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二百対千の戦い

 静けさを取り戻してみれば、アトラスたちの兵士に死者はなく、戦えぬほどの重傷者も数人に留まった。自力では動く事も出来ない傷を負った敵も取り残されていたが、その人数が二十人にも及ぶ。生き残った僅かな敵は、よほど慌てて負傷者を見捨てて逃げた。

 もはや生き延びる可能性もない敵の重傷者は、戦場の儀礼に則って止めを刺して、死までの苦痛から救った。そんな死を含めれば敵の死者は二百に近い。そして元の陣に逃げ切れず、村人の家に隠れ潜んでいた敵も十名ばかり捕虜にした。アトラスたちの完勝と言えたが、戦とも言えず一方的な虐殺にも近い。生き残って捕虜になった者たちがアトラスを眺める目に、化け物を眺めるような恐怖が浮かんでいた。

 捕虜に問うてみると、一人が語った。

「我らレネン国のデルタスに国を奪われた者」

 そう事情を語る捕虜の言葉の先に気になる名が登場した。アルム国がレネン国に併合されたことは聞き知っていても、その言葉に表れた名は、意外で無視できない。アトラスは続けて問うた。

「そのアルム国の者どもが、どうしてゲルエナサスの元で戦っているのだ?」

 アトラスの激しい口調に末端の兵たちはアトラスへの恐怖を示すのみで、どうして自分たちがゲルエナサスの配下として戦っているのか、その経緯まで知らなかった。

「ゲルエナサスというのは何者だい?」

 アドナが首を傾げてアトラスに聞いた。

「フローイ国の北の大きな島で、アトランティス人の習慣にも馴染まず、小さな部族に別れて抗争を繰り広げていた者たちが居る。そのなかのもっとも力を持った部族長だ」

 アトラスの言葉にアドナは具体的な事例に当てはめて理解しようとするように、泥と汗と血にまみれた仲間やアトラスを眺めた。クセノフォンが笑って首を横に振って、蛮族の部族長をアトラスに当てはめて考えるなと伝えた。

 アトラスは笑いながら言った。

「かまわぬ。私もゲルエナサスと変わりあるまいよ」

 最近のアトラスは静寂の混沌ヒュリシアンという観点で物事を考える。万物の調和とという視点で見れば狭い島で争う部族の長も、アトランティス本土を舞台に争うアトラスもさほど変わりはない。


 敵が見せしめのために火をかけたという村長むらおさの家は焼け落ちて、未だくすぶって居たが、隣家に燃え移る気配はない。見回せば、転々と建つ家を細い道が繋ぐという普通の村の様子はなく、王都カイーキから続く幅の広い街道に沿って整然と家が建ち並ぶ。町並みに人工の雰囲気が漂っていた。この村は今は王母となったフェミナ建設させ始めた。

 村の北には湖が広がり、南には山岳地帯があって、舞台の背景のように切り立った崖が続いていて、人の侵入を許さない。村の中央を貫いて、僅かな人口にふさわしからぬ幅の広い街道が王都カイーキから続いていた。この風光明媚な土地は、今の住人は少なくともやがては王都カイーキの一角にあたる巨大な町になる。それを期待して作られた村である。


 戦闘の終結に気づいた村長むらおさが、数人の村人を伴って戻ってきた。片腕という特徴でアトラスに気づいて歩み寄ったが、アトラスと向き合ってその残酷な姿に息を飲んだ。浴びた敵の返り血は、アトラスの髪や頬から滴って未だ固まっていない。

 アトラスは一時の勝利の喜びも見せず、敵が準備した荷車を指さした。

「村長よ。敵が荷車に物資を積んでくれている。村人を呼び戻し、荷車を曳いて立ち去れ」

「村は?」

「村は焼く」

 短い言葉に村人たちはどよめいたが、村長は事態を察した。ここに村がある以上、敵が戻ってきて戦場になる。村人たちはこの場所から遠ざけておかねばならない。アトラスは続けて言った。

「それから、舟を操れる者の手を借りたい」

 そのアトラスの言葉で、クセノフォンはアトラスの考えの一端を知った。守りの堅い敵をすり抜けて、その後方に回る。

 ただ、山の中腹から眺めた景色の中に、湖で漁をする者たちの船が何艘か見かけたがいずれも五、六人の兵士が乗ればいっぱいという小舟が数隻あるのみで、アトラスたち全てを運ぶのは難しい。

「我らが王よ。我ら全ての兵士を運ぶには舟が足りません」

 クセノフォンの言葉にアトラスが短く答えた。

「いや。それでもよい」

 村長はアトラスの求めに応じる事を約束し、荷車を運ぶ村人たちを呼びに行くために立ち去った。その後ろ姿と捕虜たちの姿を眺めて、アトラスはいくつかの言葉を発し、最後にクセノフォン人を押すように尋ねた。

「どうだ、出来ると思うか?」

 アトラスの質問に、クセノフォンはにやりと笑って言った。

「さすがに我らが親分は、悪知恵が良く回る」


 アトラスの悪知恵の第一歩は捕虜の解放だった。人道的な意味はない。必要な情報を聞き出し終わった捕虜に価値はなく、捕らえておけば捕虜の監視のために兵力が割かれ、アトラスたちの食料も無駄に減る。捕虜を送り返せば、もはや戦も出来ない兵のために敵は自らの乏しい食料や薬をさらに減らす。ただし、その前に捕虜にはもう一つ役割を背負ってもらわねばならない。

 アトラスは血に染まった顔に悪鬼ストカルの残忍な笑顔を浮かべて言った。

「ゲルエナサスに伝えよ。我が軍団はこの森に三千。西の森にも三千。お前たちののど笛を食いちぎり、血をすすりたくてうずうずしている。次は、夜の闇に紛れてお前たちの背後を襲い、その喉笛を食いちぎってやろう。恐怖に震えて待つが良い」

 捕虜たちは歩ける者は、歩けぬ者を背負い、よろめきながらも杖をつき、背後のアトラスを恐ろしげに振り返りながら立ち去った。


 アトラスは町の入り口の街道に杭を打ち、頑丈な柵を作らせた。村に立てこもって戦うルージ軍が敵の侵入を防ぐために役に立つ。さらにその周囲に空き樽や廃材、藁束を積み上げて村に入ろうとする敵の視界を遮る。

 敵の来襲の準備を進めながらアドナが尋ねた

「敵はどう出てくるのだ?」

「現実的な蛮族だ。悪鬼ストカルなどというものは信じるまい」

 兵は怯えても、それを率いるゲルエナサスは怯える事も無く、悪鬼ストカルの大軍団などという話は信じるまい。ただ、兵士に怯えは広がる。兵士が怯えれば怯えるほど、勇ましい言葉を吐く指揮官は孤立する

 クセノフォンもアトラスに同意して言った。

「確かに利口な男のようです。しかし、利口故この小細工など見抜かれるのでは?」

「奴らを騙そうとした小細工など見破ったと得意になって村に踏み込み、その先の森を探索しようとする」

「ゲルエナサスが来るでしょうか」

「いや。配下の者を差し向けてくる。奴を動かすにはもう一押し要る」

 アトラスの言葉にアドナは頷いて尋ねた。

「では、敵が来るのはいつ?」

「夜明け前に来る事もできるだろう。しかし、我らの奇襲を避けて明るくなってから、夜明けから日が中天に差し掛かる頃」

「では、その前に舟を出せばよいのですな」

「山賊は舟は苦手か?」

「舟には慣れなくとも罠を掛けるのは得意です」

 アトラスがクセノフォンを冗談で山賊と呼ぶのは理由がある。ルージ軍は各地で奴隷たちを軍の編成に組み込んだ。ただその元は、鉱山などから逃亡した奴隷たちが山に逃れて集落を作って暮らしていた者たちである。時に山を降りて街道を行き来する商人たちを襲っていた。ただ、主な生業なりわいは山中の猟だった。罠のかけかたや弓の扱いに慣れている。とりわけクセノフォンが直接に指揮してきた者たちの中にはそう言う者が多い。

 アトラスはクセノフォンに命じて弓の腕に長けた者を選抜させた。クセノフォンは王の意図を読んで言った。

「王よ。私が参ります」

 危険な任務になる事を危惧して代わろうという。しかしアトラスは拒絶した。

「いや。戦を始める頃合いは私がはからねばならぬ」


 彼はそう言いながら甲冑を脱ぎ捨てた。上半身の裸体を晒してみると、筋肉に縁取られた姿に左腕の肘から先を失って均整が失われている。思わず目を背けたくなる姿だった。彼は胸に金属製の丸い円盤をお守りとして身につけていた。円盤の表面を抉った傷の方向を辿れば、アトラスの左の脇に刻まれた傷に至る。彼の左胸を貫くはずだった槍の穂先が円盤に阻まれて逸れ、彼は九死に一生を得て、今、ここで生きている。彼は民が身につける質素な服を身につけ、更にマントで腕のない姿を覆い隠した。

 

 あくる日の夜明け後、アトラスは他の三人の兵と舟を操る漁師一人の五人で小舟の上にいた。湖の上には同じような小舟が他に三隻いる。湖畔を眺めれば、幅の広い街道が通り、森も切り払われて視界が良い。敵がやってくる姿はすぐに見つけることができる。

 やがて漁師が湖畔を指さして言った。

「王よ。敵のようです」

 漁師の言葉にアトラスは立ち上がった。


 街道に沿って長い隊列を為して行軍する敵の数を眺めればざっと千人弱か。アトラスが捕虜を通じて流した三千の悪鬼ストカルの軍団という荒唐無稽な兵力など信用しない現実的な判断力の指揮官がいるという事だ。

 隊列の先頭の男があれこれ命令を出しているように見える。あれがあの敵の部隊の指揮官だろうと見当がついた。敵の指揮官は行軍を停止させ、町の中へ物見を放った。アトラスたちが町の入り口の街道に設置した障害物など、無人を隠す目くらましとしてものの役にも立たないと笑っているだろう。

 間もなく、指揮官は前進を命じて部隊は移動を始めた。物見の報告で、町の入り口の柵や高く積み上げられた木々や藁束などの障害物で、アトラスたちが町を隠して待ち伏せを装っているが、町での待ち伏せなど無く、逃げ去ったと判断したのだろう。

 その後は、町に入って家々を探索し、アトラスたちの気配を探り、森の中へとアトラスを追う。

 そんな動きを眺めながらアトラスは命じた。

「頃合いか。舟を岸に寄せてくれ」

 熟練した兵士たちは、王の次の命令を待つまでなく、鉄の鍋に火をおこし、それぞれが弓を手にして、矢を分配した。普通の矢ではない。矢の先、やじりの後ろに油を染みこませた麻布を巻いて臨時に作り上げた火矢だった。

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