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幼い王とその母フェミナの死

 アトラスとゲルエナサスの直接対決へと進む中、王都カイーキの中では、王宮の広間に重臣たちが王座を見上げるように集っていた。しかし、その王座に座るのは間もなく二歳になると言う幼児である。

 もちろん、まつりごとの判断力もない。しかし、正統な王位継承権を持つ最後の一人だった。もし、この幼子が居なければ、フローイ国は小領主たちが覇権を求めて争う場になるだろう。

 広間に誰ともつかぬ声が響いた。

「なんとも厚かましい男じゃ」

「まったく、懲りぬ奴」

 重臣たちがそんな会話をしているのは、ゲルエナサスの申し入れの事である。フローイ国の北から攻め込んできたゲルエナサスは、その軍勢で王都カイーキを囲み、恫喝を兼ねた申し入れをしたのは、王母フェミナを妻に迎え入れたいと言う事だった。

 大軍勢で王都カイーキを包囲しながら、積極的な攻撃をしかけぬのはそういう理由だった。脅してフェミナの夫の座を得れば、一兵も失わずフローイ国の実権を得る事が出来る。

「こんな事なら、リーミル様が情けを掛けずにあの男を葬っておくべきだった」

 王都カイーキの守りを与るルトラスは、先代の王女リーミルがゲルエナサスを叩き返したときのことを語った。今はフェミナと幼い王の護衛につくロットラスが、レネン国からの賓客に尋ねた。

「フリトミス殿。デルタス殿の軍はまだか」

「申し訳ございませぬ。まだ北の方で不忠者の領主たちの抵抗に遭って難渋している様子」

 フリトミスが言うのは、フローイ王家に反旗を翻した領主たちが、デルタスが率いてきた援軍を北の砦や町で阻んで通さないと言う事である。詫びるフリトミスに重臣の一人シアギルが言った。

「いやフリトミス殿の供の方々だけでも心強い」

 フリトミスは幼い王子の王位就任の祝賀の使者として、レネン国から王都カイーキに遣わされてきた。莫大な祝いの品を荷車に積み、レネン国の祝いの使者だという旗を掲げ、使者の一行は屈強な男二十人を含む総勢五十人を超えた。

 屈強な男たちは甲冑を身につけ槍を手にすれば、兵士に早変わりするのではないかと思われるほど体格も良く鋭い目つきをしている。

 他国の王から祝福されたというのは、幼い王にとって権威を高める実績になるし、有力な後ろ盾を得る事も出来る。王都カイーキの人々は喜んで一行を受け入れた。

 大臣のルタゴオがフェミナに念を押すように言った。

「奴の手に乗ってはなりませぬぞ。奴の手に乗ればこのフローイ国は奴の思うがまま」

「もちろんです。私の夫はただ一人、この子の父もただ一人。亡くなったグライス様ただお一人です」

 固く思いを定めたフェミナの様子を眺め、使者のフリトミスが話題を変えるように言った。

「城壁から外を眺めまするに、敵兵の士気が下がり、敵兵の数も減っているように見受けられますが、いかが」

「たしかに、その気配は感じる。食料が尽きたと言う事であろうか」

 ルトラスの言葉に重臣の一人が応じた。

「左様。兵は飢え、脱走する者どもも多いと言う事では」

「それでは、我らに勝利が転がり込んできたと言う事か」

 重臣シアギルの期待をロットラスが冷静に否定した。

「いや。それは未だ先の事。今まで兵の損失を恐れて無駄な攻撃を避けてきた敵も、兵の損失を恐れず強攻して参りましょう。王都カイーキを落とせば、食料にもありつけるとなれば、敵の兵の士気も上がりましょう。一方王都カイーキを守る兵は少ない」

 再び沈痛な雰囲気が広がる広間を見渡して、使者フリトミスが一つの提案をした。

「いかがでしょう。敵の包囲が緩んでいる今、王と王母様のお二人を北にいるデルタス様の元へ送り届けられては」

 王都カイーキの守りを与るルトラスとロットラスが顔を見合わせた。今の彼らは王都カイーキの防御と、王家の血統を守るという二つの役割が課せられていてどちらかが疎かになる事もある。もしも、幼い王と王母フェミナをどこか安全に所に移せるなら、敵が大軍といえども王都カイーキを守りきってみせる。

 使者フリトミスは幼い王の横にいる王母に向かって言った。

「フェミナ様。お考えを。この王都カイーキの守りは堅いとはいえ、アトラス王がこの王都カイーキを攻めた折、少ない手兵で一夜にしてこの町を落として焼き払い、グライス殿をも殺害した。いま王都カイーキを守る兵の数は当時よりも少ない」

「でも、レネン軍ばかりではなく、アトラス王も救援に来ると約束してくださいました」

 フェミナの言葉にフリトミスは首を横に振った。

「救援に来ると約束したルージ軍は何処に? 僅かに戦っただけで不利と見るや、ルウオの砦へ引き上げましたぞ」

 フェミナが黙りこくり、他に言葉を発する重臣も居なかった。使者フリトミスは重臣たちをも説得するように声を張り上げて言った。

「グライス殿のお血筋を絶やしてはなりませんぞ。絶えるような事があれば、それこそゲルエナサスや反乱領主共の思う壺でしょう。その為にも、今はお二人は安全な場所に移るのが肝要かと」

「では、どうすればいいと考えておられる」

 ロットラスの質問に使者フリトミスが答えた。

「幸い、王都カイーキの北の敵も手薄。夜陰に紛れて北へ逃れれば、救援に来たデルタス王の陣にもたどり着けよう」

「しかし、途中には反乱領主どもの部隊もいるはず」

 重臣のシアギルの疑問ももっともだった。王都カイーキの北部には隣国のデルタス王が救援に駆け着けている。しかしフローイ国に反乱を起こした領主たちが、町や砦に立てこもってその前進を阻んでいるのだろうというのが、フリトミスの説明だったし、フローイ国の者たちも、その意見を受け入れている。

 幼い王と王母をデルタスの元へ送り届ける為には王都カイーキの包囲を抜けるだけではなく叛乱領主の部隊の勢力下を抜けねばならない。

「やはり、危険ではあるまいか」

「幸い、私はこの地では顔は知られておりません。商人に扮して配下の者を使って商いの品を運ぶ隊列を仕立て挙げましょう。その荷車に……」

 使者フリトミスや重臣たちの会話が進む中、彼らの視線は幼い王とその母に向けられていった。フェミナは考えて言った。

「北ではなく南のルウオの砦は? 我が守備兵にアトラス王の兵士もいると聞きます」

「ルージ軍は戦う素振りを見せただけで引き上げていきましたぞ。そんなやからが信用できましょうや」

 フリトミスの否定の言葉に、その街道をよく知るフェミナが答えた。

「でも、砦まで迷う事のない一本道です。駆け抜ければ、女の私でも一夜でたどり着けましょう」

 重臣たちの視線がフェミナに集まり、決断はフェミナに任された

王都カイーキを離れるのであれば、私は息子と共にルウオの砦へ参ります。私はアトラス王とエリュティア様を信頼しています」

 そう言い切ったフェミナの決断を覆す事は難しいだろう。フリトミスの予定では幼い王と王母は王都カイーキの北へと誘い出すはずだった。しかし、今とやかく言えばフェミナは考えを変えて王都カイーキにこもり続けると言い出すかも知れない。フリトミスはフェミナ母子を王都カイーキの外へと出す計画を密かに変えねばならなかった

 使者フリトミスが申し出た。

「我らがフェミナ様をルウオの砦までお送り申し上げましょう」

「フリトミス殿が?」

「左様。ルウオの砦まで半日の距離とか聞き及びます。敵の包囲網も今は南側が手薄。ルトラス殿に一時だけ包囲を破っていただければ、我らはフェミナ様を王都カイーキと敵の包囲の外へお連れできます。足の達者な者をルウオの砦に向かわせて救援を求めれば、彼らも即座に駆けつけて参りましょう」

「なるほど」

 うなづくルトラスに、ロットラスが疑問を呈した

「私も同行させていただこう」

「いや。ロットラス殿はこの王都カイーキの守りに必要なお方。敵の包囲を破り、フェミナ様が無事に脱出したことを見届けた後は、ルトラス殿と共に王都カイーキの守りにお戻りください」

「しかし、」

 食い下がろうとするロットラスをなだめるようにルトラスが言った。

「いや。私からも頼む。敵が総攻撃を駆けてきたら、貴殿のような戦慣れした指揮官が是非とも必要になる」

 この王都カイーキの兵の指揮権はルトラスに与えられている。しかし、ロットラスは先代のボルスス王の近くに仕え、その孫でフェミナの夫グライスの副官を務め、更にリーミル王女の側近を務めた経歴があり、王家の者たちから謀略の香りを受け継いでいた。そのロットラスの感覚では、使者フリトミスの言動にどこか言葉には出来ない不安と不審を感じ取っていた。


 ルトラスが南門の内側に二百の兵を集めたのはその日の夜。城壁の上から眺めれば、敵の陣にはいつもと同じくかがり火がいくつも焚かれているが、その明かりに照らされる敵兵の数は明らかに少ない。そして、その飢えた敵兵の動きも鈍い。空に雲がかかって、月と星がない。フェミナたちを密かに脱出させるのにちょうど良い。

 王都カイーキを囲む敵兵は多くとも、南の城門の外を守る敵なら多くはない。ルトラスとロットラスは、それぞれが百の連戦の兵を率い、城門から喚声を上げて飛び出したかと思うと、フェミナと幼い王のためにもう一つの門を開けるかのように敵を切り払った。


「今だ。フェミナ様。急ぎましょう」

 そう言った使者フリトミスの声に暖かみがなかった。彼の立場では一刻も早く王都カイーキから離れる必要がある。彼はフェミナを捕らえて離さぬと言わんばかりに、フェミナの手を握って、駆るほどの早さで歩き続けた。フリトミスの配下の者が幼い王を背負ってその傍らを歩いている。

 彼らは先頭の男が掲げる松明の明かりだけを頼りに歩き続け、やがてフェミナの息が切れるところで足を止めた。耳を澄ませても戦の気配は感じられず、後方の見張りを務めていた男が一行に追いついて告げた。

「背後から我らを追ってくる者は居りません」

 もしこの時、フェミナがもう少し注意深ければ、使者フリトミスが配下の者に背後の様子を探らせていたのに、前方のルウオの砦の味方に救援を求める使者を出していないことに気づいたかも知れない。

この時、フェミナは母の姿とぬくもりを求めてよちよちと歩み寄ってきた息子を抱きしめて空を見上げていた。


 いつの間にか風が雲を吹き払っていた。月明かりに照らされた景色だけではなく、街道の雰囲気にも記憶がある。三年前のこと、彼女はこの街道を通ってフローイ国王子グライスの元に嫁いだ。夫は戦に赴き、勇猛なルージ国のリダル王を討ち取った。続く戦ではその息子のアトラスまで討ち取ったと言われ、彼女の夫の武名はアトランティスに鳴り響いた。彼女は帰国した夫の武名を祝福するという体裁をとって、夫の無事を確かめにこの街道を通ってルウオの砦へ足を運んだ事がある。

 今の彼女は亡き夫の勇ましい姿を思い浮かべていた。息子に夫の姿を語り継ぐのに絶好の記憶だった。微笑みを浮かべて、息子を眺めて口を開こうとした時、彼女は背後に小さな衝撃を受けた。おそらく痛みを感じる暇もなかっただろう。彼女はその記憶と笑顔のまま時を止めた。

 フリトミスは彼女の背から抜いた鋭い刃物の血糊を拭きもせず、母親の身に何が起きたのか理解できない幼子の胸も貫いた。

 その幼子の死を嘆かずにすむよう母を先に殺し、その息子にも哀しみを感じさせずに殺した。それだけがフリトミスの冷酷な優しさといえた。

 彼は周囲を見回して短く命じた。

「やれっ」

 幼い王とその母が殺されるのを見て狼狽えているのは、レネン国風の衣装は着ていても彼がアルム国から連れてきた者たちで、殺しても惜しくはない。彼の本物の部下たちは剣を抜いて、つい今まで仲間だった者たちを冷酷に殺した。フェミナと息子の周りにそんな男たちの死体が二十ばかり散らばった。この光景は、フェミナと息子が敵に追いつかれて殺されたと見えるだろう。

「死体は片付けましょうか」

 部下の問いにフリトミスは短く答えた。

「いや。このままで良い」

 道ばたに転がしておけと言う。この母子の死は広く世に伝えなければならない。殺害者たちは静かに闇の中へ消えた。

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