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穏やかな冬の日

 レイトスはルタゴラスの用意周到さに内心驚き、自分自身の油断を悔いていた。アトランティスに燃え上がった戦火も、三年で収まったかに見えたが、その三年、王が不在になる間に、ルタゴドスは国を乗っ取る野望を進めた。

 御前会議で広間に集う重臣たちの様子を見ていれば、ルタゴドスの様子を窺うのみで王を仰ぎ見て意見を言うのはいない。


 会議の席ばかりではなかった。この王宮の中で、ルタゴドスの目と耳を避けて密談することも難しい。レイトスの周辺には多くの召使いがおり、重臣たちも訪れる。密談した事はルタゴドスにも伝わるに違いない。ひょっとすれば、会話を盗み聞きする者たちの口から、レイトスの密かな考えまで漏れ伝わる危険もあった。

 地の揺れの人心の不安や、新たに得た領地でオルエデスが引き起こしたの混乱の中で、国内が戦火に見舞われる事は避けたい。

 しかし、レイトスは決意を定めていた。

(ルタゴドスだけは、除かねばならぬ)

 このままでは、王子として迎えたオルエデスの実父という立場を利用して、権力を振るい、王のレイトスもないがしろにするようになるだろう。王に取って代わろうとする気配も見え隠れしている。


 レイトスには信用できる家臣も減った。その家臣を集めて相談する場も見つからない。孤独の中で居室に籠もって考え続けるレイトスに声をかけた者が居た。

「レイトスさま」

 その言葉に振り返ったレイトスの重く沈んだ雰囲気が、妻の姿に和らいだ。

「ユマニか。どうした?」

「国にお戻りになってから、気持ちも張り詰めてお疲れの様子。家族だけの宴を催したいと思うのですが、いかがでしょう」

「いつも心優しい事だ。そなたのおかげで疲れた、心も癒される」

 レイトスは心からそう思った。妻の細やかな愛情を愛でて、優しく抱きしめようとしたが、ユマニは優しく微笑んで夫と距離を開け、提案は未だ続くと伝えた。

「では、熱い料理と湯割りのワインを、庭園の東屋に準備させましょう。シミリラデラの花を眺め、願い事をするのも一興かと」

 シミリラデラ。北風のシミリラを象徴する花で、一株にいくつもの紫色の花を付ける。アトランティスの少女たちには、花の数だけ願い事を繰り返すと、その願いが叶うというおまじないがある。

 レイトスは大人びた雰囲気を漂わせる妻に少女らしさがあったのかと、驚くように妻の顔を眺めた。ユマニは夫の勘違いに気づいて微笑んで言った。

「つきましては、くつろぎの一時を安心して過ごすため、メノトル殿に警護をお願いしたいのです」

「メノトルに?」

「はい。昨今、人心も乱れて不埒者も多いと聞きます。信頼の出来るメノトル殿に宴会の場を警護していただければ、安堵できるというものです」

 レイトスは王妃をただの伴侶として考えていたし、国の行く末を相談しようと考えたとも無かった。しかし、今、彼女の夫と国を思う機知に気づいて、改めて王妃を抱きしめて言った。

「おおっ、私は何と道化者だったのか。知恵の女神ルルラーが、このように身近にいたのに気づかなかったとは」

 その日のうちに、宮殿の中に王妃が王の為に夫婦だけの宴席を設けたという知らせが広まった、もちろんルタゴドスの耳にも入っているだろうが、夫婦だけの宴席に彼が口を出せる問題ではなかった。


 ユマニは手際よく事を運んで、陽が中天に上る前に準備を整えさせた。この庭園はレイトスが子どもに恵まれず、寂しがる王妃を慰めるため作らせた。聖都シリャードにあったシュレーブ王家の舘の庭園を模して、四季の花々が咲き乱れる中央に小さな東屋がある。東屋は四方の柱で屋根を支えているが壁はなく、見渡せば東屋の中から四方の花々を眺める事が出来る。

 やがて、王母レイケが侍女を伴って機嫌良くやって来た。日常よく見かける光景の中、彼女は、侍女に館の中に下がっているよう命じた。メノトルが王レイトスに伴われてやって来て、東屋の中の貴人に頭を垂れて挨拶すると、東屋の外、柱の傍らに立って不埒者が居ないかと庭園を眺め回した。不埒者をわざわざ探す必要もなく、四方が良く見渡せる位置で、東屋の中の会話を聞き取ろうと接近する事も出来ないだろう。

 しかし、テーブルから柱のメノトルまで人の背の高さほどの距離で、メノトルにはテーブルについた者たちの声は良く聞き取れるし、メノトルが囁くほどの声で発した言葉も王に届く。

 館の中なら、何処に潜む誰が聞き耳を立てているかも知れないが、ここなら話を聞かれる不安はなく、メノトルという忠義の武人を伴う不自然さもない。ユマニが整えたのはそう言う密談の場だった。

 ユマニはその準備の仕上げのように、自らの杯に続いて夫と義母の杯に湯割りのワインを注ぎ、杯を掲げて笑顔で言った。

「遅ればせながら、戦勝と王の無事のご帰還を祝って、そして王母レイケ様のご長寿を祈って」

 レイケはそんな義娘の愛情を愛でて言った。

「愛情の女神フェイブラに、そなたの健康を祈りましょう」

 王レイトスも杯を掲げて笑顔を浮かべた。彼はこの季節、妻を冬の女神シミリラに例えた。

「では、私はこの舘の冬の女神シミリラに、愛を誓うぞ」

 アトランティスの神話の愛の女神シミリラは、その寒さや厳しさと同時に、春を迎える前の命を育む包容力を持っているという。


 三人は笑顔で杯を交わし、柱で背を向けて立っているメノトルも、その雰囲気に表情が和らいでいた。

 ルタゴドスの息がかかった者たちは、声は聞こえずとも、そんな仲の良い家族の光景を盗み見て報告するに違いない。

 王妃ユマニは夫に目配せして密談を始める機会だと知らせ、夫は幸福感に納得するように頷いた。

 王妃ユマニはレイケと会話を始めた。

「真冬だというのに、シミリラデラだけはいつも変わらず美しいですね」

「この穏やかな景色。我が民の一人一人があの花のように美しく輝いていればいいのにね」


 レイトスはそんな会話に頷く振りをしながら、東屋の外のメノトルと別の会話を始めた。

「それで、今の状況は?」

「ルタゴドスの奴は、治安維持と称して領地で兵を募り、およそ千の兵を都のそばへ移動させております」

「私はそのような事、許可して居らぬぞ」

「むろん、我らが王の叱責を買う事など承知と思われます」

「何か、策はあるか?」

「重臣たちの列席する中で、ルタゴドスを叱責すれば、奴はそれをきっかけに動くでしょう。ここは、今しばらく待っていただければ、東の村々の救援へ派遣したロイテルが五百の兵を率いて戻って参ります。その兵を合わせれば我らが優勢。ルタゴドスも軽率に兵を挙げる事も思いとどまるかと」

 いくつも繰り返される地の揺れの中で、海に沈む事は免れて居るものの、家や食べ物を失った民が数多くいる。その救援の為に物資を送り届けた者たちが戻ってくると言う。

 レイトスは気になる人物について尋ねた。

「オルエデスはどうか?」

 実父ルタゴドスと養父レイトスが争う事態を知った時、オルエデスはどう動くかと問うている。王の身内の事だけに、家臣として言及しづらい。レイトスは念を押すように言った。

「良いから、存念を述べてみよ」

「今回の件、オルエデス殿が知っておられれば、帰国しておられるでしょう。ということは、オルエデス殿の知らぬところで、ルタゴドスが謀略をたてたものと」

「私の命令をたびたび無視するほど、果敢な男に見えるが……」

「失礼ながら、オルエデス殿が果敢な行動力を持っているように見えるのは、我らが王の賞賛を期待しての事。それがなければ、慎重。正直に申し上げれば、優柔不断な性格をお持ちかと」

「オルエデスが私を差し置いて実父につく事は?」

「ルタゴドスを都の政治から除き、僅かな土地でも与えて田舎に蟄居ちっきょさせた後なら、オルエデス殿もその状況を飲み込む度量はお持ちでしょう」

「ならば、そう取りはからうがいい。ロイテルには急ぎ都に戻るように伝え、そなたは都の守りを堅めよ」

「お任せください。幸いルタゴドスも都に留まらざるを得ない立場。何か事があれば、私は兵を率いてルタゴドスの舘を囲みます。ルタゴドスは決起する間もありますまい」

 メノトルは一礼してそれだけ言い残し、王の命令を実行するために足早に立ち去った。


 レイトスは改めて母と妻の存在に気づいた。男たちの会話に耳を傾けながら、穏やかな家族団らんを演出する会話を進めていた。レイケは肩をすくめるように微笑んで言った。

「そなたはこの期に及んでも、オルエデスを世継ぎにするつもりなのだね?」

「そういう性分です。父親譲りでしょうか」

 国を守る立場が捨てきれない。彼はそう言いながら空いた席に視線を向けた。四角いテーブルに椅子が四つ。今は、その一つが余っている。王レイトスは養子に迎えたオルエデスの存在をその席に求め、レイケは孫のアトラスの姿を思い浮かべていた。ユマニは誰の姿を思い浮かべていただろう。

 ユマニが哀しげに言った。

「すみません。私が世継ぎを生めぬばかりにお二人にはご心痛を与えてばかり」

「子どもを身籠もるかどうかは、運命の女神ルルシナの差配。そなたが気に病む必要はない」

 そう慰めるレイケに、レイトスも言った。

「その通りだ。あとは、オルエデスが民への慈悲と、国への忠誠を覚えてくれればそれで良い。私はそう考える事にした」

「いいえ」

 首を横に振る妻にレイトスは尋ねた。

「いいえ?」

「違うのです。殿御はいつも戦の話ばかり。もし、私に子どもを授かれるなら、女の子が良いと」

「女の子だと?」

「ほらっ、貴方様がいつも話してくれたコモラミアの」

「ピメルサネの事か」

 レイトスが挙げた名に、ユマニが微笑んで頷いた。夫がその女性に実の娘のような親近感を抱いているのは知っている。その少女が結婚すると聞いて祝いの品に迷うレイトスに、髪飾りと既婚の女性が身につける衣装を見立ててやったのが王母レイケと王妃のユマニだった。


 この時、侍従がやって来て来訪者の名を告げた。東屋にいた三人は、その偶然に顔を見合わせ、神の名を合わせて呟いた。

「ピメルサネが来た。運命の女神ルルシナの差配か」

 アトランティスの人々は口にした言葉が現実になると言う迷信を持っていた。ただ、その現実の多くは悪運と共に来る。この時のピメルサネの訪問と、彼女がもたらした知らせは、邪悪なものではなかったが、この国の戦火を早める事になった。



アトランティスの人々の会話の中に、彼らが信仰する神の名がよく登場します。今回のエピソードの最後にも運命の女神ルルシナの名が出てきます。運命の神の名は過去にも運命のニクススなどが出てきます。アトランティスの神々にはそれぞれ、役割分担と縄張りがあります。今回登場した運命のニクススの娘の運命の女神ルルシナは、運命の中でも人の出会いや絆を司り、アトランティスの人々はそれを転じて妊娠や出産など新たな命の誕生も司ると信じています。

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