乱れる思惑
この日、聖都の西門に二十人ばかりの女性の集団が現れた。もう少し歩調がそろっていれば、兵士の行軍に見えたかも知れないというほど規律が感じられた。先頭に立つ女は西門を通り、迷うことなく王の館まで歩みを進め、勝手知ったる我が家のように踏み込んで行った。
迎え出たユリスラナが女の名を呼んだ。
「ハリエラナ様」
「ユリスラナ。エリュティア様はどこに?」
「最近は、いつも庭園の東屋でお過ごしです」
ハリエラナは厳しい目でユリスラナを睨んで言った。
「冬の女神が風を吹かせていますよ。暖かいお召し物は? 風邪でも引いて体調をくずされて居るのでは? そう言う事にも気を配らねばなりませんよ」
この日、侍女のユリスラナは久しぶりに叱られる経験をした。彼女もルスララになら口答えの一つもしただろうが、その責任感に冬の女神の厳格なイメージを漂わせるハリエラナには反論しがたく、素直に頷くしかない。
ただ、褒めるところは褒める。舘の中は整理が行き届いていたし、エリュティアの居室は清潔に保たれていた。彼女は東屋へと至る廊下を歩きながら、熟練した侍女の目でユリスラナの仕事ぶりを認めた。
「でも、よくやってるわ」
そんな短い会話を交わしながら、ユリスラナはハリエラナがやってきた理由を察した。
聖都は元はアトランティス最大の都市だったし、エリュティアが住むこの舘は聖都にある各国の王の館の中でも、もっとも豪奢な事で知られている。
ただし、エリュティアが生まれ育ったパトローサの王宮とは比べるべくもない。ハリエラナはエリュティアが包囲が解かれた聖都から、パトローサの王宮に帰ってくるのは当然だと考えていた。
エリュティアの乳母であり侍女たちを纏める侍女頭だったルスララが亡くなって以降、ハリエラナは宮中の侍女をまとめて、エリュティアの帰りを待っていた。しかし、エリュティアは聖都に留まったまま、戻る気配はないし、付き添う侍女のユリスラナもエリュティアを連れて戻る気配もない。
時折、パトローサと聖都を行き来するラヌガンに尋ねて見ると、エリュティアは聖都で静養していると聞き、二十人の侍女たちを引き連れてきたというところか。
エリュティアは庭園に姿を現したハリエラナに笑顔で声をかけた。
「まぁ。久しぶりですね。元気でしたか」
彼女の傍らで過ごしてきたユリスラナには、エリュティアの笑顔の中の微妙な緊張感を感じ取ることが出来た。エリュティアとって、彼女は宮廷の礼儀作法の教師のような存在だった。信頼はしていても、子どもの頃からの緊張感は抜けない。
「エリュティア様のお身の回りの世話のために参りました。どうか、何でもお命じください」
そう言った彼女は誰より熟練した侍女で、舘に入る時から既に仕事を始めていた。庭園へ来るまでに、館の中を注意深く眺めて、連れてきた侍女たちに新たな仕事を命じていた。来客の取り次ぎを命じられていた侍女がやって来て、ハリエラナの耳元で何かを囁いた。ハリエラナは不審そうな表情を浮かべながら、エリュティアに言った。
「アモリス領主バズラス殿、グラナ領主デルラス殿、コモラミア領主ブレヌス殿のお三方が面会を求めて居られます」
彼女が不信感を露わにするのも当然で、シュレーブ国がルージ国の敵として争っていた時期に、敵に寝返った者たちだった。ただ、使者ではなく自ら赴いてきた所に事の重要性を感じさせる。
ハリエラナは手際よく取りはからって、舘の広間を謁見の場にしつらえて、エリュティアを上座に座らせ、待たせていた客を広間に案内した。
微妙に気まずい雰囲気が漂っていた。エリュティアの前に片膝をついて臣下の礼を執りながら口ごもる様子を見せた領主たちに、ハリエラナが発言を促した。
「エリュティア様はお疲れです。ご用があればお早く申し出ていただけませぬか」
ユリスラナはハリエラナの言葉と態度に感動に近い尊敬の念を抱いた。彼女ならこれほど明快な物言いは出来なかったし、その分、エリュティアに負担をかけていたろう。
バズラスが顔を上げて口を開いた。
「エリュティア様もご存じの通り、わがアモリスの海辺の町の多くが大波に呑まれて失われました。残された民も難渋しております。どうか税の減免をお願いできないかと存じます」
エリュティアが即座に言った。
「分かりました。私の一存では決められませんが、バズラス殿のご意向に沿うよう我が王にも口添えをさせていただきましょう」
エリュティアの明快な物言いに、三人の領主は安堵するように顔を見合わせて、本当に問いたい言葉を継いだ。
「今ひとつ。我がアモリスの海辺の土地が海に呑まれたように、我らが王のルージ島とヤルージ島もまた海に沈んだようにございます。我らが王はいかがされるおつもりでありましょうや」
エリュティアは目を大きく見開いて、一瞬口ごもった。ルージ島が海に沈んだという知らせは受けていたが、願望が事実を打ち消して心の底にしまい込んでいた。しかし、問われてみれば領主たちに答えてやらねばならない。
彼女は決意を込めて語った。
「長く王に仕えているラヌガン殿の言葉です。シュレーブの地だけでも、ルージ島とヤルージ島を上回る財力があり、多くの民も住まうと。仮にルージ島が失われたとしても、今の王にはシュレーブの地という直轄地があり、私は夫を信頼し支えます。バズラス殿、デルラス殿、ブレヌス殿。そなたたちの支えもあれば新たなルージ国も安泰というものです」
ルージ国が戦の後に得た新たな領土を考慮すれば国が滅ぶ事はないから安心しろという。三人の領主は一斉に頭を垂れて、口を揃えて言った。
「エリュティア様。我らも安堵いたしました」
彼らに領地を安堵したルージ国の本拠地が失われたとなれば、彼らの領地も他国に侵される事もあり得る。その不安が無くなった。そして、領主の一人ブレヌスが、安堵の先にあるものを尋ねた。
「では、シュレーブ国の復興も?」
「シュレーブ国?」
エリュティアの母国。今は戦に負けて他国に分割されて消滅した国である。デルラスがその国の名を挙げた理由を説明した。
「王はルージ国の旧領をお失いになり、いまあるのは元シュレーブ国の領地と領主。エリュティア様がお立ちになれば、今は他国に分割された旧領の者たちも立ち上がる事でしょう」
バズラスも大きく頷いて言った。
「むろん我らも兵を挙げ、奪われた領地を取り戻す所存です」
領主たちが言うのは、戦勝国としてシュレーブ国の地を分割して得た国々と争うという事である。エリュティアは大きく首を振って言った。
「それはなりませぬ。他国といたずらに争いを招き、民を再び戦に巻き込む事になります」
彼女の言葉にブレヌスが反論した。
「では、ヴェスター国やゲルト国に奪われた領地と民の難渋は見て見ぬふりをされるのですか」
エリュティアは椅子からよろりと立ち上がって言った。
「それは……。でも、私は戦乱を終わらせた夫を誇りに思いたいと考えています」
彼女はアトラスが戦乱を終わらせたと信じていた。しかし、終わったはずの戦の火種は再び燃え上がろうとしている。
ハリエラナが会話に割って入った。エリュティアのふらつく足元を見ていると黙っていられなかった。
「エリュティア様はお疲れです。政の話なら、王がお帰りになってからにしてくださいませ」
領主たちは顔を見合わせて頷きあい、ハリエラナの申し出を受け入れた。エリュティアは広間を立ち去る領主たちの後ろ姿を眺めて、全身から力が抜けたように再び椅子に腰を下ろした。
しかし、ユリスラナを驚かせたのは、エリュティアの思い詰めた瞳には力があって強い意志が感じられることだった。何より、領主たちとの会話で彼女ははっきりと自分の意志を語っていた。
ユリスラナがハリエラナの傍らでそっと言った。
「エリュティア様は、この聖都で多くを学ばれました」
ハリエラナも頷いて彼女の言葉を受け入れた。ただ、ユリスラナが説明できなかった事がある。エリュティアの成長の傍らにアトラスが居たと言う事を。
今、エリュティアは祈りを込めて胸に手の平をあてている。その手の平の下の小さな守り袋にアトラスから贈られた月の女神の真珠がある。




