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デルタスの気配

 アトラスが振り返って眺めた空を東へと辿ってみると、聖都シリャード辺りに差し掛かると空には雲一つなく晴れ上がって眩しい朝日が射していた。

 聖都シリャードの中の王の館では、エリュティアが未だ体力を回復せぬ体を、侍女のユリスラナに支えられながら庭園の東屋に移している。エリュティアは遠く離れた夫と同じ風に吹かれたいとでも言うように、一日の大半を庭園で過ごす日々が続いていた。しかし、夏には心地よかった風も、今は肌寒さを感じるようになった。

 ユリスラナの見たところ、アトラスは無骨な雰囲気を漂わせながら細やかな心遣いをする。数日に一度はアトラスはスクナ板をエリュティアに届け、エリュティアは届けられるスクナ板で、夫の近況と愛情を知った。そんなアトラスからの連絡も、山へ踏み込むという連絡を最後に途絶えた。

 更に数日、エリュティアの心の迷いと寂しさに気づいたように、パトローサにいたラヌガンが、王都カイーキからの知らせを持って現れた。アトラスの留守に政務を預かる者の一人として、エリュティアの様子も知っておきたいのだろう。

 アトラスの連絡が途絶え、王に伝えるべき情報は王に代わって政務を仕切るラヌガンの元へ集まっている。彼が持参した二枚のスクナ板は、フェミナから送られてきた援軍の要請に応じたルージ国への礼、もう一枚は別働隊として王都カイーキに入ったテウススたちの近況報告が記載されていた。


 戦況に疎いエリュティアのために、ラヌガンが今のフェミナが置かれている状況を説明した。

「叛乱を起こしたのはフローイ国の北の小領主が数人。その兵は集めても一千に及びますまい。王都カイーキには二百の守備兵が居るとの事。テウススが五百の兵を連れて加勢に駆けつけたとなれば、もはや敵は王都カイーキを陥落させる事などかなわぬ事」

 ラヌガンの言葉に侍女のユリスラナが首を傾げた。

「でも……、敵は千人近いのでしょう。フェミナ様のお味方は合わせても七百なら、少なすぎるのでは?」

「守る側は、やぐらの上から矢を射かけ、城壁の上から石を投げ落とすのです。守る側にも敵の矢が降り注ぎますが、守る側が一人の被害を受ける間に、敵は十人が倒れる。守る側は攻める側より遙かに有利なのです」

「そういうものなのですか」

 ユリスラナの言葉に、ラヌガンは確信を込めて頷いた。幾多の血なまぐさい戦場を駆けめぐってきた男の気迫を感じさせる。エリュティアはラヌガンを眺めた。物静かだが気迫を内に込めた雰囲気はアトラスに似ている。

 パトローサへ帰るラヌガンの後ろ姿を通して彼女は夫の事を思った。彼女の夫は未だ収まらぬ戦の中にいる。エリュティアの心に夫を支える事が出来ない寂しさが心にわだかまっていた。


 同じ日、リシアスがエリュティアの元を訪れた。歳は十歳になったばかりだが、聖都シリャードがあるリマルダの地の領主を任されている。本人もそうなろうとする気概が溢れているように見えた。

 東屋に案内されたリシアスは、哀しみの目をエリュティアから逸らして庭園の草花を眺めながら言った。

「母が申すのです。領主として分からない事かあれば、エリュティア様にご教授願えと」

「私に何を教えてあげることがあるのかしら?」

「ラマカリナの地から多くの民がリマルダになだれ込んできていました。ヴェスター国は新たな関所を設けてそのような民を捕らえて追い返し、時には見せしめに殺害しています。国境には数多くの柱が立てられ、殺された者たちが見せしめに柱に縛り付けられて晒されています」

 今までは同じ国王に仕える領主が治めていたラマカリナとリマルダで、領主も領民も親類づきあいをするほどの間柄だった。敗戦と共にその境界は国境線となり、互いに口出しできぬ土地になった。リシアスが嘆くのは、知古も多いラマカリナの人々のために何も出来ないと言う事である。

 エリュティアは無力感で涙がにじむリシアスを抱きしめた。彼女にも自分の無力感に悩んだ時期がある。なにより、元シュレーブ国の王女エリュティア自身にとって、ラマカリナの人々の災厄を見ているのは、無力感に涙が出るほどだった。

(この子に……)

 アトラスはリマルダの地の領主ガルラナス亡き後、幼い息子リシアスにその後を託した。リシアスにその重荷を背負わせて良いのだろうかという疑問も湧いた。しかし、今のエリュティアにはその疑問を打ち消して声をかける事しかできなかった。

「貴方はあの勇敢なガルラナスの息子。そして、誇り高く強い母レスリナもいる。血筋を誇りとして、自信を持ってリマルダの民を率いて進みなさい」

「我が民を災厄に遭わせないようにと言う事ですか」

「リシアス。私は貴方に支えられている。きっとね。これらからも支えて頂戴」

 姉が幼い弟にかけるような言葉に、リシアスは自信を取り戻したように頷いてエリュティアを見上げた。

「うんっ。きっと、エリュティア様を支えて差し上げます。だから……」

「だから?」

 エリュティアに短く問われたリシアスは、はにかむように首を横に振って、それ以上言う事はないと伝えた。勘の良い子でエリュティアの哀しみの心情を察したのだろう。彼はエリュティアを励まそうとした。しかし、エリュティアへの信頼でその必要もない事を悟ったということか。

 ユリスラナは彼の優しさにご褒美を思いついた。

「小さな領主様」

 ユリスラナの呼びかけに、リシアスは敏感に反応して振り向いた。いかにも不満げな表情だが、ぷっと頬を膨らませた様子が幼さを感じさせる。

「私は小さな領主ではない」

 小さな領主と呼ぶのはエリュティアだけに許した愛称だった。ユリスラナは大人ぶろうとする彼の幼さを微笑んで愛でながら、ご褒美に言及した。

「申し訳ありません。シルラにお友達のリスを紹介しようかと」

 ユリスラナの言葉にリシアスは機嫌を直した。

「本当か?」

 この素直な笑顔も愛らしい。彼女は無意識のうちに腹に手を当てていた。もし、エキュネウスの子を身籠もるなら、こういう素直で一途な男の子が良い。一方、蛮族(タレヴォー)とも蔑まれる青年と結ばれた事は、エリュティアの侍女として、由緒ある王家の名誉を汚しているのではないかとも考えている。彼女にはエキュネウスとの間にそういう一夜の甘い記憶があった。

 彼女はその複雑な思いを笑顔で隠して語った。

「ええ、木の上に木の実を餌にした罠をしかけて捕まえます。よろしければ罠のしかけ方もお教えしましょう」


 エリュティアがユリスラナに微笑んで首を横に振って拒絶して見せた。男の子とはいえ領主たるべき重要な人に木登りをさせるべきではないという。彼女はユリスラナと出会った時の事を想い出した。彼女は初対面のエリュティアに木登りを教えてあげると言い、乳母のルスララに叱られていた。この侍女はあの頃と変わりがない。しかし、ユリスラナにずいぶん支えられてきた。ユリスラナだけではなかった、振り返ればこの三年間の間に彼女の運命は大きく動き、幾多の人々との出会いがあり、支えられてきた。自分自身が他の存在と同じく静寂の混沌ヒュリシアンの調和の一部という実感が湧いた。


 しかし、ユリスラナの提案を土産に帰って行くリシアスを見送りながら、エリュティアは何も出来ない無力感に空しさも感じていた。リシアスが心を痛める人々は、元はシュレーブ国の民で、エリュティアが保護すべき人々だった。しかし、エリュティアにはいまや他国になったラマカリナの現状に口を出せる立場ではない。

 彼女はふと、レネン国のデルタスを想い出した。幼い頃から王宮で共に育って幼なじみを越えて兄のような親近感を抱く人物だった。

 聖都シリャードが陥落し、シュレーブ国の姫エリュティアは国の分割を受け入れた。あの時、デルタスは冗談でも言うように言った。

「早くからルージ軍に下った領地は麦の実りも豊か。ラクナル殿たちはシュレーブ王家から預かった領地を立派に守っておられます。それと同じ。エリュティア様も一時、攻め込んできた国々にシュレーブ国を預け、必要なら取り戻せばいい」

 更に記憶を辿れば、エリュティアはその言葉に疑問を呈した。

「取り戻すとは……。また民の血が流れ、大地が荒れるのでは?」

「そこは、やり方は何とでもありますよ」

 デルタスの軽口に応じるように、エリュティアも応じた。

「デルタス殿の言われるとおりに、お任せしましょう」

「では、この件は私が取りはからわせていた抱きましょう」


 今思い起こせば不可思議な会話だった。エリュティアは呟いていた。

「失われた領地を取り戻すとは、デルタス兄様はどういうつもりで言われたの?」


 その呟きを聞きつけたかのように、この日から三日目にデルタスからの使者がエリュティアへの謁見を求めてやってきた。


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