは指揮官に首を横に振って不審者は見あたらなかったと告げた。
階段の上に姿を見せたオルガスが声をかけた。
「兵隊さんたち。今度は若い女でも連れてきてくださいや。見慣れた男ばかりで過ごすのは面白くはねぇ」
オルガスが言ったのは、彼らが探し求める不審者は居ないと言う事である。ただ、その笑顔と言葉に気迫があって、オルガスたちが実戦をくぐってきたと言う事は分かる。徴募されて間もない未熟な兵士たちには、狼の巣に飛び込んだ子犬の気分だったろう。しかし、その狼たちの衣類やシュレーブ国訛りの言葉で判断すれば、兵士たちが探し求める不審者ではないことも理解できる。
宿を立ち去ろうとする兵士たちに、トステルはふと思いついたように声をかけた。
「つかぬことをお伺いいたします。探しておられる不審者とは、どのような者たちで?」
「レイトスに荷担する者が居る」
「レイトス様というと、この国の王と同じ名……」
「見よ。この都のレイトスの圧政に苦しむ民の混乱を。我が主ルタゴドス様が、やむなくレイトスを除くべく兵を挙げられたのだ」
指揮官は吐き捨てるように言って兵と共に姿を消したが、彼らはトステルたちに言葉では語らない情報を残していた。
兵士たちが去った後、トステルは同じテーブルにオルガスを呼んで尋ねた。
「叛乱が起きているというのに、都を守る衛兵は何をしているのだろう」
「宮殿の警護をしていた兵士はせいぜい三百。あとは近隣の町や村から十人、二十人とかき集めるのに五日はかかりましょう。それも、誰か兵を募る武人がいればの話し」
アトランティスには、今は滅んだシュレーブ国という例外を除いて、大規模な常設の軍隊はない。ヴェスター国にも王宮の警護を務める兵が居るのみで、戦をするために数千の兵を集めるためには半林の町や村から兵を集めねばならないという。
二百か三百の兵が守る宮殿を、反乱者は千五百の兵で囲んでいると言うところである。ただ、宮殿の中には井戸があって飲み水は不足せず、大きな食料庫もあって、数ヶ月は立てこもるのに不足はないと言うのが、歴戦の傭兵オルガスの見立てだった。
トステルは尋ねた。
「それで、今の状況をどう見る?」
「ルタゴドスが都の家々を回って不審人物を探し回っているということは、叛乱の途中。思い通り進まぬ叛乱に、町中に叛乱を揺るがす密偵でも居ないかと不安にもなっているのでしょう」
「では、ルタゴドスは都の出入りを封鎖しただけではなく、レイトス殿が居られる王宮も囲んでいる。しかし、レイトス王は宮殿の中で生きているということか」
トステルの言葉にオルガスは頷いて言った。
「そして、宮殿の外にもレイトス殿にお味方する者が居りましょう。都に潜む密偵がその者に連絡を入れ、レイトス様を救い出す兵を連れて戻ってくれば、ルタゴドスは腹背に敵を受ける事になる
「では、宮殿に立てこもるレイトス殿が有利と言う事か」
「いや。それも未だ分かりませぬ。宮殿の中から火災の煙が上がったとのこと。宮殿の中にルタゴドスと通じる者が居ると言う事。その者たちが舘の扉を開けてルタゴドスの兵を引き入れれば、宮殿は数ヶ月も保たず、一夜にして蹂躙される」
まだ、状況は複雑に絡み合って結果が見えない。
一方、その宮殿の中では、火災を消し止めて安堵する間もなく、正体不明の兵が多数現れたため、危険を察した衛兵は宮殿の門を固く閉じ、王に状況を伝えた。レイトスは高みから塀の外を眺め叛乱が起きた事を知った。この都で叛乱の兵を動かすとすればルタゴドス以外にあり得ない。
レイトスの見たところ、反乱軍の兵士は千から千五百。いつの間にか宮殿から姿を消したルタゴドスと彼と親しい数名の重臣の領地からかき集めた兵士だろう。一方、レイトスが掌握している衛兵は二百を少し越える程度。
レイトスは歴戦の武人として、宮殿の周囲の庭園の守りを捨て、兵を宮殿の内部に集めた。高く頑丈な壁と塀は敵の侵入を容易に許さない。
「早ければ二日、遅くとも五日」
オルエデスは母と妻、そして家臣たちを安心させるようにそう言った。衛兵が守っていればが、メノトルやロイテルが兵を連れて戻ってくる
同じ頃、郊外に陣を張るルタゴドスとその取り巻きは、機嫌良く戦況報告を聞いていた。
「おおっ、我が兵はもう庭園まで占拠したか。あとは宮殿に立てこもるレイトスさえ討ち取れば……」
戦況を伝え聞いたルタゴドスは椅子に座ったまま膝を打って喜んだ。しかし、やがて戦に慣れない故の勘違いだと知った。戦闘を続けて王宮の衛兵の数を減らしつつ、守る者の少なくなった王宮の中心部に突入してレイトスを討ち取るというのがルタゴドスの想定だった。
しかし、庭園など王宮の建物を囲む区画での戦闘は起きて居らず、レイトスは掌握する全ての兵とともに王宮の建物に籠もった。
ルタゴドスは苛立ちを言葉にして吐き出した。
「えぇいっ。私は兵を挙げたのだぞ。デルタスは、デルタスは何をして居る」
彼が兵を挙げたことを知れば、国境沿いに兵を集めた隣国の王デルタスが加勢に駆けつけると考えていたが、その気配がない。
ルタゴドスが怒り狂う中、デルタスの使者が到着したという知らせが届いた。
「おおっ、ようやく来たか。デルタスが何処まで兵を進めているのか問いたださねばならぬ。早く呼べ。使者をここへ」
呼び出された使者を前に、ルタゴドスは待ちきれぬと言うように結果を急かした。
「それで、デルタス殿はいつ加勢に駆けつけてくださるのだ」
「いえ。この度の用件は、そのことではなく……」
「まさか、この期に及んで加勢する気はないというのか」
ルタゴドスの怒りに、使者は首を横に振って、言葉を濁した。
「我が王は、王位に就かれた際に、レイトス様に多大な好意を被っております」
確かにレイトスがデルタスの政敵を葬り、彼を王位に付けた経緯がある。ルタゴドスは怒りを隠さず言った。
「だから、いま、儂との関係と約定を反故にすると?」
使者は曖昧に首を横に振って言った。
「我が王は、ヴェスター国の一人の王に協力するとお約束されています。その言葉を違えるつもりはございません。ただ、今の状況でレイトス様に恩を返さぬままというのは義理を欠きまする。ここは我が王にレイトス様への恩を返す機会を頂けぬものかと存じます」
「恩を返すとは?」
「レイトス様の御母堂レイケ様、王妃ユマニ様、そして客人のピメルサネ様のお三方を我が王の宮殿にお連れして、手厚く保護させていただきたい。そうすれば、我が王もレイトス様に恩返しできまする」
「レイトスに恩を返せば、これからは気兼ねなく儂に加勢する事も出来るという事だな」
「それは、我が王が協力すべき一人の王が、どなたなのか、忠誠の神と戦の女神の差配に従うといたしましょう」
使者の微笑みには、要求を飲まねば、レネン国はレイトスに加勢するぞと言う恫喝が滲んでいた。ルタゴドスは使者の申し入れを受け入れざるを得ない。
「分かった。許そう。その者たちを何処へなりと連れて行くが良い」
彼はそう言い、使者を宮殿まで送り届ける案内役の兵を付けた。




