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ピメルサネの決意

 王宮を訪れたという来客は、エリュティアへ取り次ぎを求めたが、あまりに質素な身なりを不審がった門番は追い返そうとした。女は懐からゴダルグの領主の物と称する紋章のついたメダルを取りだして見せたが、ルージ国出身の門番には、ゴダルグという地に聞き覚えがなかった。

 往来の民衆まで集まって騒動になりかけたところに、ラヌガンが駆けつけた。女は今度は身につけていた短剣に刻まれた家紋を示してコモラミア地の領主ブレヌスの娘ピメルサネだと名乗った。

 ラヌガンはブレヌスの名とブレヌスが身につけていたマントに染めた紋は知っていた。彼はピメルサネの身分を認め、彼自らピメルサネの求め通り、エリュティアの居室へと案内した。

 男性として女性の居室に長居する事は出来ないが、確認したい事がある。

「ゴダルグとは聞いた事のない地だ」

 ピメルサネの嫁ぎ先に首を傾げたラヌガンに、ピメルサネはエリュティアと顔を見合わせて答えた。

「ルージ国の方はご存じないでしょう。シュレーブにも知らない者が居るほどです」

「ラマカリナの南東部がその呼び名で呼ばれる事があります」

 ピメルサネの語るところによれば、昔、ラマカリナと呼ばれる地の領主レイロドスに双子が生まれた。王から賜った領地は領主の長子が相続するのが通例だった。相続者が決まらぬまま双子は成長し、跡継ぎを巡って家臣や他国を巻き込んだ内紛も起きた。領主レイロドスはラマカリナを二つに分けて双子に公平に与えようと図ったが、当時の国王は家臣が勝手に領地を分割する事を許さなかった。

 領主レイロドスは一計を案じて、南東部を自治領の扱いとしてゴダルグと呼び、僅かに後に生まれたルサナルスにその自治を任せた。そしてアイロトスをラマカリナを代表させる領主に据えた。その関係は今でも続いていてアイロトス一族がラマカリナの地に君臨し、ゴダルグを受け継いだルサナルスの一族はアイロトスの一族から一部の自治を任されている。ただ、ルサナルスの一族にはゴダルグの地が独立した一領地だという思いが強く、独自の家紋を持っている。先の戦の折り、多くの兵を失ったジソー王は各地の領主に兵の招集を命じた。現在のゴダルグの地を治めるストラタスがいち早く三人の息子に兵を預けてジソー王の元へ送ったのは、ゴダルグの存在感を示したかったのだろう。

「なるほど、そういう事情が」

 ラヌガンは納得してエリュティアの居室を後にした。


 エリュティアの側に侍る侍女のユリスラナも、話しに耳を傾けていた。話題に上った三人の息子はいろいろと面識もある。

 ピメルサネが話を切り出さなくとも、彼女の切なく思い詰めた表情から用件は分かる。エリュティアは首を横に振って言った。

「エルグレス殿の消息は未だ分かりません」

 事実、エリュティアは彼女を敵の手から逃そうとしたエルグレスの姿を見たのが最後だった。ピメルサネの握った拳が震えていて失望感と涙を抑えているのが見て取れる、元は領主の妻の上等な衣類が、くたびれてすり切れかけている様子を見れば、彼女が夫の消息を求めて長く各地を彷徨っていた事もうかがえた。

 エリュティアは作り笑顔で言った。

「温かい食事とベッドは用意させるわ。今日は王宮に留まって昔話でも聞かせてちょうだい」

 ピメルサネは寂しい笑顔で答え、ふと気づいたようにその笑顔の理由を語った。

「もう、涙も枯れました」


 そんな会話をしているころ、王宮にアトラス主従が帰還した。エキュネウスが人目を避けるように居室に戻るアトラスと廊下で遭遇した。彼はアトラスが慌てて剣を隠す様子に、首をかしげて尋ねた。

「それは?」

 アトラスは大切そうに胸に抱いていた剣をこっそり見せるように言った。

「なんだ、そなたか。エリュティアには見せる事が出来ぬ故」

「何故、エリュティア様に隠し事を?」

「これはエリュティアを守って死んだ男の剣だ。勇敢な最後であったらしい。束の家紋を頼りに遺族を捜し、その勇者の最後を伝えてやらねば」

「探すとはいえ、シュレーブにも勇者は多い」

 エキュネウスが勇者という言葉で思い起こすのは、オログデスとトラグラス兄弟の事である。しかし、その二人にエルグレスという兄がいた事は兄弟から聞いたかどうか記憶にない。

(剣の家紋の事はライトラスが戻ってからの事)

 アトラスは各地の視察に出しているライトラス尋ねる事に決めた。シュレーブ国の大臣を務めた男なら、その辺りの事情に詳しいはずだ。アトラスはエキュネウスをからかうように言った。

「ユリスラナとはうまくいっているのか?」

 彼とエリュティアの侍女が恋仲らしいとは気づいているし、その配慮をしてエキュネウスをエリュティアの下に使いに出した事がある。その関係を尋ねているのである。エキュネウスは苦笑いしながら尋ね返した。

「アトラス様はエリュティア様とは?」

 エキュネウスは戸惑いを見せたアトラスに微笑みながら部屋を去った。


 エキュネウスは王宮の端に部屋を与えられて留まっている。その居室に戻るとユリスラナが待っていた。抱えた新しい包帯と塗り薬の入った壺で、訪問の意図が知れた。彼は黙って上着を脱ぎ、肩の包帯を自分で解いて上半身の肌を露出した。露わになった傷は未だ盛り上がって赤みを帯びているが、傷はほとんど塞がって血は止まっている。

 ユリスラナは露わになった傷口をちらりと眺めて別の事を言った。

「何処へ行ってたの?」

「廊下で会ったアトラス様に、エリュティア様を守って死んだという勇者の剣を見せていただいた」

 そう言った時、薬を塗ろうとするユリスラナの顔が目の前にあった。そっと唇を重ねようとしたエキュネウスを、ユリスラナは眉を顰めて拒絶した。

「やめて」

 彼女は油薬を付けた指先でエキュネウスの肩の傷を撫でながら、その剣の事に話題を逸らして尋ねた。

「勇者の名は?」

 剣の持ち主を尋ねた質問に、エキュネウスは勇者として記憶に残っていた名を挙げた。

「オログレス殿とトラグレス殿」

 その人物はユリスラナもよく知っていた。

「あの兄弟が?」

「勇者だった」

 尊敬の眼差しでそう言ったエキュネウスは自分の勘違いに苦笑いした。彼女が尋ねたのは剣の持ち主の名だろう。

 ユリスラナは彼の迂闊さに、兄弟と初めて出会ったときの記憶を辿ってくすりと笑った。

「初めて会った時、あの三兄弟がエリュティア様に叱りつけられたのを覚えているわ」

「三兄弟?」

「そう。ピメルサネ様は、そのオログレス殿とトラグレス殿の兄君に嫁いだの」

「エリュティア様に面会を求めたという女性のことか」

 ピメルサネという名の女性が夫の消息を尋ねて来ているというのは王宮の中で噂になってエキュネウスも知っている。彼は尊敬の念を込めて言った。

「その兄君が行方不明か。生きているなら会ってみたいものだ」

「縁起でもない事を言わないで」

 ユリスラナはそう言いながら、薬の入った壺と換え終わった古い包帯を抱えて立ち上がった。

「話でもしていかないか」

 ユリスラナの肩に手を回して引き留めようとするエキュネウスに、ユリスラナはその手をふりほどいて言った。

「エリュティア様の元に戻らなくては」

 そう言われるとエキュネウスも彼女を引き止めることは出来ない。

 部屋を立ち去るユリスラナは眉をひそめたままだった。彼女自身は人の出自など気にしない人間だが、エリュティアの侍女という立場と責任感に向き合ってみると、アトランティスを代表する女性に仕える自分が、信じる神の違う異国の男と結ばれて良いのかという罪悪感を感じていた。小さなわだかまりも、エキュネウスと体をかわした今、心の中に渦巻く罪悪感になりつつある。


 エリュティアは居室戻ってきたユリスラナの姿を見つけて声をかけた。

「エキュネウス殿の容態はどうだったの?」

 明るさを装った声音と、部屋に満ちていた沈痛な雰囲気で、ユリスラナはエリュティアが話題を変えようとした事を知った。視線を転じてみればエリュティアの話し相手を務めていたピメルサネはうつむいて涙を拭っていた。

 昔話。二人の記憶はリマルダの地のガルラナスの館の出会いで共通している。ピメルサネとその夫エルグレスは偶然その場に居合わせた。ピメルサネはエリュティアの身代わりとして、エルグレスはエリュティアの護衛として、若い夫婦は引き裂かれた。もし、あの時エリュティアがピメルサネ夫婦と出会っていなければ、二人は幸せな夫婦として過ごしていたかも知れなかった。若い夫婦を引き裂いた者として、エリュティアにはピメルサネを慰める言葉もなかった。

 ユリスラナは部屋に漂う重い雰囲気の中にそういう事情を察して努めて明るく答えた。

「エキュネウスときたら牛みたい……。頑丈だけが取り柄ですからすぐに回復するでしょう。でも、アトラス様と剣と勇者の話をしたことばかり話すんです」

 ユリスラナは残念に思いながらも、剣に明け暮れる男どもを批判を続けた。

「剣と勇者ですって。殿御の頭の中にはそれしかないのでしょうか。勇者に必要なのは、きっと、守るための女です」

 ユリスラナはそう言いながらエキュウネスとの勇者にまつわる会話を思いだした。オログレスとトラグレスは苦しい包囲戦の中でも、陽気な冗談を飛ばし、周囲に笑顔を振りまく兄弟だった。

「そう言えば、アトラス様が持ち帰った剣は、エリュティア様を守った勇者の剣だと」

 ユリスラナはそこまで言って言葉を途切れさせて後悔した。

(私ったら、なんて迂闊な)

 オログデスとトラグラスの二人を思い浮かべた時、エリュティアを救った勇者と聞いてどうしてエルグレスの名を思い浮かべなかったのか。アトラスが持っている剣が、誰かの遺品という事は、エルグレスの死の証拠になるかも知れない。ピメルサネを悲しませ、自分を守った者が死んだと知ったエリュティアは嘆き悲しむに違いない。

 ユリスラナはピメルサネとエリュティアを眺めて戸惑いを見せたが、何かを察したエリュティアはピメルサネの手を曳いて立ち上がった。

「私と一緒に王の所へ」

「何をするのです?」

「その剣を検分しなければ」


 突然にエリュティアとピメルサネの訪問を受けたアトラスは、隠し事をする余地もなかった。

 ピメルサネはアトラスに差し出された剣の束に刻まれた紋を見て即座に判断した。他の地ではあり得ないゴダルグの領主だけが使う家紋である。

「これは、確かにあの方の物です。どこで、これを?」

 アトラスは返答に口ごもった。伝えねばならないが、この場にはエリュティアも居た。しかし、アトラスは語らざるを得ない。アトラスは二人をテーブルに招いて座らせ、静かに剣に敬意を込めて、あの巡礼姿の男が語った事をピメルサネに伝えた。敵のフローイ兵が感嘆するほど見事な最後だった事。


 彼女は泣かなかった。夫の安否を求めて各地を彷徨いながら道ばたに見つけた白骨死体が夫ではないかと考えた事が何度もある。この剣は、彼女の薄れて行く生存の期待を絶ち切った。彼女の考えは次の思いへと昇華した。

「それで、あの方の死に何かの意味はあったのでしょうか」

「間もなく、アトランティスの大地は大きな調和を取り戻す。人々は安寧に暮らせる調和だ。亡くなった者たちはその礎を築いてくれた」

 アトラスは自分が死に追いやった多くの者たちの命をそう考えようとしていた。しかし、ピメルサネは静かに反論した。

「でも、未だ戦が続く気配もございます」

「ヴェスター国との小競り合いの事か。レイトス殿に和平の使者を出す。人々の憎しみも間もなく収まろう」

「レイトス様に?」

「そうだ。レイトス殿なら無駄に血を流す事は避けるはずだ」

 それを聞いたピメルサネは意外な事を言った。

「王よ、アトラス王よ。私をレイトス王への遣いに参らせてくださいませ」


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