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ゲルエナサスとの戦闘

 時はフェミナとその息子が殺害された日の朝に戻る。


 アトラスたちは湖の南、村と森に挟まれた広場にいた。東の森には村人たちが身を潜め、西には焼け残った村の残骸がある。二百の兵がぐるりと輪を作る中央でアトラスは兵士を見回していた。

 アトラスは拾った棒切れで地面に湖の形を書いてから、その西に小さな石を一つ、更にそのすぐ北に更に小さな石を置いた。

王都カイーキはここ。そのすぐ北に敵は本陣を置き、その兵は王都カイーキを囲んでいる」

 彼は湖の南に別の石を置いて言葉を続けた。

「我らはここにいる。今の敵には二千あまりの兵が居るが、それを王都カイーキの包囲と、目障りな我らを除くための二手に分けるという事だ」

「では、次に我らが戦うのはその二手の一方という事で?」

 クセノフォンの質問にアトラスが言った。

王都カイーキの包囲を継続するためには、少なくとも千の兵が要る。とすれば、我らに向けられる敵の兵は一千あまり」

「それで、王は奴らに我らの兵が三千や五千と言ったのか?」

 アドナが言うのは、逃がした捕虜に、水増しした人数を吹聴していた事だった。味方は僅か二百余り、敵の一千と戦うには荷が重い。敵がアトラスたちとの戦いを思いとどまり、退却させるための策略だったのかと聞いているのである。ただ、状況はもう少し複雑だった。

「敵の兵士は悪鬼ストカルの軍団を信じるさ。しかし、ゲルエナサスの奴は現実的な奴だ。我らが数百だという事ぐらい見抜いているだろう」

 ゲルエナサスは迷わずにアトラスたちを排除しようとする。クセノフォンがやがて戦うべき相手について尋ねた。

「では、奴はどちらから来るでしょう」

 敵が戦いを求めてくるとすれば、湖の北側を回ってくるか、湖の南の畔を来るか、どちらに向けて戦の準備をしなければならないのだろうと言う。アトラスはゲルエナサスの心の底を読むように少し考えて言った。

「奴らが戦いを挑めば、我らが逃げる事など先刻承知だ。とすれば……」

「とすれば?」

「奴は千の兵を五百づつの二手に分け、湖の北と南から兵を進めて我らを挟み撃ちにしようとするだろう。」

「では、我らは敵の挟み撃ちになると言う事ですか」

「我らがここで敵を待っていればな」

「待たぬとは?」

「村から街道を通って王都カイーキの東門へに移動する」

「敵と正面からぶつかるわけで?」

「腹を減らした五百が相手なら、わが精鋭二百で戦も出来よう」

「なるほど」

 頷くクセノフォンにアトラスはその後の状況を予測して見せた。

「兵の忠誠心も定かでなければ、指揮官は兵の後方から尻を蹴り立てて戦場に送り込むか、自ら先頭に立って兵を率いる」

「ゲルエナサスはどちらだと?」

「私は船上から奴の兵を煽った。面目を失ったゲルエナサスは、自らの武威を示そうと兵の先頭に立ってやって来る」

 アトラスはそこまで言って、兵士たちをゆっくりと見回して命じた。

「よいかっ。敵の五百が戦うのは、我が精鋭二百だが、我らは二百で敵の先頭のゲルエナサスただ一人を討ち取る」

 アトラスの言葉に兵士たちの歓声がわき上がっていた。この王の下で戦えば勝利は間違いないという信念が、兵士たちの戦への恐怖を振り払っていた。


 敵と遭遇したのは日暮れまで未だ間がある頃だった。兵の少ないアトラスたちが森に隠れ潜んでいるという想定で行軍してきた敵にとって、アトラスたちが姿を見せたというのは驚きだったろう。

 アトラスの予想通り、ゲルエナサスは部隊の先頭にいた。敵に隊列を整える余裕を与えてはならない。アトラスは即座に突撃を命じた。

「我が勇者どもよ。敵を殲滅しろ」

「おぉぉぉ」

 先頭に立ってくるアトラスを見つけたゲルエナサスは雄叫びを上げた。敵を威圧する恐ろしげな叫びではなく、今から始まる戦いの喜びに上げた声だった。

 アトラスがゲルエナサスは部隊の先頭に立ってくると予想したのと同じ、ゲルエナサスもまた、アトラスが先頭に立ってくるだろうと予想していた。この戦場に置いて、互いが一番の理解者だった。


 両軍は指揮官を先頭に激突した。アトラスは配下の兵に敵はゲルエナサス一人と称したが、もちろん士気を鼓舞する比喩である。正面からぶつかり合えば敵味方が入り乱れる。しかし、アトラスの兵士は彼の意図を良く理解していた。自らゲルエナサスに剣を向ける余裕はなくとも、側面からアトラスを狙う敵に目標を定めて切り結んでいた。

 敵の兵士はゲルエナサスが振り回す長大な剣から距離を置き、味方の兵士はその敵兵に挑みかかり、混戦の中でゲルエナサスとアトラスの一騎打ちが発生した。


 この時、ゲルエナサスは勝利に自信満々だった。体格でアトラスに勝るばかりではない。両腕で振り回す剣はアトラスが片腕で扱う剣より格段に威力がある。ゲルエナサスとアトラスは、ゲルエナサスが剣を振りおろせば、その切っ先がアトラスに届くと言うほどの至近距離で向き合った。

 互いに相手の次の動きを表情に探ろうと視線を交わし、言葉を交わす余裕もなかった。

周囲は剣の音と戦の怒号に満ちていたが、アトラスとゲルエナサスもこの世界との関わりを絶って、まるでこの世界に存在するのは目の前の相手ただ一人であるかのように、世界が静まりかえっているようにも思えた。

 ゲルエナサスはアトラスとの距離を保ったまま、アトラスの腕のない左へと回り込もうとし、アトラスはそれを悟って体の向きを変えていた。ふと、アトラスは足の裏に違和感を感じて、一瞬、足下に視線を向けた。小石を踏んづけた感触だったが、ゲルエナサスはその隙を見逃さず、剣を横になぎ払ってきた。

 もし剣で受けなければ、胴を真っ二つにされたのではないかと思うほどの衝撃だった。アトラスの右腕が衝撃に痺れるようだった。しかし、それもゲルエナサスが剣を横に振るったため、勢いはあっても彼の腕力が充分に加わっていない。

 しかし、彼は互いに合わせた剣に力を込めた。それを支えるアトラスの右腕がぶるぶる震えるようだった。二人は合わせた剣に力を込めながら、互いの息がかかるほどの距離で向き合った。

「ひ弱な生身の悪鬼ストカルだな」

 ゲルエナサスがそう言ったのは、剣を合わせてみればただの噂に過ぎぬということが分かったと言う事だ。アトラスも応じた。

「蛮族のおさの相手は、生身の悪鬼ストカルがお似合いだろう」

 二人は再び間合いを取った。ゲルエナサスは大きな剣を振り上げるため、アトラスはその隙を狙うためだった。ゲルエナサスは今度こそアトラスの体を真っ二つにするために、目に気迫を込めて見開き、長大な剣を振り上げた。満身の力に体重を乗せて振りおろせば、アトラスが剣で防ごうとも、その剣を叩き折りそのままアトラスの頭部から肩口へと切り裂く事が出来るだろう。

 しかし、アトラスはその動きをゲルエナサスの隙と見た。アトラスはゲルエナサスの剣を恐れもせず前に踏み出し、剣でゲルエナサスの腹を貫いた。そしてそのまま体当たりでもする勢いで剣を束まで押し込んだ。

 二人の間隔は体を接するほどになって、ゲルエナサスは剣を振り下ろしてアトラスを叩き斬る事が出来ない。彼が剣の束を持ち直して剣の切っ先をアトラスの背に向けようとした時、アトラスはゲルエナサスの体を蹴り飛ばして自身の剣を抜いた。ゲルエナサスは地響きでも立てるかのような勢いで仰向けに倒れて、大剣を地に取り落とした。

 死の瞬間、ゲルエナサスは飛びかかってくるアトラスを見た。心を凝縮した彼の瞳からは、猛々しさも、怒りも、憎しみも、死の恐怖すら感じられなかった。淡々と生きる目的を果たすという事だけのように、感情がくみ取れない表情だった

 アトラスはゲルエナサスの首筋を刺し貫いて止めを刺した。喘ぐほどの荒い呼吸を整える間もなく彼は叫んだ。

「ゲルエナサスを討ち取ったぞ。ゲルエナサスは死んだぞ」

 アトラスの叫びに、予め言い含めてあったようにアトラス配下の兵士たちもまた叫んだ。

「ゲルエナサスは死んだぞ」と。

 その叫びは戦場の隅々まで広がって、味方の勇気と敵の恐怖を煽った。敵の士気は挫けそれを回復させる指揮官もいなかった。敵兵は一人、また一人と戦場に背を向けて走り始め、味方の兵はそれを追って切り捨てるという戦になった。

 間もなく、アトラスは戦場を見回して命じた。

「追撃中止だ」

 攻めるにしても守るにしても、次の戦に備えて兵を纏めておかねばならず。今の戦の被害も確認しておきたい。

 アトラスの命令に応じてクセノフォンが報告した。

「戦死十八名。もはや戦えぬ重傷者が二十名ほど居ります。」

 もはや戦えぬという表現の中に、残った者の多くも負傷している事が分かった。正面からぶつかる戦いに、局地的な勝利は収めたが味方の被害も大きい。クセノフォンが今の状況で士気を鼓舞するように言った。

「しかし、敵将は討ち取り、敵の戦死者は二百近く、十数名の捕虜も得ました」

「少ないな」

 倍あるいはそれ以上と考えていた敵の数は思いの外、少ない。敵の死体に逃げた敵の数を含めてもせいぜい二百を上回る程度だった。

「敵は二百と八百に兵を分かち、今戦ったのはその二百、残りの八百が我らの背後に迫っていると言う事でしょうか」

 クセノフォンの考えにアトラスも同意したが、捕虜たちから聞く事情は違った。思いも掛けず、悪鬼ストカルの軍勢がどこからともなく沸いて出た。その悪鬼ストカルの軍勢は食料庫を焼いたかと思うと、姿を消した。湖の南に姿を現して、二百の部隊に襲いかかってその兵の命を奪い血や肉を喰らった。さらに一千の兵を焼き尽くした。そんな噂と、その悪鬼ストカルがいつ現れるのか分からない恐怖が広がっていた。そして自分たちを飢えさせるばかりではなく、兵を失い続ける戦下手な指揮官への不信感も高まった。陣を離れ指揮官の目が行き届かぬようになると兵は逃げた。残った兵も逃げ出す隙をうかがっている。ゲルエナサスの兵は戦う前に半数になった。


 アトラスは戦場の片隅のゲルエナサスの死体を眺めて、妙な共感を感じている。もしもアトラスが兵士たちからの支持を失えば、彼もまた兵士に見捨てられ哀れなむくろを晒す事になるだろう。

 アトラスはゲルエナサスの首を斬るのを思いとどまった。この男の死体を辱めてはならない。彼は首の代わりにゲルエナサスの剣を掲げて捕虜たちに言った。

「お前たちの考えなど読めるぞ。我が軍団の背後から来るのはタジミルザス」

 その名は捕虜たちが口にして知っているが、彼らを前にその名を口にすれば、アトラスが彼らの心の底まで読んでような印象が沸くだろう。

 アトラスは言葉を続けた。

「タジミルザスが我が軍団の背後を襲うつもりだな。この剣をゲルエナサスの死の証として持参し、タジミルザスに伝えよ。お前たちの血をすするのを楽しみに、ここで待っているとな」


 戦場の西、森の中に村人たちが避難している。アトラスは敵の捕虜を村人たちの居るところから更に西へと連行させて解放させ、村人たちには焼け野原になった村に戻るように伝えさせた。

 アトラスは次の戦の算段を立てていた。


次回更新は7月3日(土)の予定です。アトラスは守るべき者を守れなかったことを知ります

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