破滅の知らせ
アトラスがラヌガンに使者を送り返せと命じたのは、彼の指揮下に熟練した騎馬兵がいるからである。しかし、ラヌガンは不満を隠さずに言った。
「王よ。部下に送らせずとも、私自身が兵を率いてフローイ国へ赴き、そのついでに使者殿をお連れいたしましょう」
ラヌガンが賛同を求めるように、アトラスの傍らに侍るテウススたちを眺めた。元々、テウススたちとともに幼い頃からアトラスの傍らに仕え続けてきたが、パトローサを占領して以来、各地の戦場をアトラスと共に駆け回るテウススたちと違って、この町の占領に留まっている。彼の戦士としての血は戦いを求め、どうして自分だけがここに留まっているのかと不満も感じているに違いない。
しかし、アトラスは言った。
「いや。そなたには今まで通りこの地に留まって欲しい」
そして、それが決定したというようにギリシャ人部隊の指揮官に視線を移して言った。
「クセノフォンよ。そなたと配下の兵士に同行してもらおう」
「おぉっ。いつなりと」
クセノファンには異存はなかった。ギリシャ人部隊の兵士の中にはフローイ国に家族を残してきた者も多い。彼自身の妻や幼い娘も王都の郊外にいる。異変があると聞けば、戻って家族を守りたいと考えるのも当然だった。
それでもラヌガンは不満を抑えきれぬようにアトラスに向かって一歩踏み出した。アトラスはそんな部下に怒りに近い視線を向けた。不都合な出来事がアトラスの心にいくつも積み重なり、彼の心は疲れ切って自制心を失いかけている。
マリドラスが甥のラヌガンを背後から引き留めてなだめた。
「我らが王はそなたをもっとも信頼すればこそ、この町の守りを任されたのだ。そして、これからフローイ国への遠征に当たって、必要な物資の輸送などそなたにしかできぬ」
テウススたち近習も、ラヌガンをなだめる言葉を次々に口にした。しかし、ジグリラスは苛立つアトラスの短い言葉を補うように、王の心情を語り聞かせた。
「ラヌガン殿。そなたの配下の兵は、その練度も忠誠心もアトランティス随一であろう」
「そう信じている」
「そればかりではない。その兵は騎馬兵。日に千ゲリア(約800km)は駆けるでしょう。この新たな地の何処で良からぬ事が起きようと、そなたの兵なら駆けつける事が出来る」
日に千ゲリア移動するというのは大げさな表現だが、ラヌガンの部隊が今のアトランティスで最高の機動力を有するのは事実だった。
「わかった」
ラヌガンは短い言葉で納得した。滑稽だが当然の事に、島国だったルージ国の人々にとって陸続きの国境など未経験だった。しかし、アトランティスの大地に領土を得てみると隣国との国境線は長く、不穏な雰囲気を漂わせていた。
ラヌガンとその兵、戦慣れした叔父のマリドラスがパトローサにいれば、たいていの状況に対処できるだろう。
アトラスも言葉足らずだった事を認めるように、素直な表情で言った。
「その通りだ。私の留守中、この町を任せる事が出来るのはそなたしか居らぬ」
広間に漂いかけた緊張感をほぐすように、ジグリラスが話題を変えた。
「王よ。王はパトローサを制圧後にすぐに宝物庫を封印されましたな」
「私がせっかく得た財宝だ。誰かに奪われてなるものか」
その言葉にジクリラスは笑って冗談だろうと指摘した。
「その中をご覧になられても居らぬのでしょう」
アトラスの言葉通り、彼がシュレーブ国の財宝を奪うつもりなら、既に宝物庫の中を検分しているだろう。アトラスは素直に認めた。
「その通りだ」
彼はうち続く戦を終わらせる事しか念頭になかった。食料や武具は同盟国のフローイ国から提供を受けて居たし、戦で敵から奪った矢など消耗品も補充できた。それらをまかなう莫大な戦費を気にせずにすんだ。蛮族に占領された聖都を解放するという目的も達して、フローイ国から得てきた物資の供給も止まる。もし戦を続けるなら、新たな兵員の補充や物資を贖う戦費が要る。
そんなアトスの不安につけ込むようにライトラスが言った。
「では、私たち親子が、ご案内つかまつりましょう。きっと納得されるはず」
その宝物庫は王宮の敷地の一角にあり、もう一つの王宮と言って良いほどの大きさだった。宝物庫を囲む高い塀があり、その出入り口は一つ。その塀の巨大な門を抜けると、そこに意外なものがあった。搭乗する兵員に漕ぎ手も含めれば五十人は乗れるかという軍船だった。
島国育ちのアトラスは船にも精通していた。
「異国の船か?」
アトランティスの船ではあるまいと言うアトラスに、ギリシャ人のエキュネウスも頷いて同意した。
「その通り。ギリシャの軍船でございます。しかし、何故このような場所に?」
ここはアトランティス大陸の中心と言っていいほどの内陸部で、海から遠く隔てられた陸地である。海面に浮かんでいれば軽快に疾走していたはずの軍船も、この場所では囚われ鎖に繋がれた虜囚の惨めさを漂わせていた。
ジグリラスが言った。
「過ぎる昔、王ジソーが戦勝の証として奴隷たちを乗せて連れ帰させたものです。ルードン河を遡り、桟橋からここまで運んできました」
「宝物庫に?」
アトランティス人が蛮族と蔑むギリシャ人の船が宝物に値するのかと、エキュネウスが皮肉な笑顔で言った。その言葉にジグリアスが答えた。
「歴代のシュレーブ王にとって、権威を誇示するものこそ宝物です。財力で権威を誇る時には金銀が宝物になり、武威を誇る時には敵から奪った武具や軍船が良いと言う事でございましょう」
ライトラス親子はアトラスたちを案内して宝物庫へと入った。四方に天窓があり、日中はどこからでも陽の光が差し込む構造だった。部屋は四つに分かれ、見事な細工が施された宝剣や武具があったかと思うと、隣の部屋では宝石をちりばめた首輪や腕輪など装飾品があり、更に、無造作に金銀の粒が山のように積まれて、思わず息を飲み、目を細めるほど眩しく輝いていた。
この宝物庫は、莫大な財産を盗賊から守るためばかりではない、案内した異国の来客にシュレーブ国の権威を見せつけるためのものだった。
アトラスはジグリラスの意図を読み解くように言った。
「そなたは、今のルージ国が他の国を敵に回しても打ち倒す財力があるとでも言いたいのか」
アトラスの言葉にやや怒りが籠もっている。しかし、ジソー王に歯に衣着せぬ意見具申をして怒りを買った老人は、アトラスに対しても本音を隠さず言った。
「有り体に言えばその通り。このアトランティスに安寧をもたらすおつもりなら、決断なされよ」
「この悪鬼に再び戦を始めろと言うか?」
そんなアトラスの怒りを収めるような調子でライトラスが言った。
「アトラス様。ヴェスター国のことは信頼しておられますか」
「当たり前だ。そなたも知っての通り、私の叔父の国だ」
「では何故、ラヌガン殿をここにお残しになる?」
沈黙を保ったアトラスに、ジグリラスは先ほどの言葉を思い出せと要求するように言った。
「王は考えられた。ラヌガン殿の騎馬兵なら、いかなる場所の紛争でも即座に駆けつける事が出来る。そういうことでありましょう。いまや盟友すら信用できぬということを、賢明な王は感じ取っておられる」
ライトラスは独り言でも言うように、しかし確信を込めて言った。
「ひょっとすれば、三年前より戦乱の臭いは濃い。くすぶる火種を風が煽り、燃え残った炭に一気に火が回るように、戦乱は拡大するでしょう」
次の春のアトランティス議会に各国の王が集い、新たな秩序を打ち立てる。アトラスは心に拭いきれない不安と迷いを抱えて、そう断言する事もできなかった。アトラスは無言を保ったまま親子に背を向けて宝物庫を後にした。
明くる日の早朝、アトラスは整列したギリシャ人部隊を率いて西へと向かった。ギリシャ人部隊はいつしか歴戦の兵士の集団に成長していた。荷車に積まれた食料や物資は滞りなく用意され、兵士たちの作業にも迷いがない。
パトローサの西の郊外で、一行の姿が見えなくなるまで見送った後、ラヌガンと叔父のマリドラスは王宮へと戻ってきた。
まだ、不満が残るラヌガンをなだめるようにマリドラスが言った。
「しかし、我らが王がそなたをここ残したのも信頼できるからこそ。何より西のフローイ国ばかりか、東のヴェスター国との境も慌ただしい」
ラヌガンは頷いてぼやくように答えた。
「戦も出来ず、帰国もかなわず。なんとも中途半端な事だ」
その言葉に応じるように、響いてきた馬蹄の音が大きくなったかと思うと、馬上の兵士が気づいて、二人の前で馬を止めた。男は疲れ切った体を支えきれなくなったと言うように馬の背から転がり落ちた。ラヌガンたちはその男の顔に記憶がある。ルージ島へ帰国を果たしているはずの男だった。
何かの異変に気づいたラヌガンたちは、男を抱き起こして問うた。
「何があったのだ?」
男は荒い息の中からようやく言った。
「ルージ島が、我らが故郷が、海に沈んで消えた」




