入り乱れる思惑
ライトラスは分かれ道から西の森へ、アトラスを待ち伏せをするシュレーブ軍の残党の説得に赴き、息子のジグリラスはその待ち伏せを避けて、アトラスを案内して分かれ道から北へと向かった。
「狼狽するな。今まで、我らの前には思いもかけぬ出来事が起きてきた」
アトラスはそんな一言で配下の者たちの口を封じた。破滅的な出来事については固く口をつぐみ、歩く事だけが目的になった奇妙な一行だった。アトランティスの東のルージ島から来たアトラスと近習たちに混じるのは、山賊経験もあるギリシャ人クセノフォン、聖都解放まで敵だったギリシャ人のエキュネウス、旧シュレーブ国の家臣ライトラス。彼らの後に続くのはクセノフォン率いるギリシャ人部隊とエキュネウス指揮下のギリシャ人たちが十数人。行動を共にしながら一つになる事もなく、それぞれの思惑を持っている。
北に向かう道すがら、未だジグリラスが信用できぬと不信感を露わにしたテウススが尋ねた。
「しかし、もし我らが王がそのままパトローサに向かわれていたら、そなたたちはどうしたのだ?」
「王が待ち伏せの場所に通りかかる前に、ラヌガン殿がパトローサから三百の兵を率いて叛徒どもを鎮圧していたでしょう」
「では、ラヌガンも事の次第を知っていたのか?」
「いえ。全ては我が父ライトラスがシュレーブ軍の残党バナラス殿から計画を打ち明けられてからのこと。父は悩んだ末、ラヌガン殿と図り、父がバナラス殿の帰順を説得できればよし、出来ぬ時はラヌガン殿の兵士が謀反人どもを一網打尽にすると。どちらにせよ、パトローサ周辺から謀反人は駆逐されます」
「しかし、説得すると言うが、ラヌガンと図った事がバナラスにもわかるであろう」
説得するには、もはやアトラスの待ち伏せの機会は失われた事を伝えねばならず、バナラスは信頼したライトラスに待ち伏せの計画を漏らされたことに激怒する。ライトラスの命も危うい。
「父は申しておりました。アトラス王のお人柄は、老骨の命を賭けるに値すると」
ライトラスは謀反人を説得すると称して飄々と出かけたように見えたが、その心の奥底で死も覚悟していたと言う事だった。
テウススたちは素直に詫びた。
「疑った事。すまぬ」
陽が中天に差し掛かる前には目的地に到着するというジグリラスの言葉のまま、一行は北へと向かった。豊かな麦畑が広がっていたかと思うと、街道は広大な森林を通る。パトローサの周辺は人の気配と豊かな森林に囲まれていた。アトラスと共に各地を転戦して戦い続けたギリシャ人部隊の兵士たちも、そんな地形はよく知っていた。
分かれ道から目的地へ、半ばまで達した時、馬蹄の音が響いてきたかと思うと、ラヌガンが騎馬兵を伴ってアトラス一行に追いついてきた。
アトラスはラヌガンが馬から下りるのも待てずに尋ねた。
「シュレーブ軍の残党の待ち伏せはなかったか?」
「途中、不埒者どもの姿は見かけませんでした。待ち伏せが失敗した事を悟って逃げ去ったものか、ライトラス殿の説得が功を奏したのかはわかりませぬ」
ラヌガンは生死と言う言葉は避けて、ライトラスの安否は不明だと言った。彼は話題を変えた。
「明日は私がパトローサまで先導いたしましょう。パトローサの北は視界が良く開け、不埒者が待ち伏せが出来るような場所はございませぬ」
明日はと言ったところに、ラヌガンが今日の先導役はジグリラスに譲るという意図が伺えた。彼は降りた馬を配下の兵に任せ、指揮下の兵士には隊列の後尾に就くよう命じて、彼自身はアトラスと共に隊列の先頭を歩き始めた。
ジグリラスが腕を周囲に差し伸べて語った。
「見ての通り、豊かな麦畑が広がり、麦畑には麦畑を耕す住民たちがおります。この辺りにギリシャ人たちに与える土地はございませぬ。我が父ライトラスが見せたかったのはそういう状況でありましょう」
クセノフォンが不審そうに尋ねた。
「では我々は約束の土地をいただけぬというので?」
「いや。そうではない。更に郊外に行けば開墾できる草原や荒れ地が、点在している。そこを自分たちで開墾する。税は三代にわたって免除するという条件ではどうかと、王に進言するつもりのようです」
「なるほど。古くから住む者たちと土地の奪い合いはせずにすみ、耕作地が増えて、国も富む」
頷くアトラスに、ギリシャ人部隊指揮官クセノフォンが別の提案をした。
「我らが王よ。昨夜、仲間の者たちとも相談いたしました。土地をやると仰るなら、パトローサ近くの森に住まう事をお許しねがえませぬか」
「森だと? 家族を呼び寄せる者も居よう。森の中では大勢の者が生活するのに難渋する事もあろう」
「パトローサは半ば焼けて再建の途上と聞きます。我らが森から切り出した木を高く買う者たちもいるはず。森の中に土地が開ければ畑も作れるようになりましょう。我らの中にはもともと山で育ち、森の獣を狩り、木を切り、谷間に流れる河で魚を捕る事を生業にしていた者が多い。このシュレーブの地には山はなくとも、広大な森が数多くございます」
「なるほど、ギリシャ人とはずいぶん商才に恵まれた者たちのようだ。わかった。認めよう」
笑顔のアトラスに、クセノフォンは笑顔で応じながら、密かに考えていた。
(王よ。我らが命に代えてもお守りいたします)
いつしか、アトラスはギリシャ人たちの精神的な支柱になっていた。彼らの自由を保障するのはアトラスだけだろう。もし、その支柱が失われれば、彼らとその家族は奴隷身分に戻されることもあり得る。勇敢なのか寛容性があるのか、アトラスは死を考えていないようだが、今の情勢の中でアトラスの死を望む者も多い。
パトローサ周辺の森に住んでいれば、アトラスの身辺に危険があればすぐに駆けつける事が出来る。
アトラス一行は森を抜け、人里を通り過ぎ、やがて街道からも外れて、隠遁生活というにふさわしい場所にたどり着いた。背景に森があり、広い草原を流れる小川の畔に質素な小屋があった。小屋の側の畑は家人によってよく手入れされているように見える。しかし、そうと知らなければ、シュレーブ国の元大臣が住んでいるなどとは信じられないだろう。
この日アトラス一行は、ライトラスの庵の側の草原を宿営地にした。宿営地に夕餉のスープの香りが漂い始める頃、彼らは改めて母国からの知らせを議論した。懐かしい人物からの知らせだが、その内容は衝撃的だった。
王の天幕に集められた者たちの中でテウススが首を振って言った。
「しかし、朝の知らせは信じられません」
知らせとは、ルージ島の南のヤルージ島が住民と共に海に消えたという内容である。
「あの慎重なクイグリフスが知らせてきたのだ。間違いはあるまい」
アトラスの言葉にスタラススも首を傾げていた。
「しかし、私も信じられません」
「これからいかががされます?」
次の行動を問うレクナルスに、アトラスは言った。
「今日もそうしたとおりだ。この件については、次の知らせもあるだろう。それを待つしかない。よいか。狼狽えるな」
「しかし、リネ様やピレナ様も王が不在では不安でしょう。民の心も落ち着きませぬ。やはり我らが王は一刻も早くルージにお戻りになるのが肝要かと」
「そうだな」
そんな災厄の知らせで落ち着かない中、聖都に留まっているエリュティアから、フローイ国の王母フェミナの親書が届いたと伝えてきた。王母フェミナの語るところ、フローイ国で不穏な動きがあるという。
「やっかいなことですな」
聖都のに駐留していたギリシャ軍の生き残りを指揮するエキュネウスがアトラスに同情するように言い、アトラスも素直に頷いた。
「ああっ。しかし、リシウスやエリュティアに言われるまでもなく、フローイ国はリーミル様の時より我らの盟友。何かあればお助けせねばならぬ」
そう言っアトラスにクセノフォンが言った。
「王よ。その際には、再び我らに先鋒を賜りたく存じます」
クセノフォンの意図はよく分かった、フローイ国に家族を残してきた兵士は多い。その者たちにとってフローイ国の不穏な動きは封じたいと考えるのだろう。同じギリシャ人でもギリシャで生まれ育ってアトランティスに来たエキュネウスと、アトランティスでの生活の長いクセノフォンたちの間にの価値観に違いが起きていた。
そして、アトラス主従の会話を聞いていたジグリラスは小さく呟いていた。
「好機か」
そして、にやりと笑いたくる口元を押さえて平静を装った。




