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受け継がれる思いと次なる混乱

挿絵(By みてみん)

アトランティス大陸の東のルージ島やその周辺の島が消滅したほか、南西部の海岸線も大きく削られています。

 聖都シリャードは、アトランティスの人々の信仰の中心地であるばかりではなく、地理的にもアトランティス本土の中央にある。その都市を吹き渡る風は、既に冬の気配を感じさせていた。


 聖都シリャードの中の元シュレーブ国王の舘。最近、体調を崩したエリュティアは舘の外に出る事はなくなり、彼女を敬愛する民の心配と不安の種になっている。の

 舘の下女が館の中の部屋を回ってランプに火を灯して居た頃、家人の足下の大地が揺れて、エリュティアの居室に夕食のスープを運んできたユリスラナが悲鳴を上げた。この揺れが、ルージ島の最後の欠片を沈めた揺れと同じ物だったかどうかはわからない。

 エリュティアは驚いて椅子から立ち上がり、不安に襲われた時の癖で首に駆けた守り袋を握りしめた。握った守り袋の中から、誰かが彼女の夫アトラスを呼んだかのような錯覚がした。

 エリュティアの安否を案じた者たちが部屋に顔を見せたが、家人を怯えさせた地の揺れに、エリュティアが動じている様子がない。人々は顔を見合わせて感嘆した。

「さすがはエリュティア様。落ち着いていらっしゃる」

 家臣たちの間に賞賛の言葉が広がる中、エリュティアは小さく呟いていた。

「違う。私じゃないの」

 誰かの思いを力強く受け取って励まされた心地がする。しかし、それを説明する言葉も見つからないままエリュティアは心を落ち着けるように守り袋を胸元から取り出した。その中に収められた真珠は、元はアトラスの妹ピレナの持ち物だった。彼女が未来の姉にとアトラスに託して、今はエリュティアの持ち物となり彼女の心を癒している。


 この夜、エリュティアは出会った事もない義妹のことを夢に見た。顔立ちは朧気だったが、何故か微笑みかけている事が分かった。語りかけてくる言葉は聞き取れなかったが、エリュティアを力強く支えてくれる印象が、彼女の気高い人生とともに伝わってきた。

 夜が明けて、心地よい眠りから目覚めたエリュティアに、夫アトラスからの知らせが届いた。スクナ板と呼ばれる通信文を記した板を眺め、エリュティアは傍らにいた侍女に微笑んで言った。

「旅は順調だそうよ」

「良かった。でも、エリュティア様が同行できなかったのは残念です」

 アトラスの行軍は順調だという喜ばしい知らせと同時に、エリュティアが不安げに眉を顰めたのは、今はフローイ国に編入された旧ゲルト国の南西部が、そこに住む人々と共に海に呑まれたという信じられない知らせに触れたからだった。

「では昨夜の揺れが? ひょっとしたら……でも」

 そう考えたのだが、もっと以前の事らしい。侍女のユリスラナが口元に揃えた指先を当てて黙るように促した。

「エリュティア様。お気を付けください。悪霊は何処にでも居ます」

 不吉な言葉を聞きつけた悪霊が言葉を本当にするかも知れない。彼女はそれ以上、悪い予感を口にせず心にしまい込んだ。


 同じ日、陽が高く昇った時間に来訪者を迎えて、エリュティアは顔をほころばせた。

「ああっ。リシアス。小さな領主様」

 名を呼ばれた少年は、忠実に王家に仕えた父のガルラナスに代わって、リマルダの地の統治を任されている。少年もエリュティアに会えた嬉しさを素直に表情に顕して言った。

「小さくとも、誰よりエリュティア様に忠実な領主です」

 頷くエリュティアは、リシアスの後方に彼の母の姿も見つけた。

「あらっ、レスリナ様も?」

「今はレスリナと呼び捨てに」

 以前のエリュティアはジソー王の娘として、領主の妻のレスリナを人生の先輩として丁寧に呼んだ。しかし、今のエリュティアは王とともに国と民を背負う立場だと言う。エリュティアは寂しげに微笑んで納得して尋ねた。

「リシアスばかりかレスリナまで来るなんて、何か特別な用でしょうか」

 レスリナは眉を顰めて心配そうに、フローイ国に嫁いだ娘の名を口にした。

「フェミナの事で参りました」

「新たな領地が海に呑まれたとか」

 エリュティアが言ったのは、夫アトラスから知らされたフローイ国が併合した新たな領地の事だった

「いえ、そうではなく……」

 レスリナは首を横に振った後、事情はもっと複雑だと語り始めた。

「グライス殿のお母上のティルマ様はシュレーブ国から嫁いだお方。つまりグライス殿はフローイ国の血を半分しか受け継いでいなかったということです。そのグライス殿にシュレーブ国からフェミナが嫁いで生んだグラシムは、四分の三がシュレーブ国、フローイ国の血筋は四分の一だけ」

 エリュティアはレスリナの心を察した。その血筋の薄さ故、王位継承者であるにも関わらず家臣や民から軽んじられているのではないかと心配しているのだろう。エリュティアは彼女を安心させるように言った。

「夫からフェミナとグラシム殿はフローイ国の民の敬愛を集めていると聞いています」

 嘘ではなかった。アトラスはルージ軍を率いてフローイ国に駐留している時にフェミナの事も、彼女を取り巻く人々の様子もよく知っていた。しかし、レスリナは不安そうな表情を崩さずに言った。

「しかし、血筋の薄さを理由に、グラシムとその母のフェミナを除こうとする者たちもいるのです」

 エリュティアは状況を察した。王位を簒奪しようと画策する者の存在に対し、フェミナは夫を失い、彼女の良き理解者だった女王リーミルも亡くなって、誰を頼って良いのか分からないと言う事だろう。

 レスリナの目に娘の身を案じる母の願いが溢れていた。彼女はうやうやしく頭を下げて言葉を継いだ。

「なんとか、フェミナの力になってってはいただけないでしょうか」

「私からもお頼みします」

 母の横でぺこりと頭を下げたリシアスを撫でて、エリュティアは笑顔を浮かべて言った。

「アトラス王はフェミナともよく知る関係です。何かと気を配るように伝えておきましょう」

「それは心強い」

 リシアスが大人びた口調で言い、笑顔で母親の顔を見上げた。レスリナは寂しげな笑顔で応じ、丁寧に一礼し、息子にもお別れの礼をさせると静かに去った。二人を見送りながらエリュティアは無力感に囚われていた。

 彼女の夫アトラスが締めくくったはずのアトランティスの戦乱は、人々欲望によって再び燃え上がる気配を見せていた。


 その中、エリュティアはアトラスと婚礼の儀式は済ませて王妃の立場にいる。ただ、それも仮初めの儀式。アトラスとルージ島へと渡って領主たちを集めた祝賀式典を経て正式な王妃として認められるはずだった。今の彼女は病み上がりどころか、未だ何かの病魔に囚われている状態で、王妃の役割を果たす事も出来ない。

「もし、私がアトラス様の心を支えて差し上げられる状態なら……」

 彼女はそう呟いて、四日ばかり前、アトラスと共に戦い続けたルージ兵の内の約千名が聖都シリャードから、帰国の途についたことを思い出した。今頃は彼らは船に分乗して水平線にルージ島を見つけて帰国の喜びにわき上がっているかもしれない。

 彼女の体が万全なら、アトラスと共にその船でルージ島に渡っていた。しかし病で弱った体は未だにルージ島への船旅に耐えられそうになく、この地に残っている。彼女はこれから出会うはずの人物の名を呟いた。

「リネ様、ピレナ……。ルージ国とはどんなところでしょう」

 その言葉を聞きつけた侍女ユリスラナは、即座に彼女の愉快な想像を膨らませた。

「本土から遠く離れた島です。きっと、神話に出てくる精霊たちがいっぱい居て、月夜には賑やかに歌ったり、琴を弾いたり、踊ったりしてるんです。そこには恋のフェリンが居て、微笑みかけて来るんですよ」

「まさか」

「そりゃ、良い事ばかりではないかも知れません。森の奥には邪悪な悪霊が居て……」

 ユリスラナは邪悪な存在を口にしてしまった事に気づいて慌てて口を閉じた。ただ、彼女の楽しげな空想はエリュティアの心も寛がせ、彼女は久しぶりに作り笑顔ではない笑顔を浮かべていた。


 しかし、悪霊の事を口にすると邪悪な出来事が現実になるという噂が本当になるように、その明くる日、ルージ国の大臣クイグリフスから使者が遣わされて来た。彼がヤルージ島の災厄を知るや否やアトラスに遣わした連絡係だった。

 その使者はアトラスがパトローサに向かった事を知って、すぐさまその後を追った。詳しい内容はまず王に知らせねばならないと称して多くを伝えなかったが、エリュティアにもルージ国の南のヤルージ島で大きな異変があった事が知れた。その断片的な情報には舘の使用人たちの不安や妄想が加わって拡大した。緊急の知らせを携えた使者が来た事は聖都シリャードの人々にも知れ渡っていて、不安は瞬く間に町に広がった。

 その不安もうち続く地の揺れの中で収まらないまま、更にその明くる日に、驚くべき知らせがもたらされた。ルードン河の河口が位置するアモリスの地の領主バズラスから届いたのは、港町や漁師町を始め、海辺にあった町のいくつかが、東から押し寄せた高い波に飲み込まれ洗われて、船も建物も人も流されたというしらせだった。


 海辺だけではなかった。内陸部のクラナの地では、巨大な波がルードン河を逆流させてその水は土手を越えて周辺の村を水没させたという。そして、アモリスの地からも新たな知らが入った。外洋の荒い潮から切り離して波の穏やかな内海を作っていた二つの岬が消失して、荒れた波と潮の流れが入り込むようになったことがわかった。

 聖都シリャードの人々は、何か重大な事が起きかけていると言う不吉な予感に囚われたが、それは事態が我が身に降りかかってきた故に、今まで心にしまっていた不安が露わになっただけの事。アトランティスの大地は、既に二年前の初夏には北西にあったラフローイ島、マナフローイ島が海に呑まれ、フローイ国の北の港町や漁村も波に洗われていた。更に冬にはアトランティス大陸の南西部が波に飲まれ、先日も海岸線が大きく変わるほど、大地の縁が削られて地が海に沈んだという知らせを受けていた。今やアトランティスの大地は全土に渡って軋んで悲鳴を上げ続けていたのである。


 更に八日後、驚いた事に、ルージ島に帰国したはずのルージ兵の一部が戻ってきた。兵士が語った。

「ルージ島が消えた」と。

 一千名の兵が分乗していた三十数隻の船は、人の背丈の数倍はある高い波に飲まれて、半数を残して海面から消えた。奇跡的に残った船の乗員は、船の残骸にしがみついて漂っていた数人を救助できただけである。

 残された者たちは帰るべき故郷を探したが、四方に海原が広がるのみだった。潮の流れに乗ってやや南に移動してみたが、あるはずのヤルージ島を見つける事も出来なかった。

 そこから先の報告は、アモリスの地やクラナの地から受けた知らせを裏付けていた。彼らはアトランティス本土に戻ろうとしたものの、アトランティスの大地の縁は、海に呑まれ地形が大きく変わっていて、目指す場所を目指すのに苦労した。彼らはルードン河の河口を探し、そこから河をさかのぼって聖都シリャードに帰還を果たしていた。


 信じられない知らせだが、エリュティアは状況をアトラスに伝えるよう手配した。今の彼女に出来る事はそれだけだった。

「何が起きているの?」

 彼女はそう言ったが、この舘にも、聖都シリャードの中にも答えられる者は居なかった。

 彼女は夫アトラスの姿を求めるように西の彼方へと視線を向けた。

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