愛する人々へ
長い行軍の後、次の作戦行動について打ち合わせをしておかねばならない。アトラスは関所の近くに晴らせた幕舎の一つに主だった者を集めた。
アトラスは周囲を見回して、ゆっくりと自分自身に言い聞かせるように、今の状況を語って見せた。
「フェミナ殿は不穏な気配を察知されて、我らに援軍を求められた。しかし、王都の守りは堅く、攻め落とすには千を越える兵と長い時間が必要だろう。フェミナ様に反旗を翻した者たちは、その兵を王都の北に集結させている途中に違いない。戦いが始まっていたとしても出方を見る前哨戦。反逆の狼煙を上げた者たちは、我らルージ軍が守備の加勢に回ったと知れば、総攻撃をするのにも戸惑う」
叛乱も長くまだ序盤戦に過ぎないという。ただ、アトラスと幼い頃からとに過ごしたテウススたちは、アトラスの心の中の迷いを感じとっていた。
ルミガスは尊敬を込めて尋ねた。
「しかし、アトラス王は手兵のみで王都を一夜にして落としたはずでは?」
ルミガスの異論にアトラスは苦笑いで答えた。
「あれは運が良かっただけだ。王都の城門を守る指揮官は退却する味方を収容するために城門を開けていた、我らはそこにつけ込んだだけ」
ルミガスは手柄を誇らず素直に語るアトラスに素直な敬意の笑みを返した。アトラスは尋ねた。
「しかし、フローイ国王家に反旗を飜すなどと言う人物が居たのだろうか」
彼がリーミルを通じて知るフローイ国は、民の敬愛を集める王家と忠誠心に厚い家臣という印象だった。ルミガスはアトラスの印象を否定せず言った。
「ゲルエナサスの奴かも知れませぬ」
「ゲルエナサス?」
「ラフローイ島に本拠を持っていた蛮族の頭目で、王家の遠い血筋だと申してフローイ国の乗っ取りを企んだ者でございます」
「ラフローイ島など、海に沈んだとか」
アトラスはゲルエナサスが根拠地を失って勢力の基盤の失ったはずだという。
「しかし、我が王家に反旗を翻すとすれば奴ぐらいしか思い浮かびませぬ」
首を傾げたルミガスに、アトラスは少し考えて言った。
「あるいは、その背後に誰かが居るということだ」
ゲルエナサスを利用して混乱を起こそうとする者が居ると言う事である。
ルミガスは話題を変えて言った。
「我らも兵を集めます。寡兵とは言え、百五十ばかりの守備兵がおります」
アトラスが二百の兵をこの地に残すというのは、彼がルミガスたちを信用せずシフグナの地をルージ軍が掌握しておこうという意図があるのかと問うている。アトラスは首を横に振って言った。
「いや。このシフグナは我らルージ国にとっても大事な地。そなたの兵には、ここをしっかり守ってもらわねばならない」
「では王はいかがされるおつもりで?」
この地に残すと言った兵をどう使うつもりかと問うている。アトラスはルミガスの問いに直接答えず、ギリシャ兵指揮官に向き合って尋ねた。
「クセノフォンよ。そなたゴルススともに山を越えたな。今も出来るか」
「あそこは我らにとって庭と同じ。お任せください」
「よしっ」
アトラスの言葉にテウススが王の意図を察した。アトラスは二百のギリシャ兵を率い、険しい山々を踏破し、敵の背後を突くというのである。
テウススは反論した。
「我らが王よ。私がクセノフォンと共に参ります」
「いや、いかん」
「何故です? 以前はゴルススに任せになった。今の私にはできぬと仰るのですか」
「戦うか、退いて守るか。その進退においては信頼している。しかし敵の背後を突くとなれば、状況がどう変わるか分からぬ」
兵を二手に分けたとき、山の隘路を進む部隊と連絡が取れなくなるのは、彼らは経験済みだった。情勢の変化に応じて新たな命令を与えたくとも出来ない。臨機応変の判断が必要な部隊はアトラス自身が率いるしかないと言う事である。
アトラスはもう決定したと言わんばかりに、今度はエキュネウスに向かって言った。
「エキュネウス殿。そなたはどうする」
アトラスがそう尋ねたのは、アトラスが命令を下して動かす相手ではないということである。彼等の独立性も認めねばならない。
エキュネウスは配下の兵の面構えを眺めて頼もしそうに言った。
「我らギリシャ人に、危険は少ないが安全に任務と、危険は大きくとも面白い任務とどちらか選べと仰るか。決まっています。寡兵なれど、王に同行いたします」
アトラスは少し考えて言った。
「危険な任務というなら、攻めてくる敵と正面から戦う事だろうよ。我が友にはテウススの正々堂々の戦を見守ってもらえまいか」
アトラスはエキュネウスを友と呼んで、もう一方の友のクセノフォンたちに視線を移して頼もしげに言った。
「それに見よ、クセノフォンたちの兵を。育ちの良いそなたらの兵に比べれば、素性も知れぬ山賊のような男たち。山の中は、こういう山賊どもの戦場だ」
山賊呼ばわりされたクセノフォンが苦笑して言った。
「親分。その通りでさぁ」
自分たちが山賊だというなら、アトラスはその山賊の親分だという。そう言う冗談を交わすところに主従の信頼関係が伺えて微笑ましい。
エキュネウスがアトラスと行動を共にし、アトラスがエキュネウスの指揮の独立性を尊重するなら、アトラスは何かの判断の都度、エキュネウスにも判断の是非を仰ぐ事になる。戦況を読み切れない戦場でそんな事になれば緊急に判断すべき事も出来なくなるかも知れない。
エキュネウスはアトラスの提言に頷いて言った。
「では、私はテウスス殿と同行させていただきましょう」
作戦は決まった。明くる日の出発準備のために軍議は散会し、幕舎にアトラスが残された。
アトラスには、もう一つ残された仕事がある。現状を聖都に知らせるために、二枚のスクナ板に通信文をしたためた。一枚は聖都の管理を任せているラヌガンとマリドラスに、もう一枚は妻のエリュティアへと送る。簡潔に、しかし、余計な心配を掛けないように、今の状況を綴ろうと悩むアトラスに、テウススが幕舎に姿を見せて声を掛けた。
「我らが王よ。出立の準備が整いました。後は明日の夜明けを待つだけ」
アトラスはその報告に頷きながら、テウススの傍らにエキュネウスが居るのに気づいた。アトラスはテーブルの上の書きかけのスクナ板を掲げて見せて尋ねた。
「エキュネウスよ。聖都に伝える事はないか」
「聖都にとは?」
首を傾げるエキュネウスに、アトラスは具体的な名を挙げた。
「ユリスラナに伝える事は? 愛する者に放っておかれたら、彼女は機嫌を損じるぞ」
エキュネウスは戸惑うようにアトラスに言った。
「ご存じでしたか」
いま、彼女を愛しているかと問われたら、エキュネウスは否定しない。エキュネウスとユリスラナ。いつしか二人の心が寄り添ってそんな関係になった。
アトラスは言った。
「隠しておく必要はあるまい」
「しかし、私は蛮族と蔑まれる出自。しかも、聖都を占領し、アトラス王とも敵同士でした」
アトラスの配下に多くのギリシャ人たちが信頼できる味方として居る。しかし、エキュネウスはギリシャ本土からアトランティスを支配するために来た。アトラスは彼のわだかまりを笑い飛ばした。
「蛮族と蔑まれる事がなんだ。私など悪鬼と蔑まれ、神に対する反逆者とまで憎まれている。それでも、エリュティアは私を受け入れてくれた。その侍女のユリスラナなら、そなたを受け入れるぐらいわけはない」
「エリュティア様ならともかく、あのがさつなユリスラナが?」
アトラスはそれを否定して言った。
「がさつとは言うまい。あの行動力と決断力は並の女性ではない。アトランティス広しと言えども、彼女を越えるのは亡くなったリーミル殿ぐらいのものだ」
「そういうものですか」
「そういうものさ」
アドナが頷いてそう断言した。彼女は王の傍らにいて、ユリスラナが侍女の身分でありながら、アトラス王を無邪気な奸計にはめてエリュティアに引き合わせようとした記憶がある。アトラスも同意して苦笑いで頷いた。
エキュネウスは話題を変えて言った。
「エリュティア様もお幸せな方だ」
エリュティアは夫に信頼され、夫はその妻に支えられてここにいる。戦の気配を前に、談笑の夜が過ぎていった。
そんな明くる日。テウススは整列した兵士たちを前に、右の拳を胸に当てて頭を垂れて、決意を込めた口調で言った。
「では、われらは先行いたします」
その傍らにいたスタラススが念を押すように言った。
「エリュティア様や残る臣下と民の事をお考えになり、危険は避けられますように」
レクナルスも付け加えるように言った。
「御身を大切になさいませ」
アテナイ兵を率いるエキュネウスも念を押した。
「無謀な行為は避けられますよう」
彼等は王の勇敢さは信じていても、アトラスの無謀な行為を抑える自制心については信じていない。
アトラスは苦笑いをして答えた。
「戦の事は戦の女神の差配に運命をゆだねよう。ただ、恥ずべき振る舞いはせぬよう心がけるさ」
アトラスが見送る兵士たちは、二日もすれば王都にたどり着いて、フェミナを支えて戦う者たちに合流する。敵が王都攻めに集中するタイミングで、アトラスは敵の背後や側面を脅かして敵を混乱させるという算段である。そんなアトラスには一日ばかり時間の余裕がある。
「では私はこの地でリーミネ殿の追悼をし、明日の早朝に出かけるとしよう。反乱軍の背後を突くまで五日と言うところか」
アトラスの口をついて出た名をルミガスが尋ねた
「リーミネ?」
「リーミル殿の真の名だそうだ」
細かい説明など無用と言わんばかりに、次の言葉を発した。
「クセノフォンよ、そなたは明日の出立の準備を」
短い指示を良く理解して、クセノフォンもまた一礼して今宵の宿営の準備に姿を消した。
アトラスはルミガスに向き直った。
「ルミガス殿。関所の中でリーミル殿が亡くなられた部屋を一夜の宿として借りたい」
ルミガスは意外な思いでアトラスを眺めた。壮大な追悼の儀式を想像していたが、アトラスは一人でリーミルとの記憶に浸りたいという。ルミガスはアトラスの真摯な表情に彼の真心を感じ取った。形だけの儀式ではなく、心からリーミルの存在を求めていると言う事だろう。アトラスのリーミルに対する敬意は彼女の死の後も薄れる事はなく追悼の思いは本物だった。しかし、この時は、アトラス自身がそれを必要としたのかも知れない
ルミガスはアトラスの依頼に頷き、配下の役人に今は砦の守備兵のため一室になった部屋を空けるように命じた。
もしよろしければ、第一部、第二部から、リーミルの記憶をたどってみてください
リーミルとアトラスの出会い
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リーミルとアトラスの再会
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兄ロユラスを失って混乱するアトラスとリーミル
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