ルタゴドスの謀略
ピメルサネがレネン国へ入った頃。彼女が面会を求めようとしているヴェスター国王レイトスは、次から次へ届く知らせに激怒していた。オルエデスに管理を任せた新たな領地の実情は、重臣たちを経ずとも、国境を往来する商人たちの口から都に広がっていた。
重臣たちを集めた広間にレイトスの怒鳴り声が響いていた。
「オルエデスの奴め。即刻、ここへ呼び戻せ」
その激怒の経緯を辿れば長くなる。ルージ島が沈んだ頃、対岸にあるヴェスター国も無傷ではなく、沿岸部の村や町が海に沈んだ。そればかりではなかった。地の揺れが繰り返し続いた。都で小さな揺れを感じた後、一日か二日の間をおいて沿岸部が海に沈んだという知らせが届く。
都の人々は、そんな状況が繰り返される中、都で感じる地の揺れは、ヴェスター国の沿岸部の大地が削られて海に呑まれていく知らせだと気づいていた。
大きな混乱の中、レイトスは大地が沈むという信じられない出来事を、神官たちに神々に神託を窺わせ、今度沈んだのはどの地域かという情報を集め、避難民たちの救援を行い、忙殺されて、新たに得た領地の統治に手が回らなかった。
レイトスは、海に沈んだルージ島から生還したオルエデスにその任を与えた。熟練した統治能力を持つ役人どもをつけて、オルエデスを新たに得た領地の管理に派遣し、国土を纏めよう図ったのである。
新たに得た領地には、元からその地を統治していた領主たちが居る。レイトスの元から派遣された役人たちが、新たな占領地の領主の元を巡って、ヴェスター国王の名の下で、領地の安堵を保証する代償に、新たな王に忠誠を誓わせる。そうやって新たな国の仕組みを作り上げて行く。
オルエデスに統治の経験は無く、その能力に期待はしていない。彼に課した任務は、各地に派遣する役人たちの上に、ヴェスター国の王家という威厳を付ける事だった。そのため、レイトスはオルエデスに命じていた。
「お前は何もせずとも良い。まずは、お前に付ける役人と、領主共の様子を見て学ぶがよい」
統治に熟練した者たちの作法を眺めているのが、これからの統治のための一番良い勉強になると考えたのである。まずは戦で荒れ果てた土地で、人心の安定を図り、再び田畑に実りが戻るよう配慮せねばならない。
しかし、オルエデスは養父の命令に従わなかった。勝利者ヴェスター国の王子と言う立場で、各地の領主に貢ぎ物を要求し、荒廃した土地に法外な税を課した。オルエデスの護衛の兵士たちによる略奪暴行が各地で横行したが、彼は兵士を制止するどころか、若い女性が暴行されるのを笑いながら眺めたりした。
新たな領地では、領主たちのヴェスター国への反感と、民の怨嗟の声が満ちた。そんな状況で役人たちがオルエデスの名で王に届けるべき報告は、何故か王レイトスには届かなかった。
状況が王に伝わっていない事に気づいた役人の中には、なんとか事実を伝えようとした者も居たが、不審な死を遂げた。オルエデスの関与を口にする事は、それを口にした者自身の命の危険をはらんでいた。
そして何よりも、彼らが本国へ送った報告は、宮廷の重臣たちの上に君臨するルタゴドスから王に奏上される決まりだった。
その立場を誇示するように、重臣たちの間からルタゴドスが進み出て言った。
「おおっ。我らが王よ、お怒りをお静めください。今や王家の一員になったものの元は我が息子。私が代わってお詫び申し上げます」
そう言ったのは、オルエデスの実父で、レイトスの求めに応じて息子を王の養子にしたルタゴドスだった。
レイトスの怒りはルタゴドスにも向いた。
「ルタゴドス。そなたとて同じ、儂を謀りおったか」
シュレーブ国の分割で得た新たな領地からもたらされる知らせの中で、都合の悪い情報をルタゴドスが握りつぶしていたという。ルタゴドスは否定する気もないと言わんばかりに、しかし姿だけは丁重に聞いていた。
レイトスはふと気づいてこの広間に姿のない忠臣の名を叫んだ。
「イラゲナスは? イラゲナスを呼べ」
新たに得た領地全体の状況を、ルタゴドスの口を経ないで、直に知らねばならない。それを調べさせるために実直で世間慣れもしたイラゲナスは絶好の人材だった。
しかし、ルタゴドスは慇懃に微笑みながら言った。
「お忘れで? イラゲナス殿は不祥事で身内共々都を追放となった後、失意のまま病死されたとか」
そう言われて、忠臣の顔と名を思い浮かべて見れば、ルタゴドスの進言で、家族共々都を追放されたあと、消息を絶っていた。レイトスが本国を離れて戦をしているうちに、国を支えていた多くの忠臣が不慮の事故や病で亡くなったり、都を去って消息が分からない。
レイトスはルタゴドスを睨むように口から出かかった言葉を飲み込んだ。すべて、目の前にいるルタゴドスの謀ではないかと感じたのである。いま、この宮殿には、レイトスを除けばルタゴドスに逆らえる力のある者はいないかもしれない。ルタゴドスの命令はあたかも王の命令のごとく他の重臣たちを支配していた。
レイトスはもう一度、広間を見回した。ルタゴドスの顔色を窺って黙り込む重臣たちの中から、ルタゴドスに敵意を見せるほど厳しい視線を向けてメノトルが進み出た。
「王よ。必要なら私にお任せを」
この三年間、レイトスの傍らで戦場を駆けめぐってきた男だった。本国から遠く離れていたし、政治とは距離を置く武人であったため、ルタゴドスの影響力も及んでいない。何よりその忠誠心は信頼に足る。
「メノトルよ信頼しているぞ」
レイトスは笑顔でそう言い、広間の重臣たちを見渡して命じた。
「よいか。たった今から、新たな領地の出来事は子細漏らさず私に知らせよ。この命令に反する者は、例え重臣であろうとその任を解く」
レイトスはメノトルについてこいと目配せをして広間を後にした。
居室に戻ったレイトスを老母のレイケが待っていた。会議の状況を話すレイトスを慰めるように老母レイケが言った。
「やはり、この国はアトラスに任せるべきであったのかもしれませんね」
ルージ国のアトラスを後継者として、レイトス亡き後、ヴェスター国を継がせればいいと言う。レイケが口にするアトラスの名に愛情が籠もっていた。レイトスの母であると同時に、紛れもなく血の繋がりのあるアトラスの祖母でもある。最近、彼女はそう言う思いを臣下の元でも口にする。おそらくその思いはルタゴドスの耳にも届いているに違いなかった。
メノトルが忠義の武人として眉を顰めた。
「僭越ながら、ご母堂様。それでは、我がヴェスター国が滅び、ルージ国の支配下になるという事です」
その言葉にレイケは分かっていると哀しげに首を横に振った。
レイトスは言った。
「アトラスに任せたとしても、神の怒りはどうもなりません」
うち続く地の揺れによる国土の混乱は収まらないという。そして、それがレイトスが直接に占領地の統治に乗り出せなかった理由でもある。
三年にわたって続いた戦乱も聖都を陥落させて終わった。レイトスは分割したシュレーブ国の北東部の広大な地を手に入れて故郷に凱旋した。
広大な国土を得た後は、それを託すべき者を考えねばならない。しかし、彼は王妃ユマニとの間に子どもを授かる事は出来ず、有力貴族ルタゴドスの勧めのままその長子オルエデスを養子にした。しかし、王家の血筋が途絶える事を防ぐため、ルージ国に嫁がせた妹リネの娘ピレナをオルエデスの后に迎えて血筋を残そうと図った。しかし、ルージ島が海に沈んでレイトスには姪と妹を失った哀しみと、その二人を救出も出来ず戻ったオルエデスへの失望だけが残った。
その失望が怒りに代わる出来事もあった。海に沈んだルージ島から帰国の途、レイトスがお目付役として付けたバイラスをオルエデスが殺害したという噂の真偽は確認できなかった。しかし、オルエデスはレイトスの許可もなく兵を同行してルージ国に向かい、ピレナを連れ帰るどころかその多くの兵の命を失った。
兵の命を無駄にすると言えば、聖都包囲戦の折、攻め手は聖都の頑強な防御力に手を焼いて、強攻策から長期の包囲戦に移行した事がある。オルエデスに聖都の中に無言の圧力をかけつつ、兵を損なわないように包囲を継続せよとの命令を与えた事がある。
オルエデスの指揮下には熟練した指揮官と兵がおり、その将士の士気が落ちないよう気を配るだけで良い。簡単に見える任務だが、彼は父親の命令を無視した。功に逸って無理な戦をし、数多くの兵の命を無駄に失い、レイトスの叱責と失望を招いた。
思い起こすほど、オルエデスには失望と怒りが湧く。そして今、新たな領地の管理にも失敗を重ねているようにも思える。
老母レイケの言葉が、レイトスの頭をよぎっていた。
(アトラスを世継ぎにすれば……)
しかし、アトラスはれっきとしたルージ国の国王で、彼にこの国を任せると言う事はヴェスター国が消滅し、メノトルの危惧するとおり、ルージ国の版図にはいるという事だった。妙な誇りがあってレイトスはこの国を存続させたいとも考えている。
同じ頃、宮殿の奥の狭い執務室では、部屋に籠もったルタゴドスが従者に囁くように尋ねていた。
「我が手兵は?」
「都の治安維持の名目で、領内から千の兵を呼び寄せております」
ヴェスター国の北にルタゴドス一族の直轄地があり、そこから農民たちを兵として徴募して都の近くに配置しているという。その為には兵の徴募にもその移動にも王レイトスの裁可が必要だが彼はその許可を得ていない。ルタゴドスはそんな事を気にする様子もなく言い放った。
「しかし、未だ少ない。ヴェスターを二つに割る戦をするとなれば、レイトスにつく忠義者も千やそこらは居よう」
「デルタス殿が既に五千の兵を国境に忍ばせて我らの決起の合図を待っているところです。」
「なるほど、今がその決起の機会という事か」
今まで不都合な政敵を葬ってきたが、王に不信感を抱かれてしまえば、彼自身が葬られる。その前に手を打たねばならない。
アトランティス北東部で大地が戦火に焼かれる事を免れていたこの国も、戦火が訪れようとしている。




