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絶望と破滅の先

 家の中へと誘うフェリムネに、リネは家に踏み込むのを戸惑った。そんなリネの心を後押しするように地が揺れた。地の揺れが、小さく、大きく断続的に続いていた。

 家の中に踏み込んだリネは首を傾げ、ひょっとすれば正統な王位継承者であったかも知れない青年の名を挙げて尋ねた。

「ロユラスとやらもここに?」

 ルージ国王の愛妾や王の息子が住む家とは、とうてい信じられない質素な住まいだった。フェリムネは頷いて、この居間と隣り合う二つの部屋の入り口の一つ指さして言った。

「あちらがロユラスの部屋でした。ベッドもありますので、そこでお休みを。粗末な椅子ですが、おくつろぎ頂いている内に、村人たちが温かい飲み物と食事を運んで来てくれるでしょう」

 台所も兼ねた居間には、パンや野菜の欠片どころか、暖炉で燃える薪の暖かさもスープの香りも無かった。村に来た避難民たちのために供出したのだろう。この家にあるものは、僅かにくつろげるテーブルと椅子と、母と今は亡き息子のベッドだけだった。

 ピレナはフェリムネに勧められるまま椅子に座り、母のリネの表情を黙って眺めた。正后の母親と愛妾フェリムネは一人の男を愛した。互いに憎しみや恨み言の一つも飛び出す関係だった。しかし、リネは静かに椅子に座ってフェリムネを眺めた。

 フェリムネが毛布を抱えて出て行こうとするのに気づいたピレナが首を傾げて尋ねた。

「フェリムネさん。何処へ行くの?」

「私は知り合いの家の片隅でも借りて眠ります。大丈夫。明日はお目覚めになる前に戻って、お二人の食事の支度をいたしましょう」

 フェリムネとロユラスのベッドをリネとピレナに明け渡して去るという。確かにこの小さな家には、その狭い二つの寝室を除けば、調理用の暖炉と食事を取るテーブルがあるこの小さな居間だけで、フェリムネが寝る場所がない。

「いや。それはいけない」

 ピレナが口にする直前に、リネがピレナが考えていた事を言った。彼女は戸惑いつつ、言葉を継いだ。

「ここに居ておくれ。そなたと話がしたい」

 ピレナは立ったまま二人を眺めた。リダルという一人の王を愛し、愛された二人の女。ピレナはこの場に余計な者がいるとすれば自分に違いないと決めた。彼女は努めて明るく言った。

「私はいつものように民の様子を見て回らなくちゃ。遅くなるからタリアのところで寝るわ」

 知り合いの少女の家に一晩やっかいになると言う。彼女は母に反対する間も与えず、二人に背を向けて姿から出て、外に控えていたリネの侍女を連れて姿を消した。家の中にリネとフェリムネが残された。

 どちらから誘うともなく、二人の女は並んで椅子に腰掛けた。ようやく会話のきっかけを見つけたかのようにリネが口を開いた。

「そなたの事は、ピレナから聞いてよく知っている」

 リネはそう言ったが、そればかりではない。王妃の座を簒奪さんだつするかも知れない女に警戒感を抱いて、その身辺は厳重に調べ続けていた。

 彼女は固く閉ざされた心の扉を開き始めて言った。

「私の事も聞いてもらわねば……。私は十四の歳に対岸のヴェスター国から嫁いできた」

 そんな言葉を皮切りにリネの思い出が夫リダルへの愛と共に彼女の口からあふれ出し止めどなかった。そんな記憶をフェリムも頷いて聞いていた。リネが語る夫リダルの愛の思い出は、フェリムネにも共通する思い出があって、二人の記憶はリダルという人物の存在で溶け合って一つになった。この時、座ったまま立ち上がれないほど地が揺れて、二人を現実に引き戻した。

 不安げな表情を浮かべたフェリムネを励ますように、リネが彼女の肩を抱いた。しかし、フェリムネは首を横に振って彼女の不安の原因は死の恐れではないと言った。

「今の私の不安は、異邦人タレヴォーの私が、あの方やロユラスの元へ行けるのかと言う事だけ」

 彼女は自分が死んだ後、リダルや息子に会えるのかどうか不安だと言う。リネは話題を逸らして答えた。

「私と初めて出会ったときのことを覚えて居るか。ほらっ、ロユラスがアトラスの王位継承権を認めに都に来た日の事じゃ」

 リネはその記憶のきっかけになる品を大切そうにみせた。急な旅立ちで彼女が持ち出せた形見の品はそれだけだった。リネは言葉を継いだ。

「あの時、リダル様の剣と指輪を交換しようと冗談を言ったロユラスを叱ったそなたの姿、今でも感謝しています」

 彼女は指にはめていたその指輪を外してフェリムネに差しだした。

「これは?」

 フェリムネの問いに、リネが答えた。

「あの時の指輪じゃ。私が嫁ぐ時に持参し、あの方がずっと身につけていた品。この品を身につけていれば、私やリダル様がそなたを見失うことなく導いて行けよう」

「ありがとうございます」

 指輪を交わして握り合った手が温かく、心のわだかまりも消え、ともに愛した人の思い出と共に二人の心が一つに溶け合った。


 一方、滑稽な事に、ピレナはタリアにも彼女の家族にも気づかれずに、愛馬の背に乗ったまま、その家族の様子を眺めていた。タリアの母はタリアとその弟の不安と嘆きを押さえるように抱きしめて家の中へと姿を消した。この地の終焉しゅうえんまで、家族で静かに過ごすつもりだと分かった。あの家族に割り込んでいく事は出来ない。ピレナはよそ者の悲哀を感じていた。

 周辺を見回せば彼女の行く先は一つだけだった。彼女が愛していると考えた人物が埋葬された場所。岬の高台が未だ崩れずに残っていた。ピレナはあそこを自分の最期の地と決心して、手綱で愛馬に目的地を伝えた。いまの彼女はザイラスへの愛が本物だったと信じる事が出来た。

 地の揺れが大きく小さく揺れたが、その揺れも徐々に大きくなっているようで人々に最後が近づいた事を知らせているようだった。その中、避難民の中の一人がピレナの姿に気づいて声をかけた。

「ピレナ様ではありませんか?」

 その声で、周辺にいた人々の視線がピレナに集中した。

「ピレナ様。どこへ?」

「ピレナ様。私たちを見捨てないで」

 人々から投げかけられた言葉に、ピレナは戸惑い、自分を恥じた。

(私は誰よりも先に、運命に絶望していた)

 責任を投げ出す事で、人々を見捨てていたと考えたのである。彼女は表情に笑顔をつくって言った。

「あの岬の高台まで行きます。ついてくる人は?」


 岬の先端までの坂は緩やかで、ゆっくり歩けば老人でも無理なく行けるに違いない。ピレナは人々と歩調を合わせるために馬の背から降りて手綱を曳いた。彼女はそれ以上言わず黙って岬を目指した。地面に毛布を敷いて座り込んでいた人々が立ち上がり、ピレナの後を追う足音が彼女の背後に増え続けていた。

 ピレナはクスリと笑って、規則正しい足音を振り返った。彼女の想像通り、年寄りや母に手を引かれた幼子の不規則な足音に混じって聞こえた、規則的なリズムはジョルガスに率いられた兵士たちだった。

 ジョルガスは言った。

「ピレナ様。俺たち兵士には、この人となら共に戦って死んでも良いと思える指揮官に出会える事が最高の幸福です。今の我らは幸福です」

 ピレナは僅かに微笑んだだけで、再び赤く染まった空に向き合い、歩き始めた。ここに埋葬された人物が、この地を守ってでも居るかのように、岬の先端へと続く緩やかな上り坂は以前と景色を変えていない。

 彼女が岬の先端にたどり着いたのは、未だ薄明かりが残る空に星が見え始める頃だった。

「ごめんなさい。ここまでね」

 ピレナが立つ場所から数歩、岬の西の縁から見下ろせば、人の背丈十人分ほど下に、荒い外洋の潮が作る夜目にも白い波が見えていた。ピレナが振り返れば彼女に付き従ってきた数十人の人々で岬が埋め尽くされ、その先頭にジョルガスがいた。

 ジョルガスが人々に向き合って叫ぶように言った。

「お前たち。ここで死んでも神様に愚痴なんぞこぼすんじゃぇぞ。名前を名乗って、ちゃんと人生を全うしたって自慢しやがれ」

 しかしジョルガスの大声も今の人々には無用だった。人々の間には間もなく訪れるかも知れない最後の時に対する恐れではなく、最後まで力を尽くしたと言う安堵感があり、濁りのない心は夜空の星々の光景を受け入れて一つになった。

 人々の視線に誘われるようにジョルガスも空を見上げて言った。

「しかし、美しい光景だ」

「そうね」

 そう言った女の顔に見覚えがあった。先日、ジョルガスに干しイチジクを与えた女だった。

「俺はジョルガス。お前、名は?」

「こんな時に名を聞くのかい。まぁ、いいや。私はルセリネさ」

 名乗り合った二人は夜空の混沌の裂けヒュリシアル・レクスの輝きを見上げた。この世界の生き物は、その死とともにあそこで溶け合って一つになると信じられている。それが恐ろしい事だとは思わなかったが、今まで生きてきた人生を記憶の欠片にでも留めたいそんな思いで、この二人はジョルガス、ルセリネという人生を記憶に留めようと名乗り合ったのかもしれない。人々の心は既にあの輝きの中で一つになっているようにも思えた。

 時折体に感じるほどの地の揺れを感じていたが、人々は意外に静けさを保ってその場に座り込んでいた。その穏やかな心の理由をジョルガスが言い、ルスリネも頷いた。

「見ろ。癒しの女神リカケーのようだ」

 ジョルガスを始め人々の視線の先に、岬の先端で空を見上げるピレナの姿があった。兵士が手際よく作り出した焚き火の明かりに照らされたピレナは、月のない夜空と重なって、月に象徴される癒しの女神リカケーにも見える。

 ピレナはその焚き火から眼下に見える灯火に目を移した。村の家々から灯りがもれ、広場で炊き上げられているいくつかの焚き火に照らされて人々の姿が見える。まだ人々がそこにいる気配がある。

 ピレナの愛馬が不安にいなないた。ルージ島の最後の欠片とも言えるこの場所を、今までにないほど大きな揺れが襲った。体が持ち上げられたかと思うと、次の瞬間には足下が崩れて行くようだった。一人で座っている事も出来ず、人々は互いに支え合った。

 誰かが闇にとけ込んだ水平線に異変を見つけて、驚きとも恐怖ともつかぬ声を上げた。水平線かと思った白い筋が陸地に迫ってきたかと思うと、その高さを増し、巨大な波の波頭だと分かった。波は押し寄せつつ岬の眼下にあった村を飲み込んだ。光景のあまりのすさまじさにピレナたちの五感は麻痺して、轟音も聞こえず皮膚を撫でる風も感じない。何より彼女たちは感情すら失った。続く波はピレナたちが居る岬を超える高さで覆い被さってきたが、その波の飛沫の冷たさを感じる余裕すらなく、ピレナは波のカーテンの向こうに呟いた。

(アトラス兄さん……)

夜の闇の中、地表から灯りと人の気配が消えた。


 明くる日の夜が明けると、もはや岩礁と言って良い、島の名残が濁った海面に見えただけで、それすら、うち続く揺れと荒い潮の流れに崩れ去って海面下に姿を消した。


 ただ、姿を消した人々を思い起こす時、死の運命という哀れさではなく、最後まで生を全うし尽くした人々の思いが残っているようにも思われる。

 この物語は、その思いをアトランティス本土の人々に引き継ぎながら今しばらく続く。



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